お付き合い作戦
/*/ 星団暦3071年 総督府執務棟 /*/
ヨシワラ・シズナは、作戦書を提出した。
表紙には、黒豹騎士団の正式書式で、こう書かれていた。
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黒豹影務部門暫定統括
ヨシワラ・シズナ提出
ジィッド様との交際開始に向けた段階的接近作戦案
略称:お付き合い作戦
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ジィッド・マトリアは、表紙を見たまま止まった。
ラドも止まった。
ノエルも止まった。
カラスマ・ゲンロウは、沈黙した。
ニナリスだけが、静かに内容を読み始めた。
「……シズナ」
ジィッドが、ようやく口を開いた。
「はい」
シズナは真剣だった。
怖いくらい真剣だった。
「これは何だ」
「作戦書です」
「いや、それは見れば分かる」
「では、説明します」
「しなくていい気もする」
「いえ。ご判断いただく必要があります」
シズナは背筋を伸ばした。
「私はジィッド様をお慕いしております。以前のように全てを差し出す形ではなく、段階を踏み、関係性を構築するべきであると判断しました」
ノエルが小声で言う。
「成長している……のかな」
ラドが低く返す。
「方向は成長だと思う」
ジィッドは額を押さえた。
「なぜ作戦書になる」
「黒豹ですので」
カラスマ・ゲンロウが、重く頷いた。
「黒豹では、感情の整理にも書式を用いることがあります」
「ゲンロウ、それ本当か」
「半分ほどは」
「半分嘘じゃないか」
ニナリスが静かに紙面をめくる。
「マスター。作戦は四段階に分かれています」
「読むな。いや、読むしかないのか」
「第一段階。日常会話の確立」
シズナが説明を始めた。
「まず、任務報告以外で一日一度、ジィッド様と会話します」
「一日一度?」
「はい。ただし、ニナリス様の監督下で、職務妨害にならない時間に限定します」
ニナリスが頷いた。
「妥当です」
「妥当なのか」
「依存抑制のため、会話時間に上限が設定されています」
「そこまで書いてあるのか」
「はい。十五分以内です」
シズナは真剣に続けた。
「第二段階。茶会」
ジィッドは嫌な予感を覚えた。
「茶会?」
「はい。週一回、黒豹再編状況の報告を兼ねた茶会を行います。任務七割、私的会話三割です」
ノエルがぽつりと言う。
「比率が作戦っぽい」
ラドが頷く。
「黒豹だな」
「第三段階。公的場面での同伴訓練」
ジィッドは顔を上げた。
「同伴?」
「舞踏会、会食、港湾視察、黒豹慰霊式などで、私が過度にジィッド様へ寄り掛からず、黒豹側代表として立てるかを確認します」
その言葉に、ジィッドは少しだけ黙った。
シズナは続けた。
「私は、ジィッド様に選ばれたいと思っていました。ですが、それだけでは黒豹を支えられません。ですので、まず黒豹の影として立てることを優先します」
ニナリスが、静かに言った。
「良い修正です」
シズナの肩が少しだけ緩んだ。
「ありがとうございます」
ジィッドは資料を取り上げた。
「第四段階は何だ」
シズナが少しだけ頬を赤くした。
「交際開始の再申請です」
「再申請」
「はい。第一から第三段階を経て、依存ではなく好意であると判断された場合、改めて交際開始を申請します」
ノエルが耐えきれず呟いた。
「恋愛に申請という単語が入った」
ラドが目を逸らした。
「黒豹だからな」
ジィッドは資料を閉じた。
「シズナ」
「はい」
「俺は総督府の認可印みたいに交際許可を出す立場じゃない」
「はい」
「恋愛は作戦じゃない」
「はい」
「ただし」
シズナが顔を上げる。
ジィッドは少し言葉を選んだ。
「お前が、前よりまともに段階を考えているのは分かった」
シズナの目が揺れた。
「では」
「全部は却下だ」
「……はい」
「だが、一部は採用する」
ジィッドは資料を指で叩いた。
「一日一度は多い。週二回。任務報告の後、茶を飲む程度ならいい」
「はい」
「茶会は週一回ではなく、隔週。黒豹再編の報告が主だ。私的会話は……まあ、少しならいい」
「はい」
「公的場面での同伴訓練は、ゲンロウと相談しろ。黒豹代表として必要な場なら出ろ。俺にくっつくために出るな」
「承知しました」
「第四段階は凍結」
「凍結」
「凍結だ」
シズナは少し考えた。
「では、交際開始の再申請は、状況安定後に提出可能でしょうか」
「提出するな」
「口頭申請なら」
「申請という言葉から離れろ」
ニナリスが静かに言った。
「シズナ様。第四段階は“再申請”ではなく、“改めて気持ちを伝える”に修正してください」
シズナははっとした顔をした。
「なるほど」
ジィッドがニナリスを見る。
「助かる」
「はい」
カラスマ・ゲンロウが、そこで初めて口を開いた。
「シズナ」
「はい、ゲンロウ殿」
