ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

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少しずつ

/*/ 星団暦3072年

 

/*/ 民政局別棟 合同朝食会 /*/

 

 

 

 ヨシワラ・シズナの朝は、以前より少しだけ騒がしくなった。

 

 深夜の長文私信は、もうない。

 

 夜明け前に端末を握りしめ、ジィッドへ宛てた言葉を削っては書き、書いては崩れる時間もない。

 

 かわりに、朝の予定表がある。

 

 民政局合同朝食会。

 

 孤児院児童の健康確認。

 

 配給品の台帳照合。

 

 黒豹第三線、月次確認。

 

 そして、食事。

 

 シズナは、民政局の食堂で皿を受け取った。

 

 パン。

 

 スープ。

 

 小さな焼き魚。

 

 チーズ。

 

 果物。

 

 以前なら半分も食べられなかった量だ。

 

 今も、決して多くは食べられない。

 

 だが、皿を見て怯えることはなくなった。

 

 子供の一人が、向かいの席から覗き込む。

 

「黒いお姉さん、今日は魚も食べる?」

 

「食べます」

 

「ほんと?」

 

「本当です」

 

 シズナは小さく魚をほぐし、一口食べた。

 

 子供が数える。

 

「一口」

 

 もう一口。

 

「二口」

 

 スープを飲む。

 

「三口。勝ち!」

 

 民政局の職員が笑った。

 

 黒豹女衆も、わずかに口元を緩める。

 

 シズナは少し困った顔をした。

 

「勝ち、の判定が早すぎます」

 

「ハルマ先生が、最初の三口は勝ちって言ってた」

 

「……軍医殿の指示なら仕方ありませんね」

 

 子供たちは笑う。

 

 その笑いは、もう良い子の顔ではなかった。

 

 まだ怯えは残っている。

 

 夜に泣く子もいる。

 

 急に袖へパンを隠す子もいる。

 

 甘い匂いのする粉薬を怖がる子もいる。

 

 傷は消えていない。

 

 けれど、彼らは朝食の席で笑うようになった。

 

 シズナは、その笑いを見て、台帳を開く。

 

 児童数。

 

 寝具。

 

 食器。

 

 医療品。

 

 配給パン。

 

 粉薬。

 

 ひとつずつ、線を追う。

 

 以前なら、心の中で問い続けていた。

 

 ジィッド様は私を見てくださるだろうか。

 

 私は必要なのだろうか。

 

 私は見苦しくないだろうか。

 

 今は違う。

 

 あの子たちの線は、私が見る。

 

 孤児院の朝食会は、私が出る。

 

 民政局の台帳は、黒豹で照会する。

 

 その思いは、静かだった。

 

 激しく燃え上がるものではない。

 

 だが、簡単には消えない火だった。

 

 

 

/*/ 商業区 休日午後 /*/

 

 

 

 休日の午後、シズナは民政局の女性職員二人と黒豹女衆一人に連れられて、商業区を歩いていた。

 

 買い物だった。

 

 任務ではない。

 

 ただの買い物。

 

 それが、かつてのシズナにはひどく難しかった。

 

 ひとりで店に入ると、鏡の前で固まった。

 

 服を選べば、ジィッドへ写真を送りたくなった。

 

 返事が遅れれば、自分を削る言葉が湧いた。

 

 今は、違う。

 

「副団長、この上着どうですか」

 

 民政局職員が、淡い色の上着を広げる。

 

 シズナは少し考えた。

 

「黒豹の通常勤務には不向きです」

 

「勤務用じゃなくて休日用です」

 

「休日用」

 

「はい。休日に着る服です」

 

 シズナは真剣に頷いた。

 

「なるほど」

 

 黒豹女衆が横で呟く。

 

「そこから説明が要るのか」

 

「要ります」

 

 シズナは試着室に入り、上着を羽織った。

 

 鏡の中に、自分が映る。

 

 以前なら、その身体を見ていた。

 

 見苦しいか。

 

 痩せすぎていないか。

 

 女として足りないか。

 

 誰かに選ばれる形をしているか。

 

 今は、少し違った。

 

