ノウラン基地司令室
ノウラン基地は、形になり始めていた。
旧AP騎士団スキーン隊本陣跡の司令棟は動き、救護課は稼働し、文書線はノエルとリネットが回し、救護線はラドとティリカが見ている。
GTM格納庫はまだ再建中だが、瓦礫は減った。
給養区画では温食が出る。
ファティマ保守区画も、ようやく区画線が引かれた。
だが、ジィッド・マトリア准将は地図を見ていた。
基地の図面ではない。
ノウラン市の市街図だった。
「ノウラン市を復興させる」
その一言で、司令室の空気が少し変わった。
ノエルが書類から顔を上げる。
「基地の復旧ではなく、市街ですか」
「そうだ」
ジィッドは市街図の通りに指を置いた。
「部下たちが遊びに行く酒場を作らせろ。飯屋も、雑貨屋も、修理屋も、洗濯屋も、遊びに行く店を増やす」
ラドが少し驚いた顔をする。
「遊ばせるんですか」
「遊ばせる」
ジィッドは即答した。
「駐留部隊が基地の中だけで金を使うと、基地の中だけが太る。市民は外で痩せる。そうなると、市民は基地を憎むだけになる」
ニナリスが端末に記録している。
ジィッドは続けた。
「部下たちに金を使わせろ。それがノウラン市の内需になる。酒場が儲かる。食材業者が儲かる。洗濯屋が儲かる。修理屋が儲かる。女将が従業員を雇う。従業員の家族が飯を食える」
「それで、市民がこちらに依存する」
ノエルが言った。
「そうだ」
ジィッドは頷いた。
「銃とGTMだけで押さえると、銃とGTMが退いた瞬間に反乱が起きる。だが、基地があるから仕事がある、兵隊がいるから店が回る、道路が直るから商人が来る、となれば話が変わる」
ラドが腕を組んだ。
「でも、兵隊が市街に出れば揉め事も増えます」
「増える」
「酒場なら喧嘩も」
「起きる」
「女絡みも」
「起きるだろうな」
ジィッドは嫌そうに認めた。
「だからルールを作る。支払いを踏み倒した奴は軍規で潰す。市民に手を出して揉めた奴も潰す。店側がぼったくって兵士を嵌めたら、それも潰す。舐められたら命令が通らない。だが、こちらが無法者になっても市民は寄らない」
ノエルが苦い顔をした。
「また規定が増えますね」
「出世だぞ、ノエル」
「思ってた出世と違います」
「俺もだ」
リネットが静かに言う。
「市街遊興規定、兵士支払記録、店舗許可証、違反時処分記録、苦情受付線が必要です」
「ほら増えた」
ノエルが天井を仰いだ。
ジィッドは市街図の外縁を指した。
「そのためにも道路を直す。基地から市街、旧市場、南門、補給線、農地側の道。民間の行き来を増やせ」
ラドが言う。
「道路が直ると、救護搬送も楽になります」
「そうだ。軍にも市民にも効く」
ニナリスが淡々と補足した。
「道路修繕により、補給車両、救護搬送、民間商人、給養物資、負傷者後送の効率が上がります」
「ただし」
ジィッドは視線を鋭くした。
「民間の行き来が増えれば、スパイも増える。ブローカーも来る。情報屋も来る。酒場は噂の集積所になる」
その時、壁際から声がした。
「そこでこっちを見るのは分かってたよ」
泉興京巴――トモエ姐さんが、いつの間にか立っていた。
ジィッドは何食わぬ顔で言う。
「対スパイは黒豹の仕事です」
「さらっと回すねぇ」
「トモエ姐さんとブラスト大佐に仕事を回します」
「うちの人手が余ってると思ってるのかい」
「思っていません。ですが、基地と市街が腐ったら、もっと仕事が増えます」
トモエは、少しだけ目を細めた。
「正しいことを嫌な言い方で言うようになったね」
「鍛えられました」
「誰に?」
「主に皆さんに」
トモエは笑った。
