ノウラン市占領後
夜が明ける前の指揮所は、妙に静かだった。
外ではまだ、銀月騎士団の若い騎士たちがカーバーゲン配備候補の適性表を覗き込み、偵察哨戒の順番を巡って小さくざわついている。
略式お披露目の話も、もう部隊内に回り始めていた。
浮ついている。
だが、浮つきすぎてはいない。
そこに踏みとどまらせるために、ジィッドは偵察哨戒任務、情報持ち帰り、撤退命令遵守、整備班指示遵守という条件を噛ませた。
ファティマたちとの略式お披露目も、ただの褒美ではなく、騎士として相手に選ばれるかどうかの場にした。
その報告を持って、ジィッドは黒騎士隊の臨時指揮所に入った。
机の向こうには、デコーズ・ワイズメル。
椅子に深く腰を沈め、片足を雑に組んでいる。
口元にはいつもの軽薄な笑み。
だが、目は笑っていない。
その横に、バギィ・ブーフ少将が立っていた。
黒騎士団副団長。
古株の騎士らしい渋い顔で、ジィッドの報告書を読んでいる。
「へえ」
デコーズが、報告書を指で弾いた。
「略式お披露目ねえ。若造どものガス抜きにしちゃ、ずいぶん上等な餌をぶら下げたじゃねえか」
「餌ではありません」
ジィッドは即答した。
「主を失ったブーメランファティマたちとの相性確認です。戦時下なので略式ですが、見届け人を立て、記録を残します」
「はいはい。綺麗な言い方だねえ」
デコーズは笑う。
「で、本音は?」
「熱を、雑な突撃ではなく、手順に流しています」
ジィッドは答えた。
「きちんと軍務をこなせる者から、ファティマたちと引き合わせるようにしています。偵察哨戒で情報を持ち帰った者。敵を見つけても追わなかった者。報告をごまかさなかった者。撤退命令で止まれた者。そういう騎士から順に」
バギィが、低く唸った。
「悪くない」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「評価と受け取ります」
「可愛げがねえな、お前は」
バギィは報告書を机に置いた。
「だが、筋は通っている。ファティマを娶るとなれば、若い騎士どもは浮つく。だが同時に、半端な顔では立てなくなる。見られるからな」
「はい」
「戦果を盛る奴、怖さを隠す奴、止まれない奴は落ちる」
「そのつもりです」
「いい。騎士を前に出す前に、まず帰れるかを見る。地味だが正しい」
デコーズが、そこで笑った。
「バギィちゃん、ジィッド君に甘くなった?」
「気持ち悪い呼び方をするな」
「へいへい」
デコーズは肩をすくめ、ジィッドを見る。
「で、ジィッド君。お前さん、若造どもの熱を略式お披露目とカーバーゲン候補で散らしてるわけだ」
「はい」
「散ったか?」
ジィッドは一瞬、黙った。
それから正直に答える。
「半分ほどは」
デコーズの口角が上がる。
「正直でよろしい」
「ファティマに選ばれる可能性、カーバーゲンを回してもらえる可能性、それだけでもかなり効いています。ただ、長く引っ張っている者もいます」
「だろうな」
バギィが腕を組む。
「ノウランで勝った。デムザンバラが七騎落とした。黒騎士隊が本陣を潰した。銀月は保持任務。若い奴らは、自分たちも前に出たい。そうなる」
「はい」
ジィッドは頷いた。
「そろそろ一度、大きな戦場で使って冷やす必要も出てきています」
指揮所の空気が、わずかに重くなった。
デコーズは笑ったままだった。
「冷やす?」
「はい」
「いい言い方だねえ。熱を冷やす。若造どもを戦場で冷やす。ボクちゃん、そういう身も蓋もない言い方は嫌いじゃないぜ」
ジィッドは表情を変えない。
