ベラ方面作戦前
辺境の小競り合い。
最初は、そういう扱いだった。
だが、作戦図に並んだ駒は、もはや小競り合いの数ではなかった。
同盟軍、二百七十九騎。
中央第一軍には、ロッゾ帝国ヴーグラ騎士団のグロアッシュ二十六騎。
帝国近衛騎士団バヤデルカ五十騎。
その指揮に、ヴーグラ騎士団天位騎士、グレース・スドール将軍。
南部第二集団には、ウモス軍青銅騎士団。
青騎士X-9十二騎。
X-8七十二騎。
中央には、ウモス旗騎GTM・X-4型と、ベルミ・クローゼ総騎士団長。
ウモス軍後方に、バッハトマ軍、銀月騎士団。
デムザンバラ。
カーバーゲン十九騎。
その両翼には、ハプハミトンとドレンノ連邦のGTM三十六騎。
北部第四集団には、ガマッシャーン軍レイスル騎士団。
エクペラハ二十四騎。
スイセン三十六騎。
そして、ナイト・キラー、シュバイサー・ドラグーン卿。
豪華だった。
豪華すぎた。
旗が多い。
騎士が多い。
欲が多い。
誰もが、ベラで戦功を欲しがっている。
作戦図の前で、デコーズ・ワイズメルは笑っていた。
「二百七十九騎ねえ。辺境の小競り合いって言葉、便利だよなあ」
口調は軽い。
だが、目は笑っていない。
「これで小競り合いなら、星団大戦は町内会の喧嘩かよ」
バギィ・ブーフ少将は腕を組み、作戦図を睨んでいた。
「多すぎる」
「だよなあ」
「各国が戦功を欲しがってる。ベラは見栄えがいい。旗を立てれば記事になる。だから集まった」
「で、ボクたちが中央を抜いて良いところだけ取ったら?」
「同盟軍の士気が落ちる」
「そういうこと」
デコーズは机を指で叩いた。
「ベラで戦いたいって同盟軍は多い。正面を押したい。旗を立てたい。戦功が欲しい。そこへバッハトマが出て、良いところだけ持っていったら、あとで突き上げを喰う。そんな面倒はごめんだ」
ジィッドは黙って作戦図を見ていた。
銀月騎士団の配置は、ウモス軍後方。
デムザンバラとカーバーゲン十九騎。
戦力としては十分だ。
だが、この大軍の中では、使い方を間違えた瞬間に火種になる。
「黒騎士殿」
ジィッドが言った。
「原案にあった中央突破は、採用しない方がよいと思います」
デコーズの口角が上がる。
「へえ。理由は?」
「バッハトマが良いところを取りすぎます」
ジィッドは即答した。
「広域ジャミングで乱戦化し、中央が薄くなったところを突く。銀月騎士団を吶喊させ、防衛の大将首を狙う。その形は、成功しても失敗しても厄介です」
「成功しても?」
「はい」
ジィッドは中央の駒を指した。
「成功すれば、バッハトマが主戦果を取ったように見えます。ロッゾ、ウモス、ガマッシャーン、ハプハミトン、ドレンノ連邦が集まっている場で、それをやれば同盟内の不満が出ます」
「失敗すれば?」
「銀月騎士団が突出して損耗します。ジャミング下での吶喊は、若手には危険すぎます。味方識別、撤退線、各国部隊の動き、その全部を越えて中央へ行くことになります」
バギィが低く言った。
「若い奴らなら喜んで行くだろうな」
「はい」
「そして戻れなくなる」
「はい」
ジィッドは否定しなかった。
「銀月の若手は、まだ前へ出たい熱が強い。ファティマを娶り、カーバーゲンを貸与され、自分も戦場で証明したいと思っています。そこへ大将首狙いの道を見せれば、止まりません」
バギィは鼻を鳴らした。
「そのうえ、相手がゆるいわけでもねえ」
その声に、作戦室の空気が少し重くなった。
バギィは作戦図のベラ側、ツラック隊の配置に目を落とした。
「この会戦のために、我が軍も連合も、かなりの数の忍者や工作員をツラック隊に送った」
誰も口を挟まない。
「が……誰一人戻っちゃ来ねぇ」
バギィは低く言った。
「全然ゆるくねぇ相手だぜ」
ジィッドは頷いた。
「正面、大将首は同盟のどこかに押し付けるべきですね」
デコーズが、くつりと笑う。
「押し付ける、か。いい言い方じゃねえか」
「ツラック隊がAP騎士団最弱の部隊なんて、冗談でしょう」
ジィッドの声は静かだった。
「この大戦で最も鉄火場を潜った歴戦の古強者です。隊の格や看板だけで見れば軽く見えるのかもしれませんが、実際に相対している時間と密度が違う」
バギィが頷いた。
「そうだ。ああいう部隊は、表の評価より現場で強い。油断した奴から喰われる」
「はい」
ジィッドは続ける。
「だから、銀月に大将首狙いはさせません。ツラック隊を正面から抜く役も取りません。そこは同盟軍のどこかにやってもらうべきです。戦功が欲しい部隊は多い。なら、正面の名誉はそちらへ渡す」
「で、銀月は?」
デコーズが聞く。
「機動予備です」
「また予備かよ」
「はい」
ジィッドは動じなかった。
「ただの予備ではありません。ジャミング下で、同盟軍の識別線と撤退線を支える部隊にします」
ニナリスが端末を操作し、銀月騎士団の任務案を表示した。
一、銀月騎士団は中央突破に参加しない。
二、デムザンバラは中央後方に置き、識別線と帰還線の錨とする。
