ノウラン市占領地・黒騎士隊・臨時指揮所
ジィッド・マトリアは、申請書を持って立っていた。
相手は二人。
黒騎士デコーズ・ワイズメル。
そして、バギィ・ブーフ少将。
ジィッドは姿勢を正し、書類を差し出した。
「銀月騎士団への、バハットマ魔法帝国騎士服の段階的使用許可を申請します」
デコーズは書類を受け取り、にやりと笑った。
「へえ。制服が欲しいってか」
「はい」
「銀月ちゃんも、ずいぶん偉くなったねえ」
「偉くなったわけではありません」
ジィッドは即答した。
「ですが、撤退戦、後退支援、白旗線、救護線、ファティマ返還、他軍折衝を担う機会が増えています。部隊としての識別と、帝国騎士団としての格式が必要です」
バギィが腕を組んだ。
「格好つけたいだけじゃねぇのか」
「それもあります」
ジィッドは正直に言った。
デコーズが笑う。
「言ったよ、この若造」
「若手の士気に関わります。銀月にはまだ正式制服がありません。各自の礼装やBDUで式典や他軍折衝に出るのは、そろそろ限界です」
「で、帝国騎士服を着せたい」
「はい。ただし、全員に一斉ではありません。段階的に」
バギィが少しだけ目を細めた。
「段階的?」
「基準を設けます。撤退線保持訓練、白旗線運用、実騎任務、救護記録、ファティマ過負荷管理、文書係・整備連絡係などの分掌履行。それらを満たした者から、順に着用を認めます」
デコーズが書類をひらひら振った。
「褒美じゃなくて、また教育に使うわけだ」
「はい」
「ジィッド君らしいねえ」
バギィは少し笑った。
「悪くねぇ。服ってのは、着たら強くなるわけじゃない。だが、着た時に背筋を伸ばせる奴と、着せられて浮かれる奴がいる」
「はい」
「浮かれる奴には着せるな」
「そのつもりです」
デコーズが書類に目を落とした。
バハットマ魔法帝国騎士服。
濃い紫と赤で構成された、ナポレオンタイプの意匠を持つジャケット。
肩と胸元に装飾線。
正面の釦列。
襟は高く、式典でも軍務でも騎士の首筋を崩さない。
男性騎士は細身のパンツ。
女性騎士はスカート。
どちらも華美ではあるが、戦場国家の騎士服として、刃と礼節の両方を示すものだった。
「こいつを着るってことはな」
デコーズが言った。
「バハットマの騎士として見られるってことだ。若手だから、銀月だから、試験部隊だから、じゃ済まねえ」
「承知しています」
「白旗を汚せば、服ごと汚れる。撤退線を崩せば、服ごと笑われる。ファティマを雑に扱えば、服の色まで腐る」
「はい」
「それでも着せたいか」
「はい」
ジィッドは迷わなかった。
「銀月は、もう若いだけの部隊ではありません。まだ未熟ですが、背負わせなければ伸びない段階に来ています」
バギィが頷いた。
「いいだろう。まずは中隊長格、分掌責任者、実戦帰還実績のある者からだ」
デコーズも書類に署名した。
「許可してやる。ただし、ジィッド君」
「はい」
「似合わねえ奴が着てたら、ボクちゃんが笑うぜ」
「それは……教育に使います」
「本当に何でも教育にするねえ」
/*/ 銀月騎士団・野戦陣地・食堂兼集会天幕 /*/
ジィッドが戻ると、若手たちはすでに察していた。
噂連絡係が仕事をしすぎたせいである。
「隊長、通りましたか!」
「騎士服ですか!」
「濃い紫と赤のやつ!」
「ナポレオンみたいなジャケットの!」
「男は細身パンツですよね!」
「女性騎士はスカートのやつ!」
ジィッドは片手を上げて黙らせた。
「通った」
歓声が上がった。
だが、ジィッドは続けた。
「ただし、全員ではない」
歓声が半分で止まる。
「段階的に認める。撤退線保持、白旗線運用、実戦帰還、分掌履行、救護連絡、整備連絡、文書処理。基準を満たした者から順に着用許可を出す」
「制服まで試験制!」
「銀月らしい!」
「思ってたのと違う!」
ジィッドは淡々と言った。
「出世はしてるだろう」
「思ってたのと違う! もっと星を取りたかったんですよ!」
「今のままだとお前が星になる」
「厳しい!」
笑いが起きた。
だが、その笑いの後に、若手たちは互いを見た。
服が欲しい。
ただの服ではない。
バハットマ魔法帝国の騎士服。
濃い紫と赤。
ナポレオンタイプの騎士ジャケット。
胸元の飾り。
帝国騎士としての形。
それを着るには、星だけでは足りない。
帰ってこなければならない。
白旗を通さなければならない。
ファティマを帰さなければならない。
係活動を馬鹿にせず、分掌を果たさなければならない。
ラドが、少し離れた場所でティリカを見た。
「俺は、まだか」
ジィッドが答える。
「もう少しだ」
「もう少し、ですか」
「カーバーゲン復帰後の実戦帰還記録と、救護連絡係としての記録は良い。次の停止線訓練で、警告前に戻れたら申請に入れる」
ラドは息を吐いた。
「了解です」
ティリカが静かに言った。
「良い目標です、ラド様」
「ああ。今度は服のためにも止まる」
「目的が増えましたね」