「夜食休憩で話を聞き、略式お披露目で手順を作り、偵察哨戒で評価を付けています。それで抑えられる者は抑えられます。ただ、全員ではありません」
「長く引っ張ってる奴がいる」
バギィが言った。
「はい」
「前に出たい。敵を落としたい。自分も記事に載りたい。ファティマに選ばれたい。カーバーゲンが欲しい。そういう熱が、腹の中で煮えている奴らだな」
「はい」
ジィッドの返事は短い。
「下手に引っ張りすぎると、偵察哨戒で余計なことをします。敵を見つけて、報告より先に手を出す。敵影を大きく見せる。撤退命令に一拍遅れる。そういう兆候が出始めています」
デコーズは、椅子の背にもたれた。
「つまり、鍋が吹きこぼれる前に、蓋を少し開けたいってわけだ」
「はい」
「で、どう開ける」
「限定した戦場に出します」
ジィッドは言った。
「正面突破ではなく、敵の反撃が見える場所。撤退線をこちらで作れる場所。黒騎士隊かバギィ少将の部隊が後詰めに入れる場所。カーバーゲン候補ではなく、まだGTMなしの者も含めて、銀月騎士団として動かせる場所です」
バギィが目を細めた。
「お前、最初から俺を後詰めに使う気だったな」
「はい」
「正直すぎる」
「必要ですので」
「ニナリスみたいな言い方をするな」
デコーズが笑う。
「で、ジィッド。お前はどう思う?」
その声が、少しだけ低くなった。
「出したら、若造どもはどうなる?」
ジィッドは、即答しなかった。
指揮所の外で、どこかの部隊が物資を運ぶ音がした。
遠くで、GTM用の整備架台が鳴る。
彼は一度だけ息を吸った。
「喜んで突撃して、三分の二は死ぬと思います」
デコーズの笑みが、わずかに止まった。
バギィは目を伏せた。
ジィッドは続ける。
「今の熱のまま、敵主力にぶつければ、そうなります。勝てると思った瞬間に追います。止まれません。ファティマに選ばれる前に自分を証明しようとする者も出ます。記事に載りたい者も出ます。デムザンバラが七騎落としたことを、自分たちの基準にしてしまう者もいる」
「お前、自分の戦果をずいぶん厄介なものとして見てるな」
デコーズが言う。
「厄介です」
ジィッドは認めた。
「俺が七騎落としたのは事実です。ですが、デムザンバラとニナリスと整備班と、部下たちの牽制があってこそです。あれを“隊長が七騎いけたなら、自分も一騎くらい”と見たら危険です」
バギィが低く言った。
「見てる奴はいるな」
「います」
「名は?」
「今ここでは出しません」
バギィの眉が動く。
ジィッドは続ける。
「監視はしています。偵察哨戒とお披露目準備で、少しずつ落とします。ただ、今ここで名を出して処分すると、熱が別のところへ逃げます」
「庇っているのか」
「いいえ」
「なら?」
「使い方を考えています」
バギィはしばらくジィッドを見た。
そして、少しだけ笑った。
「言うようになったな」
デコーズが机を指で叩く。
「つまり、お前さんの案はこうか。若造どもを一度、大きめの戦場に出す。ただし、本当に大きな歯車には噛ませない。噛ませたら三分の二が死ぬからな」
「はい」
「死なない程度に怖い目を見せる」
「はい」
「勝たせるか?」
「勝たせます」
ジィッドは答えた。
「ただし、楽には勝たせません」
「へえ」
「前に出れば敵がいる。追えば罠がある。報告を怠れば味方が動けない。撤退命令で止まらなければ、自分が味方の射線を塞ぐ。そういう戦場にします」
「教育戦場かよ」
デコーズは笑った。
「ボクちゃん、嫌いじゃないぜ」
バギィは渋い顔で言う。
「嫌な言い方をするな。だが、必要だ」
ジィッドは頷く。
「俺は、銀月を派手に使ってほしいと頼みます。ですが、派手に使うなら、こちらで冷却線を作りたい」
