銀月騎士団、野戦陣地・休憩区画
ノウラン市占領後
教育戦闘は成功した。
死者なし。
カーバーゲン一騎中破。
ファティマ一名、過負荷。
停止線違反者一名。
停止線遵守者二名。
銀月騎士団の若手たちは、敵前で止まることの重さを知った。
少なくとも、そのはずだった。
だが、戦場の教育成果など、メディアには載らない。
ノウラン市での小規模な補給中継線制圧など、記事の片隅だった。
代わりに紙面を埋めるのは、ベラとナカカラのニュースだった。
/*/
ベラ戦線、枢軸軍圧力強まる
ナカカラ方面、クリスティン・Vの機動戦が戦局を動かす
今期最大のエース、クリスティン・V――若き騎士の時代へ
/*/
クリスティン・V。
今期最大のエース。
戦線を動かす若き騎士。
ベラとナカカラで戦場の華をさらう存在。
銀月騎士団の若い騎士たちは、それを読んで、また熱を上げた。
「ベラなんてヌルい戦線だろ」
「俺たちなら一日で落とせる」
「ナカカラで少し派手に動いたくらいで今期最大のエースって、メディアは見てるところが浅いんだよ」
「ノウランの停止線の方が、よっぽどきつかっただろ」
「いや、停止線は地味すぎて記事にならないんだよ」
「だから派手に戦わせてくれって話だろ!」
まただ。
ジィッドは少し離れた場所で、その声を聞いていた。
隣にはニナリス。
手元の端末には、若手騎士たちの発言傾向と任務評価が並んでいる。
「熱が戻っています」
「見れば分かる」
「停止線教育の効果は残っていますが、外部評価への不満で再加熱しています」
「メディアは冷却水にはならないな」
「はい。むしろ加熱要因です」
ジィッドはため息を吐いた。
教育戦闘で一度は冷えた。
ラドの失敗を見て、全員が止まる意味を理解した。
だが、人間は忘れる。
特に若い騎士は、すぐに熱を戻す。
敵前停止の重さより、紙面の見出しの方が派手に見える。
死者なしの成功より、クリスティン・Vの活躍の方が眩しく見える。
それは自然なことだった。
自然だからこそ、危ない。
「デコーズ隊長に話を通す」
「ベラ戦線ですか」
「ああ」
「銀月騎士団の同行を要請するのですね」
「そうだ」
ニナリスは端末に記録した。
「目的は」
「ガス抜きと経験値の獲得。ただし、主攻ではなく、制御された前線経験」
「適切です」
「問題は、デコーズ隊長が嫌がることだな」
「同盟軍との関係ですね」
「たぶん、そこを突かれる」
「はい」
ニナリスは静かに頷いた。
「ですが、行くべきです」
ジィッドは少しだけ彼女を見た。
「君がそう言うのか」
「はい」
「理由は」
「このままでは、銀月騎士団の若手は“教育された死に役”になります」
手厳しかった。
だが、正しかった。
ジィッドは苦笑した。
「俺より言い方がきついな」
「事実です」
「そうだな」
ジィッドは端末を閉じた。
「行こう」
/*/ 黒騎士隊臨時指揮所 ベラ戦線参加要請 /*/
デコーズ・ワイズメルは、ジィッドの話を聞き終える前から、面倒くさそうな顔をしていた。
机にはベラ方面の戦況図。
ナカカラの報告。
同盟各部隊の配置。
補給線。
そして、メディアに流すための戦果整理。
戦争は戦場だけでは進まない。
誰がどこで勝ったことにするか。
誰に花を持たせるか。
どの同盟軍に戦功を配るか。
そういう泥臭い調整も、戦争だった。
「で?」
デコーズは椅子にだらしなく座ったまま、ジィッドを見る。
「銀月をベラに連れていけって?」
「はい」
「やだね」
即答だった。
ジィッドは予想していたので、表情を変えなかった。
「理由を伺っても」
「分かってて聞いてるだろ、お前さん」
デコーズは軽く笑った。
