/*/ 星団暦3074年 スバース市 AP騎士団管理区画 会談室 /*/
スバース市は、静かだった。
少なくとも、表向きは。
AP騎士団管理区画の会談室には、余計な装飾がなかった。
机。
椅子。
記録官。
警備騎士。
そして、ランド・アンド・スパコーン。
ジィッド・マトリア総督大将は、その正面に座っていた。
随行は最小限。
ニナリス。
ノエル。
医療補佐としてラド。
黒豹は入れていない。
ランド公が指定した条件に従った。
ランドは、ジィッドの書状を机の上に置いた。
「マトリア総督大将」
「はい」
「まず確認する。これは、ノウラン=オータ=ボルサの独立承認を求める会談ではない。そう書いてあった」
「その通りです」
「旧王都ベイジの返還を盾に、ハスハへ過大な要求を突きつける場でもない」
「はい」
「では、貴殿は何を求める」
ジィッドは、用意していた言葉を飲み込んだ。
ランドの前では、飾った言葉はむしろ危ない。
だから、真っ直ぐ言った。
「猶予と、管理線です」
ランドは黙っている。
ジィッドは続けた。
「ベイジは象徴です。ハスハが取り返さなければならない場所でしょう。そこは理解しています。こちらも、ベイジを焦土にしてまで抱える気はありません」
「ならば、ノウラン、オータ、ボルサを手放せばよい」
ランドの声は穏やかだった。
だが、重かった。
ジィッドは、少しだけ息を吐いた。
「手放すこと自体は、できます」
ノエルが横でわずかに視線を動かした。
ランドも、わずかに目を細める。
「できるのか」
「はい。俺は王様になりたいわけではありません。総督大将という椅子にも、正直、そこまで執着はありません」
ラドが小さく咳をした。
ニナリスは無表情のまま記録している。
ジィッドは続けた。
「ただ、俺が手を離した瞬間に何が起こるかは、分かっています」
「聞こう」
ジィッドは机の上に資料を置いた。
ノウラン。
オータ。
ボルサ諸島列島。
港湾税。
工場。
カーバーゲン保有数。
整備班。
港湾警備。
黒騎士団残存。
銀月騎士団。
国家騎士団配属残存。
孤児院。
病院。
保存食。
民生品工場。
「今、この線にいる兵と騎士と整備兵は、給料、補給、工場、港、黒豹の監視、軍規で縛られています。だから軍です」
ランドは資料を見る。
「その縛りを切れば」
「武装した失業者になります」
ジィッドは言った。
「しかも、GTMカーバーゲンを持った連中が混じります。騎士崩れ、傭兵崩れ、国家騎士団の残党、港湾警備、整備兵。全部が食うために散る。俺が掴んでいるから、まだ帳簿の中にいるだけです」
会談室が静かになる。
ランドの副官が、わずかに顔を険しくした。
ランドは変わらない。
「つまり、貴殿は自分を必要悪だと言いたいのか」
「必要悪と言うほど格好良くありません」
ジィッドは苦く笑った。
「後始末です。俺が二十年以上かけて作った後始末が、俺の手の中に残っている。手を離せば散らかる。だから掴んでいるだけです」
ランドは、そこで初めて少しだけ表情を動かした。
「掴んでいるだけ、か」
「はい」
「だが、貴殿はその線に自負を持っている」
ジィッドは沈黙した。
ランドは続けた。
「ノウランを食わせた。オータを工業化した。ボルサ諸島列島の港を止めなかった。コフツに分工廠を置き、民生品を流し、孤児院と病院と保存食と冷蔵庫まで軍政に組み込んだ」
ジィッドは顔をしかめる。
「調べましたね」
「調べる」
ランドは淡々と言った。
「貴殿は地位には固執していない。だが、自分の作ったものには責任を持っている。自負もある。誇りもある」
ジィッドは、すぐには答えなかった。
否定したかった。
だが、否定すると嘘になる。
「……あります」
短く、そう言った。
