/*/ 星団暦3074年 スバース市外縁 AP騎士団管理着陸区画 /*/
ドーリーの脚部固定が外れた。
巨大なGTM陸上輸送機の腹が開き、低い駆動音とともに搬出路が降りる。
ジィッド・マトリア総督大将は、ニナリスを伴って地上へ降りた。
武装は最小限。
随行も最小限。
ここはスバース市。
AP騎士団の管理下。
ミノグシア連合議会長マイケル・ギラ・ジョーイ大将との会談に向かうため、安全通行を認められた敵方使節だった。
だから、ジィッドは警戒していた。
していたつもりだった。
だが、その小さな影が近づいてくるのを、最初に危険と認識できた者はいなかった。
とことこ、と歩いてくる。
男の子。
だが、纏っている服はアウクソーのデカダン・スタイルに似ていた。
細い身体。
中性的な顔。
遠目には、ファティマのようにも見える。
ノエルが眉をひそめた。
「……子供?」
ラドが一歩前に出かける。
ニナリスが、わずかに反応した。
「マスター」
その声に、ジィッドが振り返る。
小さな少年は、ジィッドを見上げていた。
瞳が、異様に澄んでいる。
澄みすぎている。
「へー……」
少年が言った。
「バッハトマの騎士なんだぁ……」
その場の空気が、一瞬だけ固まった。
ジィッドは、ゆっくり手を上げた。
「待て。俺は――」
少年が、首を傾げる。
「悪い奴だから……」
言葉が震えている。
怯えではない。
笑いでもない。
純粋すぎる殺意だった。
「こ、殺しても、良いんだよね……」
次の瞬間、少年の姿が消えた。
ジィッドは反応した。
騎士として反応した。
だが、間に合わなかった。
衝撃。
視界が白く弾ける。
肋骨が軋み、腹部が潰れ、身体が地面を跳ねた。
「大将!」
ラドの叫び。
ノエルの悲鳴。
ニナリスがジィッドへ飛ぶ。
だが、少年――マキシは、すでに次の一撃へ入っていた。
剣聖級。
それは、そう呼ぶしかない暴力だった。
子供の身体で。
ファティマのような服を着て。
遊ぶように、殺す。
ジィッドは腕を上げた。
防ぐ。
防げない。
骨が鳴る。
地面が割れる。
ニナリスが割り込もうとする。
しかし、マキシの速度は異常だった。
「悪い騎士なら……殺していいんだよね?」
「やめろ!」
その声は、別方向から飛んだ。
マドラだった。
空気が変わる。
ようやく、マキシの暴力へ割り込める存在が来た。
マドラがマキシの前に入り、強引に距離を取らせる。
「マキシ! 駄目だ!」
マキシは、少しだけ頬を膨らませた。
「だって、バッハトマだよ?」
「駄目だと言っている!」
マドラの声に、周囲のAP騎士団員たちが一斉に動き出した。
遅すぎた。
ジィッドは地面に倒れていた。
血が口元から垂れている。
息はある。
だが、明らかに重傷だった。
ラドが膝をつく。
「動かすな! 内臓やってる可能性がある! ニナリス、固定!」
「はい」
ニナリスの声は静かだった。
だが、目が冷たい。
凍っていた。
ノエルは青ざめた顔で通信機を掴む。
「ノウランへ緊急連絡! 大将負傷! 繰り返す、大将負傷!」
その場に、人が集まり始めた。
AP騎士団員。
会談関係者。
スバース市の警備。
マキシ側へ駆け寄る者たち。
マドラ。
そして、マキシの近くに立つアウクソー。
さらに、ジィッドの周囲には、偶然そこにいた一人の若い男がいた。
アララギ・ハイト。
彼は血の気を失った顔でジィッドを覗き込んだ。
「ジィッドさん! 大丈夫っすか!」
ラドが怒鳴る。
「下がれ! 今近づくな!」
だが、ハイトは聞いていなかった。
目が据わっている。
ジィッドが血を吐く。
その瞬間、ハイトの何かが切れた。
「おれ……おれ、仇とってきます!」
ジィッドの首に下がっていたものへ、ハイトの手が伸びた。
デムザンバラの起動キー。
ニナリスが反応する。
「触るな」
遅い。
ハイトは、もぎ取った。
ジィッドが、かすれた声を出す。
