/*/ 星団暦3070年 軍政圏 総督府主催舞踏会・迎賓館 大広間 /*/
その名が招待者名簿に載っていた時点で、ジィッドは嫌な予感を覚えていた。
/*/
AP騎士団スバース隊支隊長
ランド・アンド・スパコーン卿
/*/
代理ではない。
本人。
ジィッドは控室で名簿を見つめたまま、しばらく固まった。
「……来るのか」
ラドが横から覗き込む。
「来るみたいですね」
ノエルも顔を引きつらせる。
「支隊長本人です」
ジィッドは名簿を閉じた。
「誰だ、AP騎士団を招待したのは」
管理官が一礼する。
「総督府儀礼局です」
「儀礼局を廃止しろ」
「必要です」
「必要なことほど余計なことをする」
ニナリスが静かに補足した。
「マスター。AP騎士団スバース隊支隊長が本人出席することは、政治的には大きな意味があります」
「分かっている」
「来なければ、スバース市を軽視した記録になる。代理であれば、最低限の窓口維持。本人であれば、AP騎士団側もスバース市の現状を無視できないと示すことになります」
「分かっている」
「その上で、ランド・アンド・スパコーン卿は、騎士としても貴族としても外交官としても格が高い人物です」
「そこも分かっているから嫌なんだ」
ジィッドは重く息を吐いた。
「元ミラージュの剛の騎士で、A.K.D.の公爵格。フロート・テンプル宮殿警護長官まで務めた人物だろう。しかも今はAP騎士団スバース隊支隊長としてハスハ側にいる」
ラドが小声で言う。
「団長、詳しいですね」
「詳しくなりたくてなったんじゃない。報告書に書いてあったんだ」
ノエルが苦笑する。
「総督大将として会う相手ですからね」
「俺は総督大将でも、あの人は格が違う」
ゲンロウが黒豹の正装のまま、静かに言った。
「ランド卿が来るなら、AP側は本気でこの場を見に来たのでしょう」
「だろうな」
シズナは黒い礼装ドレスの裾を整えながら、少し緊張した顔をしている。
「強い方なのですか」
ジィッドは短く答えた。
「強い」
「どのくらい」
「会場にいる騎士の大半が、立っているだけで黙るくらい」
シズナは黙った。
「……それは、強いですね」
「強いんだよ」
/*/ 大広間 入場 /*/
大広間には、ノウラン市オータ市の行政代表、ミグノシアの旧議会系名士、商業組合、酒造組合、乳製品組合、黒豹騎士団、銀月騎士団、国家騎士団、そしてボルサ列島諸島の港湾代表団が揃っていた。
3045年に銀月が落とした、ハスハント共和国の一部であったボルサ列島諸島。
海上補給。
港湾税。
漁業。
乾物。
船舶補修。
島嶼防衛。
ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏は、もはや内陸の都市圏だけではなかった。
陸と海を持つ、広域の軍政経済圏になっていた。
その場に、AP騎士団スバース隊支隊長が来る。
それだけで、舞踏会の意味が変わった。
司会役が声を張る。
「AP騎士団スバース隊支隊長、ランド・アンド・スパコーン卿」
会場の空気が、はっきりと変わった。
大きな体躯。
重厚な礼装。
機械化された身体の一部を、あえて隠しきらない姿。
威圧的に見える。
だが、それは粗暴さではない。
鍛えられた礼節と、流血を避けるための威圧。
剛の者。
そう呼ぶしかない騎士だった。
その横には、バランシェ・ファティマ、ティスホーン。
ただし、ファティマはこの場では舞踏のパートナーとは見做されない。
兵器。
随伴者。
儀礼上はそう扱われる。
ジィッドの後ろに控えるニナリスと同じく、場の中心には立たない。
だが、騎士にとっては誰よりも近い存在だった。
ジィッドは、ランドが入ってきた瞬間、内心で思った。
呼ぶんじゃなかった。
いや。
呼ぶ意味はある。
意味はあるが。
格が違う。
真正面から、それを感じた。
ランドは丁寧に礼をした。
「マトリア総督大将閣下。本日はご招待、痛み入る」
声は低い。
威圧ではない。
むしろ、非常に礼儀正しい。
