ノウラン市占領地・銀月騎士団執務テント
礼状は、出したら終わりだと思っていた。
ジィッドは、本気でそう思っていた。
敵に礼状を出す。
味方に感謝状を出す。
救護班の記録を残す。
ファティマ保護確認を書く。
擱座騎に手を付けなかったことを明文化する。
面倒だった。
だが、必要だった。
だから書いた。
書いたら終わると思っていた。
だが、終わらなかった。
むしろ、そこから始まった。
「……ニナリス」
「はい、マスター」
「礼状って、出したら終わりじゃないのか」
ジィッドは机に広げられた報告書の束を前に、額を押さえていた。
ニナリスはデカダン・スタイルのまま、静かに端末を操作している。
野戦陣地の日常軽装としてのデカダン・スタイル。
執務、教育、移動、待機に対応するファティマの軽装装備。
泥と油と紙の匂いが混じるテント内でも、彼女だけは崩れない。
「文書は運用されます」
「運用」
「はい」
「書類まで戦場か」
「はい」
即答だった。
ジィッドはしばらく黙った。
それから、深くため息をついた。
「デムザンバラの方がまだ素直だ」
「デムザンバラは、ピーク領域に踏み込まなければ比較的素直です」
「書類は?」
「出した後、相手方の政治的都合に応じて再解釈されます」
「最悪じゃないか」
「軍務ですので」
「その言葉、本当に強いな」
ジィッドは一通目の写しを手に取った。
ウモス軍から回ってきた内部資料の抜粋。
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銀月騎士団も、我が青銅騎士団の撤収統制を高く評価している。
ベラ方面会戦における南翼対応および統制撤収は、同盟軍全体の損害抑制に寄与した。
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ジィッドは呻いた。
「俺は“撤収統制に敬意を表する”とは書いた。書いたが、“高く評価している”とまでは……」
「ベルミ・クローゼ総騎士団長様の側では、同盟軍内での説明材料として有用です」
「だろうな。あの撤収判断は正しかった。正しかったが、俺の礼状が青銅騎士団内の統制美談に使われている」
「事実と大きく矛盾してはいません」
「そこが厄介なんだよ」
次の紙。
ロッゾ帝国側の戦後整理文書。
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バッハトマ側も、帝国中央第一軍の後退規律を認めた。
銀月騎士団の識別灯展開は、帝国軍の統制ある後退を補助したに過ぎず、中央第一軍の秩序維持能力は各軍より確認されている。
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ジィッドは頭を抱えた。
「“補助したに過ぎず”って何だ」
「帝国中央第一軍の面子を維持する文面です」
「俺は識別灯が役に立ったと記録しただけだぞ」
「ロッゾ帝国側は、銀月騎士団の支援を認めつつ、それを自軍の規律の証明に組み込んでいます」
「使い方が上手いな」
「はい」
「褒めてない」
「評価です」
ジィッドはニナリスを見た。
「それ、俺が最近よく言われるやつだ」
「はい、ジィッド様」
「様付けで刺すな」
ニナリスは表情を変えない。
ジィッドは三枚目を見た。
ハプハミトンとドレンノ連邦からの内々の返答。
こちらは公式文書ではない。
ジィッド宛てではなく、バギィ経由で回ってきた情報だった。
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銀月の帰還線があったから被害を抑えられた。
ただし、表向きには自軍の撤退統制とレイスル騎士団の支援を中心に整理する。
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ジィッドは、紙を机に置いた。
「これはまだ分かる」
「はい」
「恩は感じている。だが表では言いづらい」
「ハプハミトンおよびドレンノ連邦としては、音速突撃失敗の印象を薄める必要があります」
「だから銀月に助けられたとは大きく言えない」
「はい」
「でも、内々には認めている」
「はい」
「……面倒だな」
「はい」
ニナリスは静かに頷いた。
「騎士団長の仕事です」
「本当に出世したくなかった」
そこへ、若い騎士が書類束を持って入ってきた。
「ジィッドさん、追加の写しです。あと、整備班長からカーバーゲンの小破六騎の部品請求書が」
「今は部品請求の方が癒しに見える」
「え、あれでですか」
「部品は壊れた箇所が分かる。政治文書はどこが壊れてるのか分からない」
「名言っぽい」
「記録するなよ」
ニナリスが端末を操作した。
「記録しました」
「早い」
「教育資料に適しています」
若い騎士が、机の上の文書を覗いた。
「これ、何ですか?」
「俺の礼状が各軍で都合よく使われている記録だ」
「え」
若い騎士は目を丸くした。
「礼状って、出したら終わりじゃないんですか」
ジィッドはゆっくり顔を上げた。
「俺もそう思っていた」
「違うんですか」