「ベラで戦いたいと言う同盟軍も多い。あそこは見栄えがいい。戦果が記事になる。旗を立てれば分かりやすい。クリスティン・Vちゃんも持ち上げられてる。そんなところへ、ボクたちが出る」
彼は指で机を叩いた。
「どうなる?」
「良いところばかり取るな、と突き上げを食らいます」
「そういうこと」
デコーズは笑っている。
だが、目は笑っていない。
「黒騎士隊と銀月が出れば、戦場は動く。動いたら記事になる。記事になったら、同盟軍の連中は面白くねえ。こんなことで同盟の士気を落とすのはごめんだ」
「理解しています」
「なら帰れ」
「ですが、要請します」
デコーズの目が細くなる。
「へえ」
ジィッドは姿勢を正した。
「適度に前線に出してガス抜きしつつ、経験を積ませないと、銀月の若手は血気盛んな死に役のままです。成長しません」
その言葉で、指揮所の空気が少し変わった。
傍らにいたバギィ・ブーフ少将が、報告書から顔を上げる。
「死に役、か」
「はい」
ジィッドは逃げなかった。
「停止線教育は効きました。ラドの件も、全員見ています。ですが、メディアはベラとナカカラばかりです。クリスティン・Vが今期最大のエースとして持ち上げられている。若手はまた熱を上げています」
「ベラなんてヌルい、自分たちなら一日で落とす、か」
バギィが言う。
「はい」
「若いな」
「若いです」
「馬鹿だな」
「馬鹿です」
「だが、騎士はそういうところがないと前に出ない」
「はい」
ジィッドは頷いた。
「だから、消すつもりはありません。ですが、このまま放置すると、次の偵察哨戒か小競り合いで余計なことをします。止まれた者まで、メディアの熱でまた踏み込みます」
デコーズは、くつりと笑った。
「お前さん、部下のことをずいぶん信用してねえな」
「信用したいから、前線に出します」
「言うようになったじゃねえか」
「デコーズ隊長の下にいますので」
「ボクちゃんのせいにするな」
バギィが低く言った。
「ジィッド。ベラに出して、どうするつもりだ」
「主攻は取りません」
即答だった。
「同盟軍の戦功を奪わない。メディアに映る場所も取らない。銀月に欲しいのは、ベラの良いところではありません」
「では何だ」
「悪いところです」
デコーズの笑みが少し深くなった。
「悪いところ?」
「はい」
ジィッドは戦況図へ指を伸ばした。
「ベラ正面ではなく、側面の湿地帯。補給路の細い場所。撤退線の管理。敵の予備戦力が出入りする谷筋。見栄えは悪いが、崩れると戦線全体が乱れる場所です」
バギィが図面を覗き込む。
「こっちか」
「はい」
「きっついぜ。足場が悪い。見通しも悪い。敵を落としても記事にならん」
「だから良いのです」
ジィッドは言った。
「若手には、ベラはヌルいと言わせておきます。実際に連れていくのは、ベラのヌルくない場所です。派手な旗取りではなく、泥と撤退線と補給路の戦場を見せます」
デコーズは喉の奥で笑った。
「性格悪いねえ」
「必要です」
「ニナリスみたいな逃げ方しやがる」
「便利なので」
「開き直ったな」
バギィは腕を組み、少し考え込んだ。
「同盟軍への説明はどうする」
「銀月は主攻ではなく、後方安全化および側面警戒。表向きは同盟軍主攻の支援です」
「戦果を持っていかない?」
「はい。敵主力撃破や拠点制圧は同盟軍の手柄にします。銀月は撤退路確保、敵予備戦力の捕捉、補給線保護、負傷機の回収。記事にならない仕事を引き受けます」
「若手は文句を言うぞ」
「言わせます」
ジィッドは答えた。
「そのうえで、現場に出します。文句を言いながらでも、足場の悪い場所で止まれるか。撤退中の味方を見捨てずに線を保てるか。敵を落とすより、味方を帰すことを優先できるか。そこを見ます」
