/*/ 星団暦3071年 基地 総督府執務棟 小会議室 /*/
お付き合い作戦は、三回目で早くも改訂された。
理由は単純だった。
シズナが、作戦書を毎回提出しようとしたからである。
「毎回はいらん」
ジィッドは言った。
「ですが、進捗報告が」
「恋愛の進捗報告を軍務書式で出すな」
「では、私的書式で」
「書式から離れろ」
シズナは真剣に考え込んだ。
ニナリスが横から静かに言う。
「シズナ様。記録はご自身の内省用に留め、マスターへ提出する必要はありません」
「なるほど」
「必要な場合のみ、口頭で相談してください」
「はい」
ジィッドは、心底助かった顔をした。
「ニナリス、本当に助かる」
「はい。マスターの負荷軽減も私の職務です」
「俺の負荷として分類されているのか」
「はい」
「言葉で殴るな」
卓の上には、今日も茶と焼き菓子が置かれていた。
ただし、最初の頃と違って、シズナの前には黒豹影務部門の報告書がある。
黒豹騎士団の再編。
港湾防諜線。
逃亡したアーリィ・ブラスト関連の追跡打ち切り後処理。
トモエ団長死亡後の緘口令維持。
ニンジャ部門の再配置。
黒豹内の旧トモエ派、旧アーリィ派、実務派の温度差。
それらを、シズナは淡々と報告した。
「黒豹影務部門の再編ですが、三系統に分けます」
ジィッドは茶を置いた。
「三系統?」
「はい。第一、港湾・街道・倉庫の防諜線。第二、黒豹内部の緘口令維持と精神状態確認。第三、外部流入者、騎士崩れ、情報屋の照会です」
ノエルが資料を覗き込む。
「かなり整理されましたね」
「ゲンロウ殿にも確認いただきました」
カラスマ・ゲンロウは部屋の隅で腕を組んでいた。
「妥当だ。表の騎士たちには、影の事情を細かく見せすぎん方がよい」
シズナは頷く。
「はい。ですので、私が全部を抱え込むのではなく、各線に副担当を置きます」
ジィッドは少し目を細めた。
「普通に出来る女だな」
シズナが固まった。
「……はい?」
「いや、普通に出来る。報告も整理されてるし、部下も立ててる。なんでそんな卑屈なんだ」
シズナは視線を落とした。
ノエルが「あ」と顔をした。
ラドも目を逸らした。
ニナリスが静かに言う。
「マスターがそれを言いますか」
ジィッドは一瞬黙った。
「……そうだったな」
シズナは、湯呑みを両手で持ったまま、小さく言った。
「私は、アーリィ姉様の代わりではありません」
「ああ」
「トモエ団長の代わりでもありません」
「ああ」
「でも、黒豹の影を縫う役は任されました」
「任せた」
シズナは、少しだけ顔を上げた。
「ですので、任された範囲では、立ちます」
ジィッドは頷いた。
「それでいい」
沈黙が落ちた。
以前のシズナなら、その沈黙に耐えられず、何か極端な言葉を差し出していただろう。
忠誠。
愛。
全て。
抱いてください。
選んでください。
だが、今のシズナは湯呑みを持ったまま、ただ息を整えている。
ニナリスは、その様子を見て静かに記録していた。
「シズナ様。本日の私的会話時間は残り四分です」
「はい」
「申請ではなく、会話としてどうぞ」
「はい」
シズナはジィッドを見た。
「ジィッド様」
「なんだ」
「今日は、寄り掛かっていませんでしたか」
ジィッドは少し考えた。
「寄り掛かってはいない」
シズナの肩が、わずかに下がった。
「そうですか」
「ああ。報告も出来ていた。茶も飲んだ。時間も守っている」
「はい」
「だから、今日は勝ちでいい」
シズナは目を丸くした。
「勝ち、ですか」
「勝ちだろ。お付き合い作戦的には」
ノエルが噴き出しそうになった。
ラドが咳払いで誤魔化した。
ニナリスが静かに言う。
「はい。現段階では成功判定です」
「ニナリス様まで」
シズナは、少しだけ笑った。
それは、怯えた笑みではない。
作戦が成功した安堵でもない。
ほんの少しだけ、自分で立てたことを喜ぶ笑みだった。
/*/ 公的場面同伴訓練 ノウラン市 戦没者慰霊式 /*/
第三段階は、思ったより早く来た。
黒豹騎士団の戦没者慰霊式。
トモエ団長の名は、公式には「任務中死亡」とされた。
アーリィ・ブラストの名は、式次第から外されている。
上官殺しで逃亡。
抜け忍として処理済み。
そう記録されている。
だが、黒豹の者たちは知っている。
トモエが笑って死んだこと。
アーリィが泣かなかったこと。
その斬り合いの中に、誰にも言えない感情があったこと。
だから、慰霊式の空気は重かった。
