補給中継線制圧作戦
作戦開始から二十七分。
銀月騎士団は、予定通りに前進していた。
前方には、敵の補給中継線。
丘陵の陰に隠された物資集積所と、そこを守る中規模のGTM部隊。
大軍ではない。だが、罠を張るには十分な数だった。
銀月の先鋒は、カーバーゲン三騎。
戦時略式お披露目でブーメランファティマに選ばれた若い騎士たちが、それぞれ初めて本格的な戦場へ出ている。
機体は良い。
カーバーゲンは癖のない良い騎体だった。反応は素直で、整備性も悪くない。若い騎士に雑な万能感を与えるほど過剰ではなく、それでいて前線で戦うには十分な強度がある。
だからこそ、怖い。
良い機体は、騎士の未熟を隠しすぎない。
止まれない騎士は、止まれないまま前へ出る。
ジィッドはデムザンバラの中で、前方の反応を見ていた。
中央予備。
出ない。
出てはいけない。
ここでデムザンバラが白い影を見せれば、若い騎士たちは熱を上げる。
隊長が出た。なら自分たちも行ける。
そう思ってしまう。
だから、ジィッドはまだ出ない。
「ニナリス」
「はい」
「先鋒三騎の反応」
「一番騎、呼吸上昇。二番騎、安定。三番騎、ファティマ側制御負荷がやや増加しています」
「三番はラドか」
「はい。騎士ラド・ベイカー。ファティマ、ティリカ。カーバーゲン貸与二日目」
「……血が熱い方だな」
「はい。停止訓練で、規定線を二度踏み越えかけています」
「覚えてる」
ジィッドは、低く息を吐いた。
前方、カーバーゲン三騎が稜線の手前で展開する。
一番騎のユアンは左へ。
二番騎のセムは中央。
三番騎のラドは右へ。
その後ろに、銀月の随伴騎士たち。
まだGTMを持たない若い者たちは、観測、連絡、撤退路確保に回っている。
そしてさらに後方。
バギィ・ブーフ少将の隊が、低い位置で静かに構えていた。
後詰め。
拾う役。
止める役。
怒鳴る役。
通信に、バギィの声が入る。
『ジィッド。三番、足が軽いぞ』
「見ています」
『見てるだけで済むならいいがな』
「停止線で見ます」
『きっついぜ』
ぼやきながらも、バギィの隊は完璧な位置にいた。
前に出すぎず、遅れすぎず。
若い騎士たちからは見えにくいが、崩れた瞬間には届く位置。
古株の配置だった。
「先鋒各騎」
ジィッドは通信を開いた。
「予定通り前進。停止線は赤い稜線の手前、砕けた塔の残骸を基準に取れ。敵影確認後、報告。命令まで攻撃するな」
『一番騎、了解』
『二番騎、了解』
一拍遅れて。
『三番騎、了解』
ジィッドは、その一拍を聞き逃さなかった。
ニナリスも記録している。
「三番、遅れたな」
「はい」
「ティリカは?」
「ファティマ側から停止線確認を二度送信しています」
「良いファティマだ」
「はい」
前方の丘陵を越えた瞬間、敵影が見えた。
敵GTM四騎。
補給中継線を守るには少ない。
少なすぎる。
「見えたな」
ジィッドは呟いた。
「餌ですね」
ニナリスが即座に返す。
「ああ。餌だ」
敵四騎は、こちらを見て下がり始めた。
崩走ではない。
整った後退。
追えば、ちょうど気持ちよく届く距離を保っている。
若い騎士なら、追いたくなる。
『一番騎、敵四騎確認。後退中』
『二番騎、敵後退。こちら停止線接近』
『三番騎、敵、届きます。今なら――』
「三番、停止線」
ジィッドは短く言った。
『……了解』
三騎は停止線へ到達した。
一番騎、止まる。
二番騎、止まる。
三番騎、止まった。
だが、カーバーゲンの右足が、ほんのわずかに線を越えかけていた。
ティリカが制御を戻したのが分かった。
ジィッドは目を細める。
「三番、足を戻せ」
『戻します』
ラドの声は硬い。
カーバーゲンが一歩下がる。
止まった。
ジィッドは、そこで攻撃命令を出さない。
若い騎士たちの呼吸が、通信越しにも伝わるようだった。
敵がいる。
届く。
下がっている。
追えば一騎、食えるかもしれない。
だが、命令はない。
「一番騎、敵の退路」
『北西。だが、道が細いです。誘導路に見えます』
「二番騎、敵後方反応」
『丘の裏に熱源。数、読めません。補給車両か、予備戦力か不明』
「三番騎」
『はい』
