ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

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星団歴3074年
バッハトマに宣戦布告


/*/ 星団暦3074年 旧王都ベイジ 王宮中央棟 総督大将執務室 /*/

 

 

 

 黒騎士デコーズ・ワイズメルが戦死してから、まだ一年も経っていなかった。

 

 ベイジ王都基地の黒騎士団区画には、今も空いたままの団長室がある。

 

 団長位は空位。

 

 バギィ副団長が黒騎士団をまとめ、同時にジィッド・マトリア総督大将の副官として働いている。

 

 GTMダッカスも、エストも、もうここにはない。

 

 それでもベイジは止まらなかった。

 

 市場は開き、銀行は帳簿を閉じず、ボルサ便は海を渡り、オータ工場は検査工程を増やしたままカーバーゲン部品を出し続けている。

 

 そんな朝だった。

 

 通信室から、緊急印のついた報告束が届いた。

 

 ニナリスが受け取り、無言で封を切る。

 

 その無言の長さだけで、ジィッドは嫌な予感を覚えた。

 

「読む前から胃が痛い」

 

 ノエルが顔を上げる。

 

「大将、まだ何も聞いていません」

 

「聞く前に痛い時は、だいたい当たる」

 

 ニナリスが端末を置いた。

 

「ガマッシャーン共和国、ナオ党首率いるレイスル騎士団全軍がバッハトマ魔法帝国本国へ進軍。バッハトマに宣戦布告」

 

 部屋の空気が止まった。

 

 ラドが低く言う。

 

「本国へ?」

 

「はい」

 

 ニナリスは続ける。

 

「ガマッシャーンはメヨーヨ朝廷、コーネラ帝国と同盟を締結。三国によるバッハトマ占領を宣言。メヨーヨ軍およびコーネラ騎士団全軍は、バッハトマ西側から帝都方面へ進軍中」

 

 ノエルの顔が青くなった。

 

「三国同盟で、本国を……」

 

 ジィッドは目を閉じた。

 

 驚きはあった。

 

 だが、完全な意外ではなかった。

 

 デコーズが死んだ。

 

 A.K.D.がミノグシアへ来た。

 

 バッハトマの威信は揺らいだ。

 

 その隙を、誰かが見逃すはずがない。

 

 ニナリスが、さらに読み上げる。

 

「バッハトマ南部、ハプハミトン公国、全面降伏」

 

 ジィッドは短く息を吐いた。

 

「やっぱりか」

 

 ラドが見る。

 

「やっぱり、ですか」

 

「3031年から、あそこは積極的に同盟に参加してなかった。旗は立てていても、腹は別だった。最後まで本国と心中する気はなかったんだろう」

 

 ノエルが歯を食いしばる。

 

「では、本国は」

 

「落ちる」

 

 ジィッドは即答した。

 

 その言葉に、部屋がさらに冷える。

 

「まだ決まっていません」

 

 ノエルが言った。

 

 だが、その声には力がない。

 

 ジィッドは地図を広げた。

 

「ガマッシャーン、メヨーヨ、コーネラの三国が同時に本国へ入る。南部は降伏。本国の予備兵力は、A.K.D.対応で割れている。帝都周辺がどこまで粘るかは分からんが、少なくとも俺たちに本国からの増援は来ない」

 

 ラドが小さく言う。

 

「孤立しますね」

 

「ああ」

 

 ジィッドは地図に手を置いた。

 

 ベイジ。

 

 ノウラン。

 

 オータ。

 

 ボルサ諸島列島。

 

 ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏。

 

 そこに、旧王都ベイジまで抱えている。

 

 ジィッドが二十年以上かけて、胃痛と書類と工兵と管理官で縫い合わせてきた線。

 

 その背後にあったはずのバッハトマ本国が、消えようとしている。

 

 ニナリスが静かに続けた。

 

「追加情報。ガマッシャーンがバッハトマを制圧し、ハツーダン大陸を統一した後、詩女フンフトがミノグシア連合との停戦協定会議をラーンにて用意する見込み」

 

 ジィッドは嫌そうに笑った。

 

「綺麗に終戦処理まで用意してやがる」

 

 バギィ副団長が、低い声で言う。

 

