ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

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訓練教材「南翼HL1」

ノウラン市占領地・銀月騎士団・臨時教育区画

 

 

 

 映像室と呼ぶには粗末だった。

 

 野戦陣地の片隅に張られた大きめのテント。

 遮光布を垂らし、簡易投影盤を立て、整備班が持ち込んだ解析端末を積んだだけの場所。

 

 だが、銀月騎士団の若手たちは妙に緊張していた。

 

 題名が悪い。

 

 

 

『訓練教材:突出して死なない敵への対応』

 

 

 

 投影盤にそう表示されている。

 

 ラド・ベイカーが、小声で言った。

 

「題名からもう嫌なんですが」

 

 隣の若い騎士が頷く。

 

「突出して死なないって、何なんだよ」

 

「普通は突出したら死ぬんだろ」

 

「普通じゃないから教材なんだろ……」

 

 テント前方に立つニナリスが、端末を操作した。

 

 戦闘中ではない。

 

 だから彼女は、前線用の完全実務装備ではなく、デカダン・スタイルを纏っていた。

 

 それは儀礼用の重装ではない。

 ファティマが日常生活を送るための軽装装備でもある。

 

 細い身体線を整え、動作を妨げず、執務・移動・教育・待機に対応する。

 装飾はある。

 だが、それは無駄な飾りではなく、ファティマの身体構造と所作を崩さず見せるための設計だった。

 

 深い紫紺を基調とした細身の上衣。

 白い襟元。

 胸元に差す鮮やかな橙の布。

 腰から裾へ落ちる非対称のライン。

 黒い袖口と、白い手袋。

 細く長い脚線を包む濃色のタイツと、白黒のヒール。

 

 野戦陣地の泥と油の匂いの中でも、過剰に浮くわけではない。

 むしろ、ニナリスが日常を崩さず、ファティマとしての規格を保ってそこに立っている、と分かる服だった。

 

 若手の一人が、思わず呟く。

 

「……軽装って聞くと軽そうなのに、圧はあるんですね」

 

「黙って聞け」

 

 ジィッドが後方の椅子から言った。

 

 彼はBDU姿で、肘にまだ薄い油染みが残っている。

 日常軽装のニナリスと並ぶと、余計に自分の雑さが目立つ。

 

 別の若手が小声で囁く。

 

「隊長も少しは服装を……」

 

「聞こえてるぞ」

 

「すみません」

 

 ニナリスは若手たちのざわつきを軽く受け流し、淡々と続けた。

 

「本教材は、ベラ方面会戦南翼における所属不明八騎の突破映像を基に作成しています」

 

 若手たちが黙る。

 

「対象は、先頭を走ったHL1一騎です。ジィッド様の指示により、銀月騎士団若手騎士向けの危険対象識別教材として編集しました」

 

 ジィッドは腕を組み、黙っている。

 

 映像が始まる。

 

 南翼。

 湿地。

 ウモス第五大隊の伸びた横腹。

 そこへ低出力で忍び寄った八騎が、一気に姿を現す。

 

 HL1二騎。

 ワイマール六騎。

 

 そのうち一騎のHL1だけが、異様に前へ出る。

 

 若手たちは、映像だと分かっていても息を呑んだ。

 

「速い……」

 

「後ろ、追いついてない」

 

「これ、隊列崩れてますよね?」

 

 ニナリスが答える。

 

「はい。通常の部隊運用基準では、先頭HL1は突出しすぎています。後続ワイマール六騎は追随遅延。結果として、くさび型に近い隊形を形成しています」

 

 映像の中で、先頭HL1がウモスのX-8二騎の間へ入る。

 

 普通なら囲まれる。

 

 だが、囲まれない。

 

 初撃を外す。

 二撃目の線をずらす。

 ウモスの足並みだけを壊す。

 斬り殺しに行かず、止まらず、角度を変える。

 

 後続のワイマールが追いつき、裂けた隊列の隙間へ圧をかける。

 

 若い騎士の一人が手を上げた。

 

「あれ、追ったらどうなります?」

 

 ニナリスは即答した。

 

「死にます」

 

 沈黙。

 

 別の騎士が、恐る恐る聞く。

 

「何騎で囲めば?」

 

「囲みに行く前に剥がされます」

 

「剥がされる……」

 

「はい。あの先頭HL1は、包囲が成立する前に包囲線の関節を抜きます。騎士単位ではなく、部隊の反応遅延を攻撃しています」

 

「じゃあ、どうするんですか」

 

「見て、記録して、味方に流して、触らない」

 

 テント内が静まった。

 

 あまりにも地味な答えだった。

 

 だが、映像を見た後では誰も笑えない。

 

 ラドが呟く。

 

「触らない、が正解なんだ……」

 

 ジィッドがそこで口を開いた。

 

「デコーズ隊長みたいなものだぞ」

 

 若手たちが一斉に振り返る。

 

 ジィッドは表情を変えずに続けた。

 

「お前は黒騎士を囲んで、それで勝てると思ってるのか?」

 

 若手の一人が即答した。

 

「あ、無理です」

 

 別の騎士も頷く。

 

