ノウラン市占領戦
ノウラン市の空は、低く濁っていた。
市街地の東。
国境線に沿って伸びる丘陵地帯。
そこを、銀月騎士団が押さえていた。
市街地そのものへ突入したのは、黒騎士デコーズの主力。
銀月騎士団に与えられた任務は、敵増援の遮断と、撤退路の圧迫。
派手ではない。
だが、ここを抜かれれば、ノウラン市の占領戦そのものが崩れる。
ジィッドは、デムザンバラの中で息を整えていた。
白い機体は、低く唸っている。
かつてシュペルターと呼ばれた剣聖騎。
いまは名を剥がされ、ピークを殺され、低中域のトルクを太らされた鹵獲騎。
だが、戦場に出れば、その白はなお異様だった。
速い。
重い。
そして、落ちない。
「敵GTM、左稜線より二騎。後続三騎。さらに市街側より二騎、合流軌道」
ニナリスの声が、澄んでいた。
ジィッドは短く息を吐く。
「合計七騎か。銀月三番隊は後続を牽制。二番隊は右に振れ。敵を市街側へ戻すな。俺が先頭を止める」
『団長、単騎で出すぎです』
「出すぎる前に戻る。俺が戻らなかったら、ニナリスが怒る」
通信の向こうで、誰かが短く笑った。
緊張が少し緩む。
ジィッドはそれを確認してから、操縦桿を握った。
「ニナリス。低中域、第三制限まで」
「承知。ピーク領域は封鎖したまま。姿勢制御、補正します」
「十分だ」
デムザンバラが踏み込んだ。
甲高い剣聖の音ではない。
腹に響く低音。
大地を踏み抜くような駆動音を残して、白い騎体が丘陵を滑る。
敵の一騎が前に出る。
教科書通りの迎撃姿勢。
こちらの加速を読んで、側面から刃を合わせる構え。
ジィッドは一瞬だけ笑った。
「上手いな」
「敵騎、反応良好」
「だから、上を使わない」
デムザンバラは跳ねなかった。
ピークパワーの細い刃ではなく、太い中域の力で押した。
敵の読みより一拍遅い。
だが、重い。
速さで抜くのではなく、逃げ場を潰して押し込む。
敵騎の足が乱れた。
「もらう」
白い腕が振るわれる。
一騎目。
敵GTMの肩部装甲が砕け、姿勢制御を失った機体が丘陵へ転がる。
「撃破。敵騎、戦闘不能」
「次」
二騎目は下がった。
正しい判断だった。
先頭が落ちた瞬間、無理に踏み込まず、後続と合流するために距離を取る。
「流石だな。無名の小隊じゃない」
「追撃しますか」
「しない。誘っている」
ジィッドは踏み込みを止めた。
その瞬間、右側の岩陰から砲撃が走る。
デムザンバラの白い肩をかすめ、後方の岩盤を吹き飛ばした。
「ほらな」
「回避成功。装甲損耗、軽微」
「褒めてくれ」
「軍務中です」
「そうだった」
ジィッドは笑い、機体を低く沈めた。
「銀月三番隊、右岩陰に伏兵。あぶり出せ。深追いはするな」
『了解!』
銀月のGTMが二騎、砲撃位置へ圧をかける。
伏兵が動いた。
そこへ、デムザンバラが入った。
低く、太い駆動音。
敵の照準が追いつく前に、白い騎体はすでに懐へ入っていた。
「二騎め」
腕を払う。
敵砲撃騎の武装が根元から飛んだ。
続けて膝を叩く。
戦闘不能。
「殺しきらないのですか」
「路面を塞がせる。後続が嫌がる」
「記録します」
「欠点一覧にか?」
「戦術判断として」
「ならよし」
三騎目は、二番隊が足を止めた敵だった。
ジィッドは正面から行かない。
味方が作った角度を使い、敵の退路だけを塞ぐ。
敵は一瞬、デムザンバラを見る。
白い騎体。
かつて剣聖騎だったもの。
その一瞬が遅かった。
「三騎め」
胴部へ一撃。
撃破。
