/*/ 星団暦3073年初頭 総督府執務棟 騎士食堂 昼 /*/
その日の昼食は、総督府の昼食としては、ほとんど冒涜的なほどに雑であった。
銀の皿はない。
磨き上げられた陶器の器もない。
白手袋の給仕もいない。
ただ、紙袋があった。
無造作に積まれた紙袋と、油を吸った紙包みと、塩の匂いを立てるポテトと、氷の音をさせる紙カップがあった。
騎士食堂の長机の上に、バーガーキングのデリバリー袋が並んでいる。
ダブルワッパー。
ポテト。
コーラ。
それだけである。
それだけなのに、食堂には奇妙な充実があった。
宮廷料理でも、戦勝祝賀の会食でも、将官用の昼餐でもない。紙を破り、手で持ち、かぶりつき、喉を鳴らして炭酸を飲むだけの、ひどく庶民的で、ひどく正直な食べ物。
ヨシワラ・シズナ大佐は、その紙袋の前で、まるで作戦地図を前にした参謀のような顔をしていた。
「ニナリス様の情報では、大将は会食続きで上等な料理に肩が凝っており、ハンバーガーとポテトとコーラを所望されていた、とのことです」
声はいつも通り静かだった。
だが、ほんの少しだけ、硬い。
黒豹女衆の一人が紙袋を開けながら、面白そうに笑った。
「副団長、恋の作戦会議でバーガーキング頼む女、初めて見たよ」
「高級化すると本来の目的から逸れる、とニナリス様に言われました」
「正しいね」
「大将専用にすると重くなるとも言われました」
「それも正しいね」
「ですので、皆で食べます」
「満点」
女衆は、楽しげにそう言って、ポテトの紙箱を机の上に散らした。
シズナは笑わなかった。
しかし、以前のように思いつめてもいなかった。
ただ、少し緊張していた。
その緊張は、戦場前夜のそれとは違う。告白前の少女のようなものでもない。もっと不器用で、もっと仕事に似ていて、そしてほんの少しだけ可愛げのある緊張だった。
そこへ、ジィッド・マトリア大将が入ってきた。
ラドとノエルが一緒だった。
扉をくぐった瞬間、ジィッドは食堂に満ちた匂いに足を止めた。
肉の匂い。
玉ねぎの匂い。
ソースの匂い。
油と塩と炭酸の匂い。
それは政治的意味を持たない匂いだった。
「……何だ、この幸せな匂いは」
ほとんど無意識に、ジィッドはそう呟いた。
ラドが吹き出した。
「団長、顔が緩んでますよ」
ノエルは紙袋を見て、少しだけ眉を上げた。
「本当に頼んだんですね」
シズナは背筋を伸ばした。
「大将。昼食です。バーガーキングのデリバリーで、ダブルワッパー、ポテト、コーラを手配しました」
「誰に聞いた」
ジィッドはそう言ったが、言いながらもう答えを知っていた。
ニナリスが、いつものように静かに答える。
「私です」
「やっぱりか」
「マスターが会食後に、ハンバーガーとポテトとコーラが食べたい、と零していたため、嗜好情報として共有しました」
「共有するな」
「食事提供上、必要と判断しました」
「求愛支援に使うな」
シズナの頬が、さっと赤くなった。
だが、逃げなかった。
目も伏せきらなかった。
「健全な範囲です」
「誰の言葉だ」
「ニナリス様です」
「だろうな」
ジィッドは深く息を吐き、諦めたように席についた。
シズナは、用意していた紙包みを一つ差し出した。
「大将用です。ただし、同じものを全員分頼んでおります。大将専用ではありません」
「それでいい」
「高級化していません」
「それもいい」
「雑な休息としてご用意しました」
「雑な休息まで聞いたのか」
「はい」
ジィッドは額を押さえた。
「ニナリス、お前、本当に何を教えた」
「マスターの嗜好情報です」
「広げるな」
そう言いながらも、ジィッドの手は紙包みを開けていた。
包み紙の中から、ダブルワッパーが現れる。
肉。
パン。
玉ねぎ。
ソース。
手で持って食べるだけの昼食。
席次もない。
乾杯の挨拶もない。
言葉の裏を読む必要もない。
ジィッドはしばらくそれを見つめていた。
そして、ぽつりと言った。
「こういうのでいいんだよ」
ラドが笑いを噛み殺した。
「団長、心の底から言いましたね」
「うるさい」
ジィッドは一口、かぶりついた。
しばらく黙った。
噛む。
飲み込む。
コーラを飲む。
氷が紙カップの中で鳴った。
「美味い」
その一言で、シズナの顔がぱっと明るくなった。
しかし、それはかつてのような危うい光ではなかった。
誰かの承認に縋りつく、飢えたような光ではない。
それは、ちゃんと自分も席に座り、自分の昼食を食べる者の顔だった。
「良かったです」
「お前も食え」
「はい」
シズナは小さく包みを開き、ハンバーガーを両手で持った。
