/*/ 星団暦3070年・総督府執務棟 小茶室 /*/
茶会、と呼ぶには質素だった。
卓が一つ。
茶器が二つ。
菓子が少し。
記録官はいない。
ラドもノエルもいない。
ただし、扉の外には警備がいる。
そして、室内の少し離れた位置にはニナリスが控えていた。
完全な私的時間ではない。
だが、報告会でもない。
ジィッドはそれを、ぎりぎり「友人としての茶」と呼ぶことにしていた。
ヨシワラ・シズナは、以前よりも落ち着いていた。
黒豹ニンジャ部門の暫定統括として、対外諜報、隊内防諜、旧トモエ直属線の保全をかなりの精度で回し始めている。
それでも、時々目が揺れる。
任されたことを理解し始めたが、選ばれたかった傷はまだ消えていない。
ジィッドは茶を一口飲み、何気なく聞いた。
「アーリィとは、普段どんな話をしていたんだ?」
シズナは少しだけ瞬きをした。
「アーリィ姉様ですか?」
「ああ」
「最後の方は、男性とお付き合いを始めたらしく、自撮り写真や食事の写真をよくメールしていましたよ」
ジィッドの手が止まった。
「……は?」
シズナは懐から小型端末を取り出し、数回操作した。
「あ、これです」
画面に写真が出る。
食事の皿。
店の卓。
自分で撮ったらしいアーリィの横顔。
さらに別の写真。
向かいに座る男の手元。
顔は写りきっていない。
だが、雰囲気は分かる。
ジィッドは端末を見てから、シズナを見た。
「なんでそのデータ持ってるんだよ」
シズナは当然のように答えた。
「アーリィ姉様は端末の偽装が雑でしたので」
「プライベートは触れないでやれよ……」
「ニンジャ部門の防諜基準では、端末偽装が雑な方が悪いです」
「それを本人に言ったのか?」
「一度だけ」
「どうなった」
「怒られました」
「そりゃそうだ」
ジィッドは頭を押さえた。
シズナは少し不満そうに言う。
「ですが、任務情報は抜けないようにしていました。写真や日常通信が甘いだけです」
「その分け方もどうなんだ……」
ジィッドはもう一度画面を見た。
食事。
写真。
短い文面。
任務の匂いはない。
むしろ、妙に普通だった。
黒豹副団長アーリィ・ブラストではなく、若い女が、誰かに見せたいものを送っている。
それだけの記録。
だからこそ、痛い。
「ところで、その男って誰?」
シズナは、少しだけ記憶を探るように目を伏せた。
「確か、ヨーン・バインツェルという方だったと」
ジィッドの目が細くなる。
「ヨーン・バインツェル」
「はい。デコーズ隊長に突っかかって敗北した野良騎士です」
「言い方」
「黒豹内ではそういう扱いでした」
「カステポー随一の素手の騎士、とか言われていた奴だな」
「はい」
ジィッドは茶器を置いた。
かち、と乾いた音がした。
点が繋がる。
アーリィが探していた若くて素手の強い騎士。
ヨーン・バインツェル。
デコーズと戦い、敗北。
ファティマ死亡。
ヨーン重体。
その報道の直後に、トモエ団長死亡とアーリィ逃亡。
偶然にしては、線が濃い。
だが、濃すぎる線ほど、踏むと罠になる。
「シズナ」
「はい」
「アーリィって、任務の内容をそのヨーンに漏らしたと思うか?」
シズナの答えは早かった。
「いいえ」
迷いがなかった。
「アーリィ姉様は、そのようなことをする方ではありません」
ジィッドはシズナを見た。
「恋人でも?」
「はい」
「浮かれていても?」
「はい」
「端末偽装が雑でも?」
シズナは少しだけむっとした。
「任務情報の隔離はしていました。雑なのは私信です」
「そこは信用しているんだな」
「はい」
シズナは小さく息を吸った。
「アーリィ姉様は、強くて、速くて、勝手で、私には眩しすぎる方でした。でも、黒豹の任務を男に漏らすような人ではありません」
ジィッドは頷いた。
「分かった」
少し間を置く。
そして、次の問いを出した。
「そのヨーンのことは、トモエ団長も知っていたか?」
「はい。知っておりました」
答えはまた早かった。
今度は、ジィッドの表情が動かなかった。
動かさなかった。
トモエは知っていた。
アーリィがヨーンと関わっていることを。
ヨーンがデコーズに突っかかった。
