ベラ方面会戦
会戦は終わった。
勝利ではない。
敗北でもない。
ただ、両軍がそれ以上踏み込めば、泥の上にGTMの骸を積むだけだと悟った。
同盟軍は撤退した。
ベラ側も追撃しなかった。
この規模の戦としては、両軍ともに損害は少なかった。
同盟軍二百七十九騎。
ベラ側百二十二騎。
数字だけなら、もっと凄惨な潰し合いになっていてもおかしくない。
だが、戦場はそうならなかった。
消耗戦が主体だった。
押して、引く。
釣って、止まる。
弱い騎を削り、強い騎を孤立させ、足場を奪い、撤退線を切りかける。
だが、最後の一線を越えるようなGTMの潰し合いにはならなかった。
ツラック隊も、同盟軍も、どこかで分かっていた。
ここで戦時協定を壊せば、次からは誰も帰れない。
泥の中で、損傷したGTMが膝をついている。
バーガ・ハリ。
カーバーゲン。
X-8。
ハプハミトンの損傷騎。
ドレンノ連邦の片脚を失った機体。
煙は薄くなっていた。
だが、まだ戦場は熱い。
ジィッドはデムザンバラの前に立ち、救護と回収の一覧を見ていた。
ニナリスが端末を読み上げる。
「銀月騎士団、全騎帰還確認。カーバーゲン十九騎、大破なし。中破二、小破六。ファティマ過負荷、軽微二名。騎士負傷、軽中傷八名。死亡なし」
「同盟全体は」
「集計中です。GTM喪失は想定より少数。擱座機多数。騎士、ファティマ共に回収可能な者が多い状況です」
「ベラ側は」
「ツラック隊、戦時協定に従い、こちらの撤退線への追撃なし。負傷騎士の搬送を妨害していません」
ジィッドは、短く息を吐いた。
「ツラック隊も戦時協定を守ってくれている」
その声は、若い騎士たちにも聞こえた。
何人かが、泥の向こうに見えるベラ側の擱座機へ視線を向ける。
敵機。
損傷したGTM。
場合によっては、後で解析価値が出るかもしれないもの。
戦場の熱が残っている騎士なら、手を出したくなる。
だが、ジィッドは即座に言った。
「こっちも守る。遺棄されたバーガ・ハリに手を付けるな」
若い騎士が顔を上げる。
「隊長、回収しないんですか」
「しない」
「でも、敵機です。部品や記録だけでも――」
「手を付けるな」
ジィッドの声が硬くなった。
「今は戦果回収の時間じゃない。擱座した味方騎だけ回収してこい。敵機に触れるな。ツラック隊がこちらの負傷者を渡してくれるなら、こちらも同じことをする」
バギィ・ブーフ少将が、少し離れたところで腕を組んで聞いていた。
そして、低く言った。
「その通りだ。今ここで敵のバーガ・ハリを漁れば、次から救護旗が信用されなくなる」
若い騎士たちが黙る。
バギィは続けた。
「目の前の部品を拾って、次の戦場で味方の救護班が撃たれる。そういう馬鹿な真似をするな」
「はい」
ジィッドは救護班へ向き直った。
「救護班!」
泥の中で待機していた医療班と搬送兵たちが姿勢を正す。
「敵味方構わず回収しろ。識別できる者から順にだ。騎士、ファティマ、整備兵、通信員。息がある者は全部だ」
「了解!」
「白旗を上げろ。武装は置いていけ。丸腰で行け」
若い騎士の一人が、思わず口を挟んだ。
「丸腰でツラック隊のところへ行くんですか」
「そうだ」
「危険では」
「白旗を信じるために丸腰で行く」
ジィッドは言った。
「こちらが武器を隠していれば、向こうも信用しない。向こうが信用しなければ、負傷者は泥の上で死ぬ」
救護班長が頷いた。
「白旗、担架、医療印、識別札。武装なし。護衛なしで行きます」
「護衛は距離を取って待機。絶対に近づくな。救護班の白旗を汚すな」
「了解」
ニナリスが端末に記録する。
「救護班、敵味方無差別回収。白旗掲揚。武装解除。ツラック隊方面へ負傷者搬送。敵側負傷者引き渡し、味方負傷者引き取り」
「そうだ」
ジィッドは続けた。
「こちらで回収したツラック隊の負傷者は、白旗の下で向こうへ運べ。向こうに我々の負傷者がいれば引き取ってこい」
救護班長が確認する。
「捕虜扱いは」
「するな」
即答だった。
「負傷した騎士に、捕虜となる不名誉を与えるな。戦時協定に従って返す。ファティマも同じだ。主が生きているなら主へ戻す。主が死んでいるなら、所属か調整役へ返す手順を取る」
若い騎士たちは、その言葉を聞いていた。
敵だ。
さっきまで殺し合っていた相手だ。
南翼でこちらを裂いた相手もいる。
突撃隊を叩き潰した正体不明機もいる。
だが、救護の場では違う。
戦える者は敵。
倒れた者は負傷者。
その区別を失った戦場は、次から地獄になる。
ジィッドはそれを、部下に見せたかった。
バギィが低く呟く。
「若造ども、よく見ておけ」
銀月の騎士たちが振り向く。
「戦場は斬って終わりじゃねぇ。終わった後に何を守るかで、次の戦場の帰り道が決まる」
ジィッドは頷いた。
「擱座機の扱い、負傷者の扱い、ファティマの扱い。全部、次の戦場に返ってくる」
救護班が動き出した。
白旗が上がる。
武器を置いた救護兵たちが、担架を担ぎ、泥の中へ出る。
