ノウラン基地・旧スキーン隊本陣・司令室
ノウラン基地の司令室は、まだ新しい匂いがした。
新しいと言っても、建物そのものは旧AP騎士団スキーン隊本陣の流用だ。
壁には補修跡があり、通信卓は黒豹の確認を経て再稼働したばかり。
窓の外では、壊されたGTM格納庫の瓦礫撤去が続いている。
ベラ以後、戦線は大きく動いていない。
大規模な攻勢はない。
小競り合いは続く。
損耗も出る。
だが、こういう停滞の時こそ、基地化と整備を進める好機だった。
ジィッド・マトリア准将は、司令机に広げた行程表へ視線を落とした。
「ニナリス」
「はい、マスター」
ニナリスはデカダン・スタイルで控えていた。
野戦陣地でも、司令室でも、彼女の線は崩れない。
袖口のマンダリンガーネットだけが、小さく灯っている。
「戦線が固着している今のうちに、お前をバランシェ博士のところへ出す」
「メンテナンスですか」
「そうだ。デムザンバラ制御、ジャマーコード、礼状添削、基地文書。使いすぎた」
「稼働範囲内です」
「範囲内でも、出せる時に出す。後で出せなくなる」
「承知しました」
ニナリスは迷わず答えた。
ジィッドは次の書類をめくる。
「他にも何名か、ファティマを一緒に送る。ティリカは今回は残す。救護課が動いているからな。リネットも残れ。文書線が死ぬ」
「はい、准将」
リネットが静かに答える。
ノエルが横でぼやいた。
「俺の仕事が減らない」
「出世だぞ」
「厳しい」
ジィッドはそのまま司令室の入口へ目を向けた。
「ハイト」
「は、はい!」
アララギ・ハイトが入ってきた。
いつものように緊張している。
ただ、今日はそれ以上に目立つものがあった。
腕。
片腕が、肩から手首まで、白銀色の外殻を持つ再生デバイスで固定されていた。
ギブスに似ている。
だが、普通のギブスではない。
薄い板状の補助骨格が腕に沿って走り、関節ごとに細かな発光点がある。
皮膚とデバイスの境目には、微細な管と端子が並び、内部で筋繊維、腱、神経系、血管接合部を再生誘導しているのが分かる。
軍用の標準再生固定具ではない。
高すぎる。
精密すぎる。
野戦病院でぽんと出るものではない。
ジィッドは数秒、それを見た。
「……その腕、どうした」
ハイトはびくっとした。
「え、あ、はい、その」
「軍用の再生固定具じゃないな」
「はい」
「バランシェ博士のところか」
「……たぶん、はい」
「たぶん?」
ハイトは視線を泳がせた。
「バランシェ博士のところで、お披露目前の子に蹴飛ばされまして」
「うん」
「それで、その、俺が近づき方を間違えて」
「うん」
「引っ張られた時に、腕が……その、千切れたというか」
司令室の空気が止まった。
ノエルが思わず言う。
「千切れた?」
ハイトは慌てて首を振った。
「取れてはいません! 腕はあります! ありますけど、筋とか腱とか神経とか、いろいろ駄目になって、博士のところで固定されました!」
ラドが顔をしかめる。
「それ、普通なら腕を落とす寸前じゃないか」
「はい……」
ジィッドは再生デバイスを見る。
高価な固定具。
おそらく、バランシェ博士側の処置。
軍用よりも上等で、ファティマや騎士の損傷処置に近い精度のもの。
つまり、ハイトは腕を失ってはいない。
だが、失いかけた。
「……なにした?」
ジィッドの声が低くなる。
ハイトはすぐに頭を下げた。
「はい、いいえ、その、俺が悪いんです。多分、俺が」
「多分じゃ分からん。整理しろ」
「お披露目前の子で、外への反応が強くて、俺が大丈夫だと言おうとして近づいて、でも大丈夫じゃなくて、蹴られて、腕を掴まれて、引かれて、それで……」
「腕が壊れた」
「はい」
「お披露目前のファティマに不用意に近づいたのか」
「……はい」
ジィッドは少し考え込んだ。
怒鳴るのは簡単だった。
だが、ハイトは戻ってきている。
腕を壊され、高価な再生デバイスで固定されても、逃げ出してはいない。
バランシェ博士のところの空気を知っている。
お披露目前のファティマの危うさも、身をもって知っている。
なら、使い道がある。
ジィッドは机の引き出しを開けた。
中から、小さな章を取り出す。
護衛騎士章。
バッハトマ魔法帝国の紋章入り。
簡易な飾りではなく、道中で身分と任務を示すための章だった。
ジィッドはそれをハイトへ差し出した。
「やる」
ハイトは固まった。
「え」
「首から下げとけ」
「准将、これは」
「護衛騎士章だ。ファティマたちのメンテのエスコート兼護衛役をやれ」
「俺が、ですか」
「そうだ」
ハイトは、自分の固定された腕を見る。
「この腕で」
「その腕だからだ」
ジィッドは即答した。
「民間仕様のランドスキッパーを一台、お前に預ける。軍用車では目立ちすぎる。だが、民間仕様でファティマを連れている若い騎士は、逆に面倒な連中を呼ぶ」
