ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

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星団歴3055年
王都じゃなくて土木現場


/*/ 星団暦3055年 旧王都ベイジ 王宮東宮 少将執務室 /*/

 

 

 

 ベイジは、まだ美しくなかった。

 

 王宮の窓から見下ろす街は、かつての王都の面影をところどころに残しながら、その多くを足場と幕布と仮囲いに覆われていた。

 

 王宮前広場には石畳が戻った。

 

 旧AP騎士団格納庫には黒騎士団のGTMが入り、国家騎士団と銀月騎士団のカーバーゲンも並んでいる。

 

 通信塔は動き、王宮東宮には軍政局、復興管理局、金融監督室、税務監査室、帰還民登録本部が詰め込まれている。

 

 だが、少し視線を外せば、そこにはまだ瓦礫がある。

 

 崩れた壁。

 

 掘り返された下水道。

 

 木杭を打っただけの測量線。

 

 仮設住宅。

 

 資材置き場。

 

 石材を運ぶ荷車。

 

 土埃の中で怒鳴る工兵。

 

 王都というより、巨大な工事現場だった。

 

 ジィッド・マトリア少将は、机の上に積まれた報告書を見て、静かに言った。

 

「十年経って、王都じゃなくて土木現場になったな」

 

 ノエルが資料をめくる。

 

「王都を王都に戻すための土木現場です」

 

「言い方を変えても土木現場だ」

 

 ラドが窓の外を見る。

 

「でも、人は戻ってますよ。五年前は、王宮と格納庫だけが先に復旧した感じでしたけど、今はちゃんと街の音がします」

 

「音はな」

 

 ジィッドは窓の外を見た。

 

 槌の音。

 

 荷車の車輪。

 

 市場の呼び声。

 

 飯屋の鍋の音。

 

 証券取引所の怒号。

 

 黒騎士団格納庫の整備音。

 

 そして、どこか遠くで動くボルサ製冷蔵庫の低い駆動音。

 

 確かに、街の音だった。

 

 ニナリスが端末を開く。

 

「星団暦3055年時点のベイジ復旧概要。王宮中央棟、軍政中枢として安定稼働。旧AP騎士団格納庫、基地およびGTM整備拠点として稼働。主要幹線道路、六割復旧。下水基幹線、四割復旧。民間住宅、本設化三割五分。仮設住宅、継続使用。常設市場、三箇所。仮設市場、二箇所。復興資材工房、増加傾向」

 

「下水が遅い」

 

 ジィッドが即座に言った。

 

「はい」

 

「そこを先にやれと言った」

 

「やっています」

 

「もっとやれ」

 

「人員は増やしています」

 

「まだ足りん」

 

 ノエルが苦笑した。

 

「少将、下水の話になると機嫌が悪くなりますね」

 

「下水が詰まると病気が出る。病気が出ると医療班が死ぬ。医療班が死ぬと街が死ぬ。王宮がどれだけ立派でも、下が腐ってたら王都じゃない」

 

 ラドが頷く。

 

「医療班としては全面同意です」

 

 ニナリスが記録する。

 

「下水基幹線、優先度再引き上げ」

 

「また報告書が増える」

 

「必要です」

 

「知ってる」

 

 ジィッドは椅子に沈んだ。

 

 ベイジは戻っている。

 

 それは間違いない。

 

 だが、戻れば戻るほど、仕事が増える。

 

 瓦礫を撤去すれば道が必要になる。

 

 道を引けば店が出る。

 

 店が出れば人が集まる。

 

 人が集まれば水と下水が必要になる。

 

 水と下水が整えば住宅が増える。

 

 住宅が増えれば銀行が金を貸す。

 

 銀行が金を貸せば証券取引所が騒ぐ。

 

 証券取引所が騒げば、ペール会長が楽しそうに笑う。

 

 最悪の連鎖だった。

 

 

 

/*/ 旧王都ベイジ 南区復旧現場 /*/

 

 

 

 南区では、王都の古い街路が掘り返されていた。

 

 復旧工事は、もはや応急処置ではない。

 

 星団暦3045年の頃は、瓦礫をどかし、仮の道を通し、井戸を囲い、仮設倉庫を立てるだけで精一杯だった。

 

 3050年には、王宮と基地を動かすための幹線道路が優先された。

 

 そして3055年。

 

 ベイジは、ようやく「暮らすための都市」を作り直す段階へ入っていた。

 

 道路の下に配管を入れる。

 

 下水を通す。

 

 古い水路を調べる。

 

 崩れた地下室を埋める。

 

 仮設住宅を本設住宅へ置き換える。

 

