ノウラン市占領地・黒騎士隊・臨時指揮所
礼状を書き終えた時、ジィッドは戦闘後より疲れていた。
敵への礼状。
味方への感謝状。
救護班の行動記録。
ファティマ保護確認。
擱座騎回収報告。
白旗運用記録。
各軍返礼の写し。
銀月騎士団内の教育資料化予定一覧。
全部をまとめ、ニナリスに添削され、赤を入れられ、書き直し、また添削され、ようやく黒騎士隊へ提出できる形になった。
デムザンバラのピーク領域より、礼状の行間の方が細い。
ジィッドは本気でそう思いながら、デコーズ・ワイズメルの前に立っていた。
デコーズは、書類の束をぱらぱらとめくった。
口元には、いつもの半笑い。
「へえ」
紙を一枚持ち上げる。
「敵に礼状」
もう一枚。
「味方に感謝状」
さらに一枚。
「救護班の記録、ファティマ保護確認、擱座騎回収確認、白旗運用の教育資料化案」
デコーズは、にやりと笑った。
「ジィッド君、騎士団長ごっこが板についてきたじゃねえか」
ジィッドは、疲れ切った顔で答えた。
「ごっこで済むなら良かったんですが」
「はは。いい顔してるぜ。戦場帰りより書類帰りの方が疲れてる顔だ」
「実際、疲れています」
「ニナリスちゃんに絞られたか?」
ジィッドの背後に控えていたニナリスが、静かに訂正した。
「黒騎士様。私はジィッド様の文書運用を補助したのみです」
「はいはい。補助ねえ。ジィッド君、補助された感想は?」
「デムザンバラより制御が難しいです」
「文書が?」
「はい」
デコーズは声を立てて笑った。
「いいねえ。剣聖騎を鈍らせた男が、今度は礼状で鈍らされてやがる」
「笑い事ではありません」
「笑い事だろ。ボクちゃんは笑ってる」
デコーズは書類を机に置いた。
「で、若造どもは冷えたか?」
「少しは」
「少しかよ」
「新聞を読んで、また温まっています」
「騎士って馬鹿だよなあ」
「否定できません」
ジィッドは即答した。
デコーズは愉快そうに笑ったが、次の瞬間、少しだけ目を細めた。
「新聞じゃ、銀月は小さかったんだろ」
「はい」
「何て?」
「後方帰還線維持に従事した、と」
「一行か」
「一行です」
「荒れたか」
「荒れました」
「だろうな」
デコーズは椅子に深く座り直した。
「若造どもは、敵を落とせば載ると思ってる。大将首を狙えば名が残ると思ってる。突撃すれば誰かが見てくれると思ってる」
「はい」
「けど、帰還線は記事にならねえ」
「はい」
「成功すると、余計にな」
ジィッドは黙った。
それは、自分でも若手たちに言ったことだった。
帰還線維持は、失敗すれば見出しになる。
成功すれば、一行で済む。
デコーズは書類の一枚を指で叩いた。
「けど、帰したんだろ」
「はい」
「銀月は全騎帰還。カーバーゲン十九騎、大破なし。ファティマ過負荷は軽微。ハプハミトンとドレンノの損傷騎を拾った。レイスルの線を邪魔しなかった。ウモスに映像を流した。ロッゾの後退識別灯も支えた」
「はい」
「なら、今回は勝ちだ」
ジィッドは、少しだけ目を上げた。
「勝ち、ですか」
「ああ」
デコーズは軽く言った。
だが、その目は笑っていなかった。
「大将首を取れなかった戦で、“帰したから勝ち”って言える騎士団長は多くねえ」
ジィッドは黙る。
その言葉は、思った以上に深く入った。
大将首。
戦功。
見出し。
音速突撃。
正体不明機。
撤退。
ベラの戦場で、銀月は何も取っていないように見えた。
だが、帰した。
死体ではなく、負傷者を。
擱座騎ではなく、損傷騎を。
