/*/ 星団暦3074年 スバース市外縁 AP騎士団管理着陸区画 封鎖戦闘域 /*/
ヒトエフタエの赤が、揺れた。
ただ速いだけではない。
赤いGTMは、怒っていた。
騎体が怒るはずはない。
GTMは感情を持たない。
だが、ファティマ・SSLのフルクリティカル制御を通して、マキシの感情がそのまま機体へ流れ込んでいた。
怒り。
憎しみ。
殺意。
そして、その奥にある、どうしようもない空白。
白銀のシュペルターが、細く高く歌う。
アウクソーの制御もまた、奥へ入っていた。
アララギ・ハイトの身体を通して、死んだはずの剣聖の影が、白銀の騎士を動かしている。
通信が開く。
マキシの声が、震えていた。
『カイエン……!』
その声は、先ほどまでの遊びを見つけた子供の声ではなかった。
壊れかけた怒り。
抑えきれない憎悪。
見つけてしまった相手へ向ける、剥き出しの刃。
『おかあさんをもてあそんだカイエンだ!
この糞野郎!
おかあさんは渡さない!
あーあー、こーろーすー!』
ヒトエフタエが突っ込んだ。
赤い斬撃が三重に重なる。
一つ目は囮。
二つ目は本命。
三つ目は、本命のさらに奥にある殺し。
普通の騎士なら、一つ目を読んだ時点で死ぬ。
シュペルターは、それを全部見た。
いや、見てから避けたのではない。
剣聖は、マキシが怒りに飲まれて振る前から、斬線の生まれる場所を知っていた。
白銀が、半歩沈む。
ヒトエフタエの刃が空を裂く。
その隙間を、シュペルターが縫う。
火花。
赤い肩装甲が削れる。
だが、カイエンはまだ殺さない。
マキシは叫ぶ。
『ボクは!
カイエンの子供がどうしてもほしいおかあさんが……!』
ヒトエフタエの速度が上がる。
SSLが制御を上げる。
だが、その制御はもう綺麗ではなかった。
感情が強すぎる。
殺意が濃すぎる。
制御線に濁りが混じる。
『アウクソーのお腹を借りて!
クローム・バランシェが残した四十六番目の素体の胚に!
カイエンと、おかあさんの情報を入れて生まれたファティマだ!』
通信を聞いていた者たちが、息を呑んだ。
マドラが顔を歪める。
ラドは、ジィッドの止血を続けながら、戦場から目を離せなかった。
ニナリスは沈黙している。
その沈黙は、演算の停止ではなく、あまりにも危険な情報を記録している時のものだった。
マキシの声が、さらに裂ける。
『ボクには思い出なんてないんだ!
おかあさんの中にボクはいない!
けど、ボクはカイエンより強い!』
ヒトエフタエが跳んだ。
赤い騎体が、空中で身体を折り、ありえない角度から斬撃を落とす。
剣聖級。
いや、それ以上に、壊れた天才の動きだった。
白銀の騎体が受ける。
受けた瞬間、地面が割れる。
シュペルターの脚部が沈む。
だが、次の瞬間には、白銀の剣が赤い腹部へ返っていた。
浅い。
まだ浅い。
カイエンの声が、低く流れた。
『そうかヨ』
軽い声。
けれど、その軽さの奥が冷たい。
『壊れたファティマでしかないお前は……殺すしかない』
マキシが笑った。
泣きそうな笑いだった。
『やってみろよ!』
そこから、戦いの質が変わった。
シュペルターが、一段階上へ行く。
白銀の騎体が、ヒトエフタエの怒りに付き合うのをやめた。
避ける。
外す。
崩す。
追い込む。
殺しに見える。
だが、ただ殺すのではない。
カイエンは、マキシの制御を削っていた。
感情制御。
殺戮制御。
暴走を抑え込むために上から被せられていた歪な枠。
その枠を、戦闘の圧で一枚ずつ剥がしていく。
ヒトエフタエが斬る。
シュペルターが外す。
外された反動で、マキシの感情が空振る。
空振った殺意が、SSLの制御線へ跳ね返る。
ヒトエフタエがさらに荒れる。
シュペルターは、そこへ次の刃を置く。
壊すのではない。
壊れた部分を、さらに壊して、奥に残っている本能へ到達させる。
アウクソーの声が通信に入った。
『マスター。対象の制御が不安定化しています』
『いい』
『殺戮衝動が表層に出ています』
『出させろ』
『危険です』
『分かってる』
カイエンは笑った。
『こいつは、殺したいんじゃねえ。殺すしか知らねえだけだ』
マキシが吠える。
『黙れぇぇぇ!』
ヒトエフタエが突っ込む。
赤い騎体の全身が、殺意そのものになる。
だが、次の瞬間、シュペルターの剣がヒトエフタエの脚部関節を叩いた。
折る。
完全には切らない。
だが、制御を乱すには十分だった。
ヒトエフタエが傾く。
マキシが悲鳴のように笑う。
『まだ! まだだよ!』
赤い騎体が片脚で跳び、無理やり体勢を戻す。
その無茶な復帰に、SSLの制御が悲鳴を上げる。
だが、その瞬間だった。
マキシの殺意が、一瞬だけ切れた。
空白。
その奥に、ファティマとしての本能が現れる。
マスターを守る。
戦う。
