/*/ 星団暦3045年・バッハトマ魔法帝国 上層軍務通信室 /*/
ジョー・ジィッド・マトリアは、泣きついた。
比喩ではない。
ほとんど泣きつきだった。
通信卓の向こうには、バッハトマ魔法帝国の面倒な三人がいた。
黒騎士デコーズ・ワイズメル。
ユーコン財団会長ビューティ・ペール。
そして、ボスヤスフォート主宰。
並べて呼ぶだけで胃が痛い相手だった。
ジィッドは敬礼し、開口一番に言った。
「ボルサ諸島列島を取りました!」
デコーズが笑う。
「おう、聞いてるぜ。島盗りまで始めたか、ジィッド」
「盗ったんじゃありません。軍事作戦です」
「同じだろ」
「違います!」
ペール会長が、指先で資料をめくる。
「ボルサ諸島列島。首都コフツ。北海の島嶼国家。三十以上の島を持つ港湾圏。なるほど、東回りの海路がかなり太くなりますわね」
ジィッドはそこに食いついた。
「そうです。そこなんです。東回りの海路で、本国からノウラン、オータ方面への補給を太くしました。戦艦も輸送艦も通せます。港も焼いてません。灯台も残しました。漁師も敵に回してません」
デコーズが面白そうに言う。
「偉い偉い」
「茶化さないでください」
「で?」
ジィッドは一息で言った。
「管理人員と、占領地に配備する歩兵を増やしてください!」
沈黙。
デコーズが吹き出した。
「ははははは! 島を落として、最初の願いがそれかよ!」
「それ以外に何があるんですか!」
ジィッドは机を叩きかけて、相手が上層三人なのを思い出して手を止めた。
「港湾税務官が足りません。軍政管理官が足りません。憲兵が足りません。倉庫管理官が足りません。灯台と通信所の保全要員が足りません。海上警備の歩兵も足りません。島ごとに最低限の通常部隊を置かないと、港だけ取っても維持できません!」
ペール会長が、資料から顔を上げる。
「GTMの追加ではなく、歩兵と管理官ですのね」
「はい」
「騎士ではなく?」
「騎士を置いたって、税関の帳簿は書けません。灯台も守れません。漁船の登録もできません。密輸船の積み荷検査もできません。港湾労働者の賃金調整もできません」
デコーズが笑いながら言う。
「お前、本当に騎士か?」
「騎士です! 騎士だから、GTMではどうにもならない場所が分かるんです!」
ボスヤスフォートは、通信画面の奥で静かに笑っていた。
楽しそうだった。
非常に、楽しそうだった。
「続けなさい、ジィッド君」
ジィッドは嫌な予感を覚えた。
だが、止まれなかった。
「ボルサを取ったことで、補給は太くなります。これは確実です。ノウランの保存食、オータの工房と港湾、ボルサの海路が繋がる。ですが、繋がるということは、守る線が増えるということです」
ペール会長が頷いた。
「海路、港湾、倉庫、船舶、税関、漁業、島嶼住民。確かに、取った後の方が手間ですわね」
「はい。密輸も増えます。反バッハトマ工作員も海から入るようになります。船主と商人は税率を見て動きます。漁師を締めすぎると海が死にます。港湾労働者を敵にすると荷が動きません」
デコーズが、にやにやしながら言った。
「面白くなってきたな」
「面白くありません!」
ジィッドはほとんど悲鳴だった。
「俺は島を取ったんです。補給を太くしたんです。なので、人をください。港を動かす人間を。歩兵を。憲兵を。税務官を。管理官を。できれば、海上警備に慣れた部隊を!」
ペール会長が小さく笑う。
「最後が本音ですの?」
「全部本音です!」
ボスヤスフォートは、少しだけ目を細めた。
「必要なものを列挙しなさい」
ジィッドは即座に書類を出した。
準備していた。
泣きつくつもりで来たのだから、当然だった。
「第一に、軍政管理官を最低三十名。各主要島に行政担当を置く必要があります」
「うん」
「第二に、港湾税務官と倉庫監査官を合わせて五十名。港が増えた分、帳簿が増えます」
「うん」
「第三に、憲兵および歩兵を増派。島嶼部の警備、税関、灯台、通信所、倉庫、捕虜収容施設、港湾労働者区画の治安維持が必要です」
「うん」
「第四に、海上警備用の小型艦艇と沿岸監視兵。戦艦だけでは密輸船は追えません」
「うん」
「第五に、医療班と食料配給担当。占領直後に病院と飯を止めると、反乱が早いです」
「うん」
「第六に、船舶修理技師と港湾技術官。壊した港を直すのではなく、壊さなかった港を動かし続ける人間が必要です」
デコーズが笑った。
「壊さなかった港を動かし続ける、ねえ」
「笑い事じゃありません」
「いや、いい言葉だぜ」
「使わないでください」
ペール会長が資料に目を通す。
「資金面はどうなさるの?」