ファティマを戦利品ではなく、保護対象として。
若手の熱を、突撃ではなく撤退線へ。
それを勝ちと呼んでいいのか。
呼んでいい、とデコーズは言った。
「覚えとけ」
デコーズは続けた。
「首を取った勝ちは分かりやすい。旗を立てた勝ちも分かりやすい。敵陣を焼いた勝ちも、新聞屋が喜ぶ」
机の書類を軽く弾く。
「けどな、撤退線を守った勝ちは、地味だ。誰かが帰って初めて意味が出る。しかも帰った奴ほど、しばらくしたら自分で歩けた気になりやがる」
「分かります」
「だろ?」
デコーズは笑った。
「だから記録がいる。礼状がいる。相手の返礼がいる。誰がどこで誰を帰したか、紙に残しておく必要がある」
ジィッドは、ふとニナリスを見た。
ニナリスは静かに立っている。
「ニナリスに同じことを言われました」
「だろうな。VVS1は怖えなあ」
「はい。礼状でもピークを踏むなと言われました」
「ははっ」
デコーズは楽しそうに笑った。
「礼状でもピークを踏むな、か。いいじゃねえか。銀月の教本に載せろよ」
ニナリスが静かに端末を操作した。
「記録しました。教育資料案に追加します」
「本当に載せるな、ニナリス」
「ジィッド様。教育効果が見込めます」
「見込まなくていい」
デコーズはさらに笑った。
「いいねえ。若造どもに教えてやれ。剣も、GTMも、礼状も、踏み込みすぎたら死ぬってな」
ジィッドは疲れた顔で息を吐いた。
「最近、本当に全部が停止訓練に見えてきました」
「それでいいんじゃねえの」
「いいんですか」
「少なくとも、お前さんには合ってる」
デコーズの声が、少しだけ低くなる。
「ジィッド。お前さんは、止まれない天才じゃねえ」
ベラ南翼のHL1が、脳裏に浮かんだ。
止まれないのに死なない騎士。
突出してなお戦場を動かす存在。
眩しく、羨ましく、妬ましいもの。
ジィッドは、黙って聞いた。
「止まらなきゃ死ぬ騎士だ。けど、止まれるなら部隊を帰せる騎士だ」
デコーズは言った。
「その違いを間違えるな」
「……はい」
「若造どもにも間違えさせるな。あいつらは、止まれない天才を見たら憧れる。音速突撃を見たら走りたがる。新聞を見たら温まる。大将首の穴を見たら飛び込みたがる」
「はい」
「だから、お前が冷やせ」
デコーズは書類の束を軽く叩いた。
「剣で冷やすな。怒鳴るだけでも足りねえ。礼状、返礼、白旗、救護記録、軍務記録。そういう面倒くせえもので冷やせ」
「……面倒ですね」
「騎士団長ごっこなんだろ?」
「ごっこで済まないと、さっき申し上げました」
「じゃあ本物になれ」
短い言葉だった。
ジィッドは返事に詰まった。
デコーズはすぐに軽い調子へ戻る。
「ま、ボクちゃんは面倒な同盟軍の顔色を見てやるからよ。お前さんは銀月の若造どもを、地味で面倒で死ににくい騎士団にしろ」
「死ににくい騎士団、ですか」
「最高だろ」
「新聞受けは悪そうです」
「新聞は死んだ騎士を帰してくれねえよ」
ジィッドは、少しだけ笑った。
「俺も同じことを部下に言いました」
「じゃあ少しは騎士団長らしくなってきたんじゃねえの」
「評価ですか」
「褒めてねえよ」
「デコーズ隊長は、そう言う時だいたい評価しています」
「ジィッド君、可愛げがなくなってきたなあ」
「軍務ですので」
「うわ、ニナリスちゃんに染まってやがる」
ニナリスが静かに言った。
「黒騎士様。不適切な表現です。ジィッド様は状況に応じた言語運用を学習されています」
「ほら怖え」
デコーズは肩をすくめた。
それから、書類を一つにまとめた。
