ノウラン市占領後
ノウラン市の行政庁舎跡に、黒騎士隊の臨時指揮所が置かれていた。
外では、占領後の整理が続いている。
市街地の火災はほぼ収まり、通信塔にはバッハトマの識別旗が上がっていた。
その奥の作戦室で、デコーズ・ワイズメルは机の上に足を乗せていた。
態度は悪い。
だが、机の上に広げられた整備予定表と戦線配置図は、きちんと整理されていた。
「ダッカスとエストをフルオーバーホールに出す」
軽い声だった。
だが、内容は重かった。
ジョー・ジィッド・マトリアは、思わず顔を上げた。
「このタイミングだからですか」
「そうだ」
デコーズは、端末を指で弾いた。
「ノウランは落とした。敵は一度下がった。こっちは野戦陣地を固めてる。次に大きく動くまで、少しだけ間がある」
にやりと笑う。
「こういう時にしか、ボクちゃんの相棒を腹の中まで開けねえだろ」
「黒騎士殿が前線を離れるのは、敵も見ています」
「見せてんだよ」
デコーズはあっさり言った。
「ダッカスがいねえ。エストもいねえ。じゃあ今なら突けるかも、って思う馬鹿が出てくる。そいつを見つける」
「誘いですか」
「半分な」
「残り半分は」
「本当に必要だからだよ」
デコーズの目が、少しだけ冷えた。
「勝ってる時に整備を惜しむ奴は、負け始めてから泣く。ボクちゃんは泣く趣味ねえんだわ」
ジィッドは黙って頷いた。
正しい。
ノウラン市本陣を落とした黒騎士が、その直後に自分のGTMとファティマを後送する。
派手な勝利の後だからこそ、足元を整える。
それができるから、デコーズは黒騎士なのだ。
ジィッドは少しだけ息を吸った。
「なら、俺も一つ願いがあります」
「ん?」
デコーズが目だけを向ける。
「俺も、バランシェ博士のところにいるアウクソーに接触したいです」
作戦室の空気が、ぴたりと止まった。
デコーズは、しばらく無言でジィッドを見た。
そして、口元だけで笑った。
「ニナリスがいるだろ」
軽い声。
だが、温度は低い。
ジィッドは即座に背筋を伸ばした。
「はい。ニナリスは俺のファティマです」
「じゃあ何だ。剣聖騎をもらったら、次は剣聖のファティマが欲しくなったか?」
デコーズは笑っていた。
だが、目は笑っていない。
「分かりやすくていいなあ、ジィッド君。血筋がねえから出世できず、剣聖騎をもらって火がついて、今度はアウクソーか。いやあ、若いって怖いねえ」
ジィッドの表情が硬くなる。
だが、怒らなかった。
むしろ、少しだけ顔を伏せた。
「そう見えるのは、分かります」
「ほう」
「俺にそういう欲がない、と言えば嘘になります」
ジィッドは正直に言った。
「剣聖騎に憧れなかった騎士はいません。アウクソーの名を知らない騎士もいません。俺に分不相応な欲がないと言えば、それは嘘です」
デコーズの笑みが、わずかに消えた。
「続けろ」
「ですが、今回の願いはそれではありません」
ジィッドは、持参した端末を机の上へ置いた。
表示されていたのは、デムザンバラの戦闘記録だった。
ノウラン市国境線。
七騎撃破。
低中域トルク調整。
ピーク手前領域使用一回。
フレーム加熱軽微。
局所負荷あり。
「デムザンバラは、いまニナリスの調整で動いています。出力を八十五パーセントに落とし、低中域を太らせることで、俺でも扱える範囲に収めた」
「知ってるよ。ボクちゃんも見てた」
「ですが、それは剣聖騎本来の使い方ではありません」
「当たり前だ。剣聖じゃねえんだからな」
「はい」
ジィッドは頷いた。
「だからこそ、本来の設定思想を知りたい」
デコーズの目が細くなる。
「設定思想?」
「はい。シュペルターがどういう前提で組まれていたのか。剣聖とファティマが、どの領域で何を見ていたのか。ピークパワーの細いバンドを、どう扱う設計だったのか」
ジィッドは端末の曲線を指した。
