ノウラン市占領地・銀月騎士団・整備区画裏
野戦陣地が少し落ち着くと、前線の兵隊は例外なく馬鹿な話を始める。
配給されるレーションの不味さ、何ヶ月も遅れている軍票の支払い、次のローテーションで回ってくるはずの休暇の予定、割り当てられた騎体の妙な駆動の癖、そして、目の前の書類の山をこちらに押し付けてきた上官の悪口。
だが、そうしたありふれた不満を一通り吐き出した後に、男たちが集まって交わす言葉は、いつでも決まって一つの方向へと流れ着く。
ファティマの話だ。それも、兵士としての実務的な運用データの話ではない。間違いなく一番盛り上がるのは、ファティマの「エロいところ」についての、極めて俗っぽくて下品な猥談である。
ノウラン市の占領地、その外縁部に急造された銀月騎士団の整備区画裏。油と埃の臭いが立ち込めるコンクリートの物陰に、若い騎士たちと数名の整備兵が、Aレーションの空パウチや冷めかけた合成珈琲のカップを片手に群れていた。
簡易式の作業机の上には、数枚の小さな写真が乱雑に散らばっている。
それらは公式の戦闘記録用に撮影されたファティマ写真の余りや、部隊識別用の正面顔写真、あるいは式典時の立ち姿を収めた広報用の資料、ファティマスーツの気密性確認用のパーツ細部写真だった。
前線という閉鎖された極限状態において、こうした味気ない公式写真は、どういうわけか妙なルートを経て若手の間で流通し、私的な「お守り」として扱われるようになる。
「いいかお前ら、お守りだの縁起担ぎだのって格好つけてるけどな、要は『どこのラインが一番エロいか』っていう一点に尽きるんだよ。男ならそこを誤魔化すんじゃねぇ」
若い騎士の一人が、机の上の写真を指の腹で小突いた。
「身も蓋もないことを言うなよ。そういうお前はどこを見てるんだ」
「嘘つくな、お前だって夜の哨戒任務の合間に、計器板の裏に忍ばせた写真を凝視してるのを俺は知ってるぞ。俺は断然、胸のラインだ。ファティマスーツってのは、あの信じられないような特殊素材のパツパツ感があるだろ。特に横から見た時の、あの不自然なほどツンと尖った独特の形がだな……」
「浅い。浅すぎるぞ胸派。だからお前はいつまで経ってもカーバーゲンの制動距離が縮まないんだ」
隣に座っていた別の若い騎士が、鼻で笑いながら合成珈琲を煤けた。
「じゃあ、お前はどこを見るって言うんだよ」
「尻、と言いたいところだが、お前らは本質を見誤っている。ファティマの肉体ってのはな、俺たち人間とは根本的に構造が違うんだ。工場で作られたホムンクルスだから、人間と比べて全体的に信じられないくらい身体が薄くて、肉付きが悪い。脚は棒みたいに細いし、尻だって人間みたいに丸く膨らんじゃいない。薄っぺらくて平べったいんだ。胸だって、スーツの補正がなきゃほとんど平らな個体ばかりだ。つまり、人間基準の『肉の柔らかさ』を求めてる時点で三流なんだよ」
「おいおい、急に講釈を垂れ始めたぞ。じゃあその薄っぺらい肉体のどこにエロさを見出すんだよ」
「そこがいいんだろうが! その人間離れした、肉の削ぎ落とされたラインが、あの皮膚と完全に密着したファティマスーツに包まれている。そこを想像するんだ。コックピットに滑り込む一瞬、細い腰の布地がわずかに引っ張られて突っ張るあの瞬間。あの薄い肉が、スーツの張力に負けて平坦に押し潰されている質感。あれを美しいと思わない奴は、今すぐエロを語るのを辞めた方がいい」
パーツクリーナーの缶をいじりながら話を聞いていた整備兵が、真顔で手を挙げた。
「お前ら騎士は視点が大雑把なんだよ。もっと細かいパーツを見ろ。俺は断然、太ももの裏だ」
「太ももの裏? ファティマの脚なんか、棒切れみたいに細いだろ」
「だからこそだよ! 膝の関節をぐっと深く曲げた時に、プラスチック・スタイルとかのタイトな生地が、その細い裏側で『クシャッ』て細かく弛む(たるむ)だろ。あの機械的なシワの入り方が、ファティマのあの非人間的なシルエットの中で、唯一『関節が動いている』っていう生々しさを感じさせるんだ。あのシワの密度は最高に抜ける」
「おい整備兵、抜けるとか言うな! 超級ファティマに対する敬意はどこへ行った!」
「バカ言え、ファティマ・マイトの設計思想と、衣服の機能美に対する最大級の賛辞だ」
