/*/ 星団暦3074年 旧王都ベイジ 王宮中央棟 総督大将執務室 /*/
地図の上から、ベイジを消す。
ただそれだけのことが、ジィッド・マトリアには思った以上に重かった。
王宮。
王都基地。
黒騎士団区画。
復興取引所。
銀行街。
市場。
下水。
孤児院。
ボルサ製冷蔵庫の販売網。
29年かけて復旧した線を、交渉のために切り離す。
ノエルが地図上に赤い紐を置いた。
「ベイジ無血開城を前提とした場合、残る主線はノウラン、オータ、ボルサ諸島列島です」
ラドが腕を組む。
「医療と孤児院は、ノウランとオータへ後送可能。ボルサ便が維持できれば食料と保冷輸送は回ります」
ニナリスが淡々と続ける。
「オータ市郊外のカーバーゲン工場、コフツ分工廠、ボルサ便、ノウラン保存食工場、北東沿岸倉庫群。経済圏としては縮小しますが、崩壊ではありません」
ジィッドは地図を見下ろしたまま、低く言った。
「ベイジがあれば戦力維持もし易いんだけどな」
「はい」
「ノウラン=オータ=ボルサの経済圏だけだと、どんくらいGTMと部隊を維持できるかな」
ノエルが顔を上げる。
「試算させます。ただ……結構な数を維持できそうですよ」
ジィッドは眉を寄せた。
「なんで?」
「復旧させたので、産業が育っていますから」
執務室が少し静かになった。
ジィッドは、嫌そうに目を閉じた。
「ああ」
それは、自分でやったことだった。
ノウランを食わせた。
オータを市場と工業の街にした。
カーバーゲン工場を建てた。
ボルサ諸島列島の港を止めず、コフツに分工廠を置いた。
冷蔵庫やTVモニタや電源制御機器まで作れる民生産業を育てた。
港湾税務。
倉庫。
灯台。
船舶登録。
保存食。
道路。
下水。
市場。
それらが全部、軍隊を食わせる腹になっていた。
「……そうか。俺が復旧させたからか」
ラドが苦笑する。
「はい。大将が嫌々作った経済圏です」
「嫌々でこんなに育つな」
ニナリスが言う。
「育てました」
「事実で殴るな」
ノエルが別紙を出した。
「概算ですが、ベイジ喪失後も、ノウラン=オータ=ボルサ線で銀月騎士団、黒騎士団残存、国家騎士団配属分、港湾警備、通常歩兵、工兵、憲兵の維持は可能です。ただし、長期戦をするなら燃料、希少部品、ファティマ関連資材、上級整備部材は不足します」
「短期防衛はできる」
「はい」
「中期の嫌がらせもできる」
「はい」
「長期の正面戦争は無理」
「はい」
ジィッドは頷いた。
「それで十分だ」
バギィ副団長が静かに問う。
「十分、ですか」
「ああ」
ジィッドは地図の上に、カーバーゲンの駒を並べた。
オータ。
ノウラン。
ボルサ港湾。
北東沿岸。
倉庫。
工場。
山道。
旧街道。
「交渉する時に言わなくちゃな」
ノエルが嫌な予感のする顔をした。
「何をですか」
「無理にうちと戦うと、これだけの数のカーバーゲンを持ったゴロツキが、ミノグシアに野盗として放たれますよって」
部屋の空気が止まった。
ラドが額を押さえる。
「最悪の脅しですね」
「現実だよ」
ジィッドは即答した。
「俺たちは今、帳簿で騎士を縛っている。補給でGTMを縛っている。工場で部品を流し、給料を払い、整備班を置き、医療を回し、軍規で殴って、黒豹で見張っている」
ニナリスが静かに言う。
「統制下にあるため、武装集団として機能しています」
「そうだ。だが、これを無理に壊してみろ」
ジィッドは、駒を指で弾いた。
一騎のカーバーゲン駒が、地図上の街道へ転がる。
「給料が止まる。補給が止まる。指揮系統が切れる。騎士崩れ、傭兵崩れ、国家騎士団の残党、工場から逃げた整備兵、港湾警備の武器持ち。全部が食うために散る」
シズナが低く言った。
「黒豹の監視線も切れます」
