ノウラン市占領後
ジィッドが整備区画へ戻ると、デムザンバラは膝をついたまま沈黙していた。
白い装甲の一部が開かれ、冷却管から薄い蒸気が立っている。
整備兵たちが無言で動き、フレームの熱歪み、駆動伝達系、反応炉まわりの負荷記録を確認していた。
その中心に、ニナリスがいた。
端末を片手に、淡々と数値を読み上げている。
「右肩部、負荷集中。許容範囲内ですが、同方向の打撃を三度以上重ねると歪みが出ます。左脚部、接地時の衝撃吸収は良好。低中域トルク調整は有効です」
「了解。次回までに右肩の補強を入れる」
「補強しすぎると反応が鈍ります」
「分かってる。鈍らせすぎるな、だろ?」
「はい。デムザンバラはすでに十分鈍っています」
整備兵の一人が苦笑した。
ジィッドは、そのやり取りを少し離れた場所で聞いていた。
入るタイミングを逃していた。
情けない、と自分でも思う。
黒騎士デコーズには言えた。
整備班の前でも、作戦会議でも、必要なことなら口にできる。
だが、ニナリスに言うとなると、喉の奥が固くなる。
アウクソーに接触したい。
それは、言葉だけを切り取れば最悪だった。
ニナリスがいるのに。
ニナリスが、自分のために剣聖騎を削っているのに。
そのニナリスへ、剣聖のファティマに会いたいと言う。
どう言っても、傷つける。
だが、言わなければもっと悪い。
ジィッドは息を吐いた。
「ニナリス」
ニナリスが振り返る。
「はい、ジィッド様」
「少し、時間をくれ」
その言葉だけで、ニナリスは何かを察したようだった。
端末を閉じる。
「整備班長。一次診断の続行をお願いします」
「了解。団長、こっちは進めておきます」
「ああ。頼む」
ジィッドは軽く頷き、整備区画の端へ向かった。
そこはデムザンバラの影になっていて、周囲の喧騒から少しだけ切り離されている。
ニナリスは、いつも通り一歩後ろに控えた。
ジィッドは振り返った。
「先に言っておく。これは軍務の相談だ」
「はい」
「だが、君を傷つけるかもしれない」
ニナリスの表情は変わらなかった。
けれど、まばたきが一度だけ遅れた。
「承知しました」
「承知するのが早いな」
「軍務ですので」
「そうだな」
ジィッドは、苦く笑った。
そして、逃げずに言った。
「アウクソーに接触したい」
沈黙。
整備区画の奥で、工具の音がした。
金属を叩く乾いた音が、やけに遠く聞こえる。
ニナリスは、すぐには答えなかった。
ジィッドは続けた。
「デコーズ隊長には、仮の許可を願い出た。まだ正式な許可ではない。ニナリスの意見を聞いてからだと言われた」
「……私の意見を」
「ああ」
「ジィッド様は、アウクソーを必要とされていますか」
静かな問いだった。
責める声ではない。
だからこそ、逃げ場がなかった。
「必要だと思っている」
ジィッドは答えた。
ニナリスの目が、わずかに伏せられる。
彼はすぐに続けた。
「だが、君の代わりとしてではない」
「では、何のために」
「デムザンバラの設定を詰めるためだ」
ジィッドは端末を開き、出力曲線を表示した。
「俺たちは、シュペルターをデムザンバラにした。ピークを殺し、低中域を太らせ、俺でも読める機体にした。ノウランではそれで七騎落とした」
「はい」
「成功だ。少なくとも、戦術的には成功だった」
「はい」
「だが、俺たちはまだ分かっていない」
ジィッドは曲線の鋭い山を指した。
「ここだ。本来の剣聖騎が何を前提に、この細い領域を持っていたのか。何を残すべきで、何を捨てていいのか。どこまで鈍らせたら機体を殺しすぎるのか。どこを残すと俺が死ぬのか」
ニナリスは端末を見る。
その表情は淡々としている。
だが、指先は動いていなかった。
「それは、私が解析します」
「ああ」
ジィッドは頷いた。
「君ならできる。俺はそう思っている」
「では」
「だからこそ、君一人に背負わせたくない」
ニナリスが顔を上げた。
ジィッドは、正面から見返した。
「君は俺を生かすために、シュペルターを削っている。君は俺を殺さないために、剣聖騎を鈍らせている。必要なことだ。俺もそれを命じた」
