/*/ 星団暦3071年 総督府執務棟 黒豹影務連絡室 /*/
シズナは、端末を握ったまま、しばらく動かなかった。
送信先の欄には、ジィッド・マトリア大将の名はない。
そこに入っているのは、カラスマ・ゲンロウ。
以前なら違った。
胸の内側がざわつけば、ジィッドへ送っていた。
苦しいです。
見てください。
私は間違っていますか。
選ばれたいのです。
そんな言葉を、夜の底から長く長く打ち込んでいた。
だが、今は違う。
これは恋ではない。
嫉妬でもない。
自分の空洞を埋めるための私信でもない。
民政局。
孤児院。
薬物流通。
子供の怯え。
これは線だ。
黒豹が見るべき、泥の中の線だった。
シズナは短く打った。
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違和感があります。
私情ではなく、民政局・孤児院・薬物流通の線です。
黒豹第三線で確認願います。
/*/
送信。
指が震えた。
ジィッドへ送っていない。
そのことに、胸の奥が少しだけ痛む。
だが、痛むだけだった。
崩れはしない。
数十秒後、返信が来た。
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受けた。
その場を動かすな。
子供には黒豹女衆同席で接触。
台帳の写しを確保しろ。
ニナリスへ回す。
/*/
ゲンロウらしい、短い返答だった。
シズナは息を吐いた。
返事がある。
ジィッドではない。
だが、返事がある。
世界は、ジィッド一人ではない。
そのことを、彼女はまだ学んでいる途中だった。
/*/ 同時刻 総督府執務棟 情報照合室 /*/
ニナリスは、ゲンロウから転送された報告を一読した。
表情は変わらない。
だが、処理は早かった。
「民政局台帳、孤児院登録簿、医療品配給記録、港湾物資流通、黒豹裏社会監視線を照合します」
端末上に、線が並ぶ。
ノウラン孤児院。
民政局倉庫。
医療区画。
港湾第七倉庫。
ボルサ便由来の薬剤箱。
保存食工場向け配給車。
孤児院寝具申請。
食器破損報告。
そして、医療用鎮静剤の戻り数量。
数字だけなら、小さなズレだった。
寝具が多い。
食器が多い。
鎮静剤の戻りが少ない。
孤児院に出したはずの栄養剤の一部が、別の倉庫で再計上されている。
港湾物資の一箱が、支援物資として処理されながら、封印番号だけ旧式だった。
普通の監査なら、帳簿の乱れで済ませたかもしれない。
戦後復興中の都市には、誤記も紛失もある。
難民登録が増えれば、寝具も食器もずれる。
だが、シズナの報告があった。
『子供の怯え方が黒豹の訓練生に酷似』
数字に、目がついた。
帳簿に、呼吸が入った。
ニナリスは、追加照会をかける。
黒豹裏社会監視線。
ノウラン旧市街の倉庫業者。
違法薬物の小口流通。
児童労働の噂。
孤児院へ出入りする慈善団体名義の荷車。
そのうち一つが、かすかに重なった。
ニナリスは通信を開いた。
「ゲンロウ殿」
「出たか」
「はい。単独の帳簿異常ではなく、複数線の重複です。ノウラン孤児院周辺に、薬物流通と未登録児童移動の可能性があります」
「人身売買か」
「断定には不足。ただし、警戒水準を上げるべきです」
「シズナの目は」
「有効でした」
通信の向こうで、ゲンロウが低く息を吐いた。
「分かった。大将に上げる」
/*/ 同日昼 大将執務室 /*/
ジィッドは報告書を読み終えた。
表情は変わらない。
だが、指先だけが机を叩いた。
一度。
二度。
三度。
ラドが横で顔をしかめる。
「孤児院ですか」
ノエルは資料をめくりながら、声を低くした。
「薬物だけならまだしも、子供の移動記録まで絡むなら、放置できません」
「放置する気はない」
ジィッドは短く言った。
ニナリスが追加資料を提示する。
「現時点では、民政局内部に協力者がいる可能性、孤児院側の一部職員が脅迫されている可能性、裏社会が支援物資線を利用している可能性があります」