ドッと下品で無骨な笑いが、油臭い空気の中に響いた。若い兵隊たちの猥談は、一度火がつくと止まらない。
「じゃあさ、ニナリス様はどうなんだよ」
一人の騎士が、紫紺のデカダン・スタイルを纏ったニナリスの式典写真を両手で持ち上げた。
「ああ……ニナリス様はなぁ。格が高すぎて、エロい目で見るのすらちょっと罪悪感があるというか、背筋が伸びるよな」
「いや、だからこそ妄想が捗るんだろ。ファティマの服って、デカダン・スタイルのあの変形スカートから覗く、細い脚の線――タイツに包まれた棒みたいな太ももから足先までのラインの他は、顔しか肌が露出してないんだぞ? 全身これ以上ないってくらい重厚な布とスーツで厳重に密閉されてるんだ。あの全く隙のない、冷たい佇まい。絶対に俺たちのことなんか『ただの不確定要素』としか思ってなさそうなあの無表情な目で、じっと見下ろされたら……」
「お前、それはただの自分のマゾ性癖を告白してるだけだろ」
「いや、分かるぞ。あのマンダリンガーネットのカフスがついてる袖口。あそこから伸びる白い手袋の指先。あの細い指で、首筋をじわじわと締め上げられたら、騎士として本望かもしれない」
「ニナリス派、性癖の歪み方が深刻すぎるだろ。誰かこいつをマインド・コントロールの再チェックに連れていけ」
「重いんだよ、ニナリス派は! いつだって命がけなんだよ!」
泥塗れのブーツの音を響かせながら、そこへラド・ベイカーが通りかかった。
「何の大合唱だ、お前ら。執務テントの裏まで、下品な笑い声が筒抜けだぞ」
「あ、ラド先輩! ちょうどいいところに。今、すごく真面目な作戦会議をしてるんです」
「嘘をつけ。机の上に写真を並べて、何が作戦会議だ」
「『ファティマのどこが一番エロいか、俺たちの魂を賭けた選手権』です。ラドさんはティリカ様をパートナーにしてるんだから、当然、一家言ありますよね?」
ラドは顔を一瞬で真っ赤にし、本気で周囲の通路を見回した。
「バ、バカかお前らは! ティリカは俺の神聖なパートナーだぞ! そんな前線の連中の
下らねぇ妄想の材料にするな! 第一、ファティマは戦場での演算装置であってだな……」
「はいはい、そういう教科書通りの建前はいいですから。じゃあ、ラド先輩はティリカ様を一度もそういう、男としての目線で見たことがないと?」
「……ッ!」
若い連中の目がギラギラと獣のように輝き、ラドを完全に包囲した。ラドは言葉に詰まり、視線を泳がせている。
「ほら! 絶対にある! その顔は何かを隠してる顔だ!」
「白状してください! 吐かないと次の訓練でカーバーゲンの出力を最低値に固定しますよ!」
「……うなじだ」
ラドが蚊の鳴くような声で呟いた。
「おおおおお!」
「うなじ! 実務型ファティマのうなじ!」
「具体的にどういう瞬間ですか、先輩!」
「ティリカが、長い髪を少し片手で持ち上げて、汗を拭くために冷却布を首の後ろに当ててる時があるだろ……あの、ファティマ特有の、少し青白いような、細くて綺麗な首筋のラインがだな、その……普段は完全に服で隠れてるからこそ、不意に見えると、普通に、その、ヤバいんだよ」
「ラド先輩が陥落したぞ!」
「『普通にヤバい』いただきました!」
「普段は『ティリカの警告音声は優秀だ』とか冷静な顔して分析してた癖に、しっかりうなじをエロい目で凝視してんじゃねぇか!」
「違う! あれはただの、不可抗力だ! 目の前でやられるから視界に入ってしまうだけで、俺に邪心があるわけじゃない!」
ラドが耳まで真っ赤にして必死に弁明している、まさにその瞬間だった。
「ずいぶん熱心な研究が行われているようだな、お前たち」
背後から響いた、低く、そして完全に冷え切った声に、全員の背骨が凍りついた。
ジィッドだった。
いつものように、前線の泥とオイルが染みついた無骨なBDU姿で、片手には分厚い書類の束を抱えている。完全に執務テントへの移動の途中であり、彼らの猥談を最初からすべて拾っていたのは明白だった。
「だ、団長」
「これは、その……」
「騎士団と整備班の、緊密な連携と、親睦を深めるための懇親の場でして……」
「士気高揚のための、その、お守り文化の研究というか……」