 この服で孤児院へ行けるか。

 

 民政局の子供たちが怖がらないか。

 

 黒豹副団長として、硬すぎず、軽すぎないか。

 

 そして、少しだけ。

 

 ジィッド様は、どう思うだろうか。

 

 その問いは残っている。

 

 消えてはいない。

 

 けれど、それだけではなくなった。

 

 試着室から出ると、民政局職員が笑った。

 

「似合いますよ」

 

 シズナは、少しだけ目を伏せた。

 

「ありがとうございます」

 

「写真、撮ります?」

 

 その言葉に、黒豹女衆がわずかに身構えた。

 

 シズナは、それに気づいて小さく笑った。

 

「撮ります。ただし、送信先はジィッド様ではありません」

 

「どこへ?」

 

「ハルマ軍医殿と、黒豹女衆の休日記録へ」

 

 民政局職員が首を傾げる。

 

「休日記録?」

 

「私が暴走していないことの記録です」

 

「そんな記録あるんですか」

 

「あります」

 

 黒豹女衆が静かに言う。

 

「あります」

 

 民政局職員は少し困った顔をした後、笑った。

 

「じゃあ、普通の買い物記録ってことにしましょう」

 

 シズナは頷いた。

 

「はい。普通の買い物記録でお願いします」

 

 写真は一枚だけ撮った。

 

 追加送信はしない。

 

 自己否定文も添えない。

 

 その代わり、店の帳簿係に聞いた。

 

「最近、この辺りで孤児院の子供が勝手に物を売りに来たりしていませんか」

 

 民政局職員が苦笑した。

 

「副団長、結局仕事ですね」

 

「完全に仕事を切ると、不安定になりますので」

 

「正直ですね」

 

「ハルマ軍医殿に、正直に言えと指導されています」

 

 シズナはそう言って、買った上着を抱えた。

 

 その姿には、以前にはなかった落ち着きがあった。

 

 鋭さは残っている。

 

 影の匂いも消えていない。

 

 だが、張り詰めた糸が、少しだけ緩んでいる。

 

 誰かの視線を奪うためではなく、自分の足で街を歩くための服。

 

 その程度の柔らかさが、今のシズナには新しかった。

 

 

 

/*/ 総督府執務棟 大将執務室 夕方 /*/

 

 

 

 シズナは報告書を提出した。

 

 黒豹騎士団副団長。

 

 大佐。

 

 影務部門統括。

 

 その肩書きが、もう紙の上だけのものではなくなっている。

 

 報告書の内容は、孤児院周辺線の月次確認。

 

 民政局台帳。

 

 医療品配給。

 

 朝食会参加児童の人数。

 

 旧市街倉庫の再監査。

 

 密輸線の再発防止。

 

 そして、黒豹女衆による保護児童巡回。

 

 ジィッド・マトリア大将は、書類を最後まで読んだ。

 

「数字が揃っている」

 

「はい」

 

「民政局側の記載も読みやすくなったな」

 

「担当職員に、黒豹式の照会欄を一部導入してもらいました」

 

「民政局を黒豹化するな」

 

「最小限です」

 

 ノエルが横で小さく笑った。

 

「最小限で済んでいるかは、あとで確認します」

 

 ラドがシズナの顔を見た。

 

「食事は?」

 

 シズナは即答した。

 

「朝食、パン一つ、スープ、魚三口、チーズ半分。昼食、民政局職員と麺料理を半量。夕食は黒豹食堂予定です」

 

 ラドは満足そうに頷いた。

 

「よし」

 

 ジィッドが呆れた顔をする。

 

「報告書より食事報告の方が滑らかになってないか」

 

「重要項目ですので」

 

 ニナリスが淡々と言った。

 

「シズナ様の食事量は、黒豹影務部門の安定運用に関わります」

 

「人の飯を軍務にするな」

 

「現状では軍務です」

 

「否定しにくい」

 

 シズナは、そのやり取りを聞いて少しだけ笑った。

 

 以前なら、ジィッドの声ひとつで胸が詰まった。

 

 今も、何も感じないわけではない。

 