「俺が作った、という言い方は傲慢ですが。ですが、腐らせないようにしてきたという自負はあります。港を動かし、工場を回し、孤児院を守り、兵に給料を払い、GTMを整備してきた。それを、ただの敗残占領地として踏み潰されるのは困ります」
「惜しいか」
「惜しいです」
ジィッドは即答した。
「だが、惜しいからしがみつくわけではありません。手放すなら、手放した後に街と兵と子供と工場が壊れない形で手放したい」
ランドは、ゆっくり椅子に背を預けた。
「面倒な男だな」
ノエルの肩が一瞬だけ揺れた。
ラドは目を逸らした。
ジィッドは、深々と息を吐いた。
「よく言われます」
「権力欲なら斬りやすい。独立志向なら潰しやすい。敗残兵なら武装解除すればいい」
ランドは資料を指で叩いた。
「だが、貴殿は違う。手放すことは厭わない。だが、手放すことで起きる混乱を知っている。だから掴み続けている」
ジィッドは黙って頷いた。
「はい」
「そして、掴んでいる間に、さらに責任が増える」
「はい」
「面倒な奴だ」
「返す言葉もありません」
ランドはしばらくジィッドを見ていた。
敵を見る目ではない。
味方を見る目でもない。
処理しなければならない現実を見る目だった。
「マトリア総督大将」
「はい」
「暫定管理線という言葉は、政治的には重い」
「承知しています」
「だが、段階的武装管理という言葉は、実務として検討に値する」
ジィッドの目がわずかに動いた。
「では」
「独立は認めん」
「はい」
「ノウラン=オータ=ボルサを貴殿の国として扱うこともない」
「はい」
「だが、明日潰してよい倉庫のようにも扱わん」
ランドの声は静かだった。
「まず、戦後治安の問題として扱う。ベイジ無血開城、ノウラン=オータ=ボルサの段階的管理、GTMカーバーゲンの登録、整備拠点の監査、港湾税務と灯台の維持。これらを分けて協議する」
ジィッドは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言う段階ではない」
ランドは言った。
「貴殿の線を認めたわけではない。だが、貴殿が手を離した時に何が起こるかは理解した」
「それで十分です」
「十分ではない。これからが面倒だ」
ジィッドは苦く笑った。
「面倒なことには慣れています」
「だろうな」
ランドは少しだけ目を細めた。
「だから、ここまで育った」
ジィッドは本気で嫌な顔をした。
「育てられた覚えも、育てた覚えもないんですが」
ニナリスが静かに言った。
「結果として育っています」
「ニナリス、ここで殴るな」
ランドの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「良いファティマだ」
「はい。俺にはもったいないくらいです」
ジィッドは一度視線を落とし、再びランドを見た。
「ランド公。私も、無為に反乱軍や野盗を野に放ちたいわけではありません」
「ああ」
「そのために、私は今も掴んでいます」
「理解した」
ランドは頷いた。
「ならば、掴んだまま協議の席に来い。手放す順番を間違えるな」
ジィッドは、深く息を吸った。
「承知しました」
会談は終わらなかった。
むしろ、そこから始まった。
ベイジ無血開城。
ノウラン=オータ=ボルサ暫定管理線。
GTM登録。
黒騎士団残存戦力。
銀月騎士団。
港湾税務。
孤児院。
オータ工場。
ボルサ便。
全てを、ひとつずつ分けて、次の机へ載せる作業が始まった。
ランド・アンド・スパコーンは、その日、ジィッド・マトリアという男を理解した。
地位に固執しない。
だが、責任からは逃げない。
自分の作り上げたものを誇りに思いながら、それを手放す覚悟もある。
ただし、手放した後に起きる混乱まで見えてしまうため、最後まで掴み続ける。
面倒な男。
だが、戦後を考えるなら、無視してよい男ではなかった。