ノウラン市占領後
目的書は、三度書き直された。
一度目は、ジィッドが書いた。
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目的:デムザンバラ安全運用基準策定のため、旧シュペルター系統に関するファティマ側運用知見を収集する。
ただし、ニナリスの代替を目的としない。
本件は、銀月騎士団の生還率向上を目的とする軍務である。
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ニナリスは、それを読んで言った。
「不十分です」
「どこが」
「“ニナリスの代替を目的としない”という一文は必要ですが、後ろ向きです」
「後ろ向き?」
「代替しない、とだけ書くと、代替可能性を前提にした文になります」
ジィッドは頭を抱えた。
「文書でそこまで読むのか」
「読みます」
「怖いな、軍務」
「軍務ですので」
二度目は、ニナリスが修正した。
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本件は、デムザンバラの安全運用基準策定を目的とする。
運用主体はジョー・ジィッド・マトリアおよびファティマ・ニナリスであり、アウクソーへの接触は、旧シュペルター系統に関するファティマ側運用知見の聴取に限定する。
ファティマ契約、所有権、配属変更、譲渡、勧誘に関する交渉は一切行わない。
収集した知見は、整備班および黒騎士隊監督下で検証し、デムザンバラの限定運用へ反映する。
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ジィッドは素直に感心した。
「……すごいな」
「当然です」
「怒っている時の君は、文書が硬い」
「怒っていますので」
「そこは否定しないんだな」
「はい」
三度目は、整備班長が口を挟んだ。
「美文すぎます」
「美文か、これ」
「団長とニナリス基準では美文です。整備班が読むと、技術項目が足りません」
整備班長は油のついた手で別端末を開いた。
「低中域トルク補正、ピーク領域封鎖、フレーム熱逃げ、右肩部負荷集中、左脚接地衝撃、反応炉と駆動伝達系の同期。この辺を項目にしてください。アウクソーから聞くなら、“剣聖騎とは何か”じゃなくて、“ピークを殺した時に殺してはいけない反応はどこか”です」
ジィッドは少し黙った。
「……君も容赦がないな」
「軍務ですので」
「やめろ。その言葉が部隊内で流行り始めている」
「士気管理上、有効です」
「ニナリス、君もそれで逃げるな」
「逃げていません」
結果、四度目の目的書が完成した。
ジィッドはそれを読み上げた。
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件名:デムザンバラ安全運用基準策定に伴う旧シュペルター系統運用知見聴取について
一、本件の目的は、デムザンバラの限定運用における安全性、生還率、整備性を向上させることである。
二、運用主体はジョー・ジィッド・マトリアおよびファティマ・ニナリスであり、アウクソーへの接触は旧シュペルター系統に関する運用知見の聴取に限定する。
三、ファティマ契約、所有権、配属変更、譲渡、勧誘に関する交渉は一切行わない。
四、聴取項目は、ピークパワー領域封鎖時に残すべき反応、低中域トルク補正の限界、フレーム熱逃げ、駆動伝達系負荷、ファティマ側負荷判断基準、騎士側心理負荷管理とする。
五、収集した知見は、ニナリス、整備班、黒騎士隊監督下で検証し、デムザンバラの運用基準へ反映する。
六、本件は銀月騎士団の生還率向上を目的とする軍務である。
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読み終えたジィッドは、端末を置いた。
「硬いな」
「軍務文書です」
「それはそうだが」
ニナリスが少しだけジィッドを見る。
「最後の一文は残しました」
「ああ」
「ジィッド様が最初に書いた一文です」
「……そうか」
ジィッドは、少しだけ照れたように笑った。
「ありがとう」
「記録します」
「それはしなくていい」
「しました」
「早い」
整備班長が咳払いした。
「では、黒騎士殿へ提出を」
「そうだな」
ジィッドは端末を持ち上げた。
その時、背後から声がした。
「へえ」
全員が振り返った。
デコーズ・ワイズメルが、整備区画の入口に立っていた。
いつからいたのか分からない。
いつものように軽い顔で、しかし目だけは鋭い。
「軍務文書ごっこは終わったかい、ジィッド君」
「黒騎士殿」
ジィッドはすぐに姿勢を正した。
「提出に向かうところでした」
「いいよ。ここで見せろ」
「はい」
ジィッドは端末を差し出した。
デコーズは受け取ると、ざっと文面を読んだ。
途中で一度、鼻で笑う。
「硬え」
「軍務文書ですので」
「ニナリス、お前さんが書いたろ」
「大枠は私が修正しました」
「だろうな。ジィッドだけなら、もう少し恥ずかしい感じになってる」
「否定できません」
「否定しろよ」
デコーズはさらに読み進めた。
そして、四項目目で止まる。
「ピークパワー領域封鎖時に残すべき反応、ねえ」
「はい」
「いいじゃねえか」
ジィッドは少しだけ顔を上げた。
デコーズは端末をひらひら振った。
「剣聖騎を知りたい、なんて寝ぼけたこと書いてたら破り捨ててた。だがこれはいい。何を知りたいかが具体的だ」
「整備班長の指摘です」
「そうだろうな」
デコーズは整備班長を見る。
「お前さん、いい耳してるな」
「恐縮です」
