/*/ 星団暦3071年 総督府執務棟 作戦後報告 /*/
孤児院・密輸潜入作戦の報告書は、薄かった。
薄くせざるを得なかった。
黒豹影務部門の潜入経路。
民政局内部の照会線。
孤児院職員の一部が脅迫されていた事実。
地下倉庫の場所。
裏社会との接続。
押収した薬物の流通先。
救出した子供たちの身元。
そのすべてを表に出せば、まだ切れていない線まで暴いてしまう。
だから、表の報告書は薄い。
だが、薄い紙の奥には、血と泥と子供の泣き声があった。
ジィッド・マトリア大将は、報告書を最後まで読み終えた。
机の横にはニナリス。
ソファにはラドとノエル。
カラスマ・ゲンロウは黒豹側の後処理に回っている。
ハルマ・レイ軍医からは、シズナの負傷は命に関わらないが、肩と背中の治療、休養、夜間監視が必要との報告が来ていた。
ジィッドは、報告書の最後のページを指で叩いた。
「子供十七名保護」
ノエルが頷く。
「はい。うち三名は未登録児童。孤児院台帳に存在しませんでした」
「違法薬物五箱」
「鎮静剤偽装、戦闘薬の薄め物、子供を大人しくさせるための混合薬。ラド隊の医療班が解析中です」
ラドが低い声で言う。
「よく間に合いました。あと一便遅れていたら、何人かは別の街へ流されていた」
ジィッドは目を伏せた。
派手な勝利ではない。
敵の騎士を討ったわけでもない。
GTMを沈めたわけでもない。
だが、子供が十七人生きている。
それだけで、この作戦には十分な重さがあった。
「シズナは」
ニナリスが答える。
「現在、医療区画で処置中です。意識清明。自己否定文は出ていません。軍医中佐の指示に従っています」
「そうか」
ジィッドは少しだけ安堵した。
それから、すぐに顔を戻す。
「評価を出す」
ノエルが端末を開いた。
「表彰ですか」
「表には出せない」
ジィッドは短く言った。
「黒豹の潜入作戦だ。民政局の善意の職員も巻き込まれている。孤児院の子供たちもいる。新聞向けの美談にするな」
ラドが頷く。
「では、総督府内部記録」
「ああ」
ジィッドは、少しだけ言葉を選んだ。
「勲章はいらん。演説もいらん。だが、記録には残す。影の仕事でも、なかったことにはしない」
ニナリスが記録待機に入る。
ジィッドは淡々と告げた。
『黒豹影務部門、ヨシワラ・シズナ。
ノウラン孤児院密輸線摘発、子供十七名保護、違法薬物五箱押収、人身売買線三本切断。
本件は、黒豹影務部門の判断と現場行動により成功した。
記録せよ』
ノエルが手を止めた。
ラドも、少しだけ顔を上げた。
ニナリスが静かに確認する。
「公式記録として格納します。閲覧範囲は、総督府上位、黒豹再編責任者、医療安全管理、民政局保護担当の限定でよろしいですか」
「それでいい」
「ヨシワラ・シズナ個人への直接伝達は」
ジィッドは黙った。
言いたいことはあった。
よくやった。
お前の仕事だ。
お前の身体が、あの地下の泥水から子供を引き上げた。
お前はトモエ姐さんでもアーリィでもない。
今、生きているお前が救った。
だが、今それを直接言うのは、まだ危うい。
ジィッドの言葉は、シズナにとって薬になりすぎる。
量を間違えれば、また毒になる。
ジィッドは深く息を吐いた。
「直接言葉を伝えられないのは、もどかしいな」
部屋が静かになった。
ラドが、少しだけ姿勢を正した。
「俺から伝えておきます」
ジィッドがラドを見る。
「お前が?」
「はい。医療区画へ行く用事もあります。ラド隊の医療班が関わっていますし、軍務上の伝達としてなら自然です」
ノエルも頷いた。
「大将本人からだと刺激が強い。でも、ラドからなら任務評価として受け取りやすいかもしれません」
ニナリスが補足する。
「適切です。ラド様は医療班と作戦後処置の双方に関係しています。直接的な情緒刺激は低く、評価内容の伝達には有効です」
ジィッドは少し考え、頷いた。
「頼む」
「はい」
「余計なことは言うなよ」
「言いませんよ」
「お前は軽口を叩く」
「今回は叩きません」
ジィッドは報告書を閉じた。
「伝える内容はこうだ。総督府公式記録に残した。黒豹影務部門の判断と現場行動により成功した。子供十七名保護。薬物五箱押収。人身売買線三本切断。以上だ」
「了解です」
ラドは立ち上がった。
だが、扉へ向かう前に、少しだけ振り返った。
「大将」
「何だ」
「シズナさん、今回は本当に黒豹でしたよ」
ジィッドはすぐには答えなかった。
やがて、短く言った。
「ああ」
「それも伝えていいですか」
ジィッドは少しだけ迷った。
それから、首を横に振った。
「まだ早い。今回は記録だけにしろ」
「分かりました」
「ただし」