従う。
けれど、壊れるためではない。
壊すためだけでもない。
存在するための、最初の本能。
カイエンはそこを見た。
『そこだ』
シュペルターが踏み込む。
白銀の剣が、ヒトエフタエの胸部を深く斬った。
赤い装甲が砕ける。
ヒトエフタエが後退する。
今度は、大きく。
大破だった。
マキシの声が、通信で荒れる。
『なんで……なんで、そんな……』
『殺すからだ』
『じゃあ殺せよ!』
『今やってる』
『違う! 違うだろ! ぼくを、ぼくを――!』
マキシの声が崩れた。
怒りでもない。
憎しみでもない。
ただ、どうしようもない喪失の声。
『おかあさんの中に、ぼくはいないんだ……!』
ヒトエフタエが、最後の突進に入った。
SSLの制御も限界だった。
赤い騎体の内部では、制御線が焼けるように明滅している。
それでも、マキシは前へ出る。
殺すために。
殺されるために。
カイエンは、静かに言った。
『アウクソー』
『はい、マスター』
『ここで終わらせる』
『承知しました』
『悪いな』
『いいえ』
白銀の騎体が構える。
ヒトエフタエが迫る。
次の一瞬は、封鎖線の誰にも見えなかった。
赤と白銀が交差した。
衝撃が遅れて来る。
地面が爆ぜる。
遠くの車両が横転する。
AP騎士団員が叫ぶ。
「伏せろ!」
視界が砂塵で埋まる。
そして、砂塵が薄れた時。
ヒトエフタエは、膝をついていた。
胸部装甲は裂け、腕は片方が半ば落ち、脚部も砕けている。
大破。
動ける方がおかしい状態だった。
その前に、シュペルターが立っていた。
白銀の騎体も無事ではない。
肩から胸へ深い傷。
腰部制御線の損傷。
腕部装甲の破断。
そして――致命的な位置に、赤い刃が入っていた。
相打ちに近いカウンター。
カイエンが、わざと踏み込んだのだと、分かる者には分かった。
殺しの重さを、マキシへ返すために。
自分を殺させる形で。
マキシの声が、震えた。
『……入った』
カイエンの声は、苦しそうなのに笑っていた。
『ああ』
『ぼくが……?』
『お前が殺した』
マキシが黙った。
ヒトエフタエの赤い騎体が、震える。
それは機体の震えではない。
マキシの震えだった。
『これが……殺すってこと?』
『そうだ』
『こんな……』
『軽くねえだろ』
カイエンの声が、少しずつ薄くなる。
四十四分。
その残りが、もう尽きようとしていた。
『マキシ』
『……なに』
『お前は強い』
『知ってる』
『だが、強いだけじゃ駄目だ』
『……』
『殺すなら、重さを持て。重さを持てねえなら、殺すな』
マキシの声は、もう叫んでいなかった。
『ぼく……』
言葉が続かない。
ファティマの本能が、剥き出しになっていた。
怒りの制御も、殺戮衝動の制御も、一度壊された。
だが、その奥で、自己制御プログラムの再構築が始まっていた。
誰かに命じられた殺戮ではなく。
誰かの記憶に寄生する怒りでもなく。
自分の中で、殺しの重さを受け止めるための形。
カイエンは、それを見届けるように笑った。
『アウクソー』
『はい、マスター』
『悪かったな。また泣かせた』
『マスターは、いつもそうです』
『弱ったもんだワ……』
その声が、細くなる。
シュペルターの歌も、少しずつ遠くなっていく。
白銀の騎体が、膝をついた。
通信の向こうで、アララギ・ハイトの声が混ざり始める。
カイエンの影が、薄れていく。
『マキシ』
『……カイエン』
『生きろよ』
『殺すって言ったじゃん』
『殺すつもりだったさ』
『嘘つき』
『だろうな』
最後に、カイエンは小さく笑った。
『あとは、お前が背負え』
通信が途切れた。
白銀の騎体が沈黙する。
ヒトエフタエも動かない。
戦場には、砂塵と、焼けた金属の匂いだけが残った。
誰も、すぐには近づけなかった。
封鎖線の外で、マドラが膝をつきそうになりながらも踏みとどまる。
ラドはジィッドの治療を続けながら、震えた声で言った。
「終わった……のか?」
ニナリスが静かに答える。
「戦闘反応、停止」
ノエルが、呆然と白銀の騎体を見た。
「カイエンは……」
誰も答えなかった。
ジィッドは血に濡れた唇を動かした。
「……殺しの、重さか……」
ラドが怒る気力もなく言う。
「大将、もう喋らないでください」
ジィッドは目を閉じる。
「記録……しろ……」
ニナリスが答える。
「記録します」
彼女は、沈黙した白銀の騎体と、膝をついた赤いヒトエフタエを見た。
剣聖の四十四分。
壊れたファティマの制御再構築。
アウクソー。
SSL。
アララギ・ハイト。
マキシ。
そして、死んだはずのダグラス・カイエン。
記録はいつも残酷だった。
だが、この記録だけは、誰も簡単には読み解けない。
白銀の騎士は沈黙し、赤い騎体は動かず、スバース市外縁には、ただ重い静寂だけが残っていた。