/*/ 星団暦3035年・ノウラン基地 作戦室 /*/
地図の中央には、ベイジがあった。
旧ハスハント首都。
ハスハ連合共和国全体の首都でもあった都市。
魔導大戦開戦と同時に壊滅し、王も巫女も、AP騎士団総団長も失った場所。
だが、ジィッドはそこに駒を置かなかった。
ラドが怪訝そうに聞く。
「団長。ベイジは?」
「取らない」
ノエルが顔を上げる。
「旧首都を避けるんですか?」
「避ける」
ジィッドは短く答えた。
「主宰が王都放棄宣言を出している。俺が勝手に取っていい場所じゃない」
「ですが、無政府状態です」
「だから余計に駄目だ」
ジィッドは、ベイジの上に置きかけた駒を指先で弾いた。
「取った瞬間、旧王都の責任が全部こっちへ来る。政治、難民、旧王朝、巫女信仰、反バッハトマ勢力。全部だ」
ラドが地図を見る。
「では、北東進軍は中止ですか?」
「いや」
ジィッドは、ベイジを避けるように海岸線へ線を引いた。
「海岸線を北東に沿って進む」
その指が、オータシティで止まる。
「ここまで押さえる」
ノエルが目を細めた。
「オータシティまで」
「ああ。ベイジは取らない。だが、北東沿岸と街道は押さえる。海へ出る道を作る」
ニナリスが静かに言う。
「将来的な北海方面への足場ですね」
「そうだ」
ジィッドは地図の北、海上に浮かぶ島影を見た。
「王都はいらん。欲しいのは補給線だ」
ラドが苦笑する。
「団長、首都より港ですか」
「首都は胃が痛い。港も胃が痛いが、港は補給が来る」
ノエルが小さく笑った。
「どちらにせよ胃は痛いんですね」
「そうだ」
ジィッドはそこで、別の駒を地図の西側へ置いた。
黒い駒。
ダッカス。
オーバーホール明けの黒騎士のGTM。
その名が作戦室の空気を少し重くした。
「それに、今回の北東進軍は陽動も兼ねる」
ラドの顔が変わった。
「陽動、ですか」
「ああ。ダッカスのオーバーホール明けだ。AP騎士団の目は、嫌でもデコーズ隊長とダッカスに向く」
ノエルが地図を見直す。
「そこへ銀月が北東へ動けば、APはどう見ますかね」
「ノウランから北東沿岸を押さえる動き。旧首都ベイジ周辺への牽制。オータシティ方面の占領。そう見える」
「実際そうですが」
「そう見えるからいい」
ジィッドは地図を叩いた。
「こちらはベイジを取らない。だが、ベイジの周辺を動く。APは警戒する。北東沿岸に目を向ける。ダッカスが動けるようになった時期と重なれば、余計に神経を使う」
ラドが息を吐いた。
「銀月が目立つことで、AP騎士団の視線を引きつけるわけですね」
「そうだ」
「嫌な役ですね」
「嫌だよ」
ジィッドは即答した。
「だが、銀月が動けば目立つ。デムザンバラもある。ダッカスの名前もちらつく。APは見ないわけにはいかない」
ニナリスが端末に記録する。
「目的は、北東沿岸回廊の確保、オータシティ占領、ならびにダッカス復帰後の敵視線誘導」
「名前が長い」
「正式記録には必要です」
「記録はいつも残酷だな」
ラドが地図を見ながら言う。
「ですが、団長。APが本気で来たら?」
「正面で受けるな」
ジィッドはすぐに言った。
「こっちはベイジを取らない。王都放棄宣言には触れない。あくまで沿岸線と街道を押さえる。APが出てきたら、こちらは補給線を切られない範囲で下がる」
「勝ちに行く作戦ではない?」
「勝つ必要はある。だが、王都を取って勝つ作戦じゃない」
ジィッドは、海岸線に置いた駒を少しずつ北東へ動かした。
「オータまで行く。港を使えるようにする。街道を押さえる。APの目を引く。デコーズ隊長とダッカスへの警戒も混ぜる。こっちが何を狙っているか、相手に少し迷わせる」
ノエルが頷いた。
「派手な王都制圧ではなく、相手の視線を引きながら沿岸を取る」
「ああ」
「地味ですね」
「地味でいい」
ジィッドは言った。
「派手な作戦は、勝った後に余計なものがついてくる」
ラドが笑う。
「それ、団長が言うと説得力がありますね」
「笑うな」
ニナリスが静かに続けた。
「作戦中、ベイジ方面への過剰接近は禁止しますか」
「禁止だ。旧王都の名に釣られるな。廃墟の王冠を拾うな。海岸線を取れ」
ジィッドは、もう一度オータシティを指した。
「ここまででいい」
「その先は?」
「まだ見ない」
「ボルサ諸島列島は?」
ノエルが問う。
ジィッドは北海の島影を見た。
「今は見るだけだ。十年はかかる」
「十年?」
「港を整え、艦を増やし、歩兵を訓練し、海を読む。島はGTMで踏み荒らしたくない」
ラドが呆れたように言う。
「団長、本当に騎士団長ですか?」
「騎士団長だから言ってるんだよ」
ジィッドは地図を畳まず、しばらく眺めた。
ベイジには駒を置かない。
その代わり、海岸線に細い線が伸びる。
派手な征服ではない。
王都の名も取らない。
だが、その線は確かに北へ伸びていく。
AP騎士団の目を引きつけるために。
ダッカスの復帰と重ね、敵に余計な警戒を強いるために。
そして、いつか北海を使うために。
「行くぞ」
ジィッドは言った。
「ベイジには触るな。だが、ベイジの周りを動いてAPの目を引け。海岸線を北東へ押さえる。オータまで進む」
ニナリスが記録を閉じる。
「北東沿岸回廊確保作戦、開始準備」
ジィッドは嫌そうに顔をしかめた。
「だから名前が長い」
「正式記録です」
「記録はいつも残酷だな」
その日、銀月騎士団は旧首都ベイジではなく、北東の海岸線へ向かった。
それは王都を奪う戦ではなかった。
ダッカスの復帰に合わせてAP騎士団の視線を引きつけ、北東沿岸の足場を作るための、地味で面倒な進軍だった。