ノウラン市占領後
夜食で空気は緩んだ。
クラッカーにピーナッツバターを塗り、濃すぎるチーズペーストに顔をしかめ、パウンドケーキを割って分けながら、整備班と若い騎士たちは笑っている。
だが、笑えばそれで済むほど、銀月騎士団の若者たちは枯れていない。
ノウラン市国境ラインで、デムザンバラは七騎を落とした。
黒騎士隊は本陣を落とした。
銀月騎士団は国境線を守り、敵の後退を見送った。
それは確かな戦果だった。
だが、若い騎士たちにとっては、同時に焦りでもある。
「隊長」
「何だ」
「次は、もっと前に出たいです」
ジィッドはクラッカーを持った手を止めた。
若い騎士の目は真面目だった。
「国境ライン保持が大事なのは分かってます。でも、黒騎士隊が本陣を落として、隊長がデムザンバラで七騎落として、俺たちは牽制と足止めで……」
「不満か」
「不満というか」
別の騎士が続けた。
「銀月騎士団だって、もっと派手に戦えます」
「敵の主力にぶつけてもらいたいです」
「黒騎士殿に頼めませんか。銀月をもっと派手に使ってくれって」
声は一つではなかった。
若い。
血気盛ん。
戦果を見て、戦場の熱に煽られている。
ジィッドは、それを頭ごなしに叱らなかった。
その熱がなければ、騎士団は前に出られない。
全員が生還率だけを見ていたら、戦線は押せない。
だが、その熱だけで前に出せば、部下は死ぬ。
ジィッドは、チーズペーストの袋を閉じて言った。
「分かった」
若い騎士たちが顔を上げる。
「デコーズ隊長には頼んでやる。銀月騎士団を、もっと派手に使ってくれってな」
ざわめきが広がった。
「本当ですか!」
「ああ。ただし」
ジィッドの声が少し低くなる。
「派手に使われるということは、派手に死ぬ可能性も増えるということだ」
場が静まった。
「俺は、お前たちを飾りにしたくない。だが、燃え上がったところへ雑に突っ込ませる気もない」
「でも、俺たちは騎士です」
「知ってる」
「前に出るためにいるんです」
「それも知ってる」
ジィッドは頷いた。
「だから、前に出る準備をする」
彼は整備班長へ視線を向けた。
整備班長は、すでに端末を開いていた。
「例の件ですか」
「ああ」
ジィッドは若い騎士たちを見渡した。
「カーバーゲンを回す」
場の空気が変わった。
「カーバーゲンを?」
「俺たちにですか?」
「全員にじゃない」
ジィッドはすぐに釘を刺した。
「予備機を全部ばら撒くわけじゃない。そんなことをすれば、整備も運用も崩れる」
整備班長が頷く。
「カーバーゲンは、癖のない良い機体です。扱いやすく、整備性も悪くない。だからこそ、乗り手の未熟さや雑さがそのまま出ます」
「そういうことだ」
ジィッドは言った。
「それに、GTMは騎士一人で動かすものじゃない。ファティマがいなければ操縦できない。カーバーゲンを回してもらうということは、パートナーであるファティマを娶るということでもある」
若い騎士たちの顔つきが、一気に変わった。
ただの機体配備ではない。
ファティマを娶る。
それは騎士にとって、戦場へ出る資格であり、名誉であり、人生が変わる出来事だった。
「ついに俺にもファティマが……」
誰かが、夢を見るように呟いた。
すかさず隣の騎士が肘で小突く。
「おいおい、お披露目に出たからって選ばれるとは限らないぜ」
「分かってるよ。でも、候補に入るだけでもすげえだろ」
「いや、まあ、それはそうだけど」
「相手は主を失って戻ってきたブーメランファティマだろ。軽い気持ちで行ったら、見抜かれて終わるぞ」
「うっ」
浮つきかけた空気が、そこで少し引き締まった。
ジィッドはその反応を見て、少しだけ頷いた。
「分かっているな。今回の相手は、はぐれファティマだけじゃない」