「文書は運用されるらしい」
ニナリスが静かに補足する。
「はい。文書は、受け取った側の組織目的、政治的立場、軍務記録、広報方針に応じて再利用されます」
「怖っ」
「怖くていい」
ジィッドは言った。
「怖くない奴は、礼状で余計なことを書く」
若い騎士は少し考え込んだ。
「じゃあ、隊長が書いた文って、相手がどう使うかまで考えないと駄目なんですか」
「そうらしい」
「うわぁ……」
「だから騎士団長なんて目指すな」
「はい。目指しません」
「即答するな。少しは志を持て」
「この書類見たら無理です」
ジィッドは反論できなかった。
ニナリスが端末に新しい教材分類を作る。
「教材案。“礼状の二次運用と政治的波及”」
「そんな題名で若手が寝ないと思うか?」
「寝た場合、白旗担ぎです」
「最近、罰が全部白旗担ぎになっている」
「教育効果が高いと判断します」
若い騎士が青ざめた。
「起きます」
ジィッドは三通の文書を並べ直した。
「いいか。これは悪いことばかりじゃない」
「そうなんですか?」
「ウモスが銀月の名前を使うなら、次にウモスの撤退線に銀月が入る理由になる。ロッゾが銀月の識別灯を“有用”と認めたなら、次に帝国軍の後退時にもこちらの識別灯を無視しづらくなる。ハプハミトンとドレンノが内々に助かったと認めているなら、表で言わなくても次の救援要請ではこちらの線に乗る可能性が上がる」
若い騎士が、ゆっくり頷いた。
「つまり、利用されてるけど、こっちも利用できる?」
「そうだ」
「書類の戦場だ……」
「俺も今それを学んでいる」
ニナリスが言った。
「ジィッド様、次の対応案を作成します」
「まだ何か書くのか」
「はい」
「何を書く」
「各軍による文書運用を否定せず、ただし銀月騎士団の本来任務を明確化する追加報告です」
「つまり?」
「“銀月騎士団は各軍の統制撤収、後退規律、帰還線維持に協力した。今後も同様の任務において、敵撃破数ではなく帰還者数、救護線維持、ファティマ保護、識別灯運用を重視する”という主旨です」
ジィッドは黙った。
「それを出すとどうなる」
「各軍が銀月の礼状を自軍の評価材料として使うことを妨げず、同時に銀月騎士団の評価軸を帰還線維持に固定できます」
「つまり、向こうの政治利用を逆に利用して、銀月の看板を作る」
「はい」
若い騎士が呻いた。
「書類で陣地作ってる……」
「その通りだ」
ジィッドは疲れた顔で笑った。
「礼状で陣地を作っている」
「なんか格好良いような、嫌なような」
「俺は嫌だ」
「ですよね」
ニナリスが端末をジィッドへ差し出した。
「草案を作成しました」
「もう?」
「はい」
「流石はVVS1」
「マスター、確認をお願いします」
ジィッドは端末を受け取り、文面を読み始めた。
硬い。
隙が少ない。
相手の面子を潰さず、こちらの評価軸を残す。
ウモスの撤収統制を認める。
ロッゾの後退規律を否定しない。
ハプハミトンとドレンノの損害抑制への協力も残す。
そのうえで、銀月騎士団の任務は「帰還線維持」であったと明記する。
ジィッドは読み終えて、しばらく黙った。
「ニナリス」
「はい、マスター」
「本当に、書類まで戦場だな」
「はい」
「そして、俺はこの戦場でもピークを踏むなと」
「はい。文言を盛りすぎない。相手を否定しない。自軍を卑下しない。事実を残す。次に使える形にする」
「礼状も停止訓練」
「はい」
若い騎士が、心底嫌そうに呟いた。
「騎士って、斬るだけじゃないんすね」
ジィッドはその若い騎士を見た。
「それを理解したなら、今日の座学は半分終わりだ」
「半分?」
「残り半分は、この草案を写して、どこが政治利用対策になっているかを読む」
「うわぁ!」
若い騎士が本気で悲鳴を上げた。
ジィッドは少しだけ笑った。
「安心しろ。俺も読む」
「隊長も?」
「ああ。俺もまだ学んでいる」
「なら、ちょっとだけ頑張れます」
「よし」
ニナリスが端末に入力した。
「若手騎士様、文書運用訓練への参加意思を表明」
「ニナリス様、それ記録しなくていいです!」
「記録しました」
「早い!」
テントの外では、カーバーゲンの整備音が続いていた。
戦場は、泥の上だけではなかった。
紙の上にもあった。
礼状は出したら終わりではない。
返礼も終わりではない。
相手が使う。
こちらも使う。
その積み重ねが、次の戦場で撤退線になり、白旗になり、識別灯になる。
ジィッドはペンを取った。
「よし。追加報告を書く」
「はい、マスター」
「ただし、今度は最初からニナリスが添削してくれ」
「承知しました」
「ピークに踏み込む前に止めてくれ」
「はい」
若い騎士が小さく笑った。
「隊長、書類でもデムザンバラ運用してるみたいですね」
「そうだな」
ジィッドは苦笑した。
「俺の騎士団長業は、全部デムザンバラの低中域運用らしい」
ニナリスが静かに答える。
「安定運用は重要です」
「分かってる」
ジィッドは紙に向かった。
礼状が政治利用された。
なら、次はその政治利用を、銀月の信用に変える。
また一つ、騎士団長の仕事が増えた。
だが、その増えた仕事も、若い銀月を死に役にしないための線だった。