/*/ 星団暦3071年 基地 総督府仮執務棟 /*/
最初の一通は、普通だった。
/*/
件名:新しい服を買いました。
ジィッド様。
本日、ノウラン市の服飾店で外出着を買いました。
黒豹の制服ではなく、普通の服です。
似合っているか、ご確認いただけますでしょうか。
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添付写真には、ヨシワラ・シズナが写っていた。
黒豹の忍び装束でも、礼装でもない。
淡い色の上着に、少し硬い表情。
緊張しているが、どこか嬉しそうでもある。
ジィッドはその時、国家騎士団の酒場利用規定を読んでいた。
返信しようと思った。
だが、その前に管理官が入ってきた。
「大将、ボルサ便の遅延報告です」
「またか」
「天候ではなく、港湾倉庫側の積み替え遅延です」
「冷蔵庫か?」
「保冷庫です」
「冷蔵庫まで俺の軍務か……」
そのまま会議になった。
返信は後回しになった。
そして二通目が来た。
/*/
お忙しいところ申し訳ありません。
先ほどの写真ですが、角度が悪かったかもしれません。
上着を脱いだ方が、中のラインが分かりやすいでしょうか。
/*/
添付写真のシズナは、淡い色の上着を椅子の背にかけ、薄手のブラウス姿になっていた。ファティマの削ぎ落とされた細長骨格とは根本的に異なる、血の通った「人間の女」の肉感がそこにはあった。
ブラウスの生地越しでも分かる、しなやかな肩の丸み。健康的な皮膚の柔らかさが、不自然なほど執務室の端末画面の中で生々しく主張している。
表情には、少し焦りの色が混じり始めていた。
三通目。
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すみません。
変でしたでしょうか。
普通の服をどう着こなせばいいか分からず、布地が余って不格好に見えるのかもしれません。
これならどうでしょうか。
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写真の中で、シズナはブラウスのボタンを上から二つ外していた。
人間特有の、ふっくらとした鎖骨のくぼみと、なだらかな胸元の傾斜が覗いている。ファティマの直線的な人工美とは違う、男の目を否応なしに惹きつける肉体的な柔らかさが、ブラウスの隙間から溢れ出そうだった。
四通目。
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返信を求めているわけではありません。
ただ、見ていただければ十分です。
すみません。
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さらに布地が減っていた。
ブラウスを完全に脱ぎ捨て、タイトなキャミソール姿になっている。
キュッと絞られたウエストの曲線と、そこから豊かに広がる腰回り、そしてふくよかな太もものライン。人間特有の肉感的な凹凸が、薄いキャミソールの生地を内側からパンと押し広げ、男を惑わせる生々しい色気を放ち始めていた。
五通目。
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すみません。
私は選ばれるための努力を間違えています。
不快なものを視界に入れさせてしまいました。
罰を、あるいは訂正を。
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ジィッドが端末を開いた時、未読は七件になっていた。写真のシズナはすでにキャミソールすら脱ぎ、下着のブラジャー姿になっていた。
人間の女性らしい、豊かな丸みを帯びた胸がこぼれんばかりに膨らみ、細いアンダーバストとの対比で強烈な陰影を作っている。その肉感的な身体が、自室の鏡の前で哀れなほどに震えていた。
「……まずいな」
間髪入れずに、八通目が来た。
写真の服装は、完全に一線を越えて崩れていた。
シズナはついに、身につけていたブラジャーすら外していた。
上半身に唯一残されているのは、前ボタンを完全に外して大きく左右に開いた、最初の一通目で着ていたはずのブラウスだけ。
ファティマの平坦さとは似ても似つかない、柔らかく豊かな胸。その肉感的な胸の谷間が、前開きのシャツの奥で、隠すこともなく露骨に晒されている。下半身はタイツを脱ぎ捨て、女性らしい丸みのある尻を包む小さなパンツと、健康的で肉付きの良い生脚だけ。
相手の反応を、自分への視線を狂おしいほどに引き出すためだけに、厳重な密閉性をかなぐり捨てて「服を減らし、豊かな肉体を剥き出しにした」最果ての姿だった。
文章はさらに最悪だった。
/*/
これなら、少しは見る価値がありますか。