ジィッドは黒の礼装で立つ。
隣にはニナリス。
少し後ろにラドとノエル。
そして黒豹側代表として、カラスマ・ゲンロウとヨシワラ・シズナが並んだ。
シズナは、ジィッドの隣には立たなかった。
黒豹側の列に立った。
それを見て、ジィッドは少しだけ息を吐いた。
「立ててるな」
ニナリスが答える。
「はい。依存行動は抑制されています」
「言い方」
「良好です」
「それでいい」
式が始まる。
黒豹の古参が名を読み上げる。
戦死者。
行方不明者。
任務中死亡者。
黒豹の影に消えた者たち。
シズナの顔は白かった。
だが、崩れない。
ゲンロウが一歩横にいる。
ジィッドは前に出すぎない。
黒豹の慰霊は、黒豹の者たちが行うべきだからだ。
式の終盤、献花の順番が来た。
シズナは花を持ち、トモエ団長の名が刻まれた仮の碑の前に立った。
少しだけ唇が震える。
だが、彼女は花を置いた。
「トモエ団長」
声は小さい。
それでも、届いた。
「私は、アーリィ姉様ではありません」
黒豹の列が静まり返る。
「ですが、任された影は縫います」
シズナは深く頭を下げた。
「どうか、お見届けください」
ジィッドは何も言わなかった。
ここで声をかければ、彼女はジィッドへ寄り掛かる。
だから、何も言わない。
ゲンロウだけが、静かに頷いた。
式が終わった後、シズナはジィッドのところへ来た。
ただし、走らなかった。
距離を保ち、礼をした。
「ジィッド様」
「ああ」
「本日は、黒豹代表として立てていましたか」
ジィッドは頷いた。
「立てていた」
「寄り掛かっていませんでしたか」
「寄り掛かっていない」
シズナは小さく息を吐いた。
「良かった」
ジィッドは少しだけ迷ってから言った。
「偉かったな」
シズナは固まった。
完全に固まった。
ニナリスが横から即座に言う。
「マスター。過剰な承認は依存再燃の可能性があります」
「すまん」
「ですが、事実としては適切な評価です」
「どっちだ」
シズナは、顔を真っ赤にしたまま俯いた。
「……記録します」
ジィッドが慌てる。
「何を」
「本日、ジィッド様より、偉かったな、との評価を受けました」
「記録するな」
ニナリスが静かに言う。
「シズナ様。個人日誌までに留めてください」
「はい」
ノエルが小声で言った。
「お付き合い作戦、かなり危うい綱渡りですね」
ラドが頷く。
「でも、前より歩いてる」
ゲンロウが重く言った。
「歩かせねばならん。寄り掛からせるだけなら、黒豹はまた割れる」
ジィッドは、遠くにある黒豹の列を見た。
トモエはいない。
アーリィもいない。
シズナはまだ危うい。
だが、立とうとしている。
「お付き合い作戦、第三段階」
ニナリスが静かに言う。
「現時点では成功です」
ジィッドは頭を抱えた。
「名前だけ何とかならんのか」
シズナが、小さく、しかしはっきりと言った。
「私には、必要な名前です」
その言葉に、ジィッドは黙った。
作戦という形でなければ、彼女は自分の感情を置けない。
なら、今はその名前でいい。
いつか、作戦でなくなればいい。
ジィッドはそう思いながら、短く答えた。
「なら、今はそれでいい」
シズナは、少しだけ笑った。
「はい」
/*/ その夜 ニナリスの記録 /*/
ニナリスは、個人観測記録に短く記した。
/*/
ヨシワラ・シズナ。
ジィッド様への依存傾向は残存。
ただし、任務達成、自立的役割認識、黒豹内での立場確立により、依存先の一点集中は緩和傾向。
お付き合い作戦という名称は未熟だが、本人にとって感情を整理するための仮枠として機能している。
マスターは困惑している。
しかし、拒絶による破綻ではなく、段階的距離調整を選択。
負荷は増加。
ただし、黒豹再編の安定性には寄与。
/*/
ニナリスは、最後に一行だけ追加した。
『マスターは、また面倒なものを拾った』
記録を閉じる。
その向こうの部屋で、ジィッドが書類を見ながら呻いていた。
「黒豹の慰霊式報告、港湾防諜線、国家騎士団の酒場規定、それにお付き合い作戦の経過観察……なんで最後だけ毛色が違うんだ」
ニナリスは静かに答えた。
「すべて総督府案件です」
「便利な言葉で殴るな」
星団暦3071年。
ヨシワラ・シズナのお付き合い作戦は、まだ恋愛には届いていない。
だが、彼女が自分を誰かに差し出すのではなく、自分の足で立ったまま誰かを慕うための訓練として、黒豹再編の裏側で静かに続いていた。