「孤児院全体を敵扱いするな」
「はい。子供の保護を優先する必要があります」
ゲンロウが静かに言う。
「黒豹第三線を使うべきです。表の憲兵を先に出せば、相手は子供を動かす」
ジィッドは頷いた。
「シズナは」
「現場違和感の発見者です。朝食会以降、規定通りゲンロウへ報告し、直通私信は行っていません」
ニナリスの報告に、ジィッドは一瞬だけ目を伏せた。
「そうか」
それだけだった。
だが、ラドには分かった。
ジィッドは安堵している。
シズナが、ジィッドへ縋るのではなく、線を使った。
それだけで、ひとつ勝った。
ただし、今は褒める場面ではない。
子供が絡んでいる。
ジィッドは椅子から立ち上がった。
「記録を開け」
ノエルが作戦記録端末を起動する。
「はい」
ジィッドは、ゆっくりと言った。
「黒豹影務部門に命ずる」
部屋の空気が変わった。
「孤児院および周辺密輸線を調査。子供の保護を最優先。薬物・人身売買・裏社会接続を確認次第、潰せ」
ニナリスがそのまま記録する。
「作戦名は」
ジィッドは少し考えた。
「孤児院・密輸潜入作戦」
ノエルが頷く。
「対象、孤児院周辺支援物資線、医療品配給線、旧市街地下倉庫、裏社会薬物流通」
「民政局への扱いは慎重にしろ」
ジィッドは続けた。
「善意の職員を敵にするな。脅されている者は保護。子供を盾にする奴は潰せ」
ゲンロウが重く頷く。
「黒豹第三線、起動します」
「シズナは現場主任。ただし単独判断で突っ込ませるな。ゲンロウ、お前が上に立て」
「承知」
「ニナリスは帳簿照合。民政局台帳、港湾物資、医療品、ボルサ便、裏社会監視線を全部繋げ」
「はい」
「ラド、医療班を準備。薬物中毒、鎮静剤、栄養不良、外傷が出る」
「了解」
「ノエル、憲兵は待機。黒豹が子供を確保した後で出せ。先に出すな」
「はい」
ジィッドは最後に、短く付け加えた。
「これは恋愛でも依存でもない。総督府の正式任務だ」
誰も笑わなかった。
その言葉が誰に向けられているのか、全員が分かっていた。
/*/ 同時刻 黒豹影務連絡室 /*/
シズナの端末に、正式命令が届いた。
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総督府命令
黒豹影務部門
ノウラン孤児院・密輸潜入作戦
現場主任:ヨシワラ・シズナ
総括:カラスマ・ゲンロウ
帳簿照合:ニナリス
医療待機:ラド隊医療班
憲兵待機:ノエル管轄
子供の保護を最優先。
薬物・人身売買・裏社会接続を確認次第、制圧。
民政局善意職員への被害を避けること。
孤児院全体を敵と見なさないこと。
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シズナは、その文面をしばらく見つめた。
正式命令。
総督府の命令。
ジィッドからの私信ではない。
恋愛の返事ではない。
だが、自分が見つけた線が、軍政の線として認められた。
自分の違和感が、任務になった。
シズナは深く息を吸った。
胸の中のざわめきは、まだある。
ジィッドに見てほしいという気持ちも、消えてはいない。
だが、それよりも、子供の袖に隠されたパンが浮かんだ。
甘い粉薬を怖がった少女の目が浮かんだ。
行儀よく笑っていた、あの怯えた顔が浮かんだ。
シズナは端末を閉じた。
「黒豹第三線、起動します」
黒豹女衆が頷く。
ゲンロウから通信が入る。
「シズナ」
「はい」
「今回は、お前一人の穴じゃない。黒豹の任務だ」
「はい」
「苦しくなったら報告しろ。突っ込むな。子供を見たら、怒りで視界を狭めるな」
「承知しました」
「それと」
「はい」
「よく見つけた」
シズナの指が止まった。
ゲンロウの言葉は短い。
ジィッドのものではない。
だが、確かに重かった。
「……はい」
「任務に戻れ」
「はい」
通信が切れる。
シズナは立ち上がった。
黒豹の影として。
生きている者として。
恋でも、依存でもなく。
正式任務として、泥の中の子供たちの線を追うために。