ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

130 / 137
治療と支援

/*/ 星団暦3071年 総督府執務棟 医療面談室 /*/

 

 

 

 部屋は、執務室ではなかった。

 

 黒豹再編室でもない。

 

 医療区画に隣接した、小さな面談室。

 

 机は丸く、椅子は五つ。

 

 壁には武器も、軍旗も、作戦図もない。

 

 それだけで、シズナは少し落ち着かなかった。

 

 ヨシワラ・シズナは、膝の上で指を重ねて座っていた。

 

 黒豹影務部門暫定統括としての姿勢は保っている。

 

 だが、視線はわずかに揺れている。

 

 部屋には、ジィッド・マトリア大将。

 

 ニナリス。

 

 カラスマ・ゲンロウ。

 

 そしてハルマ・レイ軍医中佐。

 

 全員がいる。

 

 一対一ではない。

 

 それが、今のシズナにとっては、少し怖く、少しだけ救いでもあった。

 

 ジィッドは、軍医から受け取った紙を一度だけ見た。

 

 それから、紙を伏せた。

 

「シズナ」

 

「はい」

 

「これは恋愛の返事じゃない」

 

 最初にそう言った。

 

 シズナの肩が、ほんの少しだけ沈む。

 

 ジィッドはそれを見たが、続けた。

 

「だが、お前を不要だと言う話でもない」

 

 シズナの指が止まった。

 

 ハルマ軍医が静かに頷く。

 

 ジィッドは、ゆっくり言葉を選んだ。

 

「シズナ。お前の仕事は使える。黒豹の港湾防諜も、緘口令も、密輸照会も、お前とお前の班の判断で回っている」

 

 シズナは、顔を上げなかった。

 

 ただ、呼吸だけが浅くなる。

 

 ハルマ軍医が、横から穏やかに言った。

 

「はい。今の言葉は、任務評価です。大将閣下個人の所有や情愛の表明ではありません。まず、そこを分けて聞いてください」

 

「……はい」

 

 ジィッドは続けた。

 

「だからこそ、お前を壊す使い方はしない。夜中の長文、私物回収、自己否定、嫉妬で周りを睨むこと。あれは任務を壊す。お前も壊す。だから禁止だ」

 

 シズナの喉が小さく鳴った。

 

「はい」

 

「トモエ姐さんやアーリィの代わりになれとは言わない」

 

 その名が出た瞬間、シズナの目の奥が揺れた。

 

 だが、ジィッドは逃げなかった。

 

「今の黒豹を回している、シズナの仕事を評価する」

 

 ハルマ軍医がまた頷いた。

 

「良いです。シズナさん。これは死者との比較ではありません。現在のあなたの働きへの評価です」

 

 シズナは、ようやく小さく顔を上げた。

 

「現在の、私の」

 

「そうだ」

 

 ジィッドは短く答えた。

 

「これは恋愛の返事じゃない。だが、お前を不要だとは思っていない。任務を続けるなら、規定を守れ。飯を食え。寝ろ。苦しくなったら俺に直通する前に、ニナリスかゲンロウか軍医を使え」

 

 シズナは唇を噛んだ。

 

「大将に、直接ではなく」

 

「ああ」

 

「それは、拒絶ではなく」

 

「線だ」

 

 ジィッドは言った。

 

「お前を壊さないための線だ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 シズナは、その言葉を何度も飲み込むように黙っていた。

 

 線。

 

 拒絶ではない。

 

 受容でもない。

 

 けれど、消されないための境界。

 

 ジィッドは立ち上がった。

 

「俺がいると、これ以上は刺激が強い」

 

 ラドがいれば変な顔をしただろう。

 

 ノエルがいれば苦笑しただろう。

 

 だが、この場の誰も笑わなかった。

 

 ハルマ軍医が頷く。

 

「はい。ここから先は、こちらで引き受けます」

 

 ジィッドはシズナを見た。

 

「次の報告書、通常通り出せ」

 

