ノウラン市占領地・野戦陣地・銀月騎士団休憩区画
新聞は、翌々日の朝に届いた。
戦況報道の束。
各国通信社の号外。
同盟軍向けの戦果整理。
記者たちが拾った噂混じりの記事。
銀月騎士団の休憩区画では、若い騎士たちがそれを囲んでいた。
最初に目に飛び込んでくるのは、大きな見出しだった。
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ベラ会戦、音速突撃失敗
正体不明機、同盟軍突撃部隊を撃砕
レイスル騎士団ナオ団長、友軍撤退を支援
青銅騎士団、統制撤収
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どれも分かる。
実際、戦場で目立ったのはそこだった。
ハプハミトンとドレンノ連邦の音速突撃。
その突撃を砕いた正体不明機。
ナオ団長率いるレイスル騎士団の見事な撤退支援。
ベルミ・クローゼ総騎士団長の青銅騎士団統制撤収。
どれも記事になる。
派手だった。
分かりやすかった。
戦場の絵になった。
そして、銀月騎士団は。
紙面の下の方。
戦況要約の末尾。
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なお、バッハトマ銀月騎士団は後方帰還線維持に従事した。
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それだけだった。
若い騎士たちの空気が、目に見えて悪くなった。
「また一行!」
「俺たち、ハプハミトンの損傷騎を引っ張ったのに!」
「ドレンノのファティマも助けたのに!」
「レイスルの退路も広げたろ!」
「南翼の映像、ずっとウモスに流してたの俺たちじゃないですか!」
「帰還線維持って、地味すぎる!」
「しかも“従事した”って何だよ。“活躍した”くらい書けよ!」
ラド・ベイカーも新聞を睨んでいた。
彼はまだカーバーゲン再貸与待ちで、ベラでは随伴観測と救護補助に回っていた。
だが、南翼HL1の映像を見続け、撤退線の混乱を記録した一人でもある。
「……俺たちが南へ飛び出さなかったことも、書かれないんですね」
その声は、怒りというより、少し悔しそうだった。
別の騎士が新聞を乱暴に畳む。
「分かってますよ。正体不明機とか音速突撃の方が記事になるのは。でも、俺たちが帰還線を維持しなかったら、もっと死んでたじゃないですか」
「そうだよ。俺らが地味だから助かった奴らいるだろ」
「なのに一行!」
「一行でも載ったなら上等だ」
ジィッドの声がした。
若い騎士たちが振り返る。
ジィッドは休憩区画の入口に立っていた。
手には書類の束。
目の下には薄い疲れ。
どう見ても、戦闘より戦後処理に削られている顔だった。
「隊長」
「上等って、本気で言ってます?」
「本気だ」
ジィッドは若い騎士たちの前まで歩き、新聞を一枚取った。
そして、末尾の一文を見た。
> なお、バッハトマ銀月騎士団は後方帰還線維持に従事した。
「これで十分だ」
「十分じゃないですよ!」
「俺たち、もっとやりました!」
「せめて“多数の友軍を救援”とか!」
「“撤退線を守り抜いた”とか!」
「欲しがるな」
ジィッドの声が、少しだけ硬くなった。
若い騎士たちは黙る。
「新聞は、見えたものを書く。派手なものを書く。読者が分かるものを書く。音速突撃。正体不明機。ナオ団長の撤退支援。青銅騎士団の統制撤収。どれも見出しになる」
彼は新聞の末尾を指で叩いた。
「帰還線維持は、見出しにならない」
「だから悔しいんです」
「悔しくていい」
ジィッドは言った。
「俺も悔しい」
若い騎士たちが少し驚いた顔をする。
ジィッドは淡々と続けた。
「お前たちがハプハミトンの損傷騎を帰したことも、ドレンノのファティマを救護線に乗せたことも、南翼の映像をウモスに流し続けたことも、レイスルの撤退線を邪魔せず広げたことも、全部知っている」
ラドが顔を上げる。
「じゃあ」
「だが、新聞には載らない」
ジィッドは即答した。
「そういう種類の仕事だからだ」
若い騎士たちは黙った。
「帰還線維持は、成功すると目立たない。味方が詰まらず下がり、擱座騎が回収され、ファティマが過負荷にならず、救護班が通り、白旗が撃たれない。全部、うまくいけば地味になる」
「失敗したら?」
「見出しになる」
ジィッドは言った。
「“後退線崩壊”。“友軍多数擱座”。“救護班被害”。“撤退混乱”。“識別錯誤による味方同士の衝突”。そういう見出しになる」
休憩区画が静まった。
「お前たちの仕事は、そういう見出しを出さないことだった」
若い騎士の一人が、新聞を見下ろした。
「……じゃあ、一行で済んだのは」
「成功したからだ」
ジィッドは短く言った。
「派手な失敗にならなかった。だから一行で済んだ」
その言葉は、若い騎士たちの腹にゆっくり落ちていった。
納得したわけではない。
だが、少なくとも、怒りの向きが変わった。
「でも、隊長」
「何だ」
「この一行じゃ、他の奴らには分からないじゃないですか。俺たちが何をしたか」
「新聞の読者には分からない」
「じゃあ」
