ノウラン基地司令部予定地
ノウラン市を基地化する。
その言葉は、地図の上では簡単だった。
補給線を引く。
救護所を置く。
整備区画を広げる。
ファティマ保守区画を作る。
白旗線、救護線、整備線、給養線を分ける。
だが、基地とは人が集まる場所だ。
兵士。
騎士。
整備兵。
給養兵。
救護班。
補給商人。
搬送業者。
避難民。
情報屋。
そして、間者。
ジィッド・マトリアは、基地化計画書の余白に赤で一行を書いた。
『諜報・索敵・工作対策線、銀月単独では不可』
その横に、ニナリスが淡々と補足を入れる。
『黒豹騎士団への人員協力要請を推奨』
ジィッドは少し嫌そうな顔をした。
「トモエ姐さんに頭を下げるのか」
「必要です、マスター」
「必要なのは分かってる」
「では、行きましょう」
「ニナリスは時々、容赦がない」
「軍務ですので」
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トモエは、すぐに来た。
黒豹騎士団団長、泉興京巴准将。
騎士ではあるが、GTMで正面から斬り合う人間ではない。
諜報、工作、忍びの運用。
基地や軍を、裏から腐らせるものを嗅ぎ分ける女だった。
ジィッドが事情を説明すると、トモエは鼻で笑った。
「ようやく気づいたかい。基地ってのは、城壁より先に裏口から腐るんだよ」
「銀月だけでは見きれません」
「でしょうね」
「人を貸してください」
「便利な護衛が欲しいのかい」
「違います」
ジィッドは即答した。
「基地が腐る前に臭いを拾う鼻が欲しい」
トモエは、そこで初めて少しだけ笑った。
「言うようになったじゃないか」
「言わされている気もします」
「なら、十人出す」
「十人も?」
「少ないくらいだよ。ベテラン二人、若手八人」
ジィッドは姿勢を正した。
「助かります」
「勘違いしなさんな。貸すだけだ。黒豹の人間を銀月の便利使いにするなら、引き上げる」
「基地司令部の諜報・警備線として扱います。銀月の下働きにはしません」
「よし」
トモエは紙を一枚置いた。
「ベテラン二人は、外周と人の流れを見る。若手八人は、噂拾い、商人筋、補給車列、難民列、給養線、整備区画、ファティマ待機区画周辺の異物確認。あと、銀月の若造どもの口が滑った時の回収」
「最後が重いですね」
「一番多いよ」
ジィッドは否定できなかった。
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翌日、十人が来た。
騎士団員というより、影だった。
ベテラン二人は、年齢が読みにくい。
一人は痩せた男で、笑っているのに目が笑っていない。
もう一人は小柄な女で、補給帳簿を見る目が刃物のようだった。
若手八人は、見た目だけなら銀月の若い騎士たちと大差ない。
だが、立ち方が違う。
目線が違う。
まず出口を見る。
次に窓を見る。
それから人の靴と手を見る。
銀月の若手が小声で言った。
「なんか、怖くないですか」
「忍者だろ、あれ」
「黒豹ってこういう感じなのか」
「俺たち、声でかすぎない?」
「今さら気づいたか」
トモエが彼らを紹介する。
「ベテラン二人は、シオンとカガリ。名前は覚えなくてもいい。向こうはお前らの名前と癖と、食堂で何を食べたかまで覚える」
銀月の若手たちが一斉に青ざめた。
「怖い!」
「食堂まで!」
「アイス二個取り未遂も!?」
「それはもう知ってるよ」
小柄な女、カガリが静かに言った。
給養連絡係が膝から崩れかけた。
ジィッドは咳払いした。
「本日より、黒豹騎士団から派遣された十名を、ノウラン基地司令部の諜報・索敵・工作対策線に組み込む」
ノエルが書類を抱えたまま手を挙げた。
「准将、文書線との接続は?」
「お前とリネットが担当する。偽装文書、不審な宛名、妙な返礼、補給帳票の数字の揺れは、黒豹側へ共有」
「了解です」
リネットが静かに補足する。
「ノエル様。黒豹側の秘匿情報は、分類段階で閲覧権限を分ける必要があります」
「あ、そうか。全部こっちの帳票に入れたら駄目か」
「はい」
「助かる、リネット」
「承知しました」
ラドも手を挙げた。
「救護線はどうします」
「ラドとティリカが見る。負傷者搬送に紛れた間者、不自然なファティマ後送要求、白旗線を利用した接触は黒豹側と共有」
ティリカが頷く。
「ラド様。救護記録に、黒豹共有欄を追加します」
「頼む。あと、救護班には驚かないよう説明する」
ジィッドは頷いた。
