ノウラン基地・司令室
ハイトは、無事に戻ってきた。
民間仕様ランドスキッパー。
バランシェ博士のもとへ送ったファティマたち。
メンテナンスを終えたニナリス。
博士からの返書。
道中の記録。
そして、イースト・ハスハ国境のパーキングでのブローカー接触報告。
ハイトの腕には、もう再生デバイスはなかった。
バランシェ博士のところで処置されていた、あの高価な再生固定具は外されている。
筋繊維、腱、神経系、接合部の再生は済み、動きも戻っている。
ただし、ハイト本人は時々、無意識にその腕を押さえていた。
痛みではない。
腕を壊されかけた記憶と、あの再生デバイスが道中でどれほど強いハッタリになったかを、身体がまだ覚えている。
ジィッド・マトリア准将は、司令机の向こうで報告書を読んでいた。
「イースト・ハスハ国境のパーキングで、三名のブローカーらしき男に接触された」
「はい」
「売店へ単独で向かっていた時か」
「はい。ファティマたちはランドスキッパー内で待機させていました」
「相手は、ファティマを運んでいることに気づいていた」
「はい」
ハイトは少し顔を伏せた。
「お披露目前だろう、と。最近ファティマの生産が増えて、仕事が戻ってきた、というようなことを」
司令室の空気が冷えた。
ノエルが書類の束を持ったまま、低く言った。
「真っ黒ですね」
リネットが端末に記録する。
「ブローカー接触案件。未拘束。外見特徴、発言、逃走方向、共有対象は司令部警戒記録および補給線安全情報」
ジィッドが頷く。
「黒豹には?」
ノエルが少し眉を寄せた。
「重大接触として概要だけ回します。ただ、経路確認まで頼むのは無理です」
「分かっている」
ジィッドは短く返した。
「黒豹の十人は、ノウラン基地の中と周辺を見るだけで手一杯だ。ハイトの護送のたびに経路確認へ回す余裕はない」
トモエから借りた黒豹の人員は、貴重だった。
ベテラン二名。
若手八名。
彼らは、基地の腐りを嗅ぐためにいる。
食堂、補給線、給養、整備区画、ファティマ保守区画、出入りの商人、難民、搬入物資。
それだけで手が足りない。
ハイトの護送経路まで毎回洗わせれば、ノウランの穴が空く。
「次回以降は、司令部文書線で通行情報を集める」
ジィッドは言った。
「補給部の通行記録、軍用道路の安全情報、友軍駐屯地の開閉状況、パーキングの利用報告。ノエル、リネット、お前たちでまとめろ」
「了解です」
「承知しました」
「危険情報が重なる場所だけ、黒豹へ照会する。常用はしない」
「妥当です」
リネットが淡々と答えた。
ジィッドはハイトに向き直る。
「それで、お前はどうした」
「護衛騎士章と、バッハトマ魔法帝国の紋章入り騎士服を見せました。銀月騎士団のファティマだと告げました」
「効果は」
「すぐに引きました」
「再生デバイスも見ていたか」
「はい。道中ではまだ腕に付けていましたので。あれを見て、ただ者ではないと思ったようです」
ハイトは少しだけ苦笑した。
「俺が強そうに見えたというより、あの再生デバイスが高そうに見えたんだと思います」
「十分だ」
ジィッドは短く言った。
「ハッタリは、相手に考えさせた時点で勝ちだ」
ハイトは頷いた。
「ですが、危なかったです」
「自覚しているならいい」
「はい。あの時、戦闘になっていたら、俺一人では……」
「だから、次から歩兵一個分隊を付ける」
ハイトは顔を上げた。
「歩兵分隊、ですか」
「そうだ。車外警戒、売店・宿泊地・駐車場の前後確認、ランドスキッパー周辺警備。経路確認は黒豹ではなく、司令部文書線と歩兵分隊の事前確認でやる」
「黒豹は使わないんですか」
「使えない」
ジィッドは即答した。
「人数が足りない。あいつらはノウラン基地の腐りを拾うために借りている。護送のたびに出せば、基地の方が穴だらけになる」
「はい」
「だから、お前の護送は、お前と歩兵分隊で形にする。補給線情報と通行記録を見て、危ない場所を避ける。停車時は分隊で周囲を見る。買い物は単独で行くな」
ハイトは少し迷ってから言った。