四騎目は速かった。
ジィッドより、騎士としての瞬発は上かもしれない。
敵は低中域の鈍いデムザンバラを見て、踏み込めると判断した。
正しい。
ピークを殺したデムザンバラは、剣聖騎本来の鋭さを失っている。
だが、それでもなおGTMだった。
しかも、化け物じみた出力を八十五パーセントまで落としただけのGTMだった。
「ニナリス、半歩だけ上げる」
「ピーク手前まで。三秒です」
「十分」
音が変わった。
低い唸りの奥に、一瞬だけ高い刃鳴りが混じる。
ジィッドの背筋に冷たいものが走った。
ここから先は危ない。
だが、三秒なら読める。
デムザンバラが敵の踏み込みを食った。
真正面から受けず、肩でずらし、重さで押し潰す。
「四騎め!」
敵騎の腕が飛び、膝が折れる。
ジィッドは即座に出力を戻した。
「ピーク手前領域、解除」
「解除確認。フレーム加熱、軽微」
「助かる」
「無茶は記録します」
「欠点一覧か?」
「はい」
「今のは必要だった」
「必要な無茶、と記録します」
「優しいな」
「軍務ですので」
五騎目と六騎目は、連携してきた。
片方が正面で圧をかけ、もう片方が側面から足を狙う。
ジィッドはその動きを見て、素直に感心した。
「綺麗だな」
「敵連携、良好。二騎同時の撃破は危険です」
「しない。崩す」
デムザンバラは下がった。
敵が押す。
ジィッドはさらに下がる。
銀月の部下たちが一瞬、不安げに通信を入れかけた。
だが、ジィッドは先に言った。
「慌てるな。押されているふりだ」
その声が明るかったので、部下たちは踏みとどまった。
敵二騎が前に出る。
その瞬間、ジィッドはデムザンバラを横へ振った。
速くはない。
だが、重い。
低中域を太くしたトルクが、機体を粘るように滑らせる。
敵の正面騎が空を斬った。
側面騎の射線が潰れる。
「五騎め」
正面騎の背部を叩き割る。
続けて、姿勢を戻す前に六騎目へ体当たり気味に押し込む。
「六騎め」
敵騎が転倒する。
ジィッドは追撃しなかった。
「銀月二番隊、六騎目を拘束。撃破確認だけでいい。燃やすな。道を塞げ」
『了解!』
残る一騎。
敵は退く判断をした。
だが、退路はすでに半分塞がれている。
市街側からは黒い煙が上がっていた。
ノウラン市中心部。
本陣方面。
ジィッドは、ちらりと視線を送る。
「ニナリス。本陣の反応は」
「敵本陣、通信途絶。バッハトマ主力部隊が制圧した模様」
「デコーズ隊長か」
「識別信号、黒騎士隊です」
「仕事が早いな」
ジィッドは笑った。
「こっちも締めるぞ」
七騎目は、退きながらも最後まで姿勢を崩さなかった。
逃げるのではない。
撤退している。
後続を守り、情報を持ち帰るための動き。
ジィッドは、その判断に敬意を覚えた。
「流石は大騎士団。教科書通りの撤退だな」
「追撃可能です」
「分かっている」
デムザンバラが踏み込む。
低い音が大地を叩く。
敵騎は振り向きざまに刃を合わせてきた。
ジィッドはそれを読んでいた。
剣聖騎なら、ここで上から叩き潰したのだろう。
だが、今のデムザンバラは違う。
鈍い。
重い。
だからこそ、受けて押す。
「七騎め!」
白い腕が敵騎の刃を押し潰し、そのまま肩部へ叩き込まれた。
敵GTMが膝をつく。
完全破壊ではない。
だが、戦闘不能。
ジィッドは息を吐いた。
「七騎め! ニナリス、まだいけるか?」
「フレーム加熱、軽微。まだいけます」
