ベラ方面会戦
同盟軍二百七十九騎が、ベラ方面へ展開した。
中央第一軍。
南部第二集団。
北部第四集団。
その後方と側面に、銀月騎士団、ハプハミトン、ドレンノ連邦。
机上では、圧倒的だった。
だが、ベラの地形は、数をそのまま力に変えてくれる場所ではなかった。
湿地。
浅い丘。
見通しの悪い谷筋。
崩れた旧街道。
機体の足を取る泥。
退き道に見えて、すぐ詰まる細い地形。
一気に押せる戦場ではない。
押して、止まり、引いて、組み替える。
統制を失った騎士団から、順に食われる。
バギィ・ブーフは、前線指揮車の中で低く呟いた。
「……嫌な地形だぜ」
ジィッドは、デムザンバラの操縦席で、同じ地形図を見ていた。
「はい。勢いで押した部隊から、足が止まります」
ニナリスが静かに報告する。
「前方、ベラ側GTM反応増加」
「数は」
「更新中。AP騎士団ジャーグド隊、スパチュラ隊と思われる増援到着。ベラ側GTM総数、百二十二騎」
通信が一瞬、ざわついた。
百二十二。
事前想定より多い。
しかも、今さらの援軍だ。
北部ミノグシアが動揺し、慌てて差し込んできたような援軍。
だが、数が増えたからといって、ベラ側が一気に押し返せるわけではない。
この地形では、どちらも大兵力を一枚板にはできない。
ジィッドは言った。
「バギィ少将」
『聞いてる』
「乱戦になります」
『だろうな。だが、乱戦に見えても、あいつらは崩れてねぇぞ』
バギィの声は低かった。
『ツラック隊は、押しては引く。引いたと思えば横から刺す。エースを前に出しすぎず、弱い騎士を隠しすぎもしねぇ。嫌な隊だ』
「はい」
ジィッドは正面映像を見る。
ツラック隊は、派手な隊ではない。
だが、弱くない。
いや、弱いどころではない。
ベラ側のGTMは、細かく押し引きしていた。
こちらが押せば、薄く下がる。
追えば泥に誘う。
横から入れば、足場の悪い場所で受ける。
無理に噛みに行けば、後方の騎が補助に入る。
まるで、何度も何度も鉄火場を抜けてきた古い部隊の動きだった。
「AP最弱なんて、誰が言ったんだ」
銀月の若い騎士の一人が、通信の隅で呟いた。
ジィッドはそれを聞き逃さなかった。
「見ておけ」
『は、はい』
「軽く見るな。あれが歴戦の部隊だ」
中央では、ロッゾ帝国ヴーグラ騎士団のグロアッシュが前へ出た。
帝国近衛騎士団バヤデルカが、その厚い圧で正面を支える。
グレース・スドール将軍の指揮は堅い。
ベラ側は、ツラック隊のエース格を前に出してこれを受けた。
強い騎士同士がぶつかる。
その瞬間、同盟軍の一部が歓声めいた通信を漏らした。
エースを孤立させろ。
そこを囲め。
大将首に繋げろ。
だが、ジィッドは違う場所を見ていた。
「ニナリス。ツラック隊の弱い騎士の位置」
「中央右後方。三騎。退き足が遅い。ファティマ制御反応も粗い」
「ベラ側も分かっているな」
「はい。エース二騎を前面に置き、弱い騎を背後に逃がしています」
同盟軍も馬鹿ではなかった。
ツラック隊のエースを正面で釘づけにする。
その間に、弱いベラ騎士を叩く。
数を減らす。
相手の受けを少しずつ削る。
派手な大将首ではない。
だが、戦場はそうやって動く。
押して、引く。
噛んで、離す。
相手が薄くなった場所へ、次の部隊を差し込む。
ジィッドは銀月カーバーゲン隊へ命じた。
「銀月第三小隊、右中段の孤立騎を救援。敵を落とすな。味方の退路を開け」
『了解』
「第五小隊、中央右の観測。ツラック隊の弱い騎を追うな。位置だけ持ち帰れ」
『了解。追撃禁止、位置報告優先』
「よし」
銀月の若手たちは、文句を言わなかった。
敵を落としたい熱はまだある。
だが、目の前でツラック隊の押し引きを見れば、簡単には踏み込めない。
それは、ベラの泥が教えていた。
/*/
戦闘開始から四十六分。
ベラ側の消耗が見え始めた。
同盟軍は、正面で一気に押し切れない。
だが、押し引きの中で、ベラ側の弱い騎士を少しずつ削っている。
ツラック隊のエースは強い。
だが、エースだけで百二十二騎を支えられるわけではない。
中央で持ちこたえている間に、南北へウモス軍が回り込み始めた。
青銅騎士団の動きは重いが、圧がある。
X-9が前で受け、X-8が広く展開する。
集団中央の旗騎、X-4型のもとで、ベルミ・クローゼ総騎士団長の指揮が全体を押し上げていた。
ジィッドは地図上の南側を見た。
「南のウモス、回り込み開始」
ニナリスが即座に応じる。
「はい。南部第二集団、側面圧迫に移行。第五大隊が前進しています」
「足が少し速い」
「功を焦っている可能性があります」