 むしろ、感じる。

 

 彼が書類をめくる指。

 

 低い声。

 

 疲れた顔。

 

 時折、こちらを見てくれる視線。

 

 それらはまだ、シズナの胸を静かに揺らす。

 

 だが、もうそれに溺れない。

 

 揺れたまま、立っていられる。

 

 ジィッドは報告書に判を押した。

 

「よし。黒豹副団長として、継続しろ」

 

「はい」

 

「孤児院の線は細い。見落とすな」

 

「見落としません」

 

「ただし、ひとりで抱えるな」

 

「ゲンロウ団長、黒豹女衆、民政局職員、医療区画と共有します」

 

「それでいい」

 

 シズナは一礼した。

 

 踵を返しかけて、少しだけ止まる。

 

「大将」

 

「なんだ」

 

「本日、休日用の上着を買いました」

 

 ジィッドの眉がぴくりと動く。

 

 ラドとノエルが同時にシズナを見る。

 

 ニナリスも、わずかに端末へ視線を落とした。

 

 シズナは落ち着いて続けた。

 

「写真は一枚だけ撮影し、ハルマ軍医殿と黒豹女衆の休日記録へ送信しました。大将への私信送信はしておりません」

 

 ジィッドは少し黙り、それから頷いた。

 

「そうか」

 

「はい」

 

「似合っていたか」

 

 シズナの目が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 だが、崩れない。

 

「民政局職員には、似合うと言われました」

 

「なら、いい」

 

「はい」

 

 短いやり取りだった。

 

 それだけだった。

 

 だが、以前のシズナなら、それだけで夜を燃やしていたかもしれない。

 

 今のシズナは、その言葉を胸に置くだけで済んだ。

 

 ジィッドの言葉は、まだ嬉しい。

 

 とても嬉しい。

 

 だが、それはもう、彼女の呼吸を支配する酸素ではなかった。

 

 シズナはもう一度礼をした。

 

「失礼します。夕食がありますので」

 

 ラドが笑う。

 

「偉い」

 

「食事は軍務ですので」

 

 ジィッドが額を押さえた。

 

「お前まで言うな」

 

 シズナは小さく笑い、退室した。

 

 

 

/*/ 廊下 /*/

 

 

 

 総督府執務棟の廊下を、シズナは歩いた。

 

 窓の外には、ノウランの夕方が見える。

 

 民政局の方向から、子供たちの声が聞こえる。

 

 港では、ボルサ便の荷が下ろされている。

 

 オータ工場向けの部品箱。

 

 コフツ製の保冷庫。

 

 保存食。

 

 医療品。

 

 台帳に載るもの。

 

 載らないもの。

 

 その線を、黒豹は見る。

 

 その黒豹の影の一部を、自分が担っている。

 

 ジィッドへの好意は、消えていない。

 

 胸の奥で、まだ確かに灯っている。

 

 けれど今、その火は誰かを焼くためではない。

 

 自分を焦がすためでもない。

 

 この人の背中を支えるために。

 

 この軍政が、泥の中の子供を見捨てないように。

 

 私は、私の場所で完璧な影になる。

 

 そう思った時、シズナの足取りは少しだけ軽くなった。

 

 完璧な影。

 

 それは、トモエ団長の代わりではない。

 

 アーリィ姉様の代わりでもない。

 

 ヨシワラ・シズナとしての場所だった。

 

 廊下の向こうで、黒豹女衆が手を振る。

 

「副団長、夕食です」

 

「はい。今行きます」

 

「今日は肉も出ます」

 

「……量によります」

 

「逃げない」

 

「逃げません」

 

 そのやり取りに、シズナは自然に笑った。

 

 深夜の長文私信は、もうない。

 

 休日の買い物も、孤児院の朝食会も、民政局の台帳も、黒豹の夕食もある。

 

 そして、ジィッドへの想いもある。

 

 消えない。

 

 消さない。

 

 ただ、縋らない。

 

 自分の足で立ったまま、その背中を支える。

 

 それが今のシズナの、静かで、少しだけ大人びた答えだった。

 

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