/*/ 星団暦3045年・ボルサ諸島列島 首都コフツ /*/
会議室の扉には、まだ新しい札が掛けられていた。
『ボルサ諸島連合臨時軍政協議会』
その文字を見た瞬間、ジィッド・マトリアは顔をしかめた。
「長い」
ノエルが書類を抱えたまま答える。
「ですが、政治的には必要です」
「ボルサ軍政区でいいだろう」
その言葉に、部屋の中の空気が一瞬だけ硬くなった。
島長たち。
港湾代表。
漁業組合。
船舶修理組合。
灯台組合。
塩田組合。
乾物商組合。
彼らの目が、わずかに冷えた。
ニナリスが静かに言った。
「マスター。その名称は反発を招きます」
「分かってる。言ってみただけだ」
「冗談としても不適切です」
「分かってると言っただろう」
ジィッドは椅子に座り、机の上の名簿を指で叩いた。
「ボルサ諸島連合の名前は残す」
島長の一人が、低く問う。
「占領軍が、我らの名を残すと?」
「残す」
ジィッドは短く答えた。
「俺は島の王様をやりに来たんじゃない。港と海路を止めない責任を押し付けられただけだ」
ノエルが小声で言う。
「少将、それは言い方が」
「本当のことだ」
ジィッドは、島長たちを見渡した。
「ボルサ諸島連合の名を潰せば、全島を敵に回す。島長を追い払えば、島ごとの生活が止まる。港湾組合を潰せば荷が動かない。漁業組合を潰せば飯が消える。船大工を黙らせれば船が死ぬ。灯台守を怒らせれば海が暗くなる」
港湾代表が、少しだけ目を細める。
「では、何を奪う」
「奪うんじゃない。押さえる」
「同じでは」
「似ているが違う」
ジィッドは、机上に置かれた海図を指した。
「灯台、通信、港湾税、船舶登録、倉庫。そこは軍政庁が見る。そこを外せば、海路が敵の道になる」
漁業組合の長が言う。
「漁は」
「続けろ」
「税は」
「いきなり絞らない」
乾物商が口を挟む。
「乾物の出荷は」
「止めるな。ノウランの保存食工場へ回す分と、島内流通分を分けろ。全部軍へ寄越せとは言わん」
塩田組合の代表が、少し疑わしそうに言う。
「塩は軍需にもなる」
「なる。だからこそ帳簿を出せ。軍需分、民需分、漁業分、保存食分。分けて記録しろ」
ノエルが呻いた。
「また帳簿が増えた……」
「諦めろ。島を持つってのは帳簿を持つってことらしい」
ラドが、窓の外の港を見ながら言った。
「でも、名前を残すのは効きますね」
「ああ」
ジィッドは頷いた。
「ボルサ諸島連合の名を残せば、島民は“完全に消された”とは思わない。だが、臨時軍政協議会の名を付ければ、こっちが港と税と通信を見ていることも隠さない」
管理官が記録する。
「外向き名称、ボルサ諸島連合臨時軍政協議会。実務管轄、コフツ軍政庁。島長会議、港湾代表会議、漁業・灯台・船舶修理・塩乾物組合を参加させる」
「長い」
「正式名称です」
「正式名称はいつも太るな」
島長たちは、まだ警戒していた。
当然だった。
目の前にいるのは占領軍である。
だが、完全な破壊者ではない。
少なくとも、島の名を消す気はない。
港を焼く気もない。
漁を止める気もない。
その事実だけが、会議を続けさせていた。
/*/ 同日 コフツ港 臨時輸送管理所 /*/
午後になると、別の机が立てられた。
大きな板に、太い字でこう書かれている。
『定期輸送便 ボルサ便 試験運用』
ジィッドはその札を見て、また顔をしかめた。
「誰だ、この名前を付けたのは」
管理官が手を挙げた。
「私です」
「短いな」
「はい」
「珍しく良い」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
ノエルが書類を広げる。
「ボルサ便の初期経路です。コフツからオータ港。オータ港からノウラン。さらにボルサ諸島列島内の小島間輸送。それとは別に、本国方面からの東回り補給便を接続します」
ラドが積荷一覧を見る。
「塩、魚、干物、海藻、船舶資材、医療物資、GTM部品、カーバーゲン工場向け素材、保存食原料、酒、手紙、兵員交代」
「多いな」
ジィッドは素直に言った。
ニナリスが補足する。
「軍需と民需を混載することで、便数を安定させます。ただし、軍需優先便と民間混載便は帳簿を分ける必要があります」
「また帳簿か」
「はい」
「分かっていた」
港には、すでに荷が並べられていた。
塩樽。
干物の木箱。
海藻を詰めた袋。
船舶用の補修木材。
医療箱。
小型部品の封印箱。
カーバーゲン工場向けの金属素材。
兵士の個人荷物。
そして、手紙の袋。
ジィッドはその手紙袋を見て、少しだけ目を止めた。