「これは預かる。礼状と返礼の写しは、黒騎士隊の記録にも入れておく」
ジィッドが目を上げた。
「よろしいのですか」
「いいに決まってんだろ」
デコーズは軽く言った。
「銀月が帰還線を維持したって記録を、銀月の中だけに置いといてどうする。黒騎士隊の記録にも残す。次に同盟軍がごちゃごちゃ言ったら、“銀月はベラで帰した”って言えるだろ」
ジィッドは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいい。次も帰せ」
「はい」
「それと」
デコーズは、にやりと笑った。
「若造どもには言っとけ。新聞で一行なら、次は二行を目指せってな」
「それは、もうラドが言っていました」
「へえ」
「次は銀月の一行を二行にしたい、と」
デコーズは少しだけ黙った。
そして、ふっと笑う。
「なら、育ってるじゃねえか」
「まだです」
「まだでいいんだよ」
デコーズは言った。
「いきなり立派な騎士団になったら気持ち悪い。若造どもは、少しずつ冷やして、少しずつ熱を戻して、また冷やしてやれ」
「手間がかかります」
「騎士団長だからな」
「出世したくなかった」
「王宮で稼ぐからだよ」
「本当に、あの時の自分に言ってやりたいです」
「無理だな。あの時のお前さんは、褒美で剣聖騎を押しつけられるなんて思ってねえ」
「はい」
「で、今は剣聖騎の成れの果てで、礼状書いて若造を冷やしてる」
「ひどい人生ですね」
「いい人生じゃねえか」
ジィッドは思わずデコーズを見た。
デコーズは笑っていた。
だが、その目は、やはり笑っていなかった。
「少なくとも、死に役よりはいい」
ジィッドは黙った。
その言葉も、効いた。
銀月の若手たちを、血気盛んな死に役のままにしない。
それが、ここまでの全部だった。
敵前停止。
カーバーゲン回収。
白旗。
礼状。
返礼。
新聞の一行。
軍務記録。
帰還線。
全部、地味で面倒で、記事にならない。
だが、死に役から騎士団へ変えるためのものだった。
「ジィッド」
「はい」
「次の報告では、若造どもが何人帰ったかを最初に言え」
「撃破数ではなく?」
「撃破数はその後でいい」
「分かりました」
「それが銀月の癖になるまで続けろ」
「はい」
ジィッドは深く敬礼した。
「銀月騎士団、次も帰します」
デコーズは、軽く手を振った。
「おう。帰してこい。大将首を逃しても、部下を帰した騎士団長は飯が食える」
「飯だけですか」
「酒も飲める」
「もう少し良い評価が欲しいところです」
「贅沢言うな」
ジィッドは少しだけ笑い、踵を返した。
ニナリスがその後ろに続く。
テントを出る直前、ニナリスが静かに言った。
「ジィッド様」
「何だ」
「今回の報告は、良い評価を得たものと判断します」
「デコーズ隊長は褒めていないと言っていたが」
「黒騎士様の言語運用上、褒め言葉に分類してよい部分が複数ありました」
「そうか」
ジィッドは少しだけ息を吐いた。
「なら、記録しておいてくれ」
「はい」
ニナリスは端末に入力する。
「銀月騎士団。ベラ方面会戦後処理報告。黒騎士様より、帰還者数を重視する騎士団運用を評価。今後の報告項目最上位を帰還者数に変更」
「……そこまで書くのか」
「必要です」
ジィッドは苦笑した。
だが、止めなかった。
黒騎士隊の臨時指揮所の外では、ノウラン市占領地の風が吹いていた。
まだ戦争は続く。
銀月騎士団は、まだ若い。
だが、次から報告の最初に来る数字は決まった。
撃破数ではない。
帰還者数だった。