「何が見える」
少し間があった。
『敵四騎が……逃げています』
「違う」
ジィッドの声は冷えた。
「見えているものではなく、見るべきものを言え」
ラドが黙る。
ファティマのティリカの声が、通信に小さく混じった。
『マスター。右後方熱源。低出力待機。二騎以上』
ラドが息を呑む。
『……右後方、低出力待機。二騎以上。敵四騎は誘導役の可能性あり』
「よし」
ジィッドは短く返した。
「全騎、停止維持。随伴観測、右後方熱源を再確認」
その瞬間だった。
敵四騎のうち、一騎がわざとらしく姿勢を崩した。
膝をつく。
装甲が開く。
まるで整備不良のように。
若い騎士なら、こう思う。
今なら取れる。
三番騎、ラドのカーバーゲンが反応した。
ほんのわずかに前へ出る。
「三番、止まれ」
『止まってます!』
声が荒い。
「止まれていない」
『敵が崩れました! 今なら――』
「止まれ」
『一騎だけです!』
「三番、停止」
『ここで逃したら――!』
カーバーゲンが踏み出した。
停止線を越えた。
ティリカの声が鋭くなる。
『マスター、停止命令違反。右後方熱源増大。戻ってください』
『分かってる! 一撃だけだ!』
ジィッドは目を閉じなかった。
冷静に見た。
ラドは暴走した。
喜んで突撃したわけではない。
恐怖を知らないわけでもない。
ただ、自分を証明したかった。
ファティマに選ばれた。
カーバーゲンを貸与された。
隊長に見られている。
敵が目の前で崩れた。
今なら一騎落とせる。
その全部が、彼を線の向こうへ押し出した。
「三番、停止命令違反」
ジィッドは短く告げた。
「一番、二番、追うな。停止維持」
『しかし隊長、三番が!』
「追うな」
声を荒げない。
だが、絶対に動かさない。
「追えば二騎目、三騎目が出る。お前たちも同じ穴に落ちる」
一番騎と二番騎は、止まった。
止まれた。
その瞬間、敵の罠が開いた。
右後方の丘から、低出力待機していたGTM二騎が立ち上がる。
さらに補給車両に偽装していた砲撃機が一基。
ラドのカーバーゲンは、崩れた敵騎へ刃を伸ばしたところで、横腹を狙われた。
『マスター、右!』
『くそっ――!』
ティリカが機体を滑らせる。
直撃は避けた。
だが、右肩部に砲撃がかすめ、カーバーゲンが大きく揺れる。
ラドが立て直そうとする。
焦る。
さらに前へ出る。
悪い癖だった。
崩れた敵騎が、突然、立ち上がった。
故障などしていない。
誘いだ。
三方から刃が来る。
「バギィ少将」
『分かってる』
バギィの声が、低く入った。
次の瞬間、後方から黒騎士団副団長の部隊が走った。
速い。
派手ではない。
だが、間に合う速さだった。
バギィのGTMが、ラドのカーバーゲンの前へ割り込む。
敵の一撃を受け流し、もう一騎の膝を叩く。
砲撃機の射線には、自分の部下を入れず、地形で切る。
『馬鹿野郎が!』
通信越しに、怒鳴り声が響いた。
『止まれと言われたら止まれ! ファティマに止められてなお踏む奴が、GTMを預かるな!』
ラドは何も言えない。
ティリカが必死に機体を戻す。
『マスター、後退。後退してください』
『……っ、後退する!』
ようやく、ラドが戻る判断をした。
だが遅い。
敵の一騎が、後退するカーバーゲンの脚を狙う。
ジィッドは、そこで初めてデムザンバラを動かした。
「ニナリス、低中域。ピーク警告領域には入れない」
「承知。デムザンバラ、限定出力」
白い騎体が動く。
低く、太い駆動音。
剣聖の音ではない。
だが、戦場の空気が変わるには十分だった。
デムザンバラは前に出すぎない。
ラドを助けるために突撃するのではなく、敵の追撃線を切る位置へ入る。
ジィッドは敵を落としに行かない。
道を塞ぐ。
敵騎が一瞬、白い騎体を見る。
その一瞬で、ラドのカーバーゲンが撤退線へ滑り込んだ。
「二番騎、煙幕。随伴観測、負傷確認。ラドを回収線へ」
『了解!』
「一番騎、まだ追うな。敵の反応を見ろ」
『了解。敵、追撃停止。右後方へ再展開』
「よし。全騎、停止維持。攻撃許可なし」
若い騎士たちは止まっていた。
今度は、はっきりと。
目の前で見たからだ。