「バギィ少将」
『見えてる。南が伸びたな』
「伸びすぎます」
『ああ。嫌な伸び方だ』
バギィの声は、苦かった。
『ベラの南は、一見すると空いて見える。だが、空いている場所ほど、誰かが使う』
「罠ですか」
『罠か、横槍か、偶然か。名前は何でもいい。伸びた横腹は斬られる』
ジィッドは返事をしなかった。
南のウモス第五大隊は、確かに前へ出ていた。
押せると見たのだろう。
中央でツラック隊のエースが縛られ、弱い騎士が削られ始めている。
南から回れば、ベラ側の受けを崩せる。
理屈は正しい。
だが、理屈が正しい時ほど、戦場は人を誘う。
/*/ ベラ方面会戦 南翼、所属不明八騎の突破 /*/
ニナリスが告げた。
「南翼、低出力反応。八」
「所属は」
「識別不能。味方識別なし。敵識別にも該当なし」
ジィッドの表情が動いた。
「ジャミングか」
「いいえ。反応の出方が違います。地形遮蔽と低出力隠蔽です」
バギィの声が割り込む。
『来たな』
南の湿地帯、その横腹から、識別不能のGTM反応が八つ現れた。
それは、ベラ側の正面から出た部隊ではない。
南のウモス第五大隊が伸びた、その横腹。
最も見たいものが正面にあり、最も見落としやすくなった場所。
そこへ、八騎が突っ込んだ。
速い。
いや、速すぎた。
「所属不明八騎、南部第二集団側面へ突入」
ニナリスの声が鋭くなる。
「味方目視モニター映像、取得」
映像が切り替わる。
泥と煙の向こう、横から飛び込んでくる八騎。
先頭に、HL1が二騎。
後続に、ワイマール六騎。
だが、それは整った八騎編成の突撃ではなかった。
一騎。
HL1の一騎だけが、異様に突出していた。
止まれない騎士の動きだった。
隊列の呼吸を待たない。
後続の足を計算しない。
全体の線が揃う前に、ただ自分だけが見えた穴へ飛び込んでいく。
もう一騎のHL1が、その後ろで軸を作る。
ワイマール六騎は、突出した先頭騎を止めるのではなく、必死に追っていた。
結果として、八騎は鋭いくさび型になっていた。
先頭のHL1が針。
もう一騎のHL1が芯。
ワイマール六騎が、遅れまいと広がりながら後ろを固める。
統制された突撃陣形に見える。
だが、違う。
あれは、先頭の一騎が速すぎるのだ。
「……突出している」
ジィッドが呟いた。
ニナリスが即座に解析を重ねる。
「はい。先頭HL1、隊列基準より前方へ出過ぎています。後続ワイマール六騎、追随遅延。結果的にくさび型陣形を形成」
「普通なら死ぬ」
ジィッドは低く言った。
普通なら、あの位置は死ぬ。
横手から突っ込んだ一騎が、味方から離れ、敵の半隊の眼前へ飛び込む。
足場は泥。
周囲はウモス軍。
後続は追いついていない。
孤立。
包囲。
集中攻撃。
そうなるはずだった。
だが、ならない。
先頭のHL1は、ウモス第五大隊の初撃を滑るように外した。
避けたというより、反応した瞬間にはもう別の線にいた。
一撃目をかわす。
二撃目を誘う。
その踏み込みで、ウモスのX-8二騎の足並みが乱れる。
そこへ後続のワイマールが追いつき、広がりかけた穴を無理やりこじ開ける。
先頭騎は、敵を深く斬り殺しにいかない。
だが、それは止まれるからではない。
止まらないからだ。
止まれないまま、止まらずに済む速度と判断で、隊列の関節だけを抜いていく。
ウモス第五大隊の半数が、反射的にそちらへ回った。
回らざるを得なかった。
あの一騎を放置すれば、南の横腹が裂ける。
だが、押さえに回れば南の回り込みが鈍る。
たった八騎。
それも、統制された八騎というより、突出した一騎に後続七騎が必死で追っている形。
それなのに、戦場の南側が歪んだ。
整備班長の通信がかすかに震えていた。
『目視照合。コーラス王朝系GTM、HL1二騎。後続、ワイマール六騎。先頭HL1の運動が異常です。あれ、普通なら突出しすぎです』
「だが死んでいない」
ジィッドが言った。
『はい』
「なら、天位クラスだ」
通信の向こうが静まった。
「超一流の騎士だ。止まれないのに、突出しても死なない。あれは統制じゃない。才能で死なずに済ませている」
自分で言って、ジィッドは胸の奥がわずかに軋むのを感じた。
眩しかった。
羨ましかった。
妬ましかった。
自分がデムザンバラのピークに踏み込まないために、出力を殺し、筋力ではなく自制を鍛え、ファティマに止めてもらい、整備班に記録され、部下に「止まれ」と言い続けている。
その横で、あのHL1の騎士は止まらない。
止まれない。
なのに、死なない。
死なないどころか、戦場を動かしている。