「……やめ、ろ……」
ハイトはもう走っていた。
ドーリーへ。
そして、マキシ側に集まりかけていた人々の中にいるアウクソーへ、彼は振り返りもせず叫んだ。
「来い! アウクソー!」
空気が止まった。
誰もが、理解できなかった。
アウクソーが。
あのアウクソーが。
静かに顔を上げた。
そして。
「イエス! マスター!」
答えた。
ジィッドの目が、痛みの中で見開かれた。
ニナリスが、一瞬だけ演算を止めた。
ラドが呆然とする。
ノエルが「は?」と声を漏らした。
アウクソーは迷わなかった。
ハイトを追って、ドーリーの中へ消えた。
その瞬間、スバース市外縁の空気が完全に壊れた。
マドラが叫ぶ。
「待て! 何をしている!」
ドーリーの内部から、異音が響いた。
低い駆動音ではない。
唸りでもない。
もっと細い。
もっと高い。
甲高く、細く、高く、叫び歌うような声。
GTMデムザンバラが、目を覚まし始めていた。
剣聖騎の声だった。
誰かが震えた声で言う。
「起動している……?」
別の者が叫ぶ。
「ありえない! あれはジィッド・マトリアの――」
言葉は、最後まで続かなかった。
ドーリーの中で、デムザンバラの内部光が走る。
起動キー。
アウクソー。
アララギ・ハイト。
理解不能の組み合わせが、現実として成立しようとしていた。
マキシが、それを見た。
彼の顔が、ぱっと明るくなる。
怒りではない。
罪悪感でもない。
遊びを見つけた子供の顔だった。
「GTMでやるの!?」
マドラが振り返る。
「マキシ、駄目だ!」
「良いよ!」
マキシは笑った。
「やってやる!」
そして、ファティマ・SSLへ声をかける。
「行くよ!」
SSLが応じる。
「イエス」
マキシは駆け出した。
マドラが止めようとする。
だが、マキシはもう止まらない。
剣聖級の子供が、GTMへ向かって走る。
ジィッドは血の混じった息を吐きながら、必死に声を出そうとした。
「……止め、ろ……」
ラドが叫ぶ。
「喋るな! 死ぬぞ!」
ジィッドは、それでも目を開けた。
ニナリスを見る。
その目は、命令だった。
ニナリスは理解した。
「ノエル様。緊急通達。ノウラン側へ、報復行動禁止。黒騎士団出撃禁止。銀月全軍、待機。これは事故です。まだ戦闘ではありません」
ノエルが震える手で通信機を握る。
「了解!」
ジィッドは、さらにかすれた声で言った。
「……ハイト……止め……」
その言葉は、ドーリーの内部から響くデムザンバラの声に掻き消された。
高く。
細く。
歌うような、叫び。
まるで機体そのものが、久しく忘れていた何かを見つけたように。
マドラは、顔を歪めた。
「最悪だ……」
スバースの警備隊が、ようやく全体を封鎖し始める。
AP騎士団の通信が飛ぶ。
マイケル・ギラ評議長の会談担当者が蒼白になる。
これは、もう単なる襲撃ではない。
安全通行中の停戦使節が半殺しにされ。
その使節のGTM起動キーが奪われ。
未知の騎士がデムザンバラに乗り込み。
アウクソーが「マスター」と応じ。
マキシがSSLを連れてGTM戦へ向かう。
外交事故。
軍事事故。
ファティマ事故。
GTM継承事故。
全部が同時に起きていた。
ジィッドは、地面の上でかすかに笑った。
笑っている場合ではない。
血が出ている。
内臓も危うい。
それでも、笑った。
「……めんど……くせぇ……」
ラドが怒鳴る。
「黙ってろ!」
ニナリスが静かに、しかし冷たい声で言った。
「マスター。生命維持を優先します」
ジィッドは、ほとんど息だけで答えた。
「……記録……」
「します」
ニナリスは、ドーリーを見た。
その中で、デムザンバラが歌っている。
「ただし、まず生きてください」
スバース市外縁。
停戦会談の入口で。
次の戦は、剣でも書状でもなく、子供の殺意と、若者の衝動と、GTMの起動音から始まりかけていた。