デコーズが指先で机を叩いた。
「お前さん、本当に銀月を華々しく使う気はないんだな」
「あります」
「ほう」
「ただし、華々しく死なせる気はありません」
短い沈黙。
バギィが小さく息を吐いた。
「……いい答えだ」
「評価と受け取ります」
「褒めてはいない」
「はい」
デコーズは笑った。
「で、ジィッド君。若造どもに何て言う?」
「ベラに行くと言います」
「喜ぶだろうな」
「はい」
「そのあと?」
「ベラの側面、湿地帯、撤退路、補給線を担当すると言います」
「荒れるな」
「荒れます」
「その荒れた熱はどうする」
「現場で冷やします」
ジィッドの声は静かだった。
「敵前停止線の次は、味方撤退線です。前に出るためではなく、味方が下がるために止まる。自分が戦果を取るためではなく、他部隊の戦功を成立させるために泥を被る」
バギィが目を細めた。
「若手にはきついな」
「はい」
「だが、そこを通らないと死に役のままだ」
「はい」
デコーズは戦況図を見たまま、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言った。
「ボクたちがベラの良いところを取るのはまずい」
「はい」
「同盟軍の士気を落とすのはごめんだ」
「はい」
「だが、ベラの悪いところなら、誰も欲しがらねえ」
「はい」
デコーズは顔を上げた。
「銀月にくれてやる」
ジィッドは敬礼した。
「ありがとうございます」
「礼はいい。文句を言う若造どもを黙らせろ」
「黙らせるのではなく、納得させます」
「面倒くせえな」
「納得していない騎士は、戦場で勝手に踏み込みます」
「それもそうだ」
デコーズは、嫌そうに笑った。
「バギィ」
「何だ」
「お前も行け」
「だと思ったぜ」
バギィはため息を吐いた。
「俺はまた後詰めか」
「そうだ。銀月の若造どもが泥で転んだら拾え」
「きっついぜ、本当に」
「いいじゃねえか。お前さん、そういう地味で嫌な仕事が似合う」
「褒めてねえだろ」
「評価だよ」
「気持ち悪い」
ジィッドは、そのやり取りを黙って聞いていた。
バギィが同行するなら、銀月の生存率は上がる。
同時に、若手たちは見られる。
止まれるか。
戻れるか。
ファティマを守れるか。
カーバーゲンを雑に扱わないか。
味方の撤退線で、自分の戦果欲求を殺せるか。
ベラで、それを学ばせる。
「ジィッド」
デコーズが呼んだ。
「はい」
「お前さんも出るのか」
「中央予備です」
「またか」
「俺とデムザンバラが前に出ると、若手が熱を上げます」
「白い餌みたいなもんだな」
「否定しません」
「じゃあ、いつ出る」
「撤退線が切れた時。味方が孤立した時。あるいは、若手が止まれずに死にそうになった時です」
デコーズは笑った。
「つまり、最悪の時だ」
「はい」
「いいねえ。剣聖騎の成れの果てが、撤退線の穴埋めか」
「デムザンバラです」
ジィッドは静かに訂正した。
「シュペルターではありません」
「分かってるよ」
デコーズは満足げに目を細めた。
「その鈍い刃で、銀月の若造どもを帰してこい」
「承知しました」
バギィが言った。
「ジィッド」
「はい」
「ベラをヌルいと言った奴らに、最初に泥を踏ませろ」
「はい」
「泥で滑ってからが本番だ。そこで怒鳴るのは俺がやる」
「お願いします」
「礼はいらん。仕事だ」
ジィッドは深く頷いた。
/*/ 銀月騎士団陣地 ベラ行きの通達 /*/
ジィッドが戻ると、若手たちはすぐに集まった。
彼らはもう、半分分かっていた。
隊長がデコーズのところへ行った。