「我々は、その会議の外側に置かれる可能性があります」

 

「ああ。正規のバッハトマ本国が落ちれば、俺たちは“残存占領軍”だ」

 

 ジィッドは言った。

 

「そして、ベイジが問題になる」

 

 ノエルが地図を見る。

 

「象徴ですね」

 

「そうだ」

 

 ジィッドは旧王都ベイジに指を置いた。

 

「ハスハから見れば、ベイジは取り返さないとメンツが保てない。王都だ。連合の首都だった場所だ。29年かけて俺たちが復旧したせいで、今では使える中枢都市に戻っている。取り返す価値がある」

 

 ラドが苦い顔をした。

 

「復旧したから、奪還対象としても価値が出た」

 

「そうだ。瓦礫なら放置された。動く王都に戻したから、取り返される」

 

 ニナリスが静かに言う。

 

「復興成功による戦略的価値上昇です」

 

「言葉で殴るな」

 

 ジィッドは深く息を吐いた。

 

「各地の防衛レベルを引き上げろ。ベイジ王都基地、ノウラン、オータ工場、ボルサ便、コフツ軍政庁、全てだ」

 

 ノエルが即座に記録する。

 

「警戒態勢、第二段階へ移行」

 

「第三でもいい」

 

「市民生活への影響が」

 

「第二。だが、軍需倉庫、医療、孤児院、通信塔、灯台は第三相当」

 

「はい」

 

 ラドが言う。

 

「医療班は戦時受け入れ準備を維持します。孤児院は避難準備を再確認」

 

「頼む」

 

 ゲンロウが低く言った。

 

「黒豹は、ベイジ内の旧ハスハ系、A.K.D.系、ガマッシャーン系、商人系の流言を見ます」

 

「やれ。特に“ベイジ返還”の噂は絶対に走る。先に掴め」

 

 シズナが頷く。

 

「黒豹影務部門、王都内感情線、金融流言線、孤児院周辺、旧王宮記念区画、取引所周辺を重点監視します」

 

「頼む」

 

 

 

/*/ 同日 王宮中央棟 軍政戦略会議 /*/

 

 

 

 ベイジをどうするか。

 

 それが議題になった瞬間、部屋の空気はさらに重くなった。

 

 守るか。

 

 放棄するか。

 

 交渉するか。

 

 徹底抗戦するか。

 

 かつてなら、ジィッドは「旧王都を勝手に取れない」と言って避けた。

 

 だが、今は違う。

 

 ボスヤスフォート主宰の命令で掃除し、中枢化した。

 

 黒騎士団が入り、銀行が戻り、証券取引所が動き、子供が学校へ通い、冷蔵庫屋が店を出している。

 

 もはや瓦礫ではない。

 

 そして、完全にバッハトマ本国の支援下でもない。

 

 ジィッドは地図を見ていた。

 

「ベイジを籠城拠点にしても、勝てん」

 

 バギィが顔を上げる。

 

「大将」

 

「勝てないというより、勝っても意味がない」

 

 ジィッドは言った。

 

「王都を守るために王都を壊したら、29年かけた復旧が終わる。市民も、工房も、銀行も、孤児院も、王宮勤務補助員も、全部巻き込む」

 

 部屋の誰も、その言葉を茶化さなかった。

 

 これは冗談ではない。

 

 ジィッドは続ける。

 

「ハスハは、象徴としてベイジを取り返さないといけない。なら、そこは交渉材料になる」

 

 ノエルが言う。

 

「無血開城ですか」

 

「ああ」

 

 ラドが眉を寄せる。

 

「ベイジを渡す?」

 

「渡す」

 

 ジィッドは即答した。

 

「ただし、ただ捨てるんじゃない。使者を出す。条件を出す。ベイジを無血開城する代わりに、ノウラン=オータ=ボルサのラインを守る」

 

 ニナリスが確認する。

 

「条件案。ベイジの行政引継ぎ、王宮・基地・市場・金融機関の破壊回避、市民保護、黒騎士団および銀月騎士団の撤収路保証、ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏への即時攻撃停止」

 

「そうだ」

 

「ハスハ側が受ける保証はありません」

 