「手紙も載せるのか」
ノエルが頷く。
「兵員交代と一緒に動かします。島内にも、オータにも、ノウランにも家族が分かれていますから」
「検閲は」
「軍用便と民間便で分けます。民間分は抜き取り検査。軍関係は規定通り」
管理官が言う。
「手紙を載せると、便の利用が定着します。人は食料と同じくらい便りで動きます」
「言い方は嫌だが、正しい」
ラドが港の方を見る。
「ボルサ便が定着すれば、コフツはただの占領港じゃなくなりますね」
「ああ」
ジィッドは頷いた。
「ボルサ便が遅れると、ノウランの保存食工場が詰まる。ボルサ便が止まると、オータの工場部品が遅れる。ボルサ便が荒れると、兵の休暇交代が崩れる」
ノエルが苦笑した。
「軍政圏全体の血管ですね」
「血管か」
ジィッドは港を見た。
船が出る。
荷が動く。
灯台が光る。
帳簿が増える。
「血管なら、詰まると死ぬな」
ニナリスが静かに答える。
「はい」
「否定しないのか」
「事実です」
「事実で殴るな」
そこへ、コフツの港湾代表が近づいてきた。
「少将。ボルサ便に、島内の小型船主を使うという話は本当ですか」
「本当だ」
「軍の輸送艦だけでやるのでは」
「足りない。それに、軍の船だけで回すと港が軍のものになる。小型船主を使え。だが登録しろ。便名、船主、積荷、出港時刻、寄港地、帰港時刻、全部だ」
港湾代表は少し黙り、やがて頷いた。
「登録される代わりに、仕事は残る」
「そうだ」
「税も取られる」
「当然だ」
「軍に睨まれる」
「それも当然だ」
港湾代表は、初めて少しだけ笑った。
「正直な占領軍ですな」
「嘘をついても帳簿でバレる」
「ならば、港湾組合は協力しましょう。船主を出します」
ジィッドは頷いた。
「助かる」
その言葉に、港湾代表はわずかに驚いた顔をした。
占領軍の少将に礼を言われるとは思っていなかったのだろう。
ジィッドは気にせず続けた。
「ただし、勝手な便を作るな。ボルサ便に紛れて密輸するな。敵の手紙を運ぶな。やったら潰す」
「そこまで含めて正直ですな」
「そういう仕事だ」
/*/ 試験便出港 /*/
夕方。
最初のボルサ便が出ることになった。
大きな輸送艦ではない。
中型の貨物船二隻と、小型護衛艇。
そして、島内船主の小型船が三隻。
船体には、臨時の識別旗が掲げられている。
青地に白い灯台印。
その下に、小さくボルサ便と書かれていた。
ノエルがそれを見て言う。
「意外と悪くないですね」
「誰が旗を作った」
「管理官です」
「やることが早い」
「経済ですので」
「便利な言葉になってきたな」
ラドが笑う。
「この便、兵士にも人気が出そうですね。手紙と酒が動く」
「酒で問題を起こすなよ」
「酒が動けば問題は起きます」
「断言するな」
ニナリスが端末を確認する。
「初便積載、塩樽二十、干物箱四十、医療箱十二、カーバーゲン工場向け素材八箱、GTM小型部品封印箱三、手紙袋六、交代兵二十四名」
「多いな」
「試験便としては適正です」
「適正ならいい」
灯台の光が、夕方の海に伸びた。
船がゆっくりと岸壁を離れる。
港湾労働者が綱を外す。
小型船が先導に入る。
護衛艇が後ろにつく。
ボルサ便。
ただの輸送便。
だが、ジィッドにはそれが、一本の線に見えた。
コフツからオータへ。
オータからノウランへ。
ボルサ諸島列島の小島から小島へ。
本国方面から東回りに流れ込む補給へ。
海が線になる。
線が帳簿になる。
帳簿が軍政になる。
そして、軍政がまたジィッドの机に戻ってくる。
「また仕事が増えたな」
ジィッドが呟く。
ノエルが答える。
「でも、これがないと補給が詰まります」
「分かっている」
ラドが言う。
「ボルサ便が安定すれば、オータの工場も助かります」
「分かっている」
ニナリスが静かに言う。
「ノウランの保存食工場、オータのカーバーゲン工場、ボルサ諸島列島の港湾機能が接続されました」
「分かっている」
「正しい判断です」
「正しい判断ほど仕事が増える」
港湾代表が、そのやり取りを聞いていた。
敵である占領軍の将校。
だが、その将校は海を止めず、島の名を消さず、便を作った。
だから、島民はすぐには従わない。
だが、すぐには離反もしない。
それで十分だった。
ジィッドは出港していくボルサ便を見送り、低く言った。
「船を止めるな。灯を消すな。飯を切らすな」
ニナリスが答える。
「記録済みです」
「そこは聞いてない」
夕暮れの海へ、最初のボルサ便が進んでいく。
その小さな航跡は、やがてノウラン=オータ=ボルサ軍政圏の血管になっていく。