止まれなかった一騎が、どれほど簡単に罠へ入ったか。
ファティマが警告しても、騎士が踏めば、機体は前へ出る。
その先に待っているのは、戦果ではなく死だった。
バギィの隊が敵を押し返す。
デムザンバラは中央で線を作る。
若い騎士たちは、停止線で止まり続ける。
それが、今回の勝利条件だった。
十分後。
敵補給中継線は、黒騎士隊の別働隊によって側面から圧迫され、守備隊は後退した。
銀月騎士団は、敵前停止線を維持したまま、撤退路と敵予備戦力の位置を報告し続けた。
その情報に基づいて、バギィ隊が敵の反撃を押さえ、黒騎士隊が中継物資を焼いた。
派手な突撃ではなかった。
だが、作戦は成功した。
損耗。
ラドのカーバーゲン、右肩部中破。
脚部軽微損傷。
ファティマ・ティリカ、制御負荷過大。要休養。
ラド本人、軽傷。精神負荷大。
死者なし。
ジィッドは、その数字を見てしばらく黙った。
死者なし。
それでも、胸の奥は重かった。
もしバギィが遅れていたら。
もしティリカが滑らせなかったら。
もしデムザンバラを出すのが一拍遅れたら。
三分の二どころか、あの一騎は確実に死んでいた。
作戦後、銀月騎士団の野戦陣地。
ラドは、泥まみれのまま立っていた。
隣にはティリカ。
表情は静かだが、明らかに疲弊している。
その前に、ジィッドが立つ。
さらに横には、バギィ・ブーフ少将。
若い騎士たちも集められていた。
誰も喋らない。
ジィッドは、まずティリカへ頭を下げた。
「ティリカ。よく戻してくれた」
ティリカは静かに礼を返す。
「マスターを生還させることが役目です」
「それでも、だ」
ジィッドは次にラドを見る。
「停止線違反。命令無視。ファティマの警告無視。貸与機中破。ファティマに過大負荷」
ラドは唇を噛んだ。
「……はい」
「何か言うことは」
「敵を落とせると思いました」
「落とせたか」
「いいえ」
「何を落とした」
ラドは答えられなかった。
ジィッドは続けた。
「お前は敵を落とさず、カーバーゲンの右肩を落とし、ティリカの負荷を上げ、バギィ少将の隊を動かし、デムザンバラを中央予備から引き出した」
ラドの顔が歪む。
「はい」
「貸与したカーバーゲンは回収する」
場が、静かに凍った。
ラドは目を見開く。
「……はい」
「次の出撃から降りろ。再教育。停止訓練からやり直し。ティリカについては、本人と調整役の判断を仰ぐ。お前の側から関係継続を当然と思うな」
その言葉が、一番効いた。
ラドの顔から血の気が引く。
カーバーゲンを失うことより重い。
ファティマに選ばれた事実を、自分の行動で傷つけた。
ジィッドは容赦しない。
「分かったか」
「……はい」
「声が小さい」
「はい!」
その時、バギィが一歩前に出た。
ラドの前に立つ。
見下ろす。
「お前な」
「はい」
「死にかけたことより、ティリカの警告を無視したことを恥じろ」
ラドは硬直した。
「騎士が死ぬのは勝手だ。勝手じゃねえが、戦場ならある。だが、ファティマに止められてなお踏んで、そいつに後始末をさせるのは下手糞だ」
「……はい」
「GTMに乗るなとは言わん。だが、今は乗るな。お前は熱いんじゃない。雑だ」
ラドは、何も言えなかった。
若い騎士たちの顔にも、その言葉が刺さっていた。
熱いのではない。
雑。
バギィは続ける。
「止まれるようになってから戻ってこい。戻れなきゃ、一生後ろで見てろ」
「はい!」
ラドは、涙をこらえたような顔で答えた。
ジィッドは、次に一番騎と二番騎を見た。
「ユアン。セム」
「はい」
「お前たちは止まった」
二人の顔が強張る。
「三番が踏み越えた時、追わなかった。敵が見えても止まった。報告を続けた」
「……はい」
「よくやった」
その一言に、二人は息を呑んだ。
「敵を落としていないのに、ですか」
「落としていなくてもだ」
ジィッドは言った。
「今日の任務は、止まることだった。情報を持ち帰ることだった。お前たちは、それをやった」
ニナリスが端末に記録する。
「一番騎、二番騎、停止線遵守。ファティマ側制御負荷安定。報告精度良好」
「記録しておけ」
「はい」
ジィッドは若い騎士たち全体を見渡した。
「これが戦場だ」