「ああ。そうなれば、そいつらは“敗残兵”じゃない。“武装した失業者”だ」
ゲンロウが目を細める。
「最も始末が悪い」
「そうだ」
ジィッドは地図を叩いた。
「だから交渉で言う。俺たちを正規の軍政線として扱え。停戦線を認めろ。撤収も再配置も監督下でやらせろ。そうすれば、カーバーゲンは基地に残る。部隊は帳簿に残る。騎士は給料をもらい、整備士は工場へ戻り、港湾警備は灯台を見る」
ノエルが静かに続けた。
「逆に、それを認めず、全てを潰そうとすれば」
「ミノグシア中に、GTM持ちの野盗が出る」
ジィッドは言った。
「それを鎮圧するのは、ハスハでもA.K.D.でもガマッシャーンでも面倒だろうよ」
ラドが苦い顔で笑った。
「本当に最悪の現実ですね」
「俺だって好きで言ってるんじゃない」
「でも言うんですね」
「言う」
ジィッドは迷わなかった。
「停戦交渉ってのは、綺麗な言葉だけじゃ動かん。相手に利益を見せる。損害も見せる。こっちを潰したら、何が漏れるかも見せる」
ニナリスが記録する。
「交渉材料。統制解除時の武装集団拡散リスク」
「言い方を少し柔らかくしろ」
「“敗残武装勢力の野盗化防止”」
「それだ」
ノエルが書き取る。
「停戦書状の補足資料に入れますか」
「入れる。ただし脅迫文に見せるな。治安評価書にしろ」
ラドが呆れた。
「脅しを治安評価書にするんですか」
「現実を文書にすると評価書になる」
「言い方がひどい」
ジィッドは肩をすくめた。
「現実がひどい」
バギィ副団長は、地図上のカーバーゲン駒を見ていた。
「黒騎士団も、同じですか」
「同じだ」
ジィッドは答えた。
「団長を失った黒騎士団を、名誉だけで放置すれば危険だ。だが、指揮下に置き、任務を与え、補給し、喪礼を認め、誇りを残せば戦力になる」
バギィは深く頷いた。
「黒騎士団は、野盗にはなりません」
「分かっている」
ジィッドは静かに言った。
「だからこそ、正式に指揮下に入ってもらっている。誇りがある部隊ほど、行き場を失うと危ない。誇りを残したまま、任務へ繋ぐ」
シズナが小さく言った。
「黒豹も、線があれば縫えます。線が切れれば、ただの影になります」
「そうだ」
ジィッドは地図を見た。
ベイジを失うかもしれない。
だが、ノウラン=オータ=ボルサは残る。
食料。
港。
工場。
民生品。
保冷庫。
GTM部品。
保存食。
道路。
人。
書類。
忌々しいほどに育ってしまった経済圏。
「俺は軍人のはずだったんだけどな」
ラドが笑った。
「今は経済圏の管理者ですね」
「言うな」
ノエルがぼそりと言う。
「独立採算の軍政経営者」
「ペール会長みたいなこと言うな!」
少しだけ笑いが起きた。
だが、その笑いはすぐに消える。
ジィッドは書状補足資料の表題を書いた。
ノウラン=オータ=ボルサ暫定管理線維持に関する治安評価
付記:統制解除時の武装勢力拡散リスク
彼は筆を置いた。
「最悪だな」
ニナリスが言う。
「必要です」
「分かってる」
ジィッドは判を押した。
「現実を見せる。俺たちはまだ戦える。だが、戦わずに済むなら、その方が戦後に得だ。俺たちを潰せば、管理された軍隊が管理されない野盗になる。だから線を認めろ」
バギィが低く言った。
「それが、次の交渉ですか」
「ああ」
ジィッドは窓の外を見た。
ベイジの夜景。
これを手放すかもしれない。
だが、全部を燃やすよりはいい。
ノウランの灯。
オータの工場。
ボルサの灯台。
そこに線を引き直す。
「ベイジは象徴。ノウラン=オータ=ボルサは生命線」
ジィッドはもう一度言った。
「そして、生命線を切ると、血が飛び散る。交渉相手には、それを分かってもらう」
ノエルが小さく言う。
「最悪の脅しですね」
ジィッドは、疲れた顔で笑った。
「現実だよ」