「冷却線」
「はい」
ジィッドは作戦図を広げた。
「ここです。敵の補給中継線。規模は中程度。守備隊はいるが、主力ではない。後方に予備戦力があり、引きずり出される危険はあります」
バギィが図を覗き込む。
「敵が釣ってくる可能性は?」
「あります」
「だから俺を後詰めにするわけか」
「はい」
「きっついぜ」
バギィはぼやいた。
だが、否定しなかった。
デコーズは楽しそうに言った。
「ジィッド君は?」
「俺とデムザンバラは中央予備に置きます」
「前に出ないのか」
「出ません」
ジィッドは即答した。
「俺が先に出ると、若い騎士たちはデムザンバラを基準にします。追います。熱が上がります。今回は冷やすのが目的です」
「じゃあ、誰を前に出す」
「偵察哨戒で評価が高い者を小隊単位で。まだファティマを娶っていない者は、GTM戦ではなく、随伴、連絡、観測、撤退路確保に回します。カーバーゲン候補の二、三名は、まだ実機投入しません。見せますが、乗せません」
「焦らすねえ」
デコーズが笑う。
「焦らします」
「ひでえ隊長だ」
「必要です」
ジィッドは淡々と言った。
「ファティマに選ばれる前から“自分はカーバーゲンに乗れる”と思い込ませると、危険です。見せる。欲しがらせる。だが、条件を満たすまで乗せない」
バギィが頷いた。
「いい。欲を殺しすぎるな。だが、手綱は付けろ」
「はい」
「戦場では、最初に何をさせる」
「停止です」
デコーズが吹き出した。
「大きな戦場で停止訓練かよ」
「敵前停止です」
ジィッドは真顔だった。
「前進、接敵、報告、停止、味方の展開待ち。これをやらせます。敵が見えても勝手に突っ込ませません。止まれた小隊だけ、次の段階で限定攻撃を許可します」
「止まれなかったら?」
「即時後退。カーバーゲン候補から外します。略式お披露目の順番も後ろへ回します」
指揮所が静かになった。
バギィが、少し感心したように言う。
「効くな、それは」
「はい」
「若い騎士には、処分より効く。ファティマに選ばれる可能性と、GTM配備の順番が後ろに回る。熱がある奴ほど堪える」
「そう狙っています」
デコーズは、にやにやと笑った。
「お前さん、けっこう性格悪くなってきたな」
「黒騎士殿の下にいますので」
「ボクちゃんのせいにするなよ」
「影響はあります」
「否定しづらいじゃねえか」
バギィが鼻を鳴らした。
「ジィッド」
「はい」
「出したら三分の二は死ぬ、と言ったな」
「はい」
「この案なら?」
ジィッドは、作戦図を見た。
「それでも、損耗は出ます」
「数字で言え」
「一割から二割」
バギィの目が鋭くなる。
「高いな」
「はい」
「抑えられないか」
「抑えるなら、戦場に出さないことです」
ジィッドは言った。
「ただし、それを続けると別のところで爆発します。偵察哨戒で無理をする者が出る。略式お披露目で自分を飾る者が出る。カーバーゲン配備前に功を焦る者が出る。そちらの方が読めません」
デコーズが、軽く口笛を吹いた。
「いいねえ。嫌な数字を出せるようになったじゃねえか」
「嬉しくありません」
「だろうな」
バギィは腕を組んだまま、じっと図面を見る。
「一割から二割。後詰めに俺。中央予備にデムザンバラ。黒騎士隊は?」
デコーズが笑う。
「ボクちゃんは見てる」
「見てるだけですか」
ジィッドが聞くと、デコーズは肩をすくめた。
「ボクちゃんが出たら、教育にならねえだろ。若造どもが“黒騎士が何とかしてくれる”って思う。今回は、お前さんとバギィちゃんの仕事だ」
「ちゃんをやめろ」
バギィが低く言う。
デコーズは無視した。