「……はい」

 

「精度は落とすな」

 

「はい」

 

「それと、昼は食え」

 

 シズナは、一瞬だけ目を見開いた。

 

 それから、かすかに頷いた。

 

「はい、大将」

 

 ジィッドはそれ以上言わなかった。

 

 言えば、余計な言葉になる。

 

 だから退室した。

 

 扉が閉じる。

 

 その音が、シズナの胸に小さく響いた。

 

 

 

/*/ 同 医療面談室 /*/

 

 

 

 ジィッドが退室した後、部屋の空気が少し変わった。

 

 張り詰めた糸が一本緩む。

 

 だが、切れてはいない。

 

 シズナは扉を見つめたままだった。

 

 ハルマ軍医が、穏やかな声で言った。

 

「シズナさん」

 

「はい」

 

「大将閣下は、本当はあなたのことを思えば、一度後方に送って静養してもらうのがよいのではないか、と考えていました」

 

 シズナの顔色が、さっと変わる。

 

「後方に」

 

「ええ」

 

 ハルマ軍医は慌てなかった。

 

「ですが、それをすれば、あなたは“不要と判断された”と受け取る可能性が高い。大将閣下はそこを心配していました」

 

 シズナの指が震える。

 

「私は、不要では」

 

「ありません」

 

 軍医は、はっきり言った。

 

「軍務上、あなたの仕事が急になくなるのは困る。替えが効かない部分がある。だから大将閣下は、あなたをただ処分したり、遠ざけたりするのではなく、カウンセリングの機会を作ってくださいました」

 

 シズナは、何かを言おうとして失敗した。

 

 ハルマ軍医は続ける。

 

「ただし、それは“無理をして働け”という意味ではありません。あなたが壊れれば、仕事も壊れます。だから治療と支援を入れるのです」

 

「治療」

 

「はい。苦しくて辛い時は、私のところへ来てください。夜でも構いません。長文でも構いません。ただし、大将閣下へ直接投げる前に、まずこちらへ」

 

 シズナは俯いた。

 

「軍医殿へ、そのようなものを送っても」

 

「仕事です」

 

 ハルマ軍医は少しだけ笑った。

 

「それに、あなたの苦しさは危険物ではありません。扱い方を間違えると危険になるだけです」

 

 ニナリスが静かに言った。

 

「本当です。マスターはシズナ様の仕事を高く評価しています」

 

 シズナがニナリスを見る。

 

 ニナリスの顔はいつも通り無表情だった。

 

 だからこそ、その言葉は妙に重かった。

 

「マスターは、シズナ様の報告書、港湾防諜、密輸照会、黒豹内部の緘口令維持を高く評価しています。先ほどの言葉は、軍医中佐と相談して選ばれたものです」

 

「相談して」

 

「はい。マスターは、シズナ様を不用意に傷つけないため、また不用意に依存を強めないため、軍医中佐に相談しました」

 

 シズナの目が、少しだけ濡れた。

 

「私のために」

 

 ニナリスは一拍置いた。

 

「シズナ様のためでもあり、黒豹のためでもあり、マスター自身が線を間違えないためでもあります」

 

「……はい」

 

「ですが、そこにシズナ様を軽んじる意図はありません」

 

 ゲンロウが、低く言った。

 

「シズナ」

 

「はい、ゲンロウ殿」

 

「黒豹を縫い留めているのは、お前の力あってだ」

 

 シズナは息を止めた。

 

「トモエ団長の代わりではない。ブラスト副団長の代わりでもない。お前はお前のやり方で、黒豹の影を縫っている」

 

「私は……まだ、あの二人に」

 

「勝たなくていい」

 

 ゲンロウは即答した。

 

「死者と勝負するな。勝てん。俺も勝てん。大将も勝てん」

 

 シズナの顔が歪む。

 

「では、私はどうすれば」

 

「生きて仕事をしろ」

 

 ゲンロウの声は重い。

 