ラドが待つ。
「医療班として、ちゃんと飯を食えとは言っておけ」
ラドは小さく笑った。
「それは伝えます」
/*/ 同日 医療区画 処置室 /*/
シズナは、白い寝台に座っていた。
肩には包帯。
背中にも処置が入っている。
唇の端は切れていた。
黒豹の女衆が部屋の隅にいる。
ハルマ・レイ軍医は記録を書いていた。
シズナは、眠ってはいなかった。
眠るには、まだ身体の中に作戦の音が残りすぎている。
地下の湿気。
子供の手。
薬品の匂い。
鉄扉。
泣き声。
そして、自分の腕の中で震えていた少女の温度。
ラドが入ってきた。
「起きてます?」
シズナは背筋を伸ばそうとした。
「ラド大佐」
「寝てていいです」
「任務報告なら」
「報告は終わっています。今日は伝達です」
シズナの目が少しだけ揺れる。
「伝達」
「はい。総督府公式記録に、今回の作戦評価が入りました」
シズナは黙った。
ラドは、持ってきた写しを開いた。
声は軽くしなかった。
茶化さなかった。
そのまま読んだ。
『黒豹影務部門、ヨシワラ・シズナ。
ノウラン孤児院密輸線摘発、子供十七名保護、違法薬物五箱押収、人身売買線三本切断。
本件は、黒豹影務部門の判断と現場行動により成功した。
記録せよ』
シズナは、瞬きもせずに聞いていた。
「以上です」
ラドは紙を閉じた。
「表には出ません。作戦の性質上、出せません。でも、なかったことにはなりません。総督府の記録に残ります」
シズナの指が、包帯の端を掴んだ。
「大将が」
「はい」
「記録せよ、と」
「はい」
シズナは俯いた。
ジィッド個人に愛されたわけではない。
女として選ばれたわけでもない。
だが、自分の仕事が記録された。
黒豹の影として。
誰にも見えない泥の中で、確かに動いたものとして。
「私は」
シズナの声は少し震えていた。
「任務を果たせましたか」
ラドは、そこで少しだけ表情を緩めた。
「果たしました」
ハルマ軍医が横から言う。
「任務評価として受け取ってください。情緒的な全面評価ではありません。しかし、明確な成功評価です」
シズナは小さく頷く。
「はい」
黒豹女衆の一人が、湯呑みを差し出した。
「飲んで」
「はい」
シズナは両手で受け取った。
温かい。
手が震える。
だが、落とさなかった。
ラドは続けた。
「あと、医療班からの指示です。今日は食べて、寝てください」
「医療班から、ですか」
「はい」
ほんの少しだけ間を置いて、ラドは言った。
「大将からも、ちゃんと飯を食え、と」
シズナの目が揺れた。
だが、崩れなかった。
「……はい」
「追加私信はなし」
「送りません」
「包帯を勝手に外さない」
「外しません」
「子供たちの様子を見に行くのは、軍医の許可後」
「……はい」
少しだけ不満そうだった。
ラドは苦笑する。
「そこは渋るんですね」
「無事か、確認したいので」
ハルマ軍医が言った。
「明日、短時間なら許可します。ただし、黒豹女衆同伴。医療区画に戻ること」
「はい」
シズナは、湯呑みを見下ろした。
そこにジィッドの痕跡はない。
彼の紙コップでもない。
彼のボトルでもない。
ただ、自分が今、飲むための茶だった。
それが、不思議に温かかった。
/*/ 同夜 医療区画 記録保管室 /*/
ニナリスが、総督府公式記録の閲覧権限を設定していた。
ハルマ軍医が横で確認する。
「シズナさんには写しを渡しますか」
「全文ではなく、評価部分のみが適切です」
「ええ。作戦詳細は刺激が強い」
「はい」
ラドが腕を組む。
「でも、あの記録は効いたみたいですね」
ハルマ軍医は頷いた。
「大将閣下本人の情緒的肯定ではなく、組織の評価として入ったのが良かった。彼女が依存ではなく、仕事として受け取る足場になります」
ニナリスが静かに言う。
「シズナ様は、マスター個人の痕跡ではなく、自分の任務結果に接続し始めています」
「良い兆候です」
「はい」
ラドは窓の外を見た。
夜のノウラン基地。
灯りが並ぶ。
どこかの医療室では、救われた子供たちが眠っている。
どこかの処置室では、シズナが初めて、ジィッドへの長文ではなく、自分の記録を抱えて静かに息をしている。
「影の仕事ってのは、報われにくいですね」
ラドが呟いた。
ハルマ軍医は静かに答える。
「報われにくいだけです。報われないわけではありません」
ニナリスが記録を閉じた。
「本件、総督府公式記録として格納完了」
その一文は短かった。
だが、シズナにとっては大きかった。
彼女はジィッド個人に所有されたのではない。
黒豹として、総督府の記録に刻まれた。
それは甘い救いではない。
けれど、泥の中で踏める足場だった。