「はい」
「だが、その判断を君だけにさせ続けるのは違う」
ジィッドの声が、少し低くなる。
「俺が未熟だから、君が剣聖騎を殺している。俺が追いつけないから、君が機体の声を低く沈めている。俺が怖いから、君がピークを封じている」
「ジィッド様」
「それを、俺が理解しないまま『頼む』と言い続けるのは、軍務ではなく甘えだ」
ニナリスは黙っていた。
ジィッドは、一度だけ息を吐いた。
「アウクソーへ接触したいのは、君を替えたいからじゃない。君に足りないからでもない。君が背負っている判断の重さを、俺も理解するためだ」
「……」
「剣聖騎を知るファティマが、何を見ていたのかを知りたい。シュペルターが本来、どう動くものだったのかを知りたい。その上で、デムザンバラとして何を捨て、何を残すかを決めたい」
ニナリスは静かに尋ねた。
「アウクソーが、私とは異なる答えを出した場合は」
「聞く」
「私の判断と矛盾した場合は」
「比較する」
「アウクソーの判断を優先しますか」
ジィッドは、すぐには答えなかった。
即答してはいけないと思った。
ニナリスも、それを待っていた。
やがて、ジィッドは言った。
「運用上正しいなら、採用する」
ニナリスの目が、ほんの少しだけ揺れる。
「だが、それはアウクソーだからではない。君の判断でも同じだ。整備班の判断でも同じだ。俺の見栄より、デムザンバラと部隊の生存を優先する」
「……はい」
「ただし」
ジィッドは言葉を重ねた。
「最終的に、俺が乗る。君と乗る。だから、俺は君の判断を外さない。アウクソーから得た情報は、君と整備班と俺で噛み砕く。君を飛ばして、俺がアウクソーの言葉に飛びつくことはしない」
ニナリスは、ゆっくりと視線を落とした。
「ジィッド様は、私に怒る権利を認めますか」
「もちろんだ」
「では、怒ります」
「……はい」
「非常に不快です」
声は静かだった。
だが、その言葉は真っ直ぐだった。
「私はジィッド様のファティマです。デムザンバラを調整するのは私の役目です。ジィッド様を生かすことも、戦場で必要な性能を引き出すことも、私の役目です」
「ああ」
「その私の前で、アウクソーに接触したいと言われることは、不快です」
「……すまない」
「謝罪は受け取ります」
ニナリスは淡々と言った。
「ですが、相談の内容は理解しました」
ジィッドは顔を上げた。
「ニナリス」
「アウクソーへの接触目的が、私の代替ではなく、デムザンバラの安全運用基準策定であるなら、軍務上の必要性はあります」
「いいのか」
「よくはありません」
「そうか」
「ですが、必要です」
その言い方は、あまりにニナリスらしかった。
ジィッドは苦笑しかけて、やめた。
ここで笑ってごまかしてはいけない。
ニナリスは続けた。
「条件があります」
「言ってくれ」
「第一に、私が同席します」
「ああ」
「第二に、整備班長も同席させます。ジィッド様と私だけでは、判断が感情に寄りすぎます」
「デコーズ隊長にも同じことを言われた」
「妥当です」
「手厳しいな」
「軍務ですので」
「はい」
「第三に、アウクソーへの勧誘、譲渡要求、契約変更に類する発言は禁止します」
「ああ」
「第四に、ジィッド様は事前に、私へ明文化した目的書を提出してください」
「目的書?」
「はい。口頭だけでは、後で逃げられます」
「俺は逃げると思われているのか」
「ジィッド様は、自分の痛いところを冗談で包む癖があります」
ジィッドは言葉に詰まった。
「……否定できない」
「ですので、文書化してください」
「分かった」
「第五に」
ニナリスは、一拍置いた。
「接触後、ジィッド様は私と二人で再確認を行ってください。アウクソーから得た情報によって、私への信頼が揺らいでいないか確認します」
ジィッドは、胸の奥を突かれたような気がした。
ニナリスは、自分の不安を軍務の形にしている。
感情ではなく、手順にしている。
それが、痛かった。
「分かった。約束する」
「記録します」