誰も喋らない。
「敵は、落とせそうな顔をして落とされに来る。崩れたふりをする。逃げたふりをする。お前たちの欲しい戦果の形をして、罠に立つ」
ジィッドの声は静かだった。
「止まれなければ死ぬ。ファティマを巻き込む。機体を失う。部隊を崩す。今日、それを見たな」
若い騎士たちは頷いた。
誰も軽口を叩かなかった。
「だが、お前たちは前に出た。敵の前まで出た。見た。報告した。止まった者もいる。戻った者もいる。死者はいない」
そこで、ジィッドは少しだけ息を吐いた。
「今日の作戦は成功だ」
ようやく、場の空気が動いた。
成功。
派手ではない。
だが、成功。
その意味を、若い騎士たちは今ようやく理解し始めていた。
デコーズは、少し離れた指揮車の陰からそれを見ていた。
隣にいた黒騎士隊の兵が、小声で言う。
「黒騎士殿、よろしいのですか」
「何が」
「お声をかけなくて」
「いらねえよ」
デコーズは笑った。
「今は、ジィッド君の戦場だ」
そして、少しだけ目を細めた。
「なかなか嫌な隊長になってきたじゃねえか」
口調は軽かった。
だが、目は笑っていなかった。
野戦陣地では、ラドのカーバーゲン回収手続きが始まっていた。
整備班長が、右肩部の損傷を見てため息をつく。
「良い機体なのに、痛め方が雑です」
ラドが小さくなる。
「すみません」
「謝る相手は私だけじゃありません」
ラドはティリカを見る。
ティリカは静かに立っている。
「ティリカ」
「はい」
「……すまなかった」
ティリカは少しだけ目を伏せた。
「マスターが生還したことは、良い結果です」
「でも」
「ですが、次は止まってください」
ラドは、拳を握りしめた。
「はい」
そのやり取りを、若い騎士たちは見ていた。
ファティマを娶るということ。
GTMを預かるということ。
前へ出るということ。
その意味が、夜食の軽口とは違う重さで、彼らの腹に落ちていく。
ジィッドは、少し離れた場所でニナリスに言った。
「死者なし」
「はい」
「一騎中破」
「はい」
「ファティマ一名、過負荷」
「はい」
「……高い授業料だな」
「ですが、三分の二は死にませんでした」
ジィッドは、目を閉じた。
「ああ」
「ジィッド様の判断は、現時点では妥当です」
「現時点では、か」
「はい。継続評価が必要です」
ジィッドは苦笑した。
「だろうな」
遠くで、ラドがバギィにもう一度怒鳴られていた。
若い騎士たちは、その声を聞きながら背筋を伸ばしている。
敵前停止線。
彼らはそこに立った。
一人は越えた。
機体を失った。
ファティマに負荷をかけた。
だが、生きて戻った。
他の者は止まった。
敵を落とさなかった。
だが、情報を持ち帰った。
ジィッドは、デムザンバラを見上げた。
白い騎体は、静かに立っている。
踏んではいけない道。
消してはいけない道。
細く残し、逃がす道。
機体も、部隊も、同じだった。
「次は、もう少し上手く冷やす」
「はい」
「ラドも戻せるなら戻したい」
「条件が必要です」
「分かってる」
ジィッドは、遠くで肩を落としている若い騎士を見た。
「止まれるようになってからだ」
ニナリスは端末へ入力した。
「ラド・ベイカー。再教育項目。停止命令遵守。ファティマ警告への即時反応。戦果欲求抑制。貸与機再審査」
「厳しいな」
「必要です」
「そうだな」
ジィッドは頷いた。
戦場で冷やす。
その意味を、彼自身もようやく飲み込んでいた。
血気は消えない。
消してはいけない。
だが、止まれなければ死ぬ。
その当たり前のことを、死者なしで教えられたのなら、今日はまだ勝ちだった。
ジィッドは、若い騎士たちへ向き直る。
「各員、記録をまとめろ。今日見たものを全部書け。敵の動き、自分の呼吸、ファティマの警告、止まれた理由、止まれなかった理由」
声が返る。
「了解!」
今度の声は、少し低かった。
少し重かった。
それでいい。
銀月騎士団は、派手な突撃ではなく、敵前停止から始まった。
そしてその日、若い騎士たちは初めて知った。
GTMに乗るということは、前に出ることだけではない。
止まることもまた、戦場で生きるための技量なのだと。