「ピークパワーを落としたから耐久性に余裕があるのか……鈍らせてるのに、この高出力とは恐ろしいGTMだ」
彼は、操縦席の中で笑った。
嬉しさではない。
恐怖に近い感嘆だった。
「これを本来のまま振り回す剣聖ってのは、いったい何なんだろうな」
「マスター。敵、後退します」
ニナリスの声で、ジィッドは戦場へ戻った。
丘陵の向こうで、敵残存部隊が整然と後退していく。
崩走ではない。
隊列を保ち、負傷機を回収し、射線を切りながら下がっている。
ジィッドはそれを見て、軽く息を吐いた。
「流石は大騎士団。教科書通りの撤退だな」
悔しさと感心が、同じ声に混じった。
「追撃命令を出しますか」
「出さない。深追いすれば、こっちが教科書に載る。悪い例でな」
ジィッドは通信を開いた。
「銀月各隊、追撃停止。国境ラインを保持。損傷機の回収を優先。敵の撤退を見送れ。ただし再反転には備えろ」
『了解!』
『団長、七騎撃破です!』
「俺じゃない。デムザンバラとニナリスと、お前たちの足止めだ」
『それでも七騎です!』
「浮かれるな。生きて帰ってから浮かれろ」
そう言ってから、ジィッドは自分が少し笑っていることに気づいた。
七騎。
デムザンバラで七騎。
ピークを殺し、鈍らせ、剣聖騎としては泣かせた機体で。
それでも、七騎。
胸の奥に、危険な熱が灯りかける。
選ばれたのではない。
分かっている。
だが、結果は出た。
その熱を、ニナリスの声が静かに冷ました。
「マスター。戦闘記録に、ピーク手前領域の使用一回を記録します」
「……必要な無茶だった」
「はい。必要な無茶として記録します」
「ならいい」
「また、戦闘後の心理負荷評価が必要です」
「俺のか?」
「はい」
「七騎落とした後に?」
「七騎落とした後だからです」
ジィッドは一瞬黙り、それから笑った。
「まったく、優秀なファティマは容赦がない」
「軍務ですので」
「そうだったな」
彼は視線を市街地へ向けた。
ノウラン市中心部では、黒い煙が薄く上がっている。
本陣はもう沈黙していた。
「本陣は……デコーズ隊長が落としたか」
「黒騎士隊の旗信号を確認。敵司令部、制圧済み」
「早いな、本当に」
ジィッドは小さく息を吐いた。
勝った。
だが、勝ちきったのは自分ではない。
自分は国境ラインを押さえ、七騎を落とし、敵の撤退を見送った。
十分な戦果。
だが、戦場全体を決めたのは黒騎士だ。
その差を、ジィッドははっきり理解していた。
「ニナリス」
「はい」
「戦闘記録に追加だ」
「内容を」
「デムザンバラ、限定運用で七騎撃破。ただし敵本陣制圧は黒騎士隊。銀月騎士団は国境ライン保持に成功。追撃せず」
「記録します」
「それと」
ジィッドは、少しだけ笑った。
「デムザンバラの低中域トルク調整は、有効。鈍らせた剣でも、人は斬れる」
ニナリスは、端末に入力する手を一瞬止めた。
「その表現で記録しますか」
「いや、やめておこう。黒騎士殿が喜びそうだ」
「では、実務表現に修正します」
「頼む」
デムザンバラの低い駆動音が、戦場に残っていた。
剣聖の音ではない。
だが、銀月騎士団の兵たちは、その音を聞いていた。
撤退しないための音ではない。
死ぬまで進むための音でもない。
戦い、落とし、必要なら止まり、部下を帰すための音。
その日、ノウラン市国境ラインで、銀月騎士団は崩れなかった。
そしてジョー・ジィッド・マトリアは、デムザンバラで七騎を落とした。
剣聖ではない騎士が。
剣聖騎ではなくなった騎体で。
軍務として。