「ジィッド、お前さんが止めろ。バギィが拾え。ボクちゃんは、しくじった時に全部まとめて笑ってやる」
「笑うだけですか」
「必要なら斬る」
その一言だけ、軽さが消えた。
ジィッドは背筋を伸ばした。
「承知しました」
バギィが、ジィッドを見る。
「お前、若い連中に恨まれるぞ」
「でしょうね」
「派手に使ってくれと頼んだくせに、停止させる。カーバーゲンを見せるくせに乗せない。ファティマとの略式お披露目を餌に、偵察哨戒でふるいにかける」
「恨まれるでしょう」
「いいのか」
「部下が生きていれば、後で説明できます」
バギィは黙った。
デコーズの笑みも、少しだけ薄くなった。
ジィッドは続けた。
「死んだら、説明できません」
指揮所に、短い沈黙が落ちる。
やがて、デコーズが笑った。
「決まりだな」
バギィは渋々と頷く。
「俺が後詰めに入る。きっついぜ、本当に」
「申し訳ありません」
「謝るな。仕事だ」
バギィは報告書を取り上げた。
「ただし、俺の部下を巻き込む以上、配置は俺が詰める」
「はい」
「撤退路は二本作る。三本目は囮だ。若い奴らには本線を一本しか見せるな。余計な逃げ道を知ると、動きが雑になる」
「承知しました」
「それと、止まれなかった奴は俺が怒鳴る」
ジィッドは少しだけ目を瞬かせた。
「よろしいのですか」
「お前が怒鳴るより効く」
「それはそうかもしれません」
「おい」
バギィが睨む。
デコーズが笑う。
「いいじゃねえか。銀月の若造ども、黒騎士団副団長に怒鳴られたら少しは冷えるだろ」
「冷えすぎるかもしれません」
「そのくらいでいい」
バギィは言った。
「熱いまま突っ込んで死ぬよりはな」
ジィッドは深く頭を下げた。
「お願いします」
「礼はいらん。帰ったら若い連中に言っておけ。派手に使ってもらえる。ただし、最初にやるのは敵前停止だとな」
「荒れますね」
「荒らせ。そこで荒れる奴から見ろ」
デコーズが満足げに頷いた。
「うんうん。いいねえ。若造どもを冷やすには、まず期待させてから止める。残酷だねえ、ジィッド君」
「軍務です」
「ニナリスみたいな逃げ方するじゃねえか」
「便利なので」
デコーズは声を立てて笑った。
「よし。銀月騎士団を使ってやる。派手にな。ただし、お前さんの言う通り、冷やすために使う」
ジィッドは敬礼した。
「ありがとうございます」
「礼は戦果で返せ」
「はい」
「死体じゃなく、帰還者数でな」
ジィッドは、一瞬だけ目を伏せた。
そして、まっすぐ答えた。
「承知しました」
指揮所を出ると、夜気が肌に冷たかった。
外では若い騎士たちが、まだざわついている。
略式お披露目。
カーバーゲン。
偵察哨戒。
派手な戦場。
彼らの熱は、まだ消えていない。
消してはいけない。
ただ、踏ませてはいけない。
ジィッドは、自分の手を見た。
デムザンバラのピーク領域と同じだ。
完全に封じれば、どこかが歪む。
踏ませれば、壊れる。
細く残し、逃がし、必要な場所へ導く。
「三分の二は死ぬ、か」
自分で言った言葉が、胸の奥に残っていた。
その未来を避けるために、一割から二割の損耗を覚悟する。
それもまた、楽な判断ではない。
だが、何もしなければ、もっと死ぬ。
ジィッドは深く息を吸った。
「さて」
彼は銀月騎士団の陣地へ歩き出した。
「派手に使ってもらえるぞ。最初は敵前停止だけどな」
たぶん、文句が出る。
不満も出る。
愚痴も出る。
それでも、説明する。
生きていれば、説明できる。
死んだら、できない。
その当たり前のことを胸に、ジョー・ジィッド・マトリアは、血気盛んな若い騎士たちの方へ戻っていった。