## /*/ バッハトマ軍・臨時整備棟 デムザンバラ調律試験区画・外周 /*/
臨時整備棟の中では、デムザンバラのフルメンテナンスが続いていた。
白銀の装甲は外され、腰部スイング関節、脚部反力機構、胸部騎士殻、頭部コントローラー系統まで開かれている。
工具の音。
魔導計測線の低い唸り。
ハー閃一〇一四型エンジン周りの封印を確認する整備兵たちの声。
そのすべてを背に、ジョー・ジィッド・マトリアは外周訓練区画に立っていた。
目の前には、GTM用ヘリオス装甲板。
手には、出力を絞った訓練用ガットブロウ。
斬れない。
この出力では、どう打ってもヘリオス装甲板は斬れない。
表面に浅い熱傷を刻むだけ。
強く打ち込めば、反力が手に返る。
だから今は、斬る訓練ではない。
伸侵剣でもない。
肩や肘で間合いを狂わせ、毎回違う位置へ打ち込む修練ではない。
今やっているのは、その逆だった。
同じ位置。
同じ間合い。
同じ足運び。
同じ肩。
同じ肘。
同じ手の内。
同じ打ち込み。
ただ、それを繰り返す。
無駄を削るために。
動きの余計な説明を消すために。
「百七十二」
ジィッドは、すり足で前へ出た。
足裏を浮かせない。
肩を動かしすぎない。
肘を語らせない。
剣先を急がせない。
間合いに入る。
打つ。
ガットブロウがヘリオス装甲板に当たった。
硬い音。
刃は入らない。
反力が戻る。
今度は掌で止めない。
肘へ逃がす。
肩へ抜く。
腰へ落とす。
足裏へ返す。
すり足で戻る。
同じ位置へ。
「百七十三」
また出る。
また打つ。
また戻る。
同じ。
ひたすら同じ。
変えない。
工夫しない。
逃げない。
速くしようとしない。
遅く見せようともしない。
ただ、同じ動きから余計なものを削る。
ジィッドの中に、デコースの動きが残っていた。
速いはずなのに、遅く見える。
斬られたと分かる前に、斬撃が終わっている。
肩を見てからでは遅い。
肘を読んでも間に合わない。
足を見た時には、もう距離が消えている。
あれは、速さだけではない。
動きの中に、余計な説明がない。
だから観測者は、どこから始まったのか分からない。
分からないから、脳が勝手に遅く補正する。
スローハンド。
ジィッドに、あれはできない。
だが、無駄を減らすことならできる。
少なくとも、今よりは。
「百七十四」
すり足。
打つ。
戻る。
「百七十五」
すり足。
打つ。
戻る。
その時、臨時整備棟の扉が開いた。
油と熱と金属粉の匂いを連れて、ユーゴ・マウザー教授が外へ出てきた。
手には整備用の細い測定杖。
額には汗。
だが、目だけは妙に楽しそうだった。
教授はしばらく無言でジィッドを見ていた。
ジィッドは気づいていたが、止まらなかった。
「百七十六」
出る。
打つ。
戻る。
「百七十七」
出る。
打つ。
戻る。
マウザー教授が、ようやく口を開いた。
「ほお」
ジィッドは構えを解かない。
教授は顎に手を当てた。
「同一行動を繰り返し、動作の最適化を行っているのか。少し見てやろう」
ジィッドは、そこで初めて足を止めた。
「教授。デムザンバラは?」
「中で開かれている。俺がいなくても、今の工程なら整備班で進む」
「抜けてきていいんですか」
「俺が見るべきものが、こっちにもある」
教授は、測定杖でヘリオス装甲板の打痕を軽く示した。
「さっきまでの伸侵剣とは違うな」
「はい」
「打ち込み位置を変えていない。間合いも変えていない。肩と肘で騙す修練でもない」
「スローハンドの真似事です」
「真似事と言うには、まだ動きがうるさい」
ジィッドは苦笑しかけた。
だが、笑わなかった。
笑えば肩が変わる。
「うるさい、ですか」
「うるさい」
マウザー教授は短く言った。
「お前の動きは、観測者に親切すぎる」
「親切」