どこを直せばいいか教えてください。
見苦しい肉体で、本当に、本当に申し訳ありません。
/*/
ジィッドは椅子から立った。
「やめろ!」
即座に返信した。
返事は、異様に早かった。
/*/
すみませんすみません。
私なんかの御見苦しい姿を何度も送ってしまい、申し訳ありません。
以後、服も写真も送りません。
私の判断が浅はかでした。
ご不快にさせました。
/*/
ジィッドは頭を抱えた。
「違う。そうじゃない」
ニナリスが横から端末を覗き込む。
「マスター。文面が急性の自己否定に移行しています」
「見れば分かる」
「返信を推奨します」
「してる」
ジィッドはもう一度入力した。
/*/
普通のお付き合いの段階では無いから止めろと言ったのだ。
服を買ったことや、似合うか聞くことが悪いと言っているわけではない。
返信がないからといって、自分を削る方向へ進むな。
最初の服は似合っていた。
だから余計に、見せ方を間違えるな。
/*/
しばらく、返事が止まった。
そして短く来た。
『似合っていた、のですか』
ジィッドは天井を仰いだ。
「そこだけ拾ったか」
ニナリスが静かに言う。
「重要情報として受信された模様です」
「言い方」
次のメール。
/*/
ありがとうございます。
本日はこれ以上送りません。
申し訳ありません。
でも、嬉しいです。
/*/
ジィッドは大きく息を吐いた。
/*/ 同日夕方・黒豹再編室 /*/
シズナは正座していた。
目は赤い。
服はきちんと整えている。
机の上には、端末。
その横に、折り畳まれた新しい外出着。
ジィッド、ニナリス、カラスマ・ゲンロウ、ラド、ノエルが揃っている。
完全に軍議の顔ぶれだった。
議題だけがおかしい。
「休日の自撮り暴走について」
ノエルが小声で言った。
「議題名、これでいいんですか」
ジィッドが睨む。
「お前が書いたんだろ」
「分かりやすさを優先しました」
シズナが深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
「まず、それを止めろ」
ジィッドは言った。
「何でもかんでも申し訳ありませんに落とすな。話が進まない」
「……はい」
「新しい服を買った。見てほしかった。そこまではいい」
シズナが顔を上げる。
「よろしいのですか」
「よろしいというか、普通だろ」
「普通」
「普通だ」
ジィッドは言葉を選びながら続けた。
「だが、返信が遅れたからといって、自分を悪く言うな。服を減らす方向に行くな。相手の反応を引き出すために、自分を傷つけるような送り方をするな」
シズナの肩が震えた。
「……はい」
「俺は怒っている。だが、服を買ったことに怒っているんじゃない」
「はい」
「お前が、自分を粗末にして俺の返事を引き出そうとしたことに怒っている」
シズナは何も言えなかった。
ゲンロウが重く口を開く。
「シズナ。黒豹の影が、自分自身を餌にするな」
「……はい」
「任務であれば、そういう手もある。だが、己の心を相手に差し出して揺さぶるのは任務ではない」
「はい」
ニナリスが静かに端末を操作する。
「休日に一人になると、不安定化が強く出ています」
シズナは小さく頷いた。
「平日は、仕事があります」
「はい」
「報告することがあります。帳簿があります。港湾照会があります。黒豹の線があります」
「休日には」
「……何も、ありません」
その声は小さかった。
「何もないと、考えてしまいます。私は選ばれていない。私は必要とされていない。任務がなければ、ジィッド様に会う理由もない。そう思ってしまいます」
ジィッドは黙った。
ニナリスが続ける。
「空白時間が、依存思考を増幅しています」
ノエルが苦い顔をした。
「休日が休養になってない」
ラドも頷く。
「孤立しているな」
シズナは俯いた。
「休めと言われると、何をすればいいか分かりません」
ジィッドは深く息を吐いた。
「分かった」
シズナが顔を上げる。
「処罰でしょうか」
「処罰ではない」
「では」
「休日予定を作る」
シズナが瞬きをした。
「休日予定」
「そうだ。任務じゃない予定だ」
ニナリスが即座に記録する。
「休日安定化予定表」
「名前が硬い」
「では、休日予定表」
「それでいい」
ジィッドは指を折った。
「一つ。休日の午前中は、誰かと食事を取れ。一人で部屋に籠もるな」
「はい」
「二つ。新しい服を買った場合、写真は一枚まで。全身が分かる普通の写真。自己否定文は禁止」
「はい」
「三つ。返信期限を勝手に決めるな。俺は会議で半日消えることがある」
「はい」
「四つ。返事が来なくて不安になった場合、二通目を送る前にニナリスかゲンロウに相談しろ」
シズナがニナリスを見る。
「ニナリス様に」
ニナリスが頷く。