「俺はここに届きません。届かないことは分かっています。だからここを使いたいのではなく、ここをどう捨てるべきかを知りたい」
デコーズは黙った。
ジィッドは続ける。
「いまのデムザンバラは、ニナリスが俺に合わせて鈍らせています。ですが、鈍らせ方にも正解と不正解があるはずです。殺してはいけない癖まで殺しているかもしれない。残すべき反応を潰しているかもしれない。逆に、危険な領域をまだ残しているかもしれない」
「それを、アウクソーから聞きたいってわけか」
「はい」
「バランシェ博士じゃなく?」
「博士からも学べるなら学びたいです。ただ、騎体の設計情報だけではなく、実際に剣聖騎と向き合ったファティマ側の感覚が必要です」
ジィッドは一瞬、言葉を選んだ。
「ニナリスに、剣聖騎を殺させすぎたくありません」
作戦室の空気が、少し変わった。
デコーズは足を机から下ろした。
「お前さん、今なんて言った?」
「ニナリスに、剣聖騎を殺させすぎたくない、と言いました」
「剣聖騎がかわいそうだからか?」
「違います」
ジィッドは首を横に振った。
「ニナリスが一人で背負うことになるからです」
その声は、軽くなかった。
「俺は扱えない。だから出力を落とす。俺は追いつけない。だから反応を鈍らせる。俺は怖い。だからピークを封じる。全部、必要です」
だが、とジィッドは言った。
「その判断を、ニナリスだけにさせ続けるのは危険です」
デコーズは何も言わない。
「俺が未熟だから、ニナリスが剣聖騎を削っている。俺が死なないために、ニナリスがシュペルターをデムザンバラへ変えている。なら、俺はせめて、何を削っているのかを理解しなければいけない」
ジィッドは視線を逸らさなかった。
「アウクソーに接触したいのは、乗り換えたいからではありません。剣聖騎の設定を詰めるために、ノウハウを吸収したいからです」
しばらく沈黙が落ちた。
デコーズは、机の上の端末を見ていた。
それから、ひどく面倒くさそうに頭を掻いた。
「……お前さんさあ」
「はい」
「そういうこと言うと、ボクちゃんが怒りづらくなるだろ」
「申し訳ありません」
「謝るところじゃねえよ」
デコーズは椅子に背を預けた。
「で、ニナリスは何て言ってる」
「まだ話していません」
「先にボクちゃんに持ってきたのか」
「はい」
「なんで」
「命令系統の問題です。アウクソーへの接触は、個人の希望で動く話ではありません。デコーズ隊長の許可が必要です」
「可愛げがねえなあ」
「軍務ですので」
「その言い方、ニナリスに似てきたな」
「影響を受けています」
「悪影響だな」
デコーズは低く笑った。
そして、少しだけ真面目な顔になった。
「いいか、ジィッド。アウクソーに会うってのは、綺麗な勉強会じゃねえぞ」
「承知しています」
「バランシェ博士のところに行く。剣聖騎の話をする。アウクソーに接触する。周りはどう見る?」
「ジィッドがアウクソーを欲しがっている、と見るでしょう」
「そうだ」
「ニナリスを軽んじた、とも見られます」
「そうだ」
「バッハトマが剣聖騎の本来性能復元を狙っている、とも見られます」
「それもだ」
デコーズは指を立てた。
「で、実際は?」
「本来性能復元ではありません。限定運用の精度向上です」
「言葉遊びに聞こえるな」
「ですから、記録と条件を残します」
「言ってみろ」
ジィッドは即答した。
「第一に、ニナリス同席。第二に、接触目的はデムザンバラの安全運用基準策定。第三に、アウクソーへの勧誘、譲渡要求、契約変更交渉は一切行わない。第四に、接触内容は全記録し、デコーズ隊長と整備班へ提出。第五に、デムザンバラのピークパワー解放を目的としない」
デコーズは、じっとジィッドを見た。
「用意してきたな」
「はい」
「かわいくねえ」