「分かっている。だが、出す価値はある。ベイジを力で奪還すれば、街は壊れる。無血開城なら、ハスハは“王都を取り戻した”と宣言できる。俺たちは主戦線をノウラン=オータ=ボルサへ縮められる」

 

 バギィが低く問う。

 

「黒騎士団は」

 

「ベイジから引く」

 

 ジィッドは言った。

 

「団長空位の黒騎士団を、象徴奪還の標的に置いたままにするわけにはいかん。バギィ、お前は黒騎士団をまとめてノウランへ移れ。王都基地の引継ぎは段階的に行う」

 

 バギィは一瞬だけ沈黙し、深く頷いた。

 

「承知しました」

 

 シズナが言う。

 

「黒豹は、引継ぎ前に地下線と密輸線を整理します。ハスハへ渡す情報と、持ち出す情報を分ける必要があります」

 

「やれ。ただし、市民保護に関わる情報は残せ。井戸、孤児院、病院、下水危険区画、薬物線、全部だ」

 

「はい」

 

 ノエルが書類を見ながら言った。

 

「大将。これは降伏交渉ではなく、戦線整理交渉ですね」

 

「そうだ」

 

 ジィッドは頷いた。

 

「ベイジは象徴。ノウラン=オータ=ボルサは実線だ。俺たちは線を守る」

 

 

 

/*/ 通信室 /*/

 

 

 

 その時、ペール会長からの通信が入った。

 

 ビューティ・ペール。

 

 ユーコン財団会長。

 

 顔を見ただけで、ジィッドの胃が少し痛くなる女だった。

 

 彼女は、いつも通り美しく、涼しく、そして恐ろしく落ち着いていた。

 

「ジィッド君」

 

「ペール会長」

 

「状況は把握していますわね」

 

「把握したくありませんでしたが」

 

「では、良い知らせです」

 

「会長の良い知らせは、だいたい俺の仕事が増える知らせです」

 

「正解ですわ」

 

 ノエルが小さく天井を仰いだ。

 

 ペール会長は微笑む。

 

「バッハトマ本国へ回す予定だった予算の一部を、ベイジ軍政圏へ振り替えます」

 

 ジィッドは固まった。

 

「……はい?」

 

「本国が落ちれば、その予算は死にます。なら、生きている線へ回すべきでしょう」

 

「生きている線」

 

「ノウラン、オータ、ボルサ。ついでに、ベイジ撤収と行政引継ぎ費用ですわ」

 

 ジィッドは額を押さえた。

 

「つまり、戦わせる気満々じゃねえか」

 

「守れる線は守りなさい」

 

「本国が落ちるのに?」

 

「だからですわ」

 

 ペール会長の声は柔らかい。

 

 だが、言っていることは刃物だった。

 

「本国が落ちても、資産、港、工場、海路、人材、黒騎士団残存戦力、銀月騎士団、ノウラン=オータ=ボルサの経済圏は消えません。なら、そこに資金を入れるのは合理的です」

 

「会長」

 

「はい」

 

「俺、ほんとに脱サラになっちゃいましたよ。デコーズ隊長……」

 

 部屋の空気が一瞬だけ緩んだ。

 

 ラドが吹き出しそうになり、ノエルが口元を押さえ、シズナが目を伏せて肩を震わせた。

 

 バギィ副団長だけは、少しだけ目を細めた。

 

 デコーズが聞いたら、大笑いしていただろう。

 

 ペール会長も、扇子で口元を隠して笑った。

 

「独立採算の軍政経営者ですわね」

 

「最悪の肩書きを作らないでください」

 

「でも、似合いますわ」

 

「似合いたくありません」

 

 ニナリスが静かに言う。

 

「マスター。予算振替は受けるべきです」

 

「分かってる」

 

「ベイジ無血開城交渉、撤収費用、ノウラン=オータ=ボルサ防衛線維持、ボルサ便護衛、オータ工場防衛、黒騎士団再配置に必要です」

 

「分かってるから、事実で殴るな」

 

 ペール会長は満足そうに頷いた。

 

「では、資金は段階的に送ります。報告書は月次で」

 

「また報告書!」

 

「当然ですわ」

 