「はい。私はマスターへの過負荷と、シズナ様の不安定化の双方を観測します」
「……ありがとうございます」
「五つ」
ジィッドは少しだけ声を強くした。
「自分を見苦しいと言うな」
シズナが固まった。
「ですが」
「禁止だ」
「はい」
「俺が不快だったのは、お前の姿じゃない。お前が自分をそう扱ったことだ」
シズナの目に、また涙が浮いた。
だが、今度は謝罪を連発しなかった。
湯呑みを握るように、自分の袖を握っただけだった。
「……はい」
ゲンロウが静かに言う。
「シズナ。休日は黒豹の影から離れる日ではない。影を休ませる日だ。休ませ方を覚えろ」
「はい、ゲンロウ殿」
ノエルが小さく言う。
「服を買うのは、悪くないと思いますよ」
シズナがそちらを見る。
「そうでしょうか」
「少なくとも、一通目は普通でした」
ラドも頷いた。
「似合っているか聞くのも普通だ。そこから先が急降下しただけだ」
「急降下……」
ジィッドが頷く。
「急降下だ」
シズナは少しだけ、恥ずかしそうに俯いた。
「以後、降下角を制御します」
「航空機みたいに言うな」
ニナリスが静かに言う。
「比喩としては妥当です」
「妥当なのか」
/*/ 新ルール /*/
その日のうちに、ニナリスが簡潔な規定を作った。
/*/
シズナ休日連絡暫定規定
一、新しい服の写真は一枚まで。
二、自己否定文を添えない。
三、返信が遅れても追加送信しない。
四、不安が強い時は、ニナリスまたはゲンロウへ相談。
五、服を減らす方向で注意を引かない。
六、休日午前は誰かと食事を取る。
七、午後に一人で不安定化する場合、黒豹非任務茶会へ参加。
/*/
ジィッドはそれを読んだ。
「五番が生々しいな」
「必要です」
「必要なのが腹立たしい」
シズナは規定を両手で受け取った。
「ありがとうございます」
「礼を言う規定なのか、これ」
「はい。線を引いていただけると安心します」
ジィッドは一瞬、言葉に詰まった。
線。
彼がいつも引いているもの。
街道の線。
港の線。
税の線。
軍と民の線。
黒豹の影の線。
そして今度は、人の心の線。
「……線を引くのは得意になってきたが」
ジィッドは低く言った。
「これは一番面倒だな」
ニナリスが答える。
「はい」
「否定してくれ」
「事実です」
「事実で殴るな」
/*/ 数日後 /*/
次の休日。
シズナから一通だけメールが来た。
/*/
件名:本日の外出着
ジィッド様。
本日はゲンロウ殿、黒豹の二名と食事を取り、その後、ノウラン市内で外出着を見ました。
写真は一枚のみ送ります。
返信は急ぎません。
自己否定文は添えません。
ヨシワラ・シズナ
/*/
添付写真は、一枚だけだった。
新しい上着。
緊張した顔。
だが、前より少し落ち着いている。
ジィッドは会議の合間に、それを見た。
返信を迷った。
そして短く打った。
/*/
似合っている。
一枚で止めたのも偉い。
次の休日も、誰かと飯を食え。
/*/
送信。
十秒後、返事が来た。
/*/
はい。
ありがとうございます。
本日は追加送信しません。
/*/
さらに十秒後。
/*/
追加送信しませんと送ってしまいました。
これは追加送信に含まれますか。
/*/
ジィッドは端末を見て、額を押さえた。
「ニナリス」
「はい」
「これはどう判定する」
ニナリスは画面を見た。
「境界確認行為です。依存ではありますが、規定遵守意識もあります」
「つまり」
「今回は許容範囲です」
ジィッドは返信した。
/*/
今回は許容範囲。
以後、その確認も一回まで。
/*/
すぐに返事が来た。
/*/
はい。
一回まで。
今日はこれで終わります。
/*/
今度こそ止まった。
ジィッドは、少しだけ息を吐いた。
「前よりは良いな」
ニナリスが頷く。
「はい。急降下は回避されています」
「その表現、定着したのか」
「シズナ様の理解に有効です」
「ならいい」
窓の外では、ノウラン基地の休日が静かに流れていた。
シズナはまだ不安定だ。
恋愛にも、普通のお付き合いにも、まだ届いていない。
だが、一枚で止めた。
自己否定を書かなかった。
誰かと食事を取った。
助けを求める線を使った。
それは小さな勝利だった。
ジィッドは端末を閉じる。
「お付き合い作戦、か」
ニナリスが静かに言う。
「現在、休日安定化段階です」
「恋愛じゃなくて治安維持みたいになってきたな」
「マスターの得意分野です」
「人の心を港湾みたいに言うな」
「ですが、線を引き、流れを止めず、危険物を隔離する点では類似しています」
「言葉で殴るな」
それでも、ジィッドは少しだけ笑った。
港も、街も、人の心も。
放置すれば腐る。
締めすぎれば壊れる。
だから線を引く。
その線の上で、シズナは今日、どうにか踏みとどまった。