「飯を食え。眠れ。苦しければ、俺でも女衆にでも打ち明けろ。黒豹の影が、黒豹の中で孤立するな」

 

 シズナは震える声で言った。

 

「私は、迷惑ではありませんか」

 

「迷惑だ」

 

 ゲンロウは言った。

 

 シズナの肩が跳ねた。

 

 だが、ゲンロウは続けた。

 

「仲間とは、迷惑を持ち込むものだ。倒れれば運ぶ。血を流せば縛る。狂いそうなら押さえる。それを迷惑だから捨てるなら、最初から騎士団など名乗らん」

 

 シズナは、何も言えなくなった。

 

「俺たちは仲間だろう」

 

 その一言で、シズナの目から涙が落ちた。

 

 今度は、自分を罰するための涙ではなかった。

 

 何かが、少しだけ緩んだ涙だった。

 

 ハルマ軍医は、そっと布を差し出した。

 

「泣いて構いません。ただし、泣いた後は水を飲みます」

 

「はい」

 

「それから、今日の夕食は?」

 

 シズナは布を受け取りながら、かすかに首を振った。

 

「まだ」

 

 ニナリスが即座に言う。

 

「黒豹女衆との夕食を設定済みです。ゲンロウ殿が同行します」

 

 ゲンロウが頷く。

 

「逃げるな」

 

「……逃げません」

 

「食え」

 

「食べます」

 

 ハルマ軍医が記録する。

 

「本日の面談後行動、食事、休養、夜間直通私信禁止。苦痛時は医療区画連絡」

 

「はい」

 

 シズナは布で目元を押さえた。

 

 その姿は、黒豹の影務統括というにはあまりにも脆かった。

 

 だが、誰も彼女を外へ追いやらなかった。

 

 ジィッドは退室した。

 

 それでよかった。

 

 彼が残っていれば、シズナはまた彼の視線だけを探してしまう。

 

 彼が退室した後に、軍医が受け止める。

 

 ニナリスが事実を渡す。

 

 ゲンロウが黒豹の仲間として縫い留める。

 

 それが、今のシズナに必要な支点だった。

 

 

 

/*/ 同日夜 黒豹食堂 小部屋 /*/

 

 

 

 夕食は、黒豹の女衆二人と、ゲンロウと一緒だった。

 

 豪華なものではない。

 

 粥。

 

 焼き魚。

 

 温かい汁。

 

 小さな漬物。

 

 シズナは、最初、箸を持ったまま止まっていた。

 

 女衆の一人が言った。

 

「まず三口」

 

「三口、ですか」

 

「そう。三口食べたら、今日は勝ち」

 

 シズナは少しだけ困った顔をした。

 

「勝ち」

 

 ゲンロウが低く言う。

 

「大将も、飯を食えと言った」

 

 その言葉で、シズナは箸を動かした。

 

 一口。

 

 二口。

 

 三口。

 

 温かい汁を飲む。

 

 胃が驚いたように動いた。

 

 涙がまた出そうになった。

 

 だが、今度は泣かなかった。

 

 女衆が小さく笑う。

 

「勝ち」

 

 シズナは、少しだけ笑った。

 

「はい」

 

 その夜、シズナはジィッドへ私信を送らなかった。

 

 かわりに、医療区画へ短い報告を送った。

 

 

/*/

 

 

 食事、三口以上。

 夕食完了。

 夜間追加私信なし。

 苦痛はありますが、行動化していません。

 

 

/*/

 

 

 ハルマ軍医はそれを読み、返信した。

 

 

/*/

 

 

 良好です。

 水を飲んで、眠る準備をしてください。

 明日、十分でよいので面談します。

 

 

/*/

 

 

 シズナは、その返信を見て、端末を伏せた。

 

 ジィッドからの返事ではない。

 

 だが、返事だった。

 

 世界が、ジィッド一人ではなくなる。

 

 それは小さなことだった。

 

 だが、今のシズナには、小さなことからしか始められなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。