ノウラン基地
噂は、戦線より速く広がった。
ノウラン市は食える。
オータ市は市場が動いている。
バッハトマ占領地だが、略奪は少ない。
仕事がある。
道路修繕がある。
荷役がある。
洗濯屋がある。
農地が広がっている。
病院も動いている。
もちろん、都合の良い噂ばかりではない。
黒豹が見ている。
憲兵が厳しい。
銀月騎士団の規定が細かい。
働かない者には冷たい。
ゴロツキは消える。
それでも、人は来た。
荷車を押す家族。
焼けた村から逃げてきた老人。
職を失った港湾労働者。
親を失った子供。
商売道具だけ抱えた職人。
そして、戦場で食い詰めた半端な騎士崩れ。
ノウラン市外縁に、自然発生的な難民の列ができ始めた。
それを見たジィッド・マトリアは、即座に言った。
「難民キャンプを作らせるな」
ノエルが顔を上げる。
「作らせない、ですか」
「固定化する。仕事のない人間を一箇所に集めると、病気、飢え、賭博、売買、情報屋、スパイ、暴力が湧く」
ジィッドは地図を叩いた。
「登録しろ。職能を聞け。働ける者には仕事を与えろ。農地、道路、荷役、修繕、洗濯、調理、起業補助。仕事をしない奴は追い返せ」
ラドが眉を寄せる。
「子供と老人は」
「保護対象だ。病院と市政評議会に回す。だが、働ける大人が働かないなら置くな」
ニナリスが記録する。
「難民登録線、職能分類、就労配分、保護対象分離、追放基準」
ノエルが呻いた。
「また線が増えた……」
「増やすしかない」
ノウラン市とオータ市。
そして、その間に伸びる北東沿岸の街道と港町。
ベイジには触れていない。
旧王都は取っていない。
だが、占領地は確実に広がっていた。
広がった以上、人も流れてくる。
人が流れてくれば、食わせるか、働かせるか、追い返すかを決めなければならない。
曖昧に置けば腐る。
腐れば、都市ごと腐る。
そこへ、ユーコン財団から派遣された三人の経営陣が入ってきた。
彼らは、難民の列を見ても怯まなかった。
むしろ、帳簿を見る目をしていた。
「よろしいですな」
一人が言った。
「労働力が来ました」
ノエルが顔をしかめる。
「言い方」
「食わせるなら働かせる。働かせるなら仕事を作る。仕事を作るなら街が広がる。悪い話ではありません」
ジィッドは三人を見る。
「お前たちを管理官にする」
「光栄です、マトリア少将」
「財政、商業許可、雇用、復興資材、起業補助。三人で分けろ。市街地を広げる。ただし、基地を飲み込ませるな」
経営陣の一人がすぐに地図を広げた。
「軍用区画、市民居住区、市場、工房区、農地、牧草地、避難線、GTM外縁戦闘区域。分けましょう」
「基地と市街の間には何を置く」
「倉庫、検問、市場管理所、騎士警察詰所、医療分所。いきなり民家を近づけるのは避けます」
「いい」
別の一人が言う。
「起業補助も出せます。鍛冶、修理、洗濯、食堂、荷車修繕、布地、保存食、家畜管理。小商いを増やせば難民は市民になります」
「難民を市民にするのか」
「雇用と納税記録があれば、市民にできます」
ノエルがぼそりと言った。
「怖いくらい早い」
「経済ですので」
ジィッドは地図を見た。
ノウラン市。
オータ市。
北東沿岸の占領地。
そこに人が集まり、仕事が生まれ、農地が広がり、街が膨らむ。
それは善政ではない。
統治だった。
人を食わせる。
働かせる。
記録する。
課税する。
逃がさない。
腐らせない。
「ゴロツキ騎士はどうします」
ノエルが聞いた。
ジィッドの目が少し冷えた。
「働けるなら、土木、警備、荷役に回す。命令を聞けるなら使う」
「聞けない場合は」
「追い返せ」
「更生の見込みがない場合は」
ジィッドは、少しだけ間を置いた。
「ペール会長の騎士再生プロジェクトに送れ」
司令室が一瞬、静かになった。
ラドが低く言う。
「……あれ、更生なんですか」
ユーコン財団の管理官が、にこやかに答えた。
「表向きは」
ノエルの顔が引きつる。
「表向きは、って言いました?」
「聞き間違いでしょう、ローグ卿」
ニナリスは沈黙したまま記録している。
ジィッドは言った。
「更生できる者は、こちらで使う。更生できない者を市街に置けば、市民が食われる。銀月の規定を破る。黒豹の手間が増える。なら、ペール会長に引き取ってもらう」
「人体実験ですよね」
ノエルが小さく言った。
「俺は更生先を紹介するだけだ」
「少将」
「ノエル」
ジィッドは静かに返した。
「市民を守る線と、ゴロツキ騎士を守る線が重なったら、俺は市民を取る」
誰もすぐには答えなかった。
ユーコン財団の管理官だけが、静かに帳簿を閉じた。
「では、難民登録所を三つ。職能分類所を二つ。起業補助窓口を一つ。農地開墾隊を四班。牧草地整備班を二班。市街拡張計画を本日中に草案化します」
ノエルが天井を仰ぐ。
「本日中……」
「ローグ卿にも署名を」
「またローグ卿!」
ジィッドは短く言った。
「出世だぞ」
「この言葉で全部押し切るの、ずるくないですか!」
「便利だからな」
外では、難民の列がまだ続いている。
だが、その先にあるのは、ただのテント群ではない。
登録所。
仕事。
農地。
市場。
工房。
そして、規律。
ノウラン市とオータ市は、占領地のまま膨らんでいく。
難民を飲み込むために。
そして、飲み込まれないために。