「申し訳ありません」
「だから謝るなって」
デコーズは笑った。
今度の笑いは、少しだけ本物に近かった。
「ニナリスが聞いたら、どう思うかねえ」
「怒るかもしれません」
「怒ると思うぜ」
「はい」
「悲しむかもしれねえ」
ジィッドは、そこで少しだけ口を閉じた。
「……はい」
「それでもやるのか」
「やります」
「なぜ」
「ニナリスを信じているからです」
デコーズの目が、わずかに動いた。
「信じているなら、任せりゃいいだろ」
「任せるために、俺が理解します」
ジィッドは言った。
「俺が何も知らずに『ニナリス、頼む』と言うのと、何を削り、何を残すかを理解した上で『頼む』と言うのでは、意味が違います」
「理屈は通ってる」
「ありがとうございます」
「だが、心は別だ」
「はい」
「ニナリスに、ちゃんと言え」
「はい」
「道具はちゃんと扱え。そこを誤魔化したら、ボクちゃんが蹴る」
「承知しました」
「いや、蹴るじゃ済まねえな。デムザンバラのコクピットに貼り紙する」
「何と」
「『この男、ファティマへの説明を怠りました』」
「それは死にます」
「死なねえよ。恥ずかしいだけだ」
「社会的には死にます」
「なら説明しろ」
ジィッドは、思わず苦笑した。
「はい」
デコーズは端末を閉じた。
「許可は、まだ出さねえ」
ジィッドは姿勢を正した。
「理由を伺っても」
「ニナリスの意見を聞いてからだ」
「はい」
「それと、整備班長も入れる。お前さんとニナリスだけで剣聖騎の設定を詰めたら、絶対どっかで精神論が混じる」
「否定できません」
「否定しろよ、少しは」
「軍務ですので」
「便利だなあ、その言葉」
デコーズは立ち上がった。
「仮許可だ。ニナリスが同意し、整備班が必要と認め、ボクちゃんが条件を詰めたら、バランシェ博士への接触を手配してやる」
「ありがとうございます」
「ただし」
デコーズの声が、少し低くなる。
「アウクソーに目を奪われるな」
「はい」
「剣聖騎の夢を見るな」
「はい」
「お前さんのファティマはニナリスだ」
「はい」
「お前さんの騎体はシュペルターじゃねえ。デムザンバラだ」
「はい」
「そして、お前さんは剣聖じゃねえ」
ジィッドは、まっすぐ頷いた。
「銀月騎士団団長、ジョー・ジィッド・マトリアです」
デコーズは、にやりと笑った。
「そうだ。それを忘れなきゃ、まあ少しは使える」
「少しですか」
「七騎落としたくらいで調子に乗るなよ、若造」
「乗らないために、今回の願いを出しました」
「本当にかわいくねえな、お前さん」
デコーズはそう言いながら、作戦室を出ていこうとした。
扉の前で足を止める。
「ジィッド」
「はい」
「悔しいか」
唐突な問いだった。
ジィッドは一瞬だけ黙った。
そして答えた。
「悔しいです」
「何が」
「デコーズ隊長は実力で黒騎士になった。俺は褒美で剣聖騎を貰った。その差が、悔しいです」
デコーズは振り返らなかった。
「なら、勉強しろ」
「はい」
「盗め。吸え。噛み砕け。剣聖騎も、アウクソーも、ニナリスも、整備班も、ボクちゃんも、使えるものは全部使え」
軽い声だった。
だが、言葉は鋭かった。
「ただし、使い潰すな。そこを間違えたら、お前さんはただの背徳者になる」
ジィッドは深く頭を下げた。
「承知しました」
「へいへい。よろしい」
デコーズは手をひらひら振った。
「まずはニナリスに怒られてこい。話はそれからだ」
扉が閉まる。
作戦室に、ジィッドだけが残された。
彼はしばらく立っていた。
それから、小さく息を吐く。
「……怒られるだろうな」
だが、行かなければならない。
デムザンバラを扱うために。
ニナリスに背負わせすぎないために。
そして、自分が褒美で与えられた力を、少しでも自分の責任へ変えるために。
ジィッドは端末を持ち、作戦室を出た。