ノウラン基地
ノウラン基地の補修は、ようやく一段落した。
旧AP騎士団スキーン隊本陣の司令棟。
通信室。
救護課。
給養区画。
ファティマ保守区画。
仮設のGTM格納庫。
完全ではない。
だが、野戦陣地ではなく、基地と呼べる形にはなった。
そこでジィッド・マトリアは、手の空き始めた工兵部隊を順に外へ出した。
道路の補修。
橋の補強。
治水工事。
荒らされた農地の復旧。
用水路の泥さらい。
崩れた畦の積み直し。
基地周辺の未利用地の開墾。
ノエル・バルデン・ローグは、工兵部隊の割当表を見て眉をひそめた。
「准将、これ、軍事工事じゃなくて公共事業では?」
「そうだ」
ジィッドは地図に赤鉛筆で線を引きながら答えた。
「補給線を通すには道が要る。道を直すなら、ついでに民間も使えるようにする。水路が壊れて農地が死ねば、食料が減る。なら水路も直す」
「理屈は分かりますけど」
「なら書類にしろ」
「思ってた副官補と違います」
「出世だぞ」
「便利な言葉だなぁ」
ノエルはぶつぶつ言いながらも、工兵隊の作業記録に項目を足した。
基地周辺農地復旧。
現地農家への貸与候補地。
収穫物買い上げ契約案。
用水路整備記録。
道路補修による補給線短縮効果。
横でリネットが静かに補足する。
「ノエル様。農地貸与契約には、戦闘発生時の焼失・踏破リスク免責条項が必要です」
「そこまで書くの?」
「必要です」
ジィッドが頷いた。
「戦闘時に燃えてもいいってんなら、現地の農家に貸してやれ」
ノエルは顔を上げた。
「いいんですか?」
「何が」
「基地周辺ですよ。農地にして、民間人を入れるんですか」
「常駐させるわけじゃない。作業時間と範囲を決める。黒豹と歩哨で出入りを確認する。農地の外に勝手に入れば捕まえる」
「それでも、危なくないですか」
「危ない」
「いいんですか」
「危ないから意味がある」
ノエルは嫌な予感を覚えた。
「准将」
「行儀の良い騎士なら、一般の農地をGTMで踏むのを躊躇う」
ノエルはしばらく黙った。
それから、地図上の基地周辺を見る。
道路。
水路。
畑。
補給線。
退避線。
そして、GTMが通る可能性のある地形。
「……農地を、心理的な障害物にするんですか」
「そうだ」
「戦時協定には……」
「基地の周辺に学校や病院を作っちゃならないとはある。避難民を盾にするなともある」
ジィッドは淡々と言った。
「だが、畑が駄目だとは書いてない」
ノエルはゆっくり言った。
「汚い」
「AP騎士団ほど強くないからな。やれることはやるだけさ」
リネットが端末に記録した。
「表現は“基地周辺未利用地の農地復旧および現地民生安定策”とします」
「“GTMが踏みにくい畑”とは書くなよ」
「書きません」
「思ってるんですね」
「評価上は存在します」
ノエルは頭を抱えた。
「銀月、どんどん戦い方が地味で嫌らしくなっていく……」
「褒め言葉だ」
「褒めてません」
そこへラドが救護課の資料を持って入ってきた。
「農地にするなら、救護線も引き直しです。農家が作業中に小競り合いが起きた時の退避場所が要ります」
ティリカが続ける。
「ラド様。農作業時間帯と救護班待機時間を連動させる必要があります。農地貸与区域には簡易合図灯を設置するべきです」
「また仕事が増えた」
ラドが呻く。
ジィッドは即答した。
「出世だぞ」
「思ってたのと違います」
ノエルが横で頷く。
「それ、みんな言うようになりますよ」
ジィッドは地図に新しい線を引いた。
「道を直す。水を通す。畑を戻す。基地で買い上げる。安い食料を市場へ流す。農家は収入を得る。商人は道を使う。輸送業者は基地の仕事を取る」
「それで民間の意見が割れる」
「そうだ」
ジィッドはスバース市へ伸びる道を見た。
「バッハトマは敵だ。だが、道を直した。水路を戻した。作物を買う。食料を安く出す。そうなれば、全員が同じ顔で反抗できなくなる」
ノエルは低く言った。
「剣で落とす前に、道と畑で割る」
「お前、文面にするのが上手くなったな」
「褒められて嬉しくない方向です」
司令室の外では、工兵隊が出発準備をしていた。
測量具。
資材車。
小型重機。
護衛歩兵。
黒豹の若手が一人、遠くから人の流れを見ている。
戦場が止まっている間に、道を直す。
道を直せば、軍が通る。
軍が通れば、商人も通る。
商人が通れば、市場が動く。
市場が動けば、人の心は一枚岩ではなくなる。
ノウラン基地は、少しずつ銃後ではなく、前線の中の町になっていく。
ノエルは書類に題名を書いた。
『ノウラン基地周辺民生安定および補給線整備計画』
それを見て、ジィッドは頷いた。
「いいな」
「中身はかなり汚いですけどね」
「綺麗な戦場なんてない」
「それはそうですが」
ジィッドは窓の外を見た。
工兵隊が、基地の門を出ていく。
その先に、荒れた道と、壊れた水路と、踏み荒らされた農地がある。
「畑を作れ」
ジィッドは言った。
「飯ができる。道ができる。市場ができる。敵が踏みにくくなる」
ノエルがぼそっと返した。
「准将、畑を戦術単位で見てますよね」
「お前も見ろ。副官補だろ」
「思ってた出世と違います」
「俺もだ」
ニナリスが静かに記録した。
「ノウラン基地、公共事業第一段階。開始」
その言葉は、戦闘命令ではない。
だが、確かに戦線が一つ伸びた音だった。