だが、ジィッドは背筋が冷えた。
礼儀正しいからこそ怖い。
この人物は、場を壊す気などない。
壊す必要がないほど、存在の格がある。
ジィッドも礼を返した。
「ランド支隊長。ご出席、感謝します」
「ノウラン市の現状を見ておくべきと判断しました」
「その判断に敬意を」
言葉は整っている。
だが、ジィッドの内心は穏やかではなかった。
やばい。
これはただのAP騎士団支隊長じゃない。
騎士としての格。
貴族としての格。
外交官としての格。
どれも重い。
こちらが若い総督大将であることなど、肩書でしかない。
向こうは、存在そのものが歴史を背負っている。
ニナリスが半歩後ろで静かに言う。
「マスター。呼吸が浅くなっています」
「分かっている」
「表情は維持できています」
「助かる」
「礼節上、問題ありません」
「勝利判定か?」
「現時点では被弾軽微です」
「被弾してるのか」
/*/ 一曲目 /*/
舞踏会の最初の一曲。
誰と踊るか。
若く、独身で、ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏を握る総督大将。
そこへAP騎士団スバース隊支隊長ランドまで来ている。
視線は、これまで以上に重かった。
ジィッドは予定通り、旧ノウラン市政評議会議長夫人、ミリア・オルテ老夫人の前で止まった。
「一曲、お相手願えますか」
老夫人は微笑んだ。
「総督大将閣下。今夜は、逃げ方がより難しくなりましたね」
「戦術的撤退です」
「お上手ですこと」
「必死です」
老夫人は小さく笑い、手を取った。
一曲目は旧ノウラン。
これは変えない。
ノウラン市を軍事占領地ではなく、市政の記憶を持つ都市として扱っているという宣言だった。
ランドはそれを見ていた。
無言で。
だが、その視線は鋭かった。
剣を見る目ではない。
都市を見る目だった。
/*/ 二曲目、三曲目 /*/
二曲目はヨシワラ・シズナ。
黒豹ニンジャ部門暫定統括。
最初ではない。
だが、外してもいない。
黒豹を銀月に吸収せず、しかし総督府保護下で立て直すという意味を持たせる。
シズナはジィッドの手を取りながら、小さく言った。
「ランド卿が見ています」
「見るだろうな」
「怖い方ですね」
「丁寧だから余計に怖い」
「ジィッド様でも怖いのですか」
「怖い」
「少し安心しました」
「そこで安心するな」
三曲目はボルサ列島諸島の港湾代表夫人。
ノウラン。
黒豹。
ボルサ。
舞踏の順番で、総督府が何を重視しているかを見せる。
ランドは、それも見ていた。
スバースだけではない。
ボルサ列島諸島まで含む補給圏。
港湾。
海路。
島嶼。
AP騎士団がスバースを奪還するとしても、都市だけを見れば足りない。
背後の経済圏ごと考えなければならない。
その構造を、舞踏会の順番で見せていた。
/*/ ランドとの対話 /*/
舞踏の合間、ジィッドはランドの前に立った。
逃げられない。
総督大将として、挨拶を交わす必要がある。
ランドは杯を持っていなかった。
ジィッドも持たなかった。
互いに素面。
互いに礼装。
互いに、剣は抜いていない。
「ランド支隊長。今夜のノウランはいかがですか」
ランドは少しだけ視線を巡らせた。
「よく回っている」
短い答え。
だが、重い。
「市政評議会を残し、市場を動かし、港湾と通信を押さえ、GTMを市内にも郊外基地にも常駐させない。随分と嫌な形で持っておられる」
ジィッドは内心で呻いた。
見抜かれている。
当たり前だ。
この男に、ただの舞踏会として見せられるはずがない。
「嫌な形ですか」
「褒めている」
ランドは平然と言った。
「剣で取るだけなら、都市は取れる。だが、帳簿と港と人心と記憶を壊さず持つのは難しい」
「そうせざるを得なかっただけです」
「その“せざるを得なかった”を続けられる者は少ない」
丁寧だ。
だが重い。
ジィッドは、また背筋に冷たいものを感じた。
この人は、こちらを過大にも過小にも見ていない。