「ああ。記録してくれ」
ニナリスは端末へ入力し始めた。
だが、その指が途中で止まる。
「ジィッド様」
「何だ」
「私は、アウクソーではありません」
「ああ」
「剣聖のファティマでもありません」
「ああ」
「私は、ニナリスです」
ジィッドは静かに頷いた。
「知っている」
「では、忘れないでください」
「忘れない」
ジィッドは、はっきりと言った。
「俺のファティマは君だ。俺は、君とデムザンバラに乗る」
ニナリスは少しだけ目を伏せた。
「記録しました」
「それも記録するのか」
「はい」
「恥ずかしいな」
「士気管理上、有効です」
「最近、その言葉で何でも記録してないか」
「必要なものだけです」
「本当か?」
「軍務ですので」
ジィッドは、ようやく少し笑った。
ニナリスも、表情は変えなかった。
だが、空気が少しだけ緩んだ。
その時、背後から整備班長の声が飛んだ。
「団長、話は終わりましたか」
「聞こえていたのか」
「聞こえないふりをするには、うちの整備区画は狭すぎます」
整備班長が、油の付いた手袋を外しながら近づいてきた。
「で、アウクソーに会いに行くんですか」
「仮の話だ。黒騎士殿の正式許可はまだない」
「なら、俺も行きます」
ジィッドは瞬きをした。
「君も?」
「当たり前でしょう」
整備班長はデムザンバラを親指で指した。
「団長とニナリスだけで剣聖騎の話をしたら、絶対に美談になります。困るんですよ、美談は。整備できないので」
ジィッドは苦笑した。
「俺たちはそんなに信用がないか」
「戦場では信用しています。機体設定の会議では信用しきれません」
「ひどいな」
「軍務ですので」
ジィッドは額に手を当てた。
「最近、みんなそれを使うな」
「便利なので」
整備班長は端末を差し出した。
「こっちでも課題をまとめます。低中域を太らせた結果、扱いやすくはなりましたが、右肩と左脚に癖が出ています。ピークを封じるなら封じるで、構造上どこに逃がすかを決めないと、次の連戦で変な歪みが出ます」
「やはり問題はあるか」
「あります。ただ、悪くはありません」
整備班長は白い騎体を見る。
「剣聖騎としては泣いているかもしれませんが、軍用機としてはよく働いています。問題は、どこまで泣かせていいかです」
ジィッドは黙った。
ニナリスが静かに言う。
「その判断のために、アウクソーの知見を得る」
「そういうことです」
整備班長は頷いた。
「俺はファティマの感覚は分かりません。団長の操縦感覚も完全には分からない。でも、フレームの歪みと熱の逃げ方は見られます。会うなら、技術者の耳も必要です」
「分かった。黒騎士殿に伝える」
「お願いします」
整備班長は一度敬礼し、またデムザンバラの方へ戻っていった。
残されたジィッドは、小さく息を吐いた。
「怒られたな」
「はい」
「だが、許可は得られそうだ」
「条件付きです」
「条件付きで十分だ」
ジィッドは、デムザンバラを見上げた。
白い騎体は沈黙している。
シュペルターではない。
デムザンバラ。
剣聖のための機体ではなく、血筋のない騎士と、そのファティマと、整備班が戦場で生き残るために作り替えた機体。
「ニナリス」
「はい」
「目的書を作る。見てくれ」
「厳しく確認します」
「手心は?」
「ありません」
「少しは迷え」
「軍務ですので」
ジィッドは笑った。
今度は、少し自然に。
「そうだったな」
そして、端末を開いた。
褒美で与えられた力を、自分の責任へ変えるために。
剣聖騎の夢を、デムザンバラの運用へ落とし込むために。
彼は、最初の一文を入力した。
/*/
目的:デムザンバラ安全運用基準策定のため、旧シュペルター系統に関するファティマ側運用知見を収集する。
ただし、ニナリスの代替を目的としない。
本件は、銀月騎士団の生還率向上を目的とする軍務である。
/*/
ニナリスが横から覗き込み、静かに言った。
「最後の一文はよいと思います」
「最初の二文は?」
「修正が必要です」
「厳しいな」
「軍務ですので」
ジィッドは頷いた。
「ああ。軍務だ」