ベラ戦線の話が出ている。
メディアはクリスティン・Vを持ち上げている。
銀月も、ついに大きな戦場へ出るのではないか。
期待で、目が熱い。
ジィッドは、その熱を見て言った。
「ベラへ行く」
歓声が上がった。
「よし!」
「ついに!」
「ベラ戦線!」
「見てろよ、メディア!」
「一日で――」
「ただし」
ジィッドの一言で、歓声が止まった。
「銀月が受け持つのは、正面ではない」
若手たちの顔に、疑問が浮かぶ。
「ベラ正面の主攻は同盟軍に任せる。戦功も、見出しも、旗も、そこが取る」
「え」
「じゃあ、俺たちは」
「側面の湿地帯。補給線。撤退路。敵予備戦力の出入り口。そこを押さえる」
沈黙。
そして、不満が噴き出した。
「それ、地味じゃないですか!」
「ベラに行くのに撤退路ですか!」
「正面に出してもらえないんですか!」
「俺たち、また裏方ですか!」
ジィッドは聞いていた。
叱らない。
言わせる。
全部、出させる。
そして、言った。
「そうだ。裏方だ」
若手たちが黙る。
「だが、裏方が崩れたら、正面で勝った味方が帰れない。補給線が切れれば、華々しい戦功も続かない。撤退路が潰れれば、勝ち戦が死体の山になる」
彼は、彼らを見渡した。
「ベラがヌルいと言ったな」
何人かが顔を強張らせる。
「なら、ベラのヌルくないところを見せてやる」
声が低くなる。
「泥だ。補給だ。撤退だ。味方の壊れた機体を引きずって帰る道だ。敵を落としても記事にならない場所だ。そこで止まれ。そこで帰せ。そこで、他部隊の勝ちを成立させろ」
若手たちは、少しずつ表情を変えた。
不満はまだある。
だが、話の意味は分かり始めている。
「カーバーゲン貸与者は、正面突破ではなく側面哨戒。ファティマとの連携を崩すな。停止線、撤退線、補給線の三つを覚えろ」
ニナリスが端末を開く。
「各騎、任務区分を配布します」
整備班長が続ける。
「湿地帯です。足回りの点検を増やします。泥を舐めてる奴は機体を痛めます。痛めたら私が怒ります」
若手の一人が、悔しそうに言った。
「でも、隊長。俺たちは戦果を――」
「戦果は取れる」
ジィッドは遮った。
「ただし、敵を落とすだけが戦果ではない。味方を帰す。補給を通す。敵の予備を縛る。撤退線を守る。それも戦果だ」
「記事にはなりません」
「そうだな」
「悔しくないんですか」
「悔しい」
ジィッドは即答した。
「だが、記事に載るために死なせるよりはいい」
若手は黙った。
ジィッドは少しだけ声を緩める。
「お前たちが前に出たいのは知っている。だからベラへ連れていく。だが、正面の花道ではない。泥の側面だ」
彼は言った。
「そこで働けた者だけが、次に正面を語れ」
沈黙。
やがて、一人が小さく言った。
「……やります」
別の一人が続く。
「ベラの泥、踏んでやります」
「撤退路、守ります」
「補給線、通します」
熱が変わった。
突撃の熱から、まだ不器用だが任務の熱へ。
ジィッドは頷いた。
「よし」
ニナリスが静かに記録する。
「銀月騎士団、ベラ側面任務受領。若手騎士の熱量、再方向付け成功」
「成功かどうかはまだ分からない」
「はい。継続評価が必要です」
「だろうな」
ジィッドは、遠くのデムザンバラを見た。
白い騎体は静かに立っている。
ベラの正面ではない。
泥の側面。
撤退線。
補給線。
敵の予備。
見出しにならない戦場。
そこへ、銀月を連れていく。
若い騎士たちを冷やし、鍛え、死に役ではなく部隊にするために。
「出発準備」
ジィッドが言った。
「ベラへ行くぞ」
今度の返事は、少し低かった。
少し重かった。
それでいい。
「了解!」