その正確さが怖い。
ランドは続けた。
「AP騎士団スバース隊としては、貴殿の統治を認めるわけにはいかん」
「でしょうね」
「だが、見なかったことにもできん」
「それで十分です」
「十分?」
「見て帰っていただければ」
ジィッドは静かに言った。
「ノウランは、剣で取るだけでは終わらない都市になっています」
ランドはしばらく黙った。
それから、口元を少しだけ動かした。
「若いのに嫌なことを言う」
「よく言われます」
「だが、悪くない」
ジィッドは礼をした。
「ありがとうございます」
ランドも礼を返す。
「ただし、マトリア総督大将」
「はい」
「ノウランは、AP騎士団にとっても簡単に諦められる都市ではない」
「承知しています」
「ならば、互いに余計な血を流さぬようにしたいものだ」
その言葉に、ジィッドは少しだけ目を細めた。
威圧ではない。
脅迫でもない。
むしろ、騎士としての礼節。
そして、流血を避けるための圧だった。
「同感です」
「よろしい」
ランドは頷いた。
「今夜は招かれた客として振る舞う。踊る相手は、旧スバース側から選ばせていただく」
ジィッドは一瞬固まった。
「踊られるのですか」
「舞踏会だろう」
「それは、そうですが」
「私が踊れぬと思ったか?」
「いえ」
ジィッドは即座に否定した。
ランドは少し笑った。
「正直でないな」
「礼儀です」
「いい返しだ」
ランドは去っていく。
その背中を見ながら、ジィッドは小さく息を吐いた。
「……怖い」
ニナリスが横に来る。
「はい」
「否定してくれ」
「ランド卿は脅威度が高い人物です」
「そういう意味じゃない」
「騎士、貴族、外交官として、マスターより格上の要素を複数持ちます」
「正確に殴るな」
「ただし、敵意は抑制されています」
「それが余計に怖いんだよ」
/*/ 控室 /*/
ジィッドは控室に戻るなり、椅子に沈んだ。
「呼ぶんじゃなかった」
ラドが苦笑する。
「でも、来た意味はありました」
ノエルが頷く。
「ランド卿が見た。APスバース隊に報告される。それだけで、ノウラン市の政治的重量が増します」
ゲンロウが重々しく言う。
「それに、あの方は場を壊す気がない。むしろ、場を読むために来たのでしょう」
「だから怖いんだ」
シズナが少し首を傾げた。
「ジィッド様でも、あの方は怖いのですね」
「怖い」
「デコーズ隊長とは別の怖さですか」
「デコーズ隊長は、斬られる怖さが先に来る。ランド卿は、こちらの未熟さを礼儀正しく全部見抜かれる怖さがある」
ラドが小声で言う。
「それ、かなり嫌ですね」
「かなり嫌だ」
ニナリスが進行表を確認する。
「しかし、政治的効果は高いです。ノウラン、オータ、ボルサ、黒豹、AP、全ての視線が総督府の場に集まりました」
「舞踏会じゃなくて会戦だな」
「はい」
「認めるな」
管理官が言った。
「なお、ランド卿の出席記録は、中央報告、対外広報、AP騎士団向け非公式接触記録に使用できます」
「使うなと言っても使うんだろ」
「はい」
「性格が悪い」
「総督府の方針です」
「俺のせいにするな」
ジィッドは天井を見上げた。
ランド・アンド・スパコーン。
ただ出席しただけで、舞踏会の重心を変えた騎士。
丁寧で、常識的で、社交的で、しかも剛の者。
ああいう人物が敵対側にいる。
それだけで、スバース市は簡単な盤面ではなくなる。
「ニナリス」
「はい」
「次から、招待状を出す前に俺に見せろ」
「承知しました」
「絶対だぞ」
「はい」
ノエルが小声で言う。
「でも、見せられてもたぶん出すことになりますよね」
ジィッドはノエルを睨んだ。
「分かっていることを言うな」
控室に短い笑いが起きた。
だが、ジィッドは笑いきれなかった。
総督府舞踏会。
旧ノウラン、オータ。
ボルサ列島。
黒豹。
AP騎士団。
そしてランド・アンド・スパコーン。
戦場でなくとも、相手の格に震える夜がある。
その夜、ジィッドはそれを嫌というほど知った。