若い騎士たちが黙る。
「はぐれファティマは、主を失い、騎士や国家の庇護を失って野良になったファティマだ。戦場で主を失い、そのまま放置され、別の騎士に保護されるまで放浪するような場合だな」
ジィッドは指を一本立てた。
「ロストファティマは、主を失ったファティマだ。ただし、仮のマスターや国家、騎士団の庇護下にある。野良ではない」
そして、もう一本。
「ブーメランファティマは、主を失って、製造したマイトや調整役のマイスターのところへ戻ったファティマだ。今回、話が来ているのはそっちだ」
場の軽さが、さらに薄れる。
「だから、こちらの都合だけで“誰か余っているなら回してください”とは言えない。彼女たちは物資じゃない。マイトやマイスターのもとで再調整を受け、次の主を選ぶ立場だ」
若い騎士の一人が、少し緊張した声で言った。
「つまり、正式なお披露目ですか」
「平時ならな」
ジィッドは頷いた。
「本来、ファティマのお披露目は大きな式典だ。特に銘入りなら、国家を代表する騎士や外交関係者まで集まる。だが、今は戦時だ。そこまでの場は作れない」
「では、どうするんですか」
「戦時の略式お披露目にする」
ジィッドは言った。
「騎士級の見届け人を三人以上立てる。黒騎士隊と銀月、それからマイト側ないし調整役の了承を得る。記録を残す。ファティマが選び、騎士が受ける。そこを曖昧にしない」
若い騎士たちは息を呑んだ。
お見合い会、という言葉で少し浮ついていたものが、正式な手続きの重さを帯びていく。
それでも、目は輝いていた。
ファティマに選ばれるかもしれない。
それは騎士にとって、何より重い名誉だ。
「隊長」
「何だ」
「その……費用は」
現実的な問いだった。
周囲が一瞬、そちらを見た。
ジィッドは苦笑した。
「そこも当然、問題になる。新規育成の銘入りファティマほどではないとしても、費用は発生する。マイト側への支払い、再調整費、装備、衣装、維持費。個人で払えと言われたら、お前たちの大半は死ぬ」
「ですよね……」
「だから、銀月騎士団として申請する。俺がデコーズ隊長に話を通す。騎士団として必要な戦力化だ、と」
「そこまでしてもらえるんですか」
「その価値がある者にだけだ」
ジィッドは即答した。
「つまり、偵察哨戒任務できちんと情報を持ち帰った騎士だ」
若い騎士たちの表情が変わる。
「敵を落とした数じゃないんですか」
「違う」
ジィッドははっきり言った。
「敵を落とした数では選ばない。偵察で見たものを正しく持ち帰れるか。敵を見つけて、突っ込まず、見失わず、味方に必要な形で報告できるか。追いたい場面で追わずに帰れるか。そこを見る」
「地味ですね」
「派手に戦うための入口は、地味だ」
ジィッドはクラッカーを一枚割った。
「情報を持ち帰れない騎士に、GTMは渡さない。勝手に敵を追う騎士にも渡さない。報告をごまかす騎士にも渡さない。戦果を盛る騎士にも渡さない」
整備班長が補足する。
「カーバーゲンは良い機体です。良い機体だからこそ、雑な運用で失うわけにはいきません。最初に回せるのは、せいぜい二、三名です」
「二、三名……」
「まずはな」
ジィッドは頷いた。
「略式お披露目でブーメランファティマに選ばれ、偵察哨戒で情報を持ち帰り、整備班の指示に従える。その二、三名にカーバーゲンを回してやる」
若い騎士たちは息を呑んだ。
機体。
ファティマ。
前線。
その三つが、ようやく一つの線になった。
「隊長」
「何だ」
「お披露目では、何を話せばいいんですか」
場の空気が少し緩む。
別の騎士が小声で言う。
「いきなり“僕とカーバーゲンに乗ってください”とか言えばいいんですか」
「やめろ。絶対にやめろ」
ジィッドは即座に止めた。
整備班長が額に手を当てる。