ジィッドはゆっくりと歩み寄ると、机の上に並べられた写真を、底冷えのするような冷淡な目で見下ろした。
ニナリス、ティリカ、エスト、マルター。
若手たちは全員、完全に腹を括った。バギィ少将のところに引っ張っていかれ、前線基地の肥溜めの清掃か、あるいはノー・パンツでの外周ランニング一ヶ月は免れない。
しかし、ジィッドは書類の束を脇に抱え直すと、ふんと鼻を鳴らし、空になったAレーションのカップを冷たく睨み据えた。
「胸だの、尻だの、太もものシワだの。お前たちの視線は、その辺の路地裏をうろついて
いる野良犬の兵隊どもと何も変わらんな。実に幼稚で、退屈だ」
「……え?」
説教ではなかった。それは、圧倒的な強者が、格下の羽虫を見下ろす時の「格付け」のトーンだった。
ジィッドは平然と、机の上のニナリスの写真を指先でトントンと叩いた。
「そんな、服の皺や、分かりやすいパーツの膨らみで一喜一憂してどうする。ファティマのエロの本質はそこじゃない」
全員がゴクリと息を呑んだ。団長が怒るどころか、この最低で下品な選手権に、当然のような顔をして「エントリー」してきたのだ。
「団長……じゃあ、団長から見て、本質はどこなんですか」
若手の一人が、恐る恐る、しかし抑えきれない好奇心を込めて聞いた。
ジィッドはさも当然のことのように、腕を組んで言い放った。
「脇腹の、浮いた肋骨の線だ」
沈黙が、整備区画の裏手を完全に支配した。
胸。尻。太ももの裏のシワ。うなじ。
その全てを、一瞬で奈落の底へ突き落とすような、あまりにも不穏で、かつ異常なまでに解像度の高い単語だった。
「……ろっこつ、ですか」
「そうだ。先ほど誰かが言っていた通り、ファティマの身体は人間と比べて薄くて肉付きが悪い。脚も細ければ、尻も薄く、胸も小さい。そしてファティマの服は、デカダン・スタイルのスカートから覗くタイツに包まれた細い脚の線の他は、顔しか肌が露出していない。全身がガチガチの戦闘服で密閉されている。だが、ファティマスーツは皮膚と完全に密着しているんだ。露出していないからこそ、その下にある骨格のラインがそのまま外側に出る。デカダン・スタイルのあのタイトなカットだと、ファティマがふとした瞬間に息を深く吸ったとき、あるいは姿勢を変えたとき、脇腹の皮一枚、布一枚の下に、芸術品みたいに美しい肋骨の影が『すっ』と浮き上がるんだ。変な歪みが一切ない、完璧に管理された人工物の骨の線だ。胸だの尻だのといった、人間の女の肉を基準にしたような俗な視点がいかに幼稚か、これだけで分かるだろ」
ジィッドは、大真面目だった。
その目は完全に、自らのこだわりを熱弁する狂信者のそれであり、同時に「超級ファティマを毎日、最も近い距離で見ている男」としての、圧倒的な説得力に満ち満ちていた。
しかし、若い騎士たちと整備兵たちは、その言葉の裏にある「本当の意味」に気づいた瞬間、身体の芯から震え上がるような戦慄を覚えた。
胸や尻、太もも、うなじを語っていた自分たちは、あくまで「服の上から見える部分」を掠め見て、お守り写真の枠内でキャッキャと騒いでいたに過ぎない。
だが、ジィッドの言っている「脇腹の、浮いた肋骨の線」は違う。
それは、ただ式典で横に立っている姿を見ているだけでは、あるいはコックピットの中で戦闘服を着ている姿を眺めているだけでは、決してその「本質」にまで辿り着けるものではない。
(――団長は、知っているんだ)
若手たちの脳裏に、同じ光景が同時に浮かび上がった。
ジィッドは、ニナリスのマスターである。ただの兵隊や、パートナーを持たない未熟な騎士とは違い、彼はニナリスを自分の「寝室」に連れていく権利を持っている。
つまりジィッドの発言は、「俺はマスターだから、夜になれば彼女の服を脱がせて、その裸を、肉付きの薄い剥き出しの身体を、目の前でいくらでも見ることができる」という、ファティマ写真論争における、絶対に他者が立ち入ることのできない領域からの「絶対的な勝者」の宣言だったのだ。
服を脱がせ、その薄い肉体を自らの手で扱い、間近で呼吸を支配している者だけが知る、特権的なエロティシズムの告白。
「団長……」
「変態の次元が違うと思ってたけど、そういう意味の『違い』だったのか……」