しばらく見つめる。
それから、小さく口を開けて、かぶりついた。
黒豹女衆が横からじっと見ている。
「副団長、ちゃんと一口いったね」
「食べています」
「ポテトも」
「食べます」
「コーラも」
「飲みます」
シズナは真面目に答えた。
その真面目さがまた可笑しくて、女衆が笑った。
すると、そのうちの一人が、突然ジィッドの方へ身を乗り出した。
「で、大将」
「なんだ」
「シズナのどこが気に入らないのさ」
ジィッドの手が止まった。
ポテトをつまんだまま、固まる。
ノエルが即座に顔を覆った。
「始まった……」
ラドは完全に笑いを堪えている。
別の黒豹女衆も、すぐに続いた。
「そうさ。あんな良い子、そうはいないよ。仕事はできる、飯も食うようになった、最近は顔色もいい」
「黒豹副団長で、大佐で、孤児院の子供にも懐かれてる」
「ちょっと前まで危なかったけど、今はちゃんと戻ってきたじゃないか」
シズナの顔が赤くなる。
「皆様」
「黙ってな、副団長。こういうのは周りが言うもんだよ」
ジィッドは、ひどく面倒くさそうにポテトを食べた。
「昼飯を食わせろ」
「逃げた」
「逃げてない」
「じゃあ答えなよ。どこが駄目なのさ」
ジィッドはコーラを置いた。
ほんの少しだけ、シズナを見た。
痩せた肩。
白い指。
膝の前で揃えられた手。
目の下に、まだ消えきらない影。
だが、その目はもう暗い穴ではなかった。
ジィッドは、わざと雑に言った。
「駄目とは言ってない」
食堂が一瞬、静かになった。
シズナの目が丸くなる。
ジィッドは、すぐにポテトを口へ放り込んだ。
「ただ、まだ仕事が多い。黒豹も安定しきってない。俺も暇じゃない。そういう話だ」
黒豹女衆が、にやりとした。
「聞いたかい、シズナ。駄目とは言ってないってさ」
「聞こえています」
シズナは顔を伏せた。
赤い。
けれど、崩れない。
笑っている。
その笑いは、ひどく小さかったが、確かにそこにあった。
別の女衆が、さらに追い討ちをかけた。
「まあ、もう一寸、肉付きが良くなったらかね」
ジィッドがむせた。
ラドが吹き出した。
ノエルが天井を仰いだ。
シズナは完全に固まった。
女衆はすかさず振り向く。
「聞いた! シズナ! ちゃんと飯食うんだよ!」
「い、今のは」
「大将が否定しなかった!」
「否定する間がなかっただけだ!」
ジィッドが叫ぶ。
女衆は笑う。
「つまり否定してない!」
「都合よく取るな!」
シズナは、両手でハンバーガーを持ったまま、しばらく動けなかった。
それから、小さく言った。
「……ちゃんと食べます」
黒豹女衆が勝ち誇ったように頷く。
「よし」
「ポテトも」
「食べます」
「コーラも」
「飲みます」
ラドが笑いながら言った。
「シズナさん、今日の昼は完食コースですね」
シズナは、少しだけジィッドを見た。
ジィッドは目を逸らし、ダブルワッパーを食べている。
耳が少し赤かった。
それを見て、シズナは笑った。
以前なら、この一瞬だけで夜を越せたかもしれない。
その一言を何度も思い返し、歪め、祈りにし、呪いにし、深夜の長文にして送っていたかもしれない。
だが、今は違った。
ただ、食べればよかった。
ハンバーガーを食べる。
ポテトを食べる。
コーラを飲む。
黒豹女衆にからかわれる。
ラドに笑われる。
ノエルに呆れられる。
ジィッドが困る。
そのすべてが、ひどく雑で、ひどく軽く、そして涙が出そうなほど温かかった。
シズナは、もう一口、ハンバーガーにかぶりついた。
「美味しいです」
ジィッドが横目で見た。
「だろ」
「はい」
「こういうのでいいんだよ」
「はい。次も、こういうのでいきます」
「次があるのか」
「騎士食堂の士気向上にも有効です」
「また軍務にした」
「総督府案件ですので」
「便利な言い方するな」
ニナリスが静かに言った。
「マスター。シズナ様の食事量、本日は基準値を大きく超過する見込みです」
「判定するな」
「良好です」
「だから判定するな」
黒豹女衆が笑った。
ラドも笑った。
ノエルも諦めたようにポテトを食べた。
ジィッドはむすっとした顔でコーラを飲む。
シズナは、その輪の中で、普通に昼食を取っていた。
普通に。
それは、かつて彼女にとって、ひどく遠い場所だった。
愛を叫ぶ必要はない。
身を削る必要もない。
高級な料理も、重い告白もいらない。
紙包みを開き、油のついた指でポテトを摘み、雑な会話の中に座っている。
それだけで、彼女は少しずつ、誰かの隣へ近づいていた。
黒豹副団長ヨシワラ・シズナの恋は、今日もたいへん庶民的で、雑で、そして健全だった。