「増えた」
若手の一人が叫ぶ。
「隊長、俺は?」
「お前は文書係の宛先ミスを一回減らせ」
「服まで書類!」
「騎士服は紙から来る」
「名言っぽく言わないでください!」
整備連絡係の若手が手を上げた。
「自分は?」
「カーバーゲン三番機の泥落とし報告を二日連続で遅らせた。却下」
「服が泥で遠のいた!」
給養連絡係が真剣な顔で言う。
「自分はアイス配給を守りました」
「二個取り未遂を一件止めたのは評価する」
「騎士服にアイスが関係ある!」
「士気管理だ」
天幕が笑いに包まれた。
その中で、ニナリスは端末に新しい項目を作っていた。
/*/
銀月騎士団・帝国騎士服着用基準
一、実戦任務帰還実績
二、停止線違反なし
三、白旗線運用理解
四、ファティマ過負荷管理
五、分掌任務履行
六、式典時礼法
七、服装保守意識
/*/
若手がそれを見て呻く。
「七項目!」
「やっぱり逃げられない!」
「制服なのに試験!」
ジィッドは言った。
「着たいなら通れ」
静かになった。
「この服は、お前らを強く見せるための飾りじゃない。バハットマの騎士として立つためのものだ。着たまま白旗を汚すな。着たままファティマを置いて逃げるな。着たまま味方の撤退線を塞ぐな」
若手たちは黙って聞いた。
「そして、着たまま死ぬな。できる限り帰ってこい」
その言葉は、静かに落ちた。
少しして、若手たちは揃って答えた。
「了解」
/*/ 数日後・銀月騎士団・初回着用式 /*/
最初に着用を認められたのは、数名だった。
実戦帰還を重ねた騎士。
白旗記録係。
整備連絡で評価を上げた者。
そして、救護連絡係として任務を積んだラド。
濃い紫と赤のジャケットに袖を通すと、若手たちは急に静かになった。
ナポレオンタイプの意匠は、着る者を浮かれさせるには十分華やかだった。
だが同時に、姿勢を崩せない。
男性騎士は細身のパンツ。
ブーツを整え、襟を正す。
胸元の釦を留めるたびに、自分がただの若手ではなく、帝国騎士として見られるのだと理解していく。
ラドは、袖を通してからしばらく黙っていた。
「似合いますか」
ティリカに聞いた。
ティリカは少しだけ間を置いて答える。
「はい、ラド様。姿勢が良ければ、さらに」
「そこを言うか」
「重要です」
「直す」
ラドは背筋を伸ばした。
周囲の若手が笑う。
「ラド、緊張してる」
「騎士服に着られてるぞ」
「うるさい。お前らも早く着ろ」
「着たいから頑張ってるんだよ!」
ジィッドは、それを少し離れて見ていた。
自分は以前、シアン夫人に作らされた黒紫の騎士服を一着しか持っていなかった。
ニナリスの服と色味を合わせられた、あの礼服。
今、銀月にも少しずつ形ができ始めている。
寄せ集めではない。
若いだけでもない。
帝国騎士服を着るに値する部隊へ、少しずつ近づいている。
バギィが横に立った。
「どうだ」
「服に着られている者が多いです」
「最初はそんなもんだ」
「はい」
「そのうち、服の方が馴染む」
デコーズも遅れて顔を出した。
「へえ。銀月ちゃん、見られるようになったじゃん」
若手たちが一斉に姿勢を正す。
デコーズは笑った。
「いいか。服に酔うなよ。服で星は取れねえ。けど、服を汚したら星より目立つ」
「了解!」
ジィッドが続けた。
「今日から、お前たちは見られる。騎士服を着て食堂へ行くなとは言わない。だが、食べこぼすな。整備区画に入るなら上着を脱げ。泥をつけたら自分で手順通りに処理しろ。破損したら報告。黙って隠したら、次の着用許可を止める」
「服の保守まで軍務!」
「当たり前だ」
ニナリスが端末に入力する。
「騎士服保守規定、追加します」
「やっぱり規定になった!」
「銀月だなぁ!」
ラドが小さく笑った。
「ティリカ」
「はい、ラド様」
「俺、これ着て戻ってくる」
「はい」
「敵を取っても、これを汚しすぎないように戻る」
「汚れた場合は、正規手順で洗浄と補修を申請してください」
「そこか」
「重要です」
ラドは笑った。
「分かった」
ジィッドはその様子を見て、短く言った。
「よし。銀月、整列」
濃い紫と赤の騎士服を着た若手たちが並ぶ。
まだ全員ではない。
列にはBDU姿の者もいる。
羨ましそうに見る者もいる。
次は自分だと拳を握る者もいる。
それでいい。
銀月は、全員を一度に飾る部隊ではない。
一人ずつ、基準を越え、着る資格を得る。
ジィッドは列の前に立った。
「似合っている」
若手たちの顔が、少しだけ明るくなる。
「ただし、似合うだけでは足りない」
「了解!」
「着たなら、帰ってこい」
「了解!」
返事が、野戦陣地の空に揃った。
バハットマ魔法帝国の濃紫と赤が、銀月騎士団に少しずつ染み込んでいく。
それは単なる制服ではなかった。
若手の熱を、形にするための服。
撤退線を任せられる騎士団として、外へ示すための服。
そして、死ぬためではなく、帰ってくるために背筋を伸ばす服だった。