「解像度が高すぎると思ったら、見てる場所が違った。俺たちの負けだ」
「俺たちの語彙が中学生レベルどころか、ただの門前の小僧に思えてきた……」
ラドが、呆然と自分の手を見つめながらぽつりと呟いた。
「俺……うなじが不意に見えたとかで喜んで、マスターとして本当にまだまだ、浅いどころかスタートラインにも立ってなかったのかもしれない……」
「いや、ラド先輩は健全です! 団長がマスターとしての絶対的特権をフル活用して深淵に達してるだけです!」
「マスター」
その時、物陰からぬっと現れた静かな人影に、その場にいた全員が悲鳴を上げて跳び上がった。
ニナリスだった。そして、その後ろにはティリカも控えている。
完全に、最初からすべての会話が筒抜けだった。
ティリカは真っ赤になって、両手で首の後ろのうなじを必死に隠すようにして、ラドを見ないように俯いている。
一方のニナリスは、いつものように感情の起伏が完全に削ぎ落とされた無表情のまま、まっすぐにジィッドの正面に立った。その目は冷徹そのものだが、どこか据わっている。
「今の発言、および『スーツの下の肋骨の線がエロの本質である』という最高評価、戦術記録の外部ログ、およびバランシェ邸への定期報告書に記載しますか」
「残すな。書くな。今すぐお前の演算宇宙から永久消去しろ。命令だ」
「承知しました。ですが、デカダン・スタイルの今後の運用基準として、マスターの視覚的満足度、および骨格の視認性を最適化するため、明朝からのフィッティングにおいて、脇腹の締め付けを『あと2ミリ』追い込むことにいたします。歪みは一切許容いたしません」
「……勝手にしろ」
ジィッドはさすがに少しだけバツが悪そうに顔を逸らし、小さく咳払いをした。
若手騎士たちは、声にならない悲鳴を上げて一斉に作業机に突っ伏した。
「2ミリ追い込むって言ったぞ!」
「団長の一言で、超級ファティマのスーツのサイズが、しかも夜の視認性のために変わった!」
「勝てねぇ……この二人、夜の領域も含めて、格が違いすぎる……!」
ジィッドは、脇に抱えた書類束をバシッと叩いて、強引に場を締めにかかった。
「いいかお前たち。兵隊がくだらん猥談で盛り上がるのは止めん。戦場でお守りが必要なのも事実だ。だが、実物の前で雑に口にするな。ティリカたちが困惑しているだろ。それから、公式写真を汚すな。それだけだ」
「了解!!」
「俺は執務に戻る。続けるなら、ニナリスたちのフィッティングの邪魔にならない、遠い場所でやれ」
ジィッドが背を向けて、大股で歩き去る。その少し斜め後ろを、ニナリスが静かに、完璧な歩容で追随していく。
去り際、ニナリスがほんのわずかに、自分の紫紺の上着の脇腹のあたりに手を当て、そっと生地のテンションを確かめるような仕草を見せた。
それが、団長の「服の下の肋骨」という言葉を意識してのものなのか、ただの衣服の乱れの確認なのかは、若手たちには永遠に分からない。ただ、あの服の下に、団長だけが知っている完璧な人工物の骨の線があることだけは、確かな事実として彼らの脳裏に刻み込まれた。
「……脇腹の、肋骨派」
「団長専用の、マスター限定超高級派閥だったな」
「明日からニナリス様を見る時、どうしても肋骨のあたりに目が泳いじゃうだろ、どうしてくれんだよ」
「バカ、視線配置を間違えたら、ジィッド団長にデムザンバラで跡形もなく轢き潰されるぞ」
「それもそうだ。俺たちは大人しく、妄想の範囲で生きてよう」
ティリカは、ラドの前にトコトコと歩み寄ると、顔を真っ赤にしたまま、蚊の鳴くような小さな声で言った。
「ラド様」
「あ、はい……すまん、ティリカ。変な話をさせてしまって……」
「うなじの冷却布、次からは、もっと見えないように、丁寧に当てます。……でも、次の訓練では、絶対に音声警告を出す前に、私の制動コードに従って停止してください。そうすれば、うなじの熱も上がりませんので」
「善処します……」
こうして、銀月騎士団の第一回ファティマ写真論争は、ジョー・ジィッド・マトリアという、絶対的な寝室の特権を持つ「本物のマスター」の圧倒的な格の違いによって、完膚なきまでに幕を閉じたのだった。若手たちは、自分たちの幼稚さを噛み締めながら、再び不味い合成珈琲を啜り始めた。