「美談は嫌いか」
「整備できませんので」
「気が合うな。ボクちゃんも嫌いだよ。美談で機体は動かねえ」
デコーズは端末を閉じた。
「仮許可を正式許可にする」
ジィッドが目を見開いた。
「よろしいのですか」
「よろしいも何も、ここまで書いてきて駄目って言ったら、ボクちゃんがただの意地悪じゃねえか」
「違うのですか」
「おい」
デコーズが笑った。
「言うようになったな、若造」
「失礼しました」
「いいよ。そのくらいの方が使いやすい」
そして、声を少し低くした。
「ただし条件は増やす」
ジィッドは姿勢を正す。
「はい」
「一つ。ニナリス同席」
「はい」
「二つ。整備班長同席」
「はい」
「三つ。会話は全部記録。感情的な発言も消すな」
「感情的な発言も、ですか」
「そうだ。お前さんがアウクソーの前でどんな顔をしたか、後で見返せ」
「それは厳しい」
「厳しくしてんだよ」
デコーズはにやりと笑う。
「四つ。アウクソーに対して、欲しい、来い、俺と組め、俺ならお前を活かせる、みたいなことを一言でも言ったら、その場で帰還」
「言いません」
「五つ。言いそうになったらニナリスが止める」
「はい」
「六つ。ニナリスが止めたら、お前さんは黙る」
「……はい」
「間があったな」
「自分の未熟を想像しました」
「結構だ」
デコーズは端末をジィッドに返した。
「七つ。バランシェ博士にも事前に目的書を渡す。こっちの都合だけで、あの場所に踏み込めると思うな」
「承知しました」
「八つ。アウクソーが拒んだら終わりだ。会わない。聞かない。追わない」
「はい」
「九つ」
デコーズの目が細くなる。
「戻ったら、デムザンバラの設定をいじる前に、ボクちゃんに報告しろ。お前さんとニナリスが盛り上がって、いきなりピーク領域を少し開けます、なんて言い出したら蹴る」
「しません」
「しそうだから言ってる」
ニナリスが静かに言った。
「私も同意します」
ジィッドは振り返った。
「ニナリス?」
「ジィッド様は、理解が進むと試したくなる傾向があります」
「……あるか?」
「あります」
整備班長も頷いた。
「ありますね」
「君たち」
デコーズが喉の奥で笑った。
「人望あるじゃねえか、隊長さん」
「信頼ではなく監視では」
「軍隊じゃ同じようなもんだ」
ジィッドは苦笑した。
「承知しました。設定変更前に必ず報告します」
「よし」
デコーズは踵を返しかけた。
だが、ふと足を止める。
「ジィッド」
「はい」
「アウクソーに会えば、たぶん傷つくぞ」
ジィッドは黙った。
デコーズは背を向けたまま続ける。
「剣聖騎を本当に知っているファティマだ。お前さんが必死に鈍らせて、殺して、生き延びようとしてるものを、あっちは本来の音で知っている」
「はい」
「お前さんがどれだけ届かねえか、今よりはっきり分かる」
「はい」
「ニナリスも傷つく」
ニナリスは何も言わなかった。
「自分が削っているものを、外から照らされる。自分の判断が正しかったか、間違っていたか、見せられる。嫌なもんだぜ」
「はい」
「整備班長も傷つく」
「俺もですか」
「ああ。美談は嫌いでも、機体を殺してる自覚くらいあるだろ」
整備班長は、少しだけ表情を引き締めた。
「あります」
「全員傷ついてこい」
デコーズは軽く言った。
だが、その声は冷たくなかった。
「その上で、持って帰ってこい。剣聖の夢じゃねえ。デムザンバラの運用をだ」
ジィッドは深く頭を下げた。
「承知しました」
「へいへい」
デコーズは片手を振った。
「それと、出発前に部下どもへ説明しとけ。隊長がアウクソーに会いに行くなんて話、変に流れたら面倒くせえ」
「はい」
「特に若いのは勝手に燃えるぞ。ニナリスを捨てるんですか、とか言い出す」
ジィッドは顔をしかめた。
「言いそうです」
「だろ」
デコーズは笑った。
「先に燃料を抜いとけ。火事になる前にな」
そう言って、黒騎士は整備区画を出ていった。
足音が遠ざかる。
しばらく、誰も喋らなかった。
やがて、整備班長が言った。
「全員傷ついてこい、ですか」
「黒騎士殿らしい」
ジィッドは端末を見下ろした。
正式許可。
条件付き。
逃げ場のない許可だった。
ニナリスが静かに言う。
「部下への説明が必要です」
「ああ」
「私も同席します」
「いいのか」
「必要です」
ジィッドは彼女を見る。
ニナリスの表情は、いつも通り静かだった。
だが、先ほどより少しだけ硬い。
「ニナリス」
「はい」
「怒っているか」
「はい」
「まだ?」
「はい」
「そうか」
「ですが、同行します」
「ありがとう」
「軍務ですので」
ジィッドは苦笑した。
「その言葉、本当に便利だな」
「はい」
整備班長が端末を抱える。
「では、俺は技術項目をさらに詰めます。アウクソーに聞くなら、曖昧な質問ではなく具体的に投げます」
「頼む」
「ただし団長」
「何だ」
「部下への説明で、変に格好つけないでください」
「なぜ先に釘を刺す」
「格好つけるからです」
ニナリスも頷いた。
「ジィッド様は、痛い話をするときに格好つけます」
「そんなにか?」
「はい」
「……軍務文書に書くなよ」
「必要なら記録します」
「やめてくれ」
少しだけ笑いが起きた。
デムザンバラの装甲の奥で、冷却管が小さく鳴る。
白い騎体は、まだ沈黙していた。
剣聖騎の残響を、どこかに残したまま。
ジィッドはそれを見上げた。
「よし。部下たちを集める」
「はい」
「ニナリス、隣にいてくれ」
「そのためにいます」
短い答えだった。
ジィッドは一瞬黙り、それから頷いた。
「そうだったな」
そして、銀月騎士団の若い部下たちへ集合命令を出した。