「酒場はいいよ。兵士は酒場で喋る。商人も喋る。市民も喋る。情報屋も喋る。喋らせる場所をこちらで用意できるなら、聞く場所も用意できる」
「では」
「黒豹から、噂拾いを酒場線に回す。ただし増員はしない。今いる若手八人の配置を変えるだけだ」
「十分です」
「十分じゃない。足りない。だが、足りないままやる」
ジィッドは頷いた。
「ブラスト大佐には?」
「市街の外周と、夜の流れを見させる。あの子はGTM大隊も見るから、全部は無理だよ」
「承知しています」
「してない顔だね」
「しているつもりです」
「つもりは危ないねぇ」
ノエルが小声で言う。
「准将、仕事を回す相手が増えると文書も増えます」
「言うな」
「市街復興計画、遊興店舗許可、道路修繕、黒豹協力要請、ブラスト大佐宛連絡、兵士外出規定、市民苦情受付線」
「言うなと言った」
「文書線なので」
リネットが静かに端末を開く。
「ノエル様。まず市街復興計画を三分類します。軍務上必要、民生上有効、治安上危険」
「治安上危険が一番多そうだな」
「はい」
ラドが少し考え込む。
「酒場が増えれば、怪我人も増えますね」
「救護課の仕事だ」
ジィッドが言う。
「酔った騎士同士の喧嘩、店での刃傷沙汰、市民との揉め事。死なない範囲で処理しろ」
「俺たち、戦場以外でも担架ですか」
「騎士だから担架だ」
「またそれだ」
ティリカが静かに言った。
「ラド様。市街救護線を別枠で作成します。戦場救護線と混在させると記録が乱れます」
「頼む」
ジィッドは市街図を見た。
「ノウランを、ただの占領地にするな」
司令室が静かになった。
「俺たちはここを使う。なら、市民にもここを使わせる。道路を直し、店を開かせ、金を落とし、仕事を作る。市民が食えるようにする」
ノエルが言う。
「善政ですか」
「違う」
ジィッドは即答した。
「占領政策だ。こちらに依存させる。基地があるから飯が食える、基地があるから道路が直る、基地があるから客が来る。そう思わせる」
トモエが薄く笑った。
「いいね。綺麗ごとに逃げない」
「綺麗ごとでは戦場は回りません」
「だが、綺麗に見せることは必要だよ」
「そこは黒豹に相談します」
「回すねぇ」
「回します。私は基地司令ですから」
ジィッドは少しだけ嫌そうに言った。
ノエルが小さく笑う。
「准将、基地司令に慣れてきましたね」
「言うな」
「思ってたのと違う出世も、板についてきました」
「ノエル」
「はい」
「市街遊興規定の草案、今日中だ」
「思ってた茶々と違います!」
「出世だぞ」
「厳しい!」
トモエは笑いながら、踵を返した。
「ブラストには話を通しておくよ。酒場線と道路線、噂がよく拾えそうだ」
「お願いします」
「ただし、兵士が店で馬鹿をやったら、銀月で処理しな」
「処理します」
「半殺し?」
「必要なら」
トモエは満足そうに笑った。
「それでいい。舐められたら街も基地も腐るからね」
ジィッドは市街図に赤線を引いた。
基地から市場へ。
市場から南門へ。
南門から補給線へ。
酒場予定地。
兵士外出許可区域。
黒豹の噂拾い配置。
救護課の市街対応線。
ノウラン市は、基地になる。
そして、基地の外側に街を戻す。
それは善意ではない。
だが、飯が出る。
道が直る。
店が開く。
市民が働く。
兵士が金を落とす。
その結果として、市民は基地を必要とする。
ジィッドは低く言った。
「戦場は、剣だけじゃないな」
ニナリスが答える。
「はい、マスター。金銭、道路、食料、噂も戦場です」
「嫌な学びだ」
「有効です」
「知ってた」
外では、旧GTM格納庫の再建音が続いている。
そしてそのさらに外側で、ノウラン市の壊れた道に、最初の補修杭が打ち込まれようとしていた。