「右足が『これから出ます』と言う。肩が『今から打ちます』と言う。肘が『反力が怖いです』と言う。手の内が『斬れないと困ります』と言う」
「全部喋っていますね」
「騎士としては、喋りすぎだ」
教授は測定杖を片手で持ち直した。
「スローハンドは、遅く動く技ではない。速く動く技でもない。観測者が拾うべき情報が、あるべき場所にないから起こる錯覚だ」
ジィッドは黙って聞いた。
「デコースやカイエンは速い。だが、ただ速いだけなら騎士は読む。問題は、あいつらの動きには予兆が少ない。始まりと途中と終わりの境目が曖昧だ。だから相手は、今見えている動きが開始なのか、途中なのか、終わりなのか判断できない」
マウザー教授は、測定杖を軽く構えた。
その姿勢だけで、空気が変わった。
ジィッドは一瞬、息を止めた。
忘れていたわけではない。
だが、改めて思い出した。
ユーゴ・マウザー教授は、ただの技術者ではない。
GTMガーランドであり、強騎士でもある。
機体を知っているだけではない。
騎士の身体も知っている。
「見ろ」
教授は言った。
測定杖が動いた。
いや、動いたように見えなかった。
ゆっくり上がったように見えた。
だが、次の瞬間、杖先はヘリオス装甲板の表面に触れていた。
音は小さい。
軽い。
ただ、ジィッドの目には奇妙だった。
速い、と感じる前に、終わっていた。
遅く見えたのに、追えなかった。
「……今のが」
「本物のスローハンドだ」
教授はあっさり言った。
「お前は黒騎士ほど速くない。カイエンなど論外だ。だが、理屈はこうだ」
教授はもう一度構える。
「無駄を消す。動き出しを消す。肩に説明させない。肘に予告させない。足に相談させない。剣先に結論だけ持たせる」
杖がまた動く。
ジィッドは今度こそ見ようとした。
肩。
肘。
足。
剣先。
どこを見るべきか決めた瞬間、もう遅かった。
杖先は装甲板に触れていた。
ゆっくりに見える。
だが、間に合わない。
ジィッドは喉の奥で息を吐いた。
「嫌なものですね」
「そうだ。やられる側は嫌だ」
教授は楽しそうに笑った。
「お前が今やっている同一打ち込みは、方向としては悪くない。伸侵剣は観測点をずらす技だ。だが、スローハンドに近づけたいなら、まず一つの動きから無駄を削れ」
「毎回同じ打ち込みで」
「そうだ。同じ動きでなければ、どこが無駄か分からん。変化を入れるのは、その後だ」
ジィッドは頷いた。
「では、続けます」
「待て」
教授が測定杖でジィッドの右肘を軽く叩いた。
「ここが早い」
「肘ですか」
「肘が先に怖がる。反力が来る前から逃げようとしている。だから手の内が遅れて締まる」
次に肩を叩く。
「ここが余計だ」
「肩」
「肩で打とうとしている。剣を強く見せたい時ほど出る」
「……分かりやすいですね」
「分かりやすいから駄目だ」
教授は今度、ジィッドの右足元を杖で示した。
「そして一番悪いのはここだ」
「足ですか」
「足が答えを急ぐ。お前は打つ前に、もう踏み込みの成否を決めている。だから観測者に距離を渡している」
「全部駄目に聞こえます」
「全部駄目ではない。直せる駄目だ」
教授は少しだけ笑った。
「もう一度やれ。同じ打ち込みだ。変えるな」
ジィッドは構え直した。
すり足。
間合い。
打ち込み。
戻り。
「百七十八」
出る。
打つ。
戻る。
「肩がうるさい」
教授が言う。
「百七十九」
出る。
打つ。
戻る。
「肘が怖がった」
「百八十」
出る。
打つ。
戻る。
「右足が先に喋った」
「百八十一」
出る。
打つ。
戻る。
「今のは少しましだ。だが、戻りで安心した」
ジィッドは息を吐いた。
「教授。人間を分解整備するように見ますね」
「騎士は機体の部品だ」
「ひどい」
「ただし、自分で調整できる部品だ。だから面白い」
ジィッドはまた構えた。
今度は、肩を消す。