「ボルサの港湾税と漁業税は、初年度は抑えます。税を取りすぎると船が逃げます。三年目以降に段階的に上げる方がいいです。その間の不足分は、ノウランとオータの現地税収から一部回しますが、中央補助がないと立ち上がりが重いです」
ペール会長は楽しそうに頷いた。
「税収を急いで絞らない。いいですわね」
「絞ると死にます」
「港が?」
「港も、島も、俺もです」
デコーズがまた笑う。
ボスヤスフォートも笑っている。
ジィッドだけが笑っていなかった。
「分かった」
ボスヤスフォートが言った。
通信室の空気が少し変わった。
「そこまでするなら、その三倍、増員してあげよう」
ジィッドは固まった。
「……三倍?」
「うん。君が求めた管理官、税務官、憲兵、歩兵、港湾技術官、海上警備要員。全部、三倍にして手配しよう」
ジィッドは、しばらく言葉を失った。
デコーズがにやにやする。
「よかったな、ジィッド。泣きつき大成功じゃねえか」
「いや、待ってください」
ジィッドは警戒した。
胃が、嫌な方向に冷えた。
「主宰がそんなに気前よく人を出す時は、絶対に代わりがありますよね」
ボスヤスフォートは満面の笑みを浮かべた。
「国家騎士団も五百騎付けるよ」
「ごひゃ――」
ジィッドの声が裏返りかけた。
ペール会長が楽しそうに扇子を口元へ当てる。
「まあ。大盤振る舞いですわね」
デコーズが腹を抱える。
「はははは! よかったな、ジィッド! 五百騎だぞ、五百騎!」
「待ってください! 五百騎って、もはや方面軍じゃないですか!」
「そうだね」
ボスヤスフォートは穏やかに頷いた。
「だから、方面軍として働いてもらう」
ジィッドは、顔から血の気が引くのを感じた。
「何を、ですか」
ボスヤスフォートは、まるで茶会の追加菓子を頼むような調子で言った。
「代わりに、無政府状態になっている王都ベイジを占拠して、中枢化してくれたまえ」
通信室が静まり返った。
ラドが横で息を呑む。
ノエルが目を剥いた。
ニナリスだけが、記録を止めなかった。
ジィッドは、ゆっくり聞き返した。
「……王都ベイジ、ですか」
「うん」
「ベイジって、市街地、星団暦3030年に軌道砲撃で全部吹き飛ばしましたよね」
「うん」
「王都放棄宣言も出しましたよね」
「出したね」
「俺が勝手に取ってはいけない場所でしたよね」
「だから、今、私が正式に命じている」
ジィッドは口を開けたまま固まった。
デコーズが、机を叩いて笑う。
「正式命令だってよ! よかったな、ジィッド!」
「よくありません!」
ジィッドはほとんど叫んだ。
「旧王都ですよ! ハスハントの中心だった場所ですよ! 巫女も王権も連合議会も記憶も全部絡む場所ですよ! 市街地は吹き飛んでる。住民は避難済みだったとしても、周辺には避難民が散っている。そこを中枢化しろって、どういうことですか!」
ボスヤスフォートは微笑んだまま答えた。
「無法の者たちが王宮に入り込んで、好き放題しているようだ」
「王宮に?」
「うん。略奪者、野盗、騎士崩れ、薬物商人、逃亡兵、偽王党、反バッハトマ工作員。いろいろだね」
ペール会長が資料をめくる。
「旧王宮周辺の地下倉庫や壊れた行政区画が、闇市と密輸の中継点になっているようですわね。王都の名だけ残っているから、無法者にはかえって都合がいいのでしょう」
ジィッドは頭を抱えた。
「最悪じゃないですか」
「だから掃除して、使えるようにお願いするよ」
ボスヤスフォートは、にこやかに言った。
まるで、汚れた部屋の片付けを頼むように。
「掃除って規模じゃありません!」
「君ならできる」
「その信頼が怖いんです!」
デコーズが笑う。
「王宮掃除だってよ。騎士らしくていいじゃねえか」
「騎士の仕事に瓦礫撤去と都市再中枢化を混ぜないでください!」
ペール会長が涼しい顔で言う。
「でも、合理的ですわね」
ジィッドがペールを見る。
「どこがですか!」
「ボルサを取り、オータを押さえ、ノウランから北東沿岸線を維持した。そこへ、旧王都ベイジを再中枢化する。そうすれば、君の軍政圏は単なる沿岸補給線ではなく、旧王都を含む広域行政圏になりますわ」
「言葉だけで胃が痛い」
「王都を放置すれば、無法者と敵工作員の巣になります。掃除して使う方がよろしいですわね」
「正しいことを言わないでください」
「正しいから言っていますの」
ジィッドはボスヤスフォートを見る。
「主宰。確認します。これは、王都放棄宣言の撤回ですか」
「撤回ではない」
「では?」
「放棄した王都を、君の軍政上の中枢として再利用する許可だ」
ジィッドはさらに嫌な顔をした。
「言葉が最悪です」
「でも、正確だ」
