バッハトマ上層区画
格納区画の奥から、低い駆動音が響いていた。
かつてシュペルターと呼ばれた白い剣聖騎。
いまはデムザンバラと名を変えられた鹵獲騎。
甲高く澄んだ、剣聖のための音ではない。
腹に沈むような、太く低い唸り。
ピークを殺し、低中域を太らせ、扱いやすく鈍らせた音。
その音を背に、デコーズ・ワイズメルは上層区画へ戻ってきた。
通路の陰に、ボスヤスフォートがいた。
待っていた、というより、最初からそこに在ったような姿だった。
「黒騎士」
ボスヤスフォートが、ゆるく声をかける。
「剣聖騎の哭き声は、どうだった?」
デコーズは、鼻で笑った。
「泣いてたぜえ。そりゃもう、かわいそうなくらいにな」
肩をすくめる。
「高く鳴る喉を潰されて、低く唸らされて、名前まで剥がされた。シュペルターちゃんも災難だよなあ。よりにもよって、あんな若造に乗られるんだからよ」
「その若造を選んだのは、君だろう」
「ボクちゃんじゃねーよ。戦場と都合が選んだんだよ」
デコーズは、壁に背を預けた。
口調は軽い。
だが、その目だけは少しも笑っていなかった。
「あいつ、腕っぷしだけの餓鬼かと思ってたんだがな」
「違ったか」
「ああ。意外と使える」
ボスヤスフォートの口元が、わずかに歪む。
「ほう。君がそのように言うとはな」
「褒めてねえよ」
デコーズは片手を振った。
「騎士としては中途半端だ。血筋もねえ。家の後押しもねえ。剣聖騎を前にしたら、もっと目ぇ輝かせて勘違いするかと思ってたんだが」
「勘違いしなかったか」
「しなかった」
デコーズは、少しだけ面白くなさそうに言った。
「まず言いやがった。『俺では持て余します』ってな」
ボスヤスフォートは愉快そうに目を細めた。
「賢いじゃないか」
「賢いってほど上等でもねえ。卑屈なんだよ、あいつは」
「卑屈」
「血筋がねえから、階段を信用してねえ。椅子を出されても、座る前に罠かどうか見る。褒美を渡されても、まず裏を探す。そういう顔をしてやがる」
「それはよい」
「よかねえよ。放っときゃ腐る」
「だが、腐る前ならば使える」
ボスヤスフォートは静かに言った。
その声には、笑いが含まれている。
だが、人間を見ている笑いではなかった。
駒の形を確かめている声だった。
デコーズは舌打ちした。
「お前さんは、そういうところが趣味悪いんだよなあ」
「私の趣味の良し悪しを、君が今さら問うか」
「問わねえよ。分かりきってる」
デコーズは低く笑った。
「で、その趣味の悪い皇帝陛下に報告だ。ジィッドは鍛えりゃ中堅指揮官として普通に使える」
「普通に、か」
「ああ。普通にだ」
デコーズは指を一本立てた。
「化け物にはならねえ。英雄にもならねえ。剣聖なんぞ論外だ。だが、部隊は預けられる。損耗を見る。整備を見る。ファティマの言うことを聞く。撤退を恥だと勘違いしねえ」
そこで、少し口角を上げる。
「少なくとも、剣聖騎をもらって『ボクちゃん最強』みてえな顔はしなかった」
「お前ならば、そう言うか」
「ボクちゃんは実際強いからいいんだよ」
デコーズは悪びれない。
ボスヤスフォートは、くつりと笑った。
「その厚顔もまた、君の才であるな」
「褒めんな。気持ち悪い」
「褒めてはいない。評価している」
「その言い方、ボクちゃんの真似か?」
「君ほど下品ではない」
「はいはい。皇帝陛下はお上品でいらっしゃる」
軽薄なやり取りだった。
だが、二人の間に流れているものは、軽くない。
遠くから、デムザンバラの低い音がまた響いた。
ボスヤスフォートはそちらへ視線を向ける。
「して、デムザンバラは動くか」
「動く。八十五パーセントに落として、トルクを低中域に寄せた。ピーキーな上は殺した。剣聖騎としては死んだが、兵器としては生きた」
「ジィッドは何と」
「剣聖騎が泣いてる、だとよ」
「詩情がある」
「劣等感があるんだよ」
デコーズは即座に切った。
「あいつは分かってる。自分が本来のシュペルターに届かねえことも、そのせいで機体を鈍らせてることもな。笑ってやがったが、腹の中じゃ相当きてる」
「ならば、そこで折れるか」
「折れねえだろうな」
「なぜそう思う」