「それは最低です」
ニナリスも静かに言った。
「不適切です」
「ほら見ろ」
若い騎士が慌てる。
「じゃあ何を話せば」
「まず、自分がどういう任務をしてきたか。どういう判断をしてきたか。どこで止まれるか。何を怖いと思っているか。そういう話をしろ」
「怖いと思っていることも言うんですか」
「言え」
ジィッドは頷いた。
「怖くない騎士など信用できない。怖いものを知らない奴は、ファティマも機体も部下も巻き込む」
若い騎士たちは、少しだけ真面目な顔になった。
「主を失ったファティマに、格好つけた嘘を言うな。戦果を盛るな。自分を大きく見せるな。相手はたぶん、そういうところを見る」
ニナリスが静かに補足する。
「ファティマ側も、騎士の反応、言葉の重さ、判断傾向、自己評価の歪みを見ます」
「自己評価の歪みって、隊長じゃないですか」
「俺を教材にするな」
ジィッドが睨むと、若い騎士たちは笑った。
だが、笑いながらも緊張していた。
「隊長」
「何だ」
「つまり、派手に戦うには、まず偵察哨戒でちゃんと帰ってきて、ファティマとまともに話して、整備班に怒られず、撤退命令で止まれってことですか」
「そうだ」
「めちゃくちゃ地味ですね」
「派手な戦果は、地味な奴が持っていく」
ジィッドは笑った。
「覚えておけ」
その言葉に、若い騎士たちは黙った。
そして、何人かが真剣に頷いた。
ニナリスが端末に入力する。
「カーバーゲン配備候補条件。偵察哨戒任務における情報持ち帰り実績。ブーメランファティマとの相性確認。略式お披露目の見届け人三名以上。撤退命令遵守。整備班指示遵守。初期配備数、二から三名」
「記録が早い」
「必要ですので」
整備班長も端末を操作する。
「こちらでも機体状態と配備可能数を確認します。候補者には、まず停止、旋回、報告、帰還の基礎をやらせます」
「攻撃訓練は?」
若い騎士が聞く。
ジィッドは笑った。
「その後だ」
「また停止からですか」
「止まれない奴に撃破は任せない」
「ですよね……」
少しだけ落胆の声が出る。
だが、それ以上に、目が輝いていた。
道が見えたからだ。
派手に戦いたいという熱を、ジィッドは消さない。
ただ、線路を敷く。
偵察哨戒。
報告。
略式お披露目。
ファティマとの相性。
カーバーゲン。
整備。
停止。
そして、ようやく前へ。
それは、デムザンバラのピーク領域と同じだった。
完全に消してはいけない。
だが、踏ませてはいけない。
細く残し、逃がし、必要な場所へ導く。
ジィッドは、濃すぎるピーナッツバターをかじった。
「よし。夜食が終わったら、偵察哨戒の候補者を出せ。略式お披露目の段取りは、ニナリスと整備班長に詰めてもらう」
「お披露目も軍務ですか?」
若い騎士が恐る恐る聞く。
ニナリスが静かに答えた。
「軍務です」
整備班長も頷いた。
「極めて重要な軍務です」
ジィッドは笑った。
「そういうことだ。浮ついた奴から落とすぞ」
「了解!」
夜の野戦陣地に、若い騎士たちの声が戻った。
彼らはまだ血気盛んだった。
派手に戦いたがっていた。
記事に載りたがっていた。
敵を落としたがっていた。
それでいい。
若い騎士が枯れていたら、騎士団は前へ出られない。
問題は、その熱をどこへ流すかだ。
ジィッドは、デコーズに頼むつもりでいた。
銀月騎士団をもっと派手に使ってくれ、と。
だが同時に、偵察哨戒で情報を持ち帰らせ、主を失ってマイトやマイスターのもとへ戻ったブーメランファティマたちとの略式お披露目を整え、選び合えた二、三名にだけカーバーゲンを回す。
派手さと生還率。
血気と軍務。
ファティマへの敬意と、GTM運用。
その全部を、どうにか同じ線路に乗せる。
それが、剣聖ではない若い騎士団長の仕事だった。