戦線停滞下のノウラン市、経済復興指数が前年比を上回る
ノウラン市、戦時下で異例の市内流通回復
基地需要と民間店舗再開が内需を押し上げ
銀月騎士団はノウラン市を“領地化”するのか
ベラ方面会戦後、各戦線が停滞する中、ノウラン市の経済指標が回復傾向を見せている。
旧AP騎士団スキーン隊本陣跡を接収したバッハトマ魔法帝国軍は、同地を単なる野戦陣地ではなく、中継基地として再整備中だ。
注目すべきは、基地施設だけでなく市街復興が同時に進められている点である。
市内主要道路の補修、南市場の一部再開、兵士向け酒場・食堂・洗濯屋・修理工房の営業許可、軍発注による民間雇用の創出。
これらにより、ノウラン市内の民間取引量は前年同期比を上回る勢いで回復している。
特に、銀月騎士団および駐留部隊の消費が、市内の小規模商業を押し上げている。
現地商人の一人は語る。
『兵隊が来るのは怖い。だが、金を払う兵隊なら話は別だ。
道が直り、店が開き、洗濯物が来る。
食材も動く。人も雇える。
戦争なのに、去年より商売になっている』
背後には、ユーコン財団系の経営人材の関与があるとみられる。
バッハトマ副主宰ビューティ・ペール会長の影がちらつくことで、商人たちはノウラン市に一定の信用を見出している。
軍票交換、店舗許可、道路修繕費、基地納品契約などが整理され始め、占領地にありがちな略奪型経済ではなく、管理された基地需要型経済へ移行しつつある。
しかし、この復興は純粋な民生支援ではない。
ノウラン基地司令ジョー・ジィッド・マトリア准将は、兵士に市内で金を使わせ、その消費を市民の収入へ変える政策を進めている。
これにより、ノウラン市民は徐々に基地経済へ依存し始めている。
軍事評論筋はこう見る。
『これは善政ではなく、占領政策だ。
ただし、乱暴な占領ではない。
銀月騎士団は、救護線や白旗線だけでなく、経済線まで引き始めた。
つまり彼らは、ノウラン市を“通過地点”ではなく“維持する場所”として扱っている』
/*/ ノウラン市内 /*/
酒場《折れた槍亭》
「銀月は、ここを領地にするつもりらしいぞ」
誰かがそう言うと、酒場の中で笑いが起きた。
「領地? 騎士団が?」
「でも見ろよ。道は直る。市場は開く。兵士は金を払う。洗濯屋は毎日忙しい。あれで一時滞在だって言われてもな」
「マトリア卿ってやつか」
「若い准将だろ。銀月の」
「銀月騎士団領ノウラン市か」
「言うな。黒豹に聞かれるぞ」
笑い声はすぐに小さくなった。
酒場の隅には、何の変哲もない旅人が座っている。
誰もそれが黒豹の者かどうか知らない。
知らないから、声は自然と落ちる。
だが噂は止まらない。
「でも、前よりマシだ」
「戦争なのに?」
「戦争なのに、だ。少なくとも今は、荷を運べば金が出る。店を開けば客が来る。兵隊が暴れたら、銀月の救護課と警備が来る」
「怖いけどな」
「怖い方がいい。怖くない軍隊は、たいてい金を払わない」
/*/ ノウラン基地司令室・記事を読まされたジィッド /*/
「……領地化?」
ジィッドは経済紙を見下ろした。
紙面には、はっきり書かれている。
『銀月騎士団、ノウラン市を実質領地化か』
ノエルが横で口元を押さえている。
「笑うな」
「笑ってません、マトリア卿」
「ノエル」
「はい、准将」
「その呼び方を続けるなら、南市場の苦情処理を全部回す」
「申し訳ありませんでした」
ラドは記事を覗き込み、微妙な顔をした。
「でも、外から見るとそう見えるんでしょうね。道路直して、酒場作らせて、市場動かして、救護線まで市街に引いてるんですから」
「俺はいざとなったら基地を焼いて退く手順も作っている」
ジィッドが言うと、ユーコン財団の派遣員が穏やかに答えた。
「市民は撤退手順ではなく、投下された資金を見ます」
「またそれか」
「はい。資金と信用が街に積み上がれば、人は“簡単には捨てない”と判断します」
ニナリスが記事を確認しながら言った。
「マスター。記事内容は、完全な誤報ではありません」
「ニナリス」
「ノウラン市の経済復興が進んでいるのは事実です。銀月騎士団と基地司令部が、市内流通と雇用に影響を与えているのも事実です」
「領地にするつもりはない」
「ですが、外部観測上は領地化に見えます」
ジィッドは額を押さえた。
「思ってた基地司令と違う」
ノエルがぼそっと言う。
「思ってた出世と違う、の上位版ですね」
「ノエル」
「はい」
「経済紙への回答文、草案」
「思ってた茶々と違います!」
「出世だぞ」
「厳しい!」
ユーコン財団の派遣員は、涼しい顔で言った。
「回答文では否定しすぎない方がよろしいかと」
「なぜだ」
「“領地化ではない”と強く否定すると、撤退するつもりがあるのかと市民が不安になります」
「面倒だな」
「統治ですので」
ジィッドは深く息を吐いた。
「では、どう書く」
派遣員は即答した。
「ノウラン市は軍事上の中継基地であり、同時に市民生活と流通の安定は基地安全保障に資する。銀月騎士団は市民経済の回復を支援するが、民間自治と商業活動の主体はノウラン市民にある――というあたりです」
ノエルが目を細めた。
「領地化を否定してるようで、実際には関与を続ける文面ですね」
「はい、ローグ卿」
「怖い」
「経済ですので」
ジィッドは記事をもう一度見た。
ノウラン市経済、前年比アップ。
見出しだけなら悪くない。
むしろ良い。
だが、良すぎると政治になる。
政治になれば、戦場とは別の敵が来る。
「ペール会長は、この記事を読んでるだろうな」
ニナリスが答える。
「高確率で」
「笑ってるだろうな」
「高確率で」
ジィッドは天井を見上げた。
「副官が欲しい」
ノエルが書類を抱えて言った。
「いますよ、ローグ卿が」
「自分で言うようになったな」
「慣れてきました」
「それは良いことなのか」
ラドがぽつりと言った。
「ノウラン市が領地なら、救護課も領地持ちの救護課ですか」
「やめろ」
ティリカが静かに補足する。
「ラド様。市街救護線の対象人口は増加傾向です。領地か否かに関わらず、救護課の負担は増えます」
「現実に戻された」
司令室に、小さな笑いが起きた。
ジィッドは経済紙を畳み、机に置いた。
「回答文を作る。否定しすぎず、認めすぎず、市民を不安にさせず、他軍に余計な口を出させず、ペール会長にも利用されすぎない文面だ」
ノエルが真顔で言った。
「准将、それ一番難しいやつです」
「出世だぞ」
「厳しい!」
外では、ノウラン市の道路修繕が進んでいる。
市場には人が戻り、酒場には兵士が入り、洗濯屋には騎士服とBDUが積まれている。
ノウラン市は、基地に食われている。
同時に、基地を食っている。
誰かがそれを領地と呼び始めた。
ジィッド本人だけが、まだそれを認めたくなかった。