ジィッドが欲しくて、だが自分にはないもの。
許されない踏み込み。
踏み込んでも死なない身体。
止まれない欠陥を、欠陥のまま才能で成立させてしまう眩しさ。
喉の奥に、苦いものが上がった。
けれど、ジィッドはそれを飲み込んだ。
羨ましいから、近づけるわけにはいかない。
妬ましいから、部下をぶつけていいわけではない。
あれは、自分たちが追っていい相手ではない。
ニナリスが静かに補足する。
「先頭HL1、敵反応予測精度が極めて高い。後続の遅れを前提に、敵の照準と隊列反応をずらしています。単独突出に見えますが、敵の処理能力を超える速度で移動しています」
「うかつに銀月を近づければ?」
「容易に全滅します」
即答だった。
ジィッドは、南へ流れかけている銀月の若手通信を聞いた。
『南が抜かれてます!』
『俺たちが行けば押さえられるんじゃ――』
『HL1だぞ、止めないと!』
『ワイマール六騎も追いついてない。今なら横を――』
「銀月各騎、持ち場を維持」
ジィッドの声は低かった。
『しかし南が!』
「行くな」
『でも、あれを放置すればウモスが――』
「放置ではない。ウモス第五大隊が押さえに回っている。銀月の任務は中央帰還線の維持だ」
『ですが、先頭が突出しています! 今なら――』
「今なら殺される」
通信が止まった。
ジィッドは、南の映像から目を離さずに言った。
「あれは突出して死ぬ騎士ではない。止まれないのに死なない騎士だ。俺たちが近づけば、一騎ずつ剥がされる」
若い騎士たちは黙った。
「見たい場所を見るな。見るべき場所を見ろ」
その言葉は、前にも言った。
だが今度は、意味が違った。
彼らは見ていた。
HL1の一騎が、常識なら死ぬ位置に踏み込み、死なずにウモスの横腹を裂いていく姿を。
ワイマール六騎が、それに必死に追随し、結果的にくさびを形成している姿を。
戦場には、止めに行ってはいけない敵がいる。
数で囲めば勝てるとは限らない。
若さと熱で届くとは限らない。
天位級の超一流が、こちらの欲しい手柄の形をして走っている場合がある。
そしてそれは、ジィッドにとっても毒だった。
ああなれたなら。
一瞬、そう思ってしまう。
だが、ジィッドは違う。
自分は止まらなければ死ぬ騎士だ。
デムザンバラは、止まることで生きる騎体だ。
銀月は、止めることで部下を帰す騎士団だ。
だから、羨ましくても追わない。
妬ましくても近づけない。
ジィッドは命じた。
「第四小隊」
『はい』
「南の視覚情報だけ拾え。追うな。接触するな。映像をウモスとバギィ少将へ送れ」
『了解。追撃せず、映像送信』
「第二小隊、中央右の撤退路を広げろ。南へ目を取られた分、中央が薄くなる」
『了解』
「第一小隊、孤立しそうなハプハミトン騎二騎を拾え。敵を落とすな」
『了解。救援優先』
バギィの通信が入る。
『ジィッド、よく止めた』
「正直、若手が一拍遅れていたら南へ流れていました」
『流れたら死んでたな』
「はい」
『あの先頭、まともじゃねぇ。止まれねぇのに死なねぇ奴は、一番厄介だ。普通の物差しで測るな』
「承知しています」
『銀月には触らせるな。見るだけにしろ』
「はい」
ジィッドは南の映像を見続けた。
先頭HL1は、まだ止まらない。
戦果を欲張っているのではない。
欲張る以前に、止まるという選択がないように見える。
ただし、その止まれなさが、凡庸な暴走ではない。
ウモス第五大隊の半数を引きつけ、南回り込みを鈍らせる。
それだけを果たすと、深く刺さりすぎる前に、速度のまま角度を変えた。
ワイマール六騎が、その動きに追いつこうと、泥を蹴って追う。
くさびが、少しずつ方向を変える。
殺しに来ているのではない。
戦場の形を変えに来ている。
「……眩しいな」
ジィッドは、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
だが、ニナリスは聞いていた。
「マスター」
「何でもない」
「記録しますか」
「するな」
「承知しました」
少しだけ間があった。
ニナリスが静かに言う。
「あれは、ジィッド様の運用とは異なる騎士です」
「分かっている」
「ジィッド様が真似れば死にます」
「分かっている」
「銀月が真似れば壊滅します」
「分かっている」
ジィッドは目を細めた。
「だから見せる。追わせない。真似させない」
「はい」
銀月騎士団は、動かなかった。
動けなかったのではない。
動かないことを選べた。
ジィッドは、その事実を記録させた。
派手な戦果ではない。
だが、若い騎士たちが初めて、天位級の誘惑に耐えた記録だった。