最初は、同盟側の負傷騎士だった。
ハプハミトンの騎士。
脚部を失ったGTMから引き出され、意識が混濁している。
その隣では、ドレンノ連邦のファティマが、片腕を押さえたまま静かに救護班の指示に従っていた。
銀月の若い騎士が、思わず駆け寄ろうとする。
「待て」
ジィッドが止めた。
「救護班に任せろ。お前が行くと、白旗の意味が濁る」
「でも」
「心配なら、ここで見ていろ」
若い騎士は拳を握った。
「……はい」
やがて、救護班はベラ側へも向かった。
泥の向こう。
ツラック隊の騎士たちが、武装を下げて立っている。
緊張が走った。
白旗が揺れる。
救護班長が両手を見せ、担架を前に出す。
ツラック隊側からも、同じように白旗が出た。
互いの間に、倒れた騎士がいる。
敵の負傷者。
味方の負傷者。
ツラック隊の一人が、こちらの救護班へ何かを示した。
識別札。
負傷者の所属。
ファティマの状態。
救護班長は、深く頷いた。
ジィッドは、その様子を遠くから見ていた。
「ニナリス」
「はい」
「記録を残せ。ツラック隊、救護協定遵守。こちらも同様に遵守」
「記録します」
「若手にも共有」
「はい」
銀月の若い騎士たちは、無言だった。
彼らは、敵を落とした話なら熱く語れた。
カーバーゲンの配備なら浮つけた。
ファティマとの略式お披露目なら緊張しながらも夢を見られた。
だが、白旗の下で敵味方の負傷者が交換される光景には、言葉がなかった。
ラド・ベイカーも、随伴観測の位置からそれを見ていた。
かつて停止線を越え、カーバーゲンを回収された若い騎士。
彼は小さく言った。
「隊長」
「何だ」
「敵も……返すんですね」
「返す」
「さっきまで、殺し合っていた相手でも」
「返す」
「どうしてですか」
ジィッドは少しだけ黙った。
それから言った。
「次に、お前があそこで倒れるかもしれないからだ」
ラドは息を呑んだ。
「お前のファティマが、敵側に引き出されるかもしれない。お前のカーバーゲンが擱座して、お前が動けなくなるかもしれない。その時、相手が白旗を信用してくれなければ、お前は泥の上で死ぬ」
ジィッドは、ベラ側の白旗を見た。
「だから、今こちらが守る」
ラドは何も言えなかった。
バギィが横から低く言う。
「戦時協定ってのは、綺麗事じゃねえ。自分たちが帰るための最低限の橋だ。燃やす奴は馬鹿だ」
ジィッドは続けた。
「騎士に捕虜となる不名誉を与えるな。倒れた敵騎士を見世物にするな。ファティマを戦利品扱いするな。GTMを漁るな。今日は、その日じゃない」
若い騎士たちは、真剣に聞いていた。
彼らにとって、それはまた一つの教育だった。
敵前停止。
味方を踏まないこと。
追ってはいけない天位級。
撤退線を守ること。
そして、戦場の後に白旗を守ること。
派手な戦果はない。
だが、騎士団になっていくためのものが、そこにあった。
ニナリスが報告する。
「救護班第一陣、ツラック隊側へ負傷者二名引き渡し。味方騎士一名、ファティマ一名を引き取り。双方、武装なし。交戦なし」
「よし」
「第二陣、準備中」
「続けろ」
ジィッドは通信を開いた。
「銀月各騎。擱座した味方騎の回収を継続。敵GTMには触れるな。繰り返す。遺棄されたバーガ・ハリに手を付けるな」
『了解』
「損傷した味方カーバーゲンは、整備班の指示で後送。無理に動かすな。ファティマの負荷を優先して確認しろ」
『了解』
「救護班の動線に入るな。白旗の線を塞ぐな」
『了解』
今度の返事は、低く、重かった。
それでいい。
ベラ方面会戦は、派手な勝利を得なかった。
だが、この規模の戦としては、両軍ともに損害は少なかった。
理由はいくつもある。
消耗戦主体で、GTMの潰し合いにならなかったこと。
ツラック隊が無用な追撃をしなかったこと。
レイスル騎士団のナオ団長が撤退支援へ切り替えたこと。
ベルミ・クローゼが青銅騎士団を引いたこと。
バギィが撤退判断を支えたこと。
銀月が帰還線を維持したこと。
そして、戦が終わった後、双方が救護の線を守ったこと。
ジィッドは、白旗の列を見ていた。
泥の上を進む担架。
それを見守る敵味方の騎士。
遠くで膝をついたバーガ・ハリ。
そのさらに後ろで、静かに立つデムザンバラ。
剣聖騎の成れの果ては、今日も大将首を取らなかった。
ただ、帰る線を作り、白旗の線を守った。
ジィッドは小さく呟く。
「これでいい」
ニナリスが聞いた。
「記録しますか」
「しろ」
「はい」
少しだけ間があった。
ニナリスは端末に入力した。
「ベラ方面会戦後処理。銀月騎士団、戦時協定遵守。敵味方負傷者回収。遺棄敵機への接触禁止。騎士捕虜化回避。ファティマ保護優先」
ジィッドは頷いた。
「それでいい」
若い騎士たちは、白旗の列を見続けていた。
今日の戦果は、記事にはならない。
だが、彼らはまた一つ覚えた。
騎士団が守るものは、戦場の前だけではない。
戦場の後にもある。