敗北した。
ファティマが死んだ。
ヨーンは再起不能に近い重体。
そしてアーリィは、トモエを斬って逃げた。
ジィッドの頭の中で、嫌な仮説が形を取りかける。
トモエ姐さんは、そのヨーンってのを消そうとするよな。
黒豹の防諜上、危険と見れば。
アーリィが惚れていようが。
ヨーンが任務情報を知らなかろうが。
ヨーンが黒豹にとって不確定要素なら、トモエなら処理する。
その辺りの痴情のもつれで、アーリィがトモエ姐さんを――
まさかな。
ジィッドは、そこで思考を止めた。
断定するな。
これは証拠ではない。
線が見えただけだ。
線が見えた時こそ、人は都合よく結ぶ。
ジィッドは茶を飲んだ。
少し冷めていた。
「シズナ」
「はい」
「この写真と通信記録は、どこまで共有している」
「私の個人保全領域と、黒豹ニンジャ部門第三系の封印記録にのみ」
「総督府には?」
「まだです」
「なぜ」
「私的情報ですので」
ジィッドは少しだけ眉を上げた。
「そこは触れないのか」
「触れましたが、撒きません」
「そうか」
「はい」
「よし。総督府防諜に封印扱いで写しを置け。閲覧権限は俺、ニナリス、お前、総督府防諜主任、ゲンロウまで。ラドとノエルには存在だけ伝える。中身は見せるな」
シズナは頷いた。
「承知しました」
「それと、この件で黒豹内を煽るな。アーリィが男に狂ってトモエ団長を斬った、みたいな噂になったら黒豹が腐る」
「はい」
ニナリスが静かに口を開いた。
「マスター。仮説として記録しますか」
「いや」
ジィッドは即答した。
「まだ記録するな。記録すると、形になる」
「承知しました」
「ただし、調査項目には入れろ。ヨーンとアーリィの接触時期。トモエ団長が把握した時期。デコーズ隊長との戦闘の前後。ヨーンのファティマ死亡の詳細。アーリィ逃亡までの時間差」
「はい」
シズナが静かに言う。
「ジィッド様」
「なんだ」
「アーリィ姉様は、任務を漏らしていません」
「分かっている」
「本当に?」
「お前がそう言うなら、まずそこから始める」
シズナの目が揺れた。
ジィッドは続けた。
「だが、漏らしていないことと、問題がなかったことは別だ」
「……はい」
「トモエ団長がどう見たか。ヨーンが何に巻き込まれたか。デコーズ隊長が何を知っていたか。アーリィが何を守ろうとしたか。そこは別に見ないと駄目だ」
シズナは、ゆっくり頷いた。
「承知しました」
少しの沈黙。
茶会のはずだった。
だが、いつの間にか防諜会議になっている。
ジィッドは自分でそれに気づき、深く息を吐いた。
「茶会で仕事の話をしすぎたな」
シズナは少しだけ目を伏せた。
「申し訳ありません」
「いや。俺が聞いた」
ニナリスが淡々と言った。
「本日の茶席は、私的雑談から黒豹関連重要情報の発見に移行しました」
「記録しなくていい」
「必要です」
「茶会の敗北判定みたいに言うな」
シズナが、ほんの少し笑った。
「では、次回はもう少し普通の話をします」
「普通の話って何だ」
「食事の話や、服の話や、天気の話でしょうか」
「お前、そういう話できるのか」
「アーリィ姉様のメールには、よくそういう話がありました」
「参考にする相手を間違えてないか」
「では、ニナリス様に聞きます」
ニナリスは静かに答えた。
「私はマスターの食事、休息、軍務、騎体状態、書類処理量についてなら話せます」
ジィッドが顔をしかめた。
「普通じゃない」
シズナは少し考えてから言った。
「では、次回までに普通の話題を調べておきます」
「調べるものなのか、それは」
「任されましたので」
ジィッドは、ほんの少し笑った。
「それは任せてない」
シズナも小さく笑った。
だが、端末の中の写真は、もう軽い私的な記録ではなくなっていた。
アーリィ・ブラストが、何を守り、何を失い、なぜ逃げたのか。
その入口が、茶会の卓の上に置かれていた。
ジィッドは、冷めた茶を飲み干した。
「シズナ」
「はい」
「この件は静かにやる」
「はい」
「黒豹を割らせるな」
「承知しました」
そして彼は、心の中でだけ呟いた。
アーリィ。
お前、何をやった。
いや。
何を守ったんだ。