ラド復帰試験編・ノウラン市占領地・銀月騎士団、救護班待機所
ラド・ベイカーは、救護班の横で白旗を畳んでいた。
最初は屈辱だった。
騎士なのに担架。
騎士なのに白旗。
騎士なのに、敵を落とすのではなく倒れた者を運ぶ。
だが、何度もやっているうちに、屈辱だけでは済まなくなっていた。
白旗は軽い。
だが、持つと重い。
あの布の下で一歩間違えれば、次の戦場で白旗そのものが信用されなくなる。
担架もそうだった。
ただ運べばいいわけではない。
揺らせば傷が開く。
焦ればファティマが不安定になる。
敵側救護班の前で態度を誤れば、交換の空気が固くなる。
戦場で止まるとは、こういうことなのだと、ラドは少しずつ腹で覚えていた。
救護班長が言った。
「ラド騎士。次の交換、あなたが先頭です」
「はい」
「敵側の担架が先に来ます。こちらは三歩手前で停止。相手の救護班長が識別札を出してから、こちらも出す。相手が負傷ファティマを支えていたら、視線を騎士側へ向けすぎない。ファティマを品定めするように見ない」
「はい」
「敵騎士がこちらを睨んでも、睨み返さない」
「はい」
「相手が礼を省略しても、こちらは省略しない」
「……はい」
「不満ですか」
「いえ」
ラドは白旗を握り直した。
「前なら、不満でした」
救護班長がちらりと見た。
「今は?」
「今は、やらないと後で困ると分かります」
「良い傾向です」
「その言い方、ティリカみたいですね」
「ティリカ様が正しいのでしょう」
ラドは少し黙った。
ティリカ。
自分のファティマ。
だが、まだ自分はカーバーゲンに戻れていない。
ティリカは、ラドを見捨ててはいない。
ただ、戻る資格があるかを見ている。
それが一番堪えた。
/*/ 銀月騎士団執務テント・ジィッド、ニナリス、ティリカ /*/
ジィッドは、ラドの救護任務記録を読んでいた。
横にはニナリス。
少し離れて、ティリカが静かに立っている。
ニナリスが端末を読み上げた。
「ラド・ベイカー様。救護任務十二回。白旗下での停止指示違反なし。敵側救護班との受け渡し、重大な礼法違反なし。担架搬送時の過剰速度、初期二回。以降改善。負傷ファティマへの不用意接触なし」
ジィッドは頷く。
「思ったより積んでいるな」
「はい」
ティリカが静かに言う。
「マスターは、白旗の下では止まれています」
ジィッドはティリカを見る。
「GTMに戻せると思うか」
ティリカはすぐには答えなかった。
「まだです」
「理由は」
「生身の救護任務では、速度が遅い。判断の余白があります。カーバーゲンに乗った場合、戦果欲求、加速、ファティマ制御、味方位置、敵影、すべてが同時に来ます」
「その通りだ」
「ただし、以前より改善しています」
ジィッドは少しだけ笑った。
「厳しいが、見捨ててはいない」
「はい」
ニナリスが端末に記録する。
「ティリカ様、ラド・ベイカー様の救護任務改善を確認。ただしGTM再貸与には追加段階が必要」
ジィッドは指で机を叩いた。
「次は救護任務の中で、少し負荷を上げる」
「偵察ですか」
ニナリスが問う。
ジィッドは首を横に振った。
「ラドはニンジャでもレンジャーでもない。偵察任務で深追いせず情報を持ち帰れるかを見る手もあるが、今のラドにはまだ早い」
ティリカが頷く。
「同意します」
「救護任務を積む。次は、敵味方の擱座騎が混ざる場所での回収補助だ。敵機に触れない。味方騎だけ識別する。負傷ファティマを優先する。敵影が見えても救護線を崩さない」
「生身での停止訓練ですね」
「そうだ」
ジィッドは短く言った。
「ラドに必要なのは、敵を見ても追わない足だ。まずは生身で、それを覚えさせる」
/*/ 小規模任務案・擱座騎回収補助 /*/
表向きの任務は単純。
ノウラン市外縁の旧補給路で、前回小競り合いの擱座騎と救護物資を回収する。
銀月騎士団の救護班、整備班、少数の護衛が同行。
ラドは救護班補助。
GTM戦闘任務ではない。
ラドにカーバーゲンは戻らない。
ティリカもGTM制御には入らない。
ただし、ティリカは救護班側の記録係として同行する。
ラドには伝えないが、これは再貸与前の観察段階。
評価項目は以下。
敵の擱座騎を見ても触れないか。
味方の擱座騎を優先して識別できるか。
負傷ファティマの搬送手順を守れるか。
敵影や砲声に反応して勝手に護衛線を離れないか。
白旗線を越える時に救護班長の停止指示を待てるか。
ティリカの短い警告に即応できるか。
途中で、遠方に敵偵察騎らしき影が見える。
若い護衛騎士が言う。
「ラドさん、敵影です」
ラドは一瞬だけそちらを見る。
以前なら、足が前へ出た。
今も、出そうになる。
だが、手元の担架を見る。
白旗を見る。
ティリカを見る。
ティリカが静かに言う。
「ラド様。停止」
ラドは息を吐く。
「停止する」
そして救護班長へ報告する。
「敵影一。距離あり。こちらに接近せず。救護線維持。護衛へ映像共有。追撃不要」
ジィッドは後方でそれを見ている。
「……止まったな」
ニナリスが記録する。
「ラド・ベイカー様、敵影確認時に追撃衝動あり。ただしティリカ様の停止警告に即時応答。救護線維持」
ジィッドは頷く。
「よし」
まだカーバーゲンは返さない。
だが、戻るための線に一歩近づいた。
/*/ 任務後 /*/
ラドは、任務後の報告を終えて、ジィッドの前に立った。
「隊長。今日の俺、どうでした」
ジィッドは書類から目を上げた。
「救護班補助としては合格だ」
ラドは少しだけ肩を落とす。
「騎士としては?」
「まだだ」
「……はい」
悔しい。
だが、以前ほど焦りはなかった。
ジィッドは続ける。
「ただし、前より良い」
ラドが顔を上げる。
「本当ですか」
「敵影を見て止まった。敵機に触れなかった。白旗線を崩さなかった。ティリカ様の警告にも応答した」
ティリカが静かに言う。
「ラド様。今日の停止は記録します」
「良い記録ですか」
「改善記録です」
「まだ良いとは言わないんですね」
「はい」
「厳しいな」
「必要です」
ラドは少し笑った。
「分かった。次も積む」
ジィッドは頷く。
「そうしろ。カーバーゲンに戻る道は、敵を落として開くんじゃない。今のお前は、止まった記録で開け」
ラドは深く頭を下げた。
「はい」