「折れる奴は、ファティマに自分の欠点一覧なんか作らせねえよ」
ボスヤスフォートの目が、わずかに動く。
「ほう」
「自分が酔うと分かってやがる。剣聖騎に乗ったら、血筋のねえ自分が選ばれたような気になる。そうなると危ない。だからファティマに止めさせる。整備に記録させる。随伴機に撤退権限を出す」
デコーズは、つまらなそうに言った。
「面白くねえくらい、軍人教育が入ってる」
「それをお前は、面白いと思っている」
「……」
「違うか、黒騎士」
デコーズは黙った。
そして、少ししてから笑った。
「まあな」
その笑いは、荒い。
「剣聖騎を前にして、自分を剣聖だと思わねえ若造だ。珍しいだろ」
「珍しい」
「しかも血筋がねえ。名門の連中みたいに、失敗しても誰かが物語にしてくれるわけじゃねえ。だから死に方まで計算する」
「哀れよな」
「哀れで使える」
「君も大概、酷薄である」
「ボクちゃんを何だと思ってんだ」
「黒騎士だろう」
「なら納得しろ」
ボスヤスフォートは、笑った。
その笑いは、声にならない。
魔導の深い井戸の底で、何かが揺れたような笑いだった。
「よかろう。ジィッドは生かせ」
「言われるまでもねえ」
「ただし、甘やかすな」
「甘やかしてねえよ。剣聖騎を渡すなんて、むしろ嫌がらせだろ」
「違うな」
ボスヤスフォートは言った。
「試練だ」
「便利な言葉だな、試練」
「人は、与えられぬ時よりも、与えられた時に本性を晒す」
ボスヤスフォートの視線が、遠くの格納区画へ向く。
「血を持たぬ若き騎士に、剣聖騎の残骸を与えた。栄誉と屈辱を同じ器に盛って差し出した。さて、あれはどちらを食うか」
「どっちも食うだろ」
デコーズは即答した。
「栄誉も欲しい。屈辱も忘れねえ。けど、今のところは軍務で飲み込んでる」
「ならば、飲み込み続けさせよ」
「簡単に言いやがる」
「お前の役目であろう」
「ボクちゃん、保護者じゃねーんだけど」
「騎士団長であろう」
「都合のいい時だけそういう扱いすんな」
デコーズは面倒くさそうに頭を掻いた。
だが、拒みはしなかった。
「まずは慣熟だ。実戦投入は限定任務。示威には使うが、敵主力には当てねえ。あの馬鹿が焦れても、ピークパワーは使わせねえ」
「ピークを殺した剣聖騎か」
「デムザンバラだ」
デコーズは、そこで少しだけ声を低くした。
「シュペルターじゃねえ。あいつにもそう覚えさせる。剣聖の夢を見ながら乗ったら死ぬ。デムザンバラは、ジィッドが生きて帰るための鈍い刃だ」
「鈍い刃も、研ぎ方次第で肉を裂く」
「主宰が言うと嫌な意味にしか聞こえねえな」
「正しく聞こえている」
沈黙が落ちた。
遠くの駆動音が、また一段低く響いた。
デコーズは、ふと笑った。
「しかし、あいつも災難だよなあ」
「何がだ」
「血筋がねえから出世できねえ。ようやく上に引っ張られたと思ったら、剣聖騎の成れの果てを押しつけられる。しかも上司がボクちゃんとお前さんだ」
「最高の配置ではないか」
「最悪の間違いだろ」
ボスヤスフォートは、満足げに言った。
「その最悪を生きる者だけが、戦場に名を残す」
「名を残せりゃいいけどな」
「残すだろう」
「何で分かる」
「泣いている剣聖騎に、詫びを入れたのであろう?」
デコーズは片眉を上げた。
「そこまで聞いてんのかよ」
「報告は来る」
「趣味悪いぜ、皇帝陛下」
「知っている」
ボスヤスフォートは、ゆっくりと歩き出した。
「剣聖騎に詫びる若造は、まだ自分の恥を知っている。恥を知る者は、使い方を誤らねば強くなる」
デコーズは、その背中を見る。
「誤ったら?」
「背徳者になる」
短い言葉だった。
デコーズは笑わなかった。
ボスヤスフォートも振り返らない。
ただ、通路の奥へ消える前に言った。
「黒騎士。あれを、ただの餓鬼で終わらせるな」
デコーズは、しばらく黙っていた。
そして、遠くで唸るデムザンバラの音を聞きながら、小さく呟いた。
「へいへい。面倒くせえなあ」
口調は軽い。
けれど、その目はもう、格納区画の若い騎士を“腕っぷしだけの餓鬼”とは見ていなかった。
「ま、鍛えりゃ使えるさ」
デコーズは笑った。
「普通の中堅指揮官くらいにはな。普通ってのが、うちじゃ一番珍しいんだがよ」