「あの、准将」
「何だ」
「歩兵分隊より……騎士を付けた方が良いんじゃないでしょうか。俺より強い騎士を」
ジィッドはハイトを見た。
報告時点のハイトは、もう腕を固定されていない。
再生デバイスもない。
片腕が使えないわけでもない。
だが、本人の中では、まだ自分が護衛役に足りているのか疑いがある。
ジィッドは、それを否定しなかった。
「お前より強い騎士はいる」
「はい」
「だが、ファティマなしで空いていて、ファティマを複数預けても信用できて、バランシェ博士のところの空気を知っていて、民間仕様ランドスキッパーで目立ちすぎず動けて、ブローカー相手に身分と紋章で引かせられる騎士は多くない」
ハイトは黙った。
「お前が半端な騎士だから送迎役をやらせているんじゃない」
「……はい」
「エスト様の送迎を一人で任された意味を、よく考えろ」
司令室が少し静かになった。
エスト。
黒騎士のファティマ。
その送迎を一人で任されたことは、雑用ではない。
ただの運転役でもない。
「強い騎士が向いている仕事と、信用できる騎士が向いている仕事は違う」
ジィッドは言った。
「護送任務で必要なのは、敵を斬る強さだけじゃない。ファティマを命令範囲内で動かす。宿泊先で止まらせない。ブローカーに身分を見せて引かせる。博士への書簡を落とさない。道中で余計なことをしない。戻って報告する」
「はい」
「それができるから、お前を使っている」
ハイトは、護衛騎士章に触れた。
「ですが、次は再生デバイスのハッタリがありません」
「だから歩兵を付ける」
ジィッドは即答した。
「歩兵分隊は、お前の代わりにファティマを扱うためじゃない。お前が前へ出る前に、周囲を見るためだ。売店へ行く時も一人で車を離れるな。駐車場に妙な目があれば、歩兵が拾う。相手が寄ってくる前に散らせる」
「俺の指揮下に、ですか」
「そうだ。護送責任者はお前だ。歩兵はお前の目と手足になる。分隊長には話を通す。だが、任務上の判断はお前が出せ」
ハイトは、重さを感じている顔をした。
騎士を付けてもらうのではない。
自分に歩兵が付く。
守られるのではなく、守るための手足を預かる。
「……できますか」
「できるかどうかじゃない」
ジィッドは言った。
「やれ」
ハイトは息を呑み、それから姿勢を正した。
「はい」
ニナリスが端末へ入力する。
「ハイト様護送任務改訂。歩兵一個分隊随伴。車外警戒、周辺索敵、売店・宿泊地前後確認、ランドスキッパー警備、ブローカー接触時の退路確保」
ノエルが続ける。
「司令部文書線で、通行情報、補給線安全情報、友軍停泊地、既知のブローカー出没報告をまとめます。黒豹照会は危険情報が重なる場合のみ」
「それでいい」
ジィッドが頷いた。
「加えて、買い物時の単独行動禁止」
「はい、マスター」
「ファティマ行動範囲は前回同様。ただし停車時、車内待機中の外部接触に対する指示を追加」
「承知しました」
ハイトが小さく言った。
「……俺、買い物も一人で行けなくなりましたね」
「護送中の買い物は軍務だ」
「はい」
「それと、胃薬は多めに買っていい」
「そこまで報告に」
「報告書に書いてあった」
ノエルが横でぼそっと言った。
「ハイト様、胃薬二箱購入。次回以降、護送備品に胃薬を含めるべきか検討」
「ノエルさん!」
「文書線だから」
「やめてください!」
ジィッドは少しだけ笑った。
「ハイト」
「はい」
「怖いなら怖いでいい。だが、怖いまま行け。怖がらない奴にファティマ護送は任せられん」
「はい」
「前回は、紋章と護衛騎士章と再生デバイスが効いた。次は、紋章と護衛騎士章と歩兵分隊で形にしろ。黒豹の代わりに、お前が自分の目を増やすんだ」
ハイトは首から下げた護衛騎士章を握った。
再生デバイスはもうない。
けれど、役目は残っている。
「アララギ・ハイト。次回護送任務、歩兵分隊指揮を含め、拝命します」
「よし」
ジィッドは頷いた。
「戻ってこい。ファティマたちも、歩兵もだ」
「はい。必ず」
その返事は、前より少しだけ騎士らしかった。