「黒豹の影を預かる者が、己の感情を作戦書にしたことは悪くない。だが、恋慕を任務に逃がすな」
シズナは息を呑んだ。
ゲンロウは続ける。
「任務なら失敗しても修正できる。だが、人の心はそうはいかん。相手が拒むなら引け。受け入れられるなら、礼を尽くせ。いずれにせよ、黒豹を巻き込むな」
「……承知しました」
シズナは深く頭を下げた。
ジィッドは、少しだけ困ったように笑った。
「ゲンロウ、お前が団長やれ」
「まだ早いかと」
「いずれやらせる」
ゲンロウは何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
/*/ 第一回 お付き合い作戦 基地 小会議室 /*/
茶は、ニナリスが淹れた。
菓子は、ノウランの乳製品組合から届いた焼き菓子。
書類は、黒豹再編報告。
そして、卓の端には、小さく訂正された作戦書が置かれている。
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お付き合い作戦
第一段階:落ち着いて話す
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ジィッドはそれを見て、少しだけ笑った。
「だいぶ柔らかくなったな」
シズナは真剣に頷いた。
「ニナリス様にご助言いただきました」
「だろうな」
ニナリスは静かに言う。
「作戦という語は残りましたが、内容は改善されています」
「残るのか」
「シズナ様の認知上、完全削除すると不安定化する可能性があります」
「そういうものか」
「はい」
シズナは湯呑みを両手で持った。
「ジィッド様」
「なんだ」
「本日の私的会話三割分ですが」
「三割って言うな」
「はい。では、少しだけ」
シズナは視線を落とした。
「私は、ジィッド様に選ばれたいと思っています」
ジィッドは黙って聞いた。
「でも、それだけでは駄目だと分かりました。選ばれたいだけなら、私はまた誰かに寄り掛かるだけです」
「そうだな」
「ですので、まず任された仕事をします。黒豹の影を縫います。その上で、まだ気持ちが変わらなければ……改めて、気持ちを伝えます」
ジィッドは茶を口に含んだ。
少し甘い。
焼き菓子の香りがする。
「それでいい」
シズナは、ほんの少しだけ笑った。
「はい」
「ただし、極端なことを言い出したら止める」
「はい」
「抱いてください、とかは無しだ」
シズナは頬を赤くした。
「……はい。あれは、初期案です」
「初期案って言うな」
ニナリスが淡々と補足した。
「現在は廃案です」
「廃案でも記録するな」
「必要に応じて封印記録へ移行します」
「やめろ」
シズナは小さく笑った。
それは、以前のような追い詰められた笑みではなかった。
少しだけ恥ずかしく、少しだけ安心した笑みだった。
ジィッドはそれを見て、ため息を吐く。
「お友達から、だったな」
「はい」
「まずは茶を飲める相手からだ」
「はい」
「報告書を恋文みたいにするな」
「努力します」
「そこは断言しろ」
シズナは少し考えて、真面目な顔で言った。
「断言できるよう努力します」
ジィッドは頭を抱えた。
「黒豹、面倒くさいな」
ニナリスが静かに言う。
「マスターもかなり面倒です」
「言葉で殴るな」
茶会は十五分で終わった。
延長はなかった。
シズナは時間になると、自分から立った。
「本日は終了します」
「いいのか」
「はい。長居すると、寄り掛かりたくなりますので」
ジィッドは少しだけ目を細めた。
「偉いな」
シズナは固まった。
そして、慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます。次回も、任務を果たしてから来ます」
「ああ」
彼女が退室した後、ジィッドは椅子に沈んだ。
「ニナリス」
「はい」
「これ、上手くいくと思うか」
「恋愛としては不明です」
「そうか」
「ただし、シズナ様の依存傾向は、任務達成と自己認識に分散され始めています。安定化には有効です」
「それは良かった」
「マスターへの負荷は増えます」
「そこは良くない」
「はい」
ジィッドは、訂正された作戦書を見た。
『第一段階:落ち着いて話す』
黒豹の影を縫う少女が、恋愛まで作戦にしようとしている。
危うい。
面倒だ。
だが、前よりは少しだけ健全だ。
「お付き合い作戦か」
ジィッドは呟いた。
「はい」
「名前だけは何とかならんか」
ニナリスは少し考えた。
「対人関係安定化訓練」
「もっと嫌だ」
「では、お付き合い作戦で」
「記録はいつも残酷だな」
その日、ヨシワラ・シズナのお付き合い作戦は、全面却下ではなく、大幅修正のうえで試験運用に入った。
恋愛かどうかは、まだ分からない。
だが、彼女が誰かに全てを渡すのではなく、自分の足で立ったまま誰かを慕うための、最初の線にはなった。