ノウラン市帰還
ノウラン市へ戻る頃には、陽が傾いていた。
占領直後の市街は、まだ落ち着かない。
バッハトマの旗が掲げられ、通信塔の周囲には警備が立ち、野戦陣地では銀月騎士団の部下たちが第二遮蔽線の補強を続けている。
デムザンバラは、整備区画で膝をついていた。
白い騎体。
かつてシュペルターだったもの。
いまは、ジィッドとニナリスと整備班が、ようやく「デムザンバラ」として生まれさせようとしている機体。
車を降りたジィッドは、整備区画の前で足を止めた。
「流石は剣聖のファティマ。ちくちくとだけど、的確に刺してくるな」
ニナリスが横に立つ。
「アウクソー様の指摘は、極めて合理的でした」
「合理的だった。だから痛い」
ジィッドは苦笑した。
「“使わないために残す”。あれは刺さった。俺は、危ないものは全部閉じればいいと思っていた」
「完全封鎖は、低中域への負荷滞留を招きます」
「技術的にも刺さってる」
整備班長が、記録端末を抱えたまま深く頷いた。
「右肩と左脚の負荷集中、説明がつきました。ピークを殺した結果、反応の逃げ場まで消していた。補強だけで処理していたら、次は別のところが壊れていましたね」
「怖いことをさらっと言うな」
「整備できる段階で分かったので良いことです」
「前向きだな」
「軍務ですので」
ジィッドは小さく笑った。
それから、デムザンバラを見上げる。
「シュペルターとしては殺している。だが、デムザンバラとしては生まれようとしている途中、か」
ニナリスが静かに言った。
「記録しました」
「そこもか」
「重要です」
「ああ。重要だな」
ジィッドは白い装甲へ視線を向けたまま、少し黙った。
アウクソーの言葉は、まだ胸に残っている。
あなたが剣聖ではないことと、機体がかつて剣聖騎であったことは、矛盾しません。
あれは、慰めではない。
逃げ道でもない。
ただの事実として突きつけられた。
だから痛かった。
「ニナリス」
「はい」
「俺は、シュペルターだったことを消しすぎようとしていたかもしれない」
「はい」
即答だった。
ジィッドは少しだけ振り返った。
「少しは迷え」
「軍務ですので」
「そうだったな」
ニナリスは端末を開く。
「ジィッド様は、剣聖の夢を避けるために、旧シュペルター由来の反応を過剰に封鎖する傾向があります」
「欠点一覧か?」
「はい」
「増えたな」
「アウクソー様との聴取により、項目が精密化されました」
「精密化という言葉で刺してくるな」
整備班長が、デムザンバラの脚部へ歩いていく。
「団長、まず設定案を共有します。ピーク領域は完全封鎖ではなく、警告領域として細く残す。騎士側の使用は禁止。ニナリス側で兆候を拾い、踏み込みかけた時点で制御を戻す――俺が踏みそうになったら?」
「ニナリスが止めます」
ニナリスが頷く。
「止めます」
「二人とも即答だな」
「必要ですので」
「はい」
ジィッドは素直に頷いた。
ここで意地を張る意味はない。
むしろ、張ったら危ない。
「低中域は?」
整備班長の目が輝いた。
「太らせ方を変えましょう。今までは中域に厚く盛っていましたが、ピークへの逃がしを細く残す前提なら、立ち上がりの粘りを少し削れます。その分、右肩への負荷集中を減らせます」
「扱いにくくなるか?」
「少しだけ」
ニナリスが補足する。
「ただし、挙動が不安定になるのではなく、本来の反応に近い揺らぎが戻ります。ジィッド様には、踏み込む前の“溜め”として認識できるはずです」
「剣聖騎の名残か」
「はい」
「それを消さずに使う」
「使うのではなく、読むのです」
ジィッドは苦笑した。
「また刺す」
「アウクソー様の言葉を参考にしました」
「流石だ」
そこへ、銀月騎士団の若い部下たちが数人、作業の手を止めて近づいてきた。
「隊長、お帰りなさい!」
「アウクソー様との話、どうでした?」
「デムザンバラ、強くなりますか?」
ジィッドは少し考えてから答えた。
「強くなる、というより、壊れにくくなる」
「地味ですね」
「その地味さでお前たちが帰ってこられるなら、最高だ」
若い騎士は一瞬黙り、それから照れたように敬礼した。
「了解です」
別の部下が聞く。
「隊長、剣聖のファティマって、やっぱりすごかったですか」
「すごかった」
ジィッドは即答した。
「ちくちく刺してきた。逃げ道を全部潰してくる感じだ」
「怖いですね」
「怖い。だが、ありがたい」
ジィッドはデムザンバラを見た。
「俺たちは、シュペルターを全部殺せば安全になると思っていた。でも、違った。踏んではいけない道は、消してはいけない。使わないために残すものがある」
部下たちは、すぐには理解できない顔をした。
ジィッドも笑う。
「難しいよな」
「はい。正直、難しいです」
「俺もだ」
彼はあっさり言った。
「だが、ニナリスと整備班長が分かっている。俺は乗りながら覚える」
「それでいいんですか」
「よくない。だから訓練する」
整備班長がすぐに言った。
「明日から慣熟訓練を組み直します。団長、ピーク警告領域に近づく前の感覚を覚えてください」
「怖い訓練だな」
「怖くないと意味がありません」
ニナリスも続ける。
「ジィッド様が踏み込まないことを学習するための訓練です」
「踏み込む訓練ではなく、踏み込まない訓練か」
「はい」
ジィッドは息を吐いた。
「剣聖ではない騎士らしい訓練だな」
自嘲の響きは少しあった。
だが、以前ほど暗くはない。
部下の一人が、真面目な顔で言った。
「隊長。それ、悪くないと思います」
「何がだ」
「踏み込まない訓練です。隊長が踏み込まないから、俺たちも帰れます」
ジィッドは、少しだけ言葉を失った。
ニナリスが横で端末を操作する。
「記録します」
「待て、今のは恥ずかしいから記録しなくていい」
「士気管理上、有効です」
「最近そればかりだな」
部下たちが笑った。
ジィッドも笑った。
少しだけ、自然に。
その時、遠くから黒騎士隊の連絡兵がやって来た。
「ジィッド団長。黒騎士殿より、帰還後報告を上げろとのことです」
「分かった。すぐ行く」
連絡兵が去る。
ジィッドは端末を手に取った。
「ニナリス、整備班長。報告に来てくれ。デコーズ隊長に、ピーク領域を完全封鎖しない件を説明する」
整備班長が少し嫌そうな顔をした。
「デコーズ隊長に技術説明ですか」
「怖いか?」
「怖いというより、茶化されそうで嫌です」
「同感だ」
ニナリスは静かに言った。
「必要です」
「だな」
ジィッドはデムザンバラをもう一度見上げた。
白い騎体は、まだ膝をついている。
だが、帰ってきた時とは少し違って見えた。
死体ではない。
泣いている剣聖騎でもない。
まだ、生まれようとしている途中の騎体。
「行こう」
「はい」
「はい」
歩き出しながら、ジィッドは小さく呟いた。
「流石は剣聖のファティマ。ちくちくとだけど、良いところを刺してくれた」
ニナリスが返す。
「次は、私たちがデムザンバラに刺し返す番です」
「怖い言い方だな」
「調整です」
「だよな」
ジィッドは笑った。
「軍務だ」
ニナリスが頷く。
「軍務ですので」