肘を消す。
右足に喋らせない。
速くしようとしない。
遅く見せようとしない。
ただ、開始を薄くする。
動きの境目を薄くする。
「百八十二」
すり足。
打つ。
戻る。
マウザー教授が、少しだけ黙った。
「もう一度」
「百八十三」
同じ。
すり足。
打つ。
戻る。
「もう一度」
「百八十四」
同じ。
打つ。
戻る。
教授は端末を出さなかった。
計測もしなかった。
強騎士の目で見ていた。
「今の三本は、少し静かだった」
ジィッドは構えたまま言う。
「静か」
「そうだ。速くなったわけではない。だが、見る場所が減った」
「それがスローハンドに近い?」
「入口だな。まだ玄関前の泥道だ」
「遠いですね」
「遠い。だが、方向は合っている」
ジィッドは小さく頷いた。
そしてまた打った。
「百八十五」
出る。
打つ。
戻る。
「今のは駄目だ。褒められて欲が出た」
「……分かりますか」
「分かる。肩が喜んだ」
「肩が喜ぶ」
「喜んだ」
ジィッドは少しだけ笑った。
「俺の身体は忙しいですね」
「だから黙らせろ」
教授の声は淡々としていた。
だが、その目は面白がっていた。
「いいか、ジィッド。スローハンドを起こそうとするな。お前がそれを狙うと、動きがまたうるさくなる」
「では、何を狙えば」
「同じことを、少なくやれ」
「少なく」
「同じ距離を、少ない説明で入れ。同じ斬撃を、少ない予兆で出せ。同じ戻りを、少ない安心で戻れ」
ジィッドは、その言葉を胸の中で繰り返した。
少なく。
強くではない。
速くでもない。
派手にでもない。
少なく。
「百八十六」
すり足。
打つ。
戻る。
「百八十七」
すり足。
打つ。
戻る。
「百八十八」
すり足。
打つ。
戻る。
ヘリオス装甲板には、同じ高さ、同じ角度の浅い打痕が重なっていく。
さっきまでの伸侵剣の痕跡とは違う。
散らばらない。
同じ場所に集まる。
斬れていない。
それでいい。
この稽古は、斬るためではない。
動作を削るための稽古だ。
やがて、臨時整備棟の中から整備兵が顔を出した。
「教授! 腰部スイング関節の再測定、準備できました!」
「すぐ行く!」
マウザー教授は返事をしてから、ジィッドを見た。
「続けろ」
「はい」
「同じ打ち込みだ。変えるな。伸侵剣の変化修練は後でやれ」
「了解しました」
「そして、数えるだけでは足りん」
教授は扉へ向かいながら言った。
「一打ごとに、どこが喋ったか聞け。肩か。肘か。足か。手の内か。どれも喋らなかった時だけ、少し前に進む」
ジィッドは深く息を吐いた。
「はい、教授」
マウザー教授は、整備棟へ戻りかけて、最後に振り返った。
「それと」
「はい」
「今のままでは、デコース相手なら開始前に斬られる」
「分かっています」
「カイエン相手なら、構える前に死んでいる」
「そこまで言いますか」
「事実だ」
教授はにやりと笑った。
「だが、事実を知っている騎士は、少しは長生きする」
扉が閉まる。
中からまた、工具の音と教授の怒鳴り声が響き始めた。
外周区画には、ジィッドだけが残った。
ヘリオス装甲板。
ガットブロウ。
すり足。
同じ間合い。
同じ打ち込み。
同じ戻り。
変えない。
増やさない。
削る。
「百八十九」
ジィッドは滑った。
打った。
戻った。
肩は、少し静かだった。
「百九十」
滑る。
打つ。
戻る。
肘が、まだ少し喋った。
「百九十一」
滑る。
打つ。
戻る。
右足が、今度は黙った。
ジィッドは続けた。
何百回も。
何千回も。
白銀の騎士の〇・〇一秒を借りる前に、自分の半拍から余計な言葉を消すために。
速くなるのではない。
遅く見せるのでもない。
ただ、動きから無駄を削る。
観測者が、どこを見ればいいのか分からなくなるまで。
その入口に立つために、ジィッドは同じ一打を繰り返した。