「旧王都をバッハトマ式に塗り替えろ、という意味ですか」
「いいや」
ボスヤスフォートは軽く首を振った。
「そこは慎重にやりなさい。ベイジは象徴だ。壊れたままでも、王都は王都だ。だから、いきなり帝国直轄の黒い旗で塗り潰す必要はない」
「では、どうしろと」
「まず掃除。次に治安。次に倉庫。次に行政機能。最後に象徴だ」
ジィッドは黙った。
その順番は、嫌なほど現実的だった。
瓦礫。
無法者。
水。
食料。
医療。
旧王宮。
避難民。
街道。
倉庫。
行政庁舎。
そして、王都という名。
「……最初から中枢化ではなく、復旧拠点化から始めろ、ということですか」
「そうだね」
「王宮は」
「まず掃除」
「旧行政区は」
「使える建物を探す」
「避難民は」
「戻したい者を段階的に」
「旧王都の名前は」
「利用する」
ジィッドは天井を仰いだ。
「最悪だ」
ボスヤスフォートは楽しそうに笑う。
「でも、必要だ」
「必要で殴らないでください」
デコーズが言う。
「国家騎士団五百騎があるなら、王都掃除はできるだろ。無法者も騎士崩れも、片っ端から叩き出せばいい」
「叩き出すだけならできます。でも、その後に何を置くかが問題なんです」
ペール会長が頷く。
「だから管理官を三倍ですのね」
「話が繋がった!」
ジィッドは叫んだ。
「最初からそのつもりでしたね!」
ボスヤスフォートは笑っている。
「君がボルサのために人を欲しがった。私はそれを三倍にした。合理的だろう」
「合理的に仕事を増やさないでください!」
ニナリスが静かに言った。
「マスター。ベイジ再中枢化を含めた場合、ボルサ向け増員三倍と国家騎士団五百騎は、必要数に近いです」
「お前まで言うな」
「事実です」
「事実で殴るな」
ボスヤスフォートは穏やかに告げた。
「ジィッド君。君はベイジを勝手に取れなかった。だが、今は違う。私が命じる。無法者を掃除し、王宮を押さえ、旧行政区を使えるようにし、ノウラン、オータ、ボルサ、そしてベイジを繋ぎなさい」
「……それはもう、ただの騎士団長の仕事ではありません」
「だから、君に五百騎を付ける」
「そういう意味じゃありません!」
デコーズが笑う。
「いいじゃねえか。出世だぞ」
「その言葉で全部押し切るの、やめてください!」
ペール会長が微笑む。
「中枢化には資金も必要ですわね。瓦礫撤去、井戸、医療、倉庫、仮庁舎、街道復旧。ユーコン財団も、国債を買う形で協力いたしますわ」
「また借金の匂いがする」
「復興とは、帳簿の上では借金から始まるものですわ」
「名言みたいに言わないでください」
ボスヤスフォートが最後に言った。
「では、決まりだね。ボルサ支援は三倍。国家騎士団五百騎を君に付ける。代わりに、ベイジを掃除し、使える中枢に育てなさい」
ジィッドは、しばらく沈黙した。
逃げ道はなかった。
人員は欲しい。
歩兵も管理官も欲しい。
国家騎士団五百騎など、本来なら喉から手が出るほど欲しい。
だが、それが意味するものは、旧王都ベイジという巨大な瓦礫の山だった。
ジィッドは深々と頭を下げた。
「……拝命します」
ボスヤスフォートは満足そうに頷いた。
「期待しているよ、ジィッド君」
「期待しないでください」
「無理だね」
デコーズが言う。
「ベイジ掃除、頑張れよ」
「手伝ってください」
「やだよ。面倒くせえ」
「正直すぎる!」
ペール会長が涼しく笑った。
「月次報告項目も増えますわね。ボルサ港湾収支、海上補給量、密輸摘発に加えて、ベイジ瓦礫撤去率、旧王宮治安、帰還民登録、仮庁舎稼働率、旧行政区復旧率も必要ですわ」
ジィッドは青ざめた。
「報告書が倍になった」
「三倍支援ですもの」
「報告書まで三倍にしないでください!」
通信が切れた。
ジィッドは、しばらく動かなかった。
ラドが横から恐る恐る声をかける。
「ええと……人員、三倍もらえましたね」
「そうだな」
ノエルが書類を見ながら言う。
「国家騎士団五百騎も付きます」
「そうだな」
ニナリスが淡々と告げる。
「その代わり、王都ベイジ再中枢化が追加されました」
「そうだな」
ジィッドは椅子に沈んだ。
「ボルサを取ったせいで、補給は楽になった」
「はい」
「だが、守るものも増えた」
「はい」
「そして、なぜか王都の掃除まで増えた」
「はい」
部屋の隅で管理官が筆を走らせていた。
「今の言葉、ベイジ再中枢化計画の前文に使えますね」
「使うな」
「記録しました」
「記録はいつも残酷だな」
その日、ボルサ諸島列島はジィッドの胃痛の一部になった。
そして、旧王都ベイジもまた、瓦礫と無法者と王宮の亡霊ごと、彼の机の上に乗せられた。