「囲みに行った時点で、囲んだ側から死にます」

 

「むしろ囲めてると思った瞬間が一番危ないやつです」

 

「それと同じだ」

 

 ジィッドは投影盤へ視線を戻した。

 

「強い敵には、触ればいいわけじゃない。追えばいいわけでもない。味方がやられているように見えても、自分たちが行けばさらに死体が増える敵がいる」

 

 映像が巻き戻される。

 

 HL1が、また南翼へ飛び込む。

 

 ジィッドは黙ってその映像を見た。

 

 胸の奥に、まだ苦いものがある。

 

 羨ましい。

 

 妬ましい。

 

 止まれないのに死なない騎士。

 

 自分とは違う。

 

 ジィッドは止まらなければ死ぬ。

 デムザンバラのピークに踏み込めば、機体に食われる。

 ニナリスに止められ、整備班に記録され、礼状の文面でさえ踏み込みすぎを直される。

 

 なのに、あのHL1は止まらない。

 

 止まれない。

 

 それでも死なない。

 

 止まれない欠陥を、突出した才能で成立させている。

 

 眩しかった。

 

 あんなふうに踏み込めたなら、と思ってしまう。

 

 だが、思うだけだ。

 

 ジィッドは、その思いを顔に出さなかった。

 

 ラドが、少し迷ってから聞いた。

 

「隊長」

 

「何だ」

 

「隊長は、ああなりたいんですか」

 

 テントの中が静かになった。

 

 ニナリスも端末を止める。

 デカダン・スタイルの裾が、空調の弱い風でわずかに揺れた。

 

 ジィッドは、少し黙った。

 

 それから、正直に答えた。

 

「なりたかったことはある」

 

 若手たちは誰も喋らない。

 

「止まれないのに死なない。ああいう騎士もいる。突出して、孤立して、普通なら死ぬ場所で死なずに戦場を動かす。そういう騎士を見れば、羨ましいと思う」

 

 ラドが小さく息を呑んだ。

 

 ジィッドは続けた。

 

「俺は違う。俺があれを真似れば死ぬ。デムザンバラも壊す。ニナリスにも過負荷をかける。お前たちが真似れば、銀月は潰れる」

 

「今は?」

 

 別の若手が聞いた。

 

「今は、ああいう奴を見ても部下を近づけない騎士団長でいたい」

 

 誰も言わなかった。

 

 その言葉は、派手ではない。

 

 だが重かった。

 

 ニナリスが静かに言った。

 

「ジィッド様の判断は妥当です」

 

「慰めか?」

 

「評価です」

 

「そうか」

 

 ジィッドは少し笑った。

 

 それから若手たちを見る。

 

「覚えろ。戦場には、追ってはいけない敵がいる。触ってはいけない敵がいる。見て、記録して、味方に流すだけで戦果になる敵がいる」

 

 ラドが頷く。

 

「南翼HL1」

 

「そうだ」

 

「教材名、変えないんですか」

 

 ニナリスが答える。

 

「現行題名は“突出して死なない敵への対応”です」

 

「怖い題名ですね」

 

「恐怖を伴う記憶は、教育効果が高い場合があります」

 

「ニナリス様、言い方が怖いです」

 

「事実です」

 

 若手たちが少しだけ笑った。

 

 だが、その笑いは軽くなかった。

 

 ジィッドは立ち上がった。

 

「この映像は何度も見る。南翼HL1だけじゃない。正体不明機、音速突撃崩壊、レイスルの撤退支援、青銅騎士団の統制撤収、全部教材にする」

 

「また座学が増える……」

 

「増える」

 

「騎士団って、もっと斬る訓練ばかりだと思ってました」

 

「斬る訓練もする」

 

 ジィッドは言った。

 

「だが、斬らない訓練もする。追わない訓練もする。退く訓練もする。白旗を通す訓練もする。礼状を書く訓練もする」

 

「最後だけ何か違いません?」

 

「同じだ」

 

 若手たちは呻いた。

 

 ラドだけは、投影盤を見続けていた。

 

 止まれないのに死なない敵。

 

 自分は止まれずに死にかけた。

 

 ティリカに過負荷をかけた。

 

 その差は、才能だけではない。

 自分が真似していい相手ではない。

 

 ラドは小さく言った。

 

「俺、次は見ます」

 

 ジィッドが聞く。

 

「何を」

 

「追いたくなった時に、あれは自分が触っていい敵かどうかを」

 

「よし」

 

「それで、駄目なら?」

 

「記録して流せ」

 

「はい」

 

 ニナリスが端末に入力する。

 

「ラド・ベイカー様、危険対象識別への理解進展」

 

「もう突っ込みません。記録してください」

 

「記録しました」

 

 テントの中に、また少しだけ笑いが起きた。

 

 ジィッドは投影盤のHL1を最後に一度見る。

 

 眩しい。

 

 羨ましい。

 

 妬ましい。

 

 だが、自分はあれにはならない。

 

 あれを見ても、部下を近づけない騎士団長でいる。

 

 その選択が、ジィッド・マトリアの今の強さだった。

 

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