三、カーバーゲン十九騎は、連絡、救援、孤立騎回収、敵予備戦力の捕捉に回す。
四、若手騎士の評価基準は撃破数ではなく、帰還者数、救援数、情報持ち帰り、撤退線維持、ファティマ保護、機体損耗抑制とする。
五、正面大将首狙いの独断突撃は禁止。
六、命令系統が混乱した場合、銀月は前進ではなく帰還路確保を優先する。
バギィがうなった。
「地味だな」
「はい」
「だが、この数なら必要だ」
「はい」
デコーズは笑った。
「若造ども、また荒れるぜ。ベラまで来て撤退線かよ、ってな」
「荒れます」
「どうする?」
「ベラの泥で冷やします」
ジィッドは言った。
「正面の旗ではなく、側面、湿地帯、補給路、撤退路。敵予備が出入りする谷筋。見栄えは悪いが、崩れると戦線全体が乱れる場所です」
バギィが作戦図の側面を見た。
「きっついぜ。足場は悪い。視界も悪い。戦果は見えにくい。味方は文句を言う。敵は嫌な場所から出る」
「だから、銀月に必要です」
ジィッドは答えた。
「彼らは“ベラなんてヌルい”と言っています。なら、ベラのヌルくない場所を見せます」
デコーズが楽しそうに目を細める。
「性格悪くなったな、ジィッド君」
「黒騎士殿の下にいますので」
「ボクちゃんのせいにするな」
「影響はあります」
「否定しづらいじゃねえか」
バギィは鼻を鳴らした。
「方針は分かった。銀月は中央突破ではなく、機動予備。ジャミングは限定的に使う。敵の観測と長距離連絡は切るが、味方識別を壊すほど広げない」
「はい」
「同盟軍にはどう説明する」
「銀月は主攻を取らない。ベラ正面の戦功は中央第一軍と南部第二集団に譲る。バッハトマは側面支援、撤退路確保、孤立騎回収、敵予備の捕捉を担当する、と」
デコーズは満足げに頷いた。
「良いところは取らない。悪いところを引き受ける。そう言えば同盟軍も文句は言いづらい」
「はい」
「ただし、悪いところを押し付けられた、と言われる可能性はある」
「銀月の訓練には適しています」
「そこまで言うか」
「軍務ですので」
デコーズが笑った。
「便利に使うようになったなあ、その言葉」
ジィッドは頭を下げた。
「便利なので」
バギィは、作戦図をしばらく見ていた。
そして、低く言った。
「俺も行く」
ジィッドが顔を上げる。
「少将が?」
「お前の若い連中を見張る。泥で滑った奴を拾う。止まらなかった奴を怒鳴る。それに、ツラック隊相手なら古株の目が要る」
「助かります」
「礼はいらん。仕事だ」
デコーズは、そこで椅子から少し身を起こした。
「いいか、バギィ」
口調が変わった。
軽薄さは残っている。
だが、芯が低い。
「落とせそうで落とせない戦場に拘った奴らは、皆痛い目にあってる」
バギィは黙って聞いていた。
「ベラはそういう臭いがする。押せそうに見える。取れそうに見える。旗を立てられそうに見える。だから、みんな寄ってくる」
デコーズは、作戦図の中央を指で叩いた。
「ヤバイと思ったら軍を引け」
ジィッドは息を止めた。
それは、軽い命令ではなかった。
バギィも、わずかに目を細める。
「俺の判断で、か」
「そうだ」
デコーズは笑った。
「お前は数々の戦場で生き延びてきた。そのカンを信じろ」
バギィは何も言わない。
「撤退の責任はボクが取ってやる」
作戦室が静まり返った。
デコーズ・ワイズメルが、責任を取ると言った。
冗談ではなかった。
バギィはしばらく黙っていた。
そして、短く答えた。
「分かった」
「おう」
「ヤバイと思ったら引く」
「そうしろ」
「同盟軍が文句を言っても?」
「ボクに言わせろ」
「中央がまだ押せると言っても?」
「ボクに言わせろ」
「銀月の若造どもが不満を言っても?」
「それはお前が怒鳴れ」
バギィは少しだけ笑った。
「そこは俺か」
「そこはお前だ」
デコーズも笑う。
ジィッドは、そのやり取りを見ながら理解していた。
デコーズはベラには来ない。
だが、戦場の責任線だけは引いた。
バギィに撤退権限を渡し、その責任を自分が担保した。
それは、銀月にとって大きい。
ジィッド一人では、若手を止められても、同盟軍全体の流れは止められない。
バギィなら止められる。
そしてデコーズが責任を取るなら、バギィは引ける。
「ジィッド」
デコーズが呼んだ。
「はい」
「お前さんは、銀月を殺すな」
「承知しています」
「良いところを取らせる必要はねえ。だが、悪いところで腐らせるな」
「はい」
「若造どもに言っておけ。ベラの泥で働けた奴だけが、次に正面を語れってな」
「そのつもりです」
「よし」
デコーズは椅子に背を預けた。
「行け。ボクちゃんはここで、同盟軍の面倒くせえ顔色を見てやる」
バギィがぼやく。
「そっちもきっついな」
「だからボクちゃんがやるんだよ」
「珍しくまともなことを言う」
「いつもまともだろ」
「それはない」
ジィッドは小さく頭を下げた。
「では、銀月へ通達します」
「おう。荒れるぞ」
「承知しています」
「荒らせ。で、戦場で冷やせ」
「はい」