「そうだ。黒豹の人員は、味方を疑うために入れるんじゃない。基地が腐る前に見つけるために入れる」
トモエが横から冷たく言った。
「味方だから腐らない、なんて思うなよ。味方の油断、味方の欲、味方の見栄、味方の口の軽さ。敵はそこから入る」
銀月の若手たちは黙った。
「いいかい。基地で一番怖いのは、敵の精鋭が正面から来ることじゃない。出入りの商人が少しだけ帳簿をずらす。給養の噂が一つ増える。補給車の御者が一人入れ替わる。若い騎士が食堂で自慢する。そういうので、基地は穴だらけになる」
ジィッドが続ける。
「だから、黒豹の目を借りる。文書線はノエルとリネット。救護線はラドとティリカ。諜報・索敵・工作対策線は黒豹十名。三本を司令部でつなぐ」
ノエルがぽつりと言った。
「副官機能が増えましたね」
「副官がいないからな」
ジィッドが言うと、バギィが遠くから茶々を入れた。
「いないねぇ」
トモエも同時に言った。
「いないねぇ」
ジィッドは深く息を吐いた。
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その日の午後、黒豹の若手八人は、すぐに仕事を始めた。
一人は給養所へ。
一人は補給車列へ。
一人は整備区画の外周へ。
一人はファティマ待機スペース周辺へ。
二人は食堂へ。
残りは市街地側の出入口へ。
銀月の若手がぼそっと言った。
「動きが地味すぎて怖い」
「騎士って感じしない」
「でも、あれがいないと基地が腐るんだろ」
「俺、食堂で余計なこと言うのやめるわ」
「遅い」
ノエルは、黒豹ベテランのシオンと帳票を見比べていた。
「ここ、補給枠は救護物資になってますけど、搬入経路が給養線ですね」
シオンが薄く笑う。
「気づいたか」
「腕を斬られてから、初手で崩れる文書が分かるようになりました」
「変な育ち方をしたな」
「自分でもそう思います」
リネットが端末に分類を作る。
「不審帳票、黒豹共有。優先度二。即時拘束ではなく、経路監視を推奨」
シオンはリネットを見た。
「良いファティマだ」
ノエルは少し誇らしそうにした。
「俺のファティマです」
「なら、権限を狭めるなよ」
「……はい」
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救護所では、ラドがカガリと向き合っていた。
「負傷者搬送に紛れる奴なんて、本当にいるんですか」
カガリは静かに答えた。
「いる」
「敵が?」
「敵も、味方も、商人も、逃げたい奴も、入りたい奴も」
「救護線を悪用されるのは嫌ですね」
「嫌だから見るんだよ」
ティリカが記録を開く。
「ラド様。救護線通過者の識別項目を増やしますか」
「増やす。ただし、救護が遅れるほど増やすな」
「はい。負傷度優先、識別補助、黒豹確認欄を分離します」
「頼む」
カガリがわずかに頷いた。
「救護を止めずに見る。悪くない」
ラドは少しだけ背筋を伸ばした。
「銀月ですから」
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夕方、ジィッドは司令部予定地で報告を受けた。
ノエルとリネット。
ラドとティリカ。
黒豹のベテラン二人。
そしてニナリス。
机の上に、ノウラン基地の線が増えていく。
補給線。
給養線。
整備線。
救護線。
白旗線。
ファティマ保守線。
文書線。
そして、黒豹の諜報線。
ジィッドは地図を見て、少しだけ頭を抱えた。
「基地司令、思っていたより線が多い」
ニナリスが淡々と答える。
「はい、准将」
「准将呼びはまだ慣れない」
「慣れてください」
「厳しい」
トモエが壁際で笑った。
「良いじゃないか。これで基地らしくなってきた」
「基地は便利になるほど面倒になりますね」
「そうだよ。面倒じゃない基地は、敵にとって便利なだけだ」
ジィッドは黙って、その言葉を飲み込んだ。
黒豹の十人は、静かにノウランへ散っていく。
銀月の若手たちは、まだその動きに慣れない。
だが、基地はもう、ただの野戦陣地ではなくなり始めていた。
正面で斬る者。
負傷者を帰す者。
文書を読む者。
服と肌着を守る者。
飯を出す者。
そして、腐る前に臭いを拾う者。
ジィッドは地図の上でノウラン市を見つめた。
「副官が欲しい」
ニナリスが静かに言う。
「副官機能は増えています」
「人間の副官が欲しい」
トモエとバギィの声が、どこかから揃った。
「いないねぇ」
ジィッドはまた、深く息を吐いた。