「次は、その一行を相手の軍務記録にも載せる」
ジィッドは、手に持っていた書類の束を持ち上げた。
「ウモスからは、南翼映像共有で第五大隊の半壊を避けられたと返ってきた。ロッゾからは、銀月の識別灯展開が有用だったと返ってきた。レイスルからは、銀月が線を開けてくれなければドレンノの二騎を置いていくしかなかったと返ってきた」
若い騎士たちは、もうその三通を見ている。
だが、新聞を読んだ後では、意味が違って聞こえた。
「新聞じゃなく、戦場の記録に残すんだ」
ジィッドは言った。
「新聞の見出しは一日で流れる。だが、軍務記録は次の戦場で使われる。ウモスは銀月が映像を流す部隊だと知った。ロッゾは銀月の識別灯が使えると知った。レイスルは銀月が退路を開けると知った。ツラック隊は、銀月が白旗を汚さないと記録した」
彼は新聞を机に置いた。
「そちらの方が、お前たちが擱座した時に効く」
ラドが小さく言った。
「見出しより、記録」
「そうだ」
「記事より、次の戦場」
「そうだ」
ジィッドは頷いた。
「もちろん、悔しがるなとは言わない。悔しいなら、次も帰還線を守れ。次も味方を帰せ。次も白旗を守れ。次も相手に記録させろ」
「地味ですね」
「地味だ」
「でも、積み上がる」
「そうだ」
若い騎士は、しばらく黙ってから、新聞の末尾をもう一度見た。
『なお、バッハトマ銀月騎士団は後方帰還線維持に従事した』
「……これ、悪い一行じゃないんすかね」
「悪くない」
「良い一行?」
「まだ良い一行ではない」
「厳しい」
「だが、始まりの一行だ」
ジィッドは言った。
「次に同じような戦場があった時、“銀月騎士団が帰還線を維持した”という一行が増える。さらに次も増える。何度も増えれば、いつか誰かが言う」
「何てですか」
「撤退線なら銀月に任せろ、と」
若い騎士たちは黙った。
それは、派手な褒め言葉ではない。
大将首を取った騎士団。
音速突撃の先鋒。
戦場の花形。
そういう言葉ではない。
だが、撤退線を任せられる。
それは、死に際を預けられるという意味だった。
ラドが、低く言った。
「それ、重いですね」
「重い」
「俺たちに、そんなこと任せてもらえるんですか」
「まだだ」
ジィッドは即答した。
「まだ、任せてもらえるところまでは来ていない。だが、最初の一行は載った」
若い騎士たちは、もう一度新聞を見る。
さっきまで腹立たしかった一行が、少しだけ違って見えた。
小さい。
地味。
だが、無ではない。
「隊長」
「何だ」
「この新聞、隊内資料にします?」
「する」
「やっぱり」
「見出しと軍務記録の違いを学ぶ教材だ」
ニナリスが、いつの間にか入口に立っていた。
「既に教材分類案を作成済みです」
「早い」
「分類名は、“見出しと戦場の信用”です」
若い騎士たちが呻いた。
「また授業だ……」
「俺、戦場より座学が増えてる気がする」
「カーバーゲン乗るために新聞読解まで必要なのか」
ジィッドは真顔で言った。
「必要だ」
「即答!」
「新聞に煽られて突撃する騎士は死ぬ」
沈黙。
誰も反論できなかった。
「記事を読むなとは言わない。だが、見出しで熱を上げるな。見出しの裏で誰が帰還線を守ったかを読め。誰が損傷騎を拾ったかを読め。誰が撤収を決めたかを読め。誰が白旗を通したかを読め」
ジィッドは新聞を畳んだ。
「そういう読み方をしろ」
若い騎士たちは、少しずつ頷いた。
完全に納得したわけではない。
正直、まだ悔しい。
自分たちの働きが一行なのは、やはり悔しい。
ドレンノのファティマを助けたことも、ハプハミトンの損傷騎を引っ張ったことも、もっと書いてほしい。
だが、その悔しさをどこへ持っていけばいいのかは、少しだけ分かった。
新聞の見出しではない。
次の戦場の信用へ。
ラドが、小さく言った。
「隊長」
「何だ」
「俺、前ならこの記事読んだら、次は絶対に敵を落として載ってやるって思ってたと思います」
「今は?」
「まだ、ちょっと思ってます」
「正直でいい」
「でも、それだけじゃなくて……次は銀月の一行を二行にしたいです」
ジィッドは少しだけ笑った。
「悪くない」
「二行でも地味ですかね」
「地味だ」
「ですよね」
「だが、二行になれば進歩だ」
ニナリスが端末に入力する。
「ラド・ベイカー様、見出し評価から軍務記録評価への移行傾向」
「ニナリスさん、それも記録ですか」
「はい」
「もういいです。記録してください」
「良い傾向です」
若い騎士たちが笑った。
その笑いは、まだ少し苦い。
だが、荒れてはいなかった。
ジィッドは新聞を折り、机の上に置いた。
見出しは派手だった。
銀月は一行だった。
それでいい。
今は、まだ。
「各員」
ジィッドが言う。
「午後から座学だ。題目は、ベラ会戦報道と各軍返礼の比較」
「うわぁ……」
「やっぱり授業だ」
「逃げてもいいですか」
「逃げた奴は救護班で白旗担ぎだ」
「出席します」
休憩区画に笑いが広がった。
その中央で、ジィッドは新聞の末尾の一文をもう一度見た。
『なお、バッハトマ銀月騎士団は後方帰還線維持に従事した』
小さい。
地味。
だが、始まりの一行。
銀月騎士団は、まだそこからだった。