「ブローカー、ですか」
「そうだ」
ジィッドは護衛騎士章を軽く叩いた。
「その腕でブローカーに絡まれたら、どうする?」
ハイトは答えられなかった。
「だから、ハッタリが必要だ。お前、ハッタリは得意だったよな」
「はい、いいえ、その……得意というか」
「得意だ」
「はい」
「なら使え」
ジィッドはさらに言った。
「バッハトマ魔法帝国の紋章入り騎士服の上着を忘れず身に着けろ。護衛騎士章もだ。腕の再生デバイスを隠すな」
「隠さないんですか」
「隠すと弱く見える」
ジィッドはハイトの固定具を見た。
「堂々と見せろ。軍用より高い再生デバイスを付けた若い騎士が、帝国騎士服を着て護衛騎士章を下げている。まともな相手なら、まず迷う」
「迷う」
「こいつは本当に弱いのか。弱いなら、なぜそんな装置を付けて護衛に立っているのか。背後に誰がいるのか。そう考えさせろ」
ハイトは、護衛騎士章を受け取った。
重さがある。
ただの金属の重さではなかった。
ジィッドは続けた。
「ニナリスたちを守る、と思うな」
「え」
「ファティマを守るのは、言葉としては格好いい。だが、お前がやるのは少し違う」
「違う、ですか」
「ファティマたちが命令範囲の外で止まらないよう、人間側の線を引く。宿泊、移動、荷物、買い物、メンテ記録、博士への書簡。全部、人間側で処理する」
ニナリスが静かに一礼した。
「マスター。同行ファティマの行動範囲、購入許可範囲、宿泊判断基準を整理します」
「頼む」
「ハイト様への提示用に、緊急時判断基準も作成します」
「助かる」
ハイトはおずおずとニナリスを見る。
「ニナリス様が、俺の判断基準を」
「必要です」
「はい……」
ニナリスは続ける。
「また、お披露目前のファティマ様との接近基準も書面化します」
ハイトが少し青ざめた。
「お願いします」
「接近許可がない場合、二歩以上近づかないでください」
「はい」
「手を差し出す場合、相手の視線、重心、足の位置を確認してください」
「はい」
「掴まれた場合、抵抗より先に声を出してください。再生中の腕部に追加損傷が生じます」
「はい……」
「現在の再生デバイスは高価です。破損した場合、軍用標準品では代替できない可能性があります」
ノエルが小声で言った。
「バランシェ博士の備品、壊したら怖そうだな」
ラドが頷く。
「腕より先に請求書で死ぬかもな」
ハイトが真っ青になった。
「やめてください」
ジィッドは咳払いした。
「笑うな。護衛任務だ」
「はい、准将」
「笑ってません」
「ノエル、お前は笑ってる」
「少しだけです」
ジィッドはハイトに視線を戻す。
「いいか。お前は片腕を失ったわけじゃない。だが、片腕をまともに使えない。しかも、高価な再生デバイスで固定されている。弱みに見える」
「はい」
「だから、弱みを身分と任務で包め。騎士服、護衛騎士章、博士への正式書簡、同行ファティマ一覧、ランドスキッパーの運用許可。全部揃えて、相手に考えさせろ」
「ハッタリですね」
「ハッタリだ」
「俺の得意な」
「そうだ」
ジィッドは短く言った。
「ただし、今回は中身も伴わせろ。ファティマたちを無事に送り、無事に連れて帰れ」
ハイトは護衛騎士章を首から下げた。
固定された腕。
高価な再生デバイス。
バッハトマの騎士服。
護衛騎士章。
まだ頼りない。
だが、見方によっては、妙に重い。
「アララギ・ハイト。ファティマメンテナンス護送任務、拝命します」
「よし」
ジィッドは頷いた。
「出発は明朝。ノエル、バランシェ博士宛の礼状とメンテ依頼書」
「思ってた茶々入れと違います!」
「出世だぞ」
「厳しい!」
「ラド、道中用の救護セット。再生デバイス対応の固定具予備も入れろ」
「了解です」
「ティリカ、冷却布と応急処置ログ」
「はい」
「リネット、文書線補助」
「承知しました」
「黒豹には宿泊先と経路確認を回す」
司令室が一気に動き出す。
ニナリスは端末に項目を作る。
/*/
バランシェ博士宛:ファティマメンテナンス依頼書
同行ファティマ一覧
ハイト様護衛任務指示書
民間仕様ランドスキッパー運用許可
護衛騎士章貸与記録
お披露目前ファティマ接近基準
再生デバイス保護注意事項
/*/
ハイトが項目を見て、少しだけ顔を伏せた。
「最後の項目、必要ですか」
「必要です」
ニナリスは即答した。
ジィッドも言う。
「必要だ。バランシェ博士のものなら、壊した時に俺の胃が死ぬ」
「准将の胃が」
「俺の胃だけで済めばいいがな」
ハイトは護衛騎士章を握り直した。
ジィッドは最後にもう一度だけ言った。
「ハイト」
「はい」
「帰ってこい」
「はい」
「ファティマたちもだ」
「必ず」
「それと」
「はい」
「今度は不用意に近づくな」
「……はい」
その返事だけは、妙にしっかりしていた。