「本国が落ちても報告書は残るんですか!」

 

「文明とは、帳簿が残ることですわ」

 

「名言みたいに言わないでください!」

 

 通信が切れた。

 

 ジィッドはしばらく動かなかった。

 

 

 

/*/ 王宮中央棟 夜 /*/

 

 

 

 その夜、ジィッドは一人ではなかった。

 

 ニナリス。

 

 ノエル。

 

 ラド。

 

 ゲンロウ。

 

 シズナ。

 

 バギィ副団長。

 

 全員が、机の上に広げられた地図を見ていた。

 

 ベイジ。

 

 ノウラン。

 

 オータ。

 

 ボルサ諸島列島。

 

 ハスハ側へ送る使者の経路。

 

 撤収路。

 

 市民保護線。

 

 黒騎士団再配置線。

 

 ボルサ便継続線。

 

 オータ工場防衛線。

 

 ノウラン備蓄線。

 

 すべてが、もう本国を背にしていなかった。

 

 背中にあるはずだった本国は、今まさに別の三国に食われようとしている。

 

 ジィッドは低く言った。

 

「使者を出す」

 

 ノエルが頷く。

 

「ハスハ側へ」

 

「ああ。詩女フンフト、ミノグシア連合、ハスハント側、可能ならラーンの停戦協定会議に繋がる線へ。ベイジの無血開城条件を提示する」

 

 ラドが問う。

 

「受け入れられなければ」

 

「防衛する」

 

 ジィッドは言った。

 

「だが、最初から王都を焦土にする気はない。ベイジを返すことで守れるものがあるなら、返す」

 

 バギィが静かに言った。

 

「デコーズ団長なら、何と言ったでしょうか」

 

 ジィッドは少しだけ黙った。

 

 そして、疲れたように笑った。

 

「“面白くねえな。だが、お前らしい”くらいは言ったんじゃないか」

 

 バギィは小さく頷いた。

 

「そうですね」

 

 ジィッドは窓の外を見た。

 

 ベイジの夜景。

 

 王宮。

 

 市場。

 

 銀行街。

 

 取引所。

 

 王都基地。

 

 冷蔵庫屋の灯。

 

 学校。

 

 孤児院。

 

 二十七年かけて戻した街。

 

 それを、無血で渡すかもしれない。

 

 胃が痛い。

 

 だが、街を守るとは、旗を守ることではない。

 

 人を守ることだ。

 

 線を守ることだ。

 

 残せるものを残すことだ。

 

「ベイジは象徴だ」

 

 ジィッドは言った。

 

「ノウラン=オータ=ボルサは生命線だ」

 

 ニナリスが静かに記録する。

 

「戦略方針、確認」

 

「書くなと言いたいところだが、書け」

 

「はい」

 

「本国が落ちる。ベイジは交渉。ノウラン=オータ=ボルサは死守。黒騎士団は再配置。ボルサ便は止めない。オータ工場は止めない。孤児院と病院を先に逃がせるようにする」

 

「はい」

 

 ジィッドは、最後に小さく呟いた。

 

「本当に脱サラになっちまいましたよ、デコーズ隊長……」

 

 誰も笑わなかった。

 

 いや、少しだけ笑った。

 

 デコーズがいれば、大笑いしただろう。

 

 だが、その笑いの後で、たぶん言ったはずだ。

 

 やれよ、ジィッド。

 

 残ったお前の仕事だろ、と。

 

 ジィッドは目を開けた。

 

「各局へ通達」

 

 ニナリスが頷く。

 

「はい」

 

「ベイジは止めるな。ただし、いつでも引き継げるように整理しろ。ノウラン、オータ、ボルサは防衛態勢。ボルサ便は継続。オータ工場は検査強化。黒豹は流言線。黒騎士団は再配置準備」

 

「はい」

 

「そして、使者を出す」

 

 ジィッドは地図に線を引いた。

 

 ベイジから、ラーンへ。

 

 あるいは、ハスハ側の交渉窓口へ。

 

 戦争は終わっていない。

 

 だが、次の戦は、剣ではなく書状から始まる。

 

 ジィッド・マトリア総督大将は、筆を取った。

 

 記録は、また増え始めた。

 

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