 銀月騎士団の工兵部隊は、相変わらず異様に手際がよかった。

 

「二番線、杭を打て!」

 

「その石材、まだ使える! 割るな!」

 

「下水溝に入る班、縄をつけろ! ガスがあるかもしれん!」

 

「水撒け! 粉塵を立てるな!」

 

 帰還民の若者たちが、工兵の指示で石材を運んでいる。

 

 元難民だった男が、今では測量補助班の班長になっていた。

 

 元炊き出し係の女が、作業員向け食堂を二軒持っている。

 

 親を失ってノウラン孤児院へ送られていた少年の一人は、成長して、ベイジへ戻り、今は煉瓦工房の見習いになっていた。

 

 復興は、ただ街を直すだけではない。

 

 人の立ち位置を作り直す作業でもあった。

 

 ジィッドは現場視察に来ていた。

 

 少将の制服は、もう土埃で汚れている。

 

「ここはいつ終わる」

 

 工兵長が、図面を広げた。

 

「下水基幹線は三ヶ月。舗装は半年。住宅区画の本設化は二年」

 

「二年?」

 

「早い方です」

 

「言い切るな」

 

「事実です」

 

「お前も事実で殴るのか」

 

 工兵長は平然としていた。

 

「銀月工兵は、少将に鍛えられましたので」

 

「俺は騎士団を土建屋にした覚えはない」

 

「実質、なっています」

 

「言うな」

 

 ラドが笑いを堪える。

 

「でも、この土建屋がいないとベイジは戻りませんよ」

 

「分かってる」

 

 ジィッドは、道路の先を見た。

 

 まだ瓦礫はある。

 

 だが、その瓦礫の横に、石材屋がある。

 

 木材屋がある。

 

 配管屋がある。

 

 釘と金具を売る店がある。

 

 作業員向けの飯屋がある。

 

 工事が街を壊しているのではない。

 

 工事そのものが、街の産業になっていた。

 

「建築土木が王都最大の産業か」

 

 ノエルが帳面に書く。

 

「3055年時点では、間違いなくそうです」

 

「王宮よりも土木か」

 

「王宮を維持するにも土木です」

 

「便利な言葉だな」

 

 ニナリスが静かに言う。

 

「事実です」

 

「今日は皆で殴る日か」

 

 

 

/*/ ベイジ西市場 常設区画 /*/

 

 

 

 西市場は、五年前には仮設だった。

 

 布を張り、木箱を並べ、泥の上に板を敷いただけの市場。

 

 それが今は、半分だけ本設になっている。

 

 石畳。

 

 排水溝。

 

 屋根のある商店。

 

 登録済みの屋台。

 

 軍政監督所。

 

 憲兵詰所。

 

 黒豹の目が届く裏路地。

 

 王都の市場らしい喧騒が、少しだけ戻っていた。

 

 運送業者が荷を降ろす。

 

 飲食店が湯気を上げる。

 

 小売商が声を張る。

 

 ボルサ諸島列島から来た民生品の店には、人だかりができていた。

 

「冷蔵庫だ! ボルサ製冷蔵庫!」

 

「医療用保冷箱、診療所向け優先販売!」

 

「食堂向け保冷棚、分割払い可!」

 

「TVモニタもあるぞ! 王宮通信規格対応!」

 

 ジィッドは、その店の前で足を止めた。

 

 店頭には、ボルサ分工廠製の冷蔵庫が並んでいる。

 

 銀月の軍需工場から派生した民生技術。

 

 塩害対策。

 

 保冷庫。

 

 電源制御。

 

 船内表示器。

 

 それらが、今は復興王都の生活再建用品として売られている。

 

 ラドが、医療用保冷箱を見て頷いた。

 

「これは助かります。薬品保存が安定する」

 

 ノエルが価格表を見る。

 

「かなり売れてますね。孤児院、診療所、食堂、保存食工房、全部欲しがるでしょう」

 

「価格は」

 

 ジィッドが聞く。

 

 店主は、緊張しながら答えた。

 

「軍政優先枠は定価です。一般販売は、運送費込みで少し上がります」

 

「少し、の範囲を超えたら締める」

 

「承知しております、少将」

 

「修理は」

 

「西市場裏に修理窓口を置いています。ボルサから技術者が二名、ベイジの見習いが六名」

 

「部品は」

 

「ボルサ便とオータ経由で来ます」

 

 ジィッドは頷いた。

 

「売り逃げは許さん。冷えなくなった冷蔵庫はただの箱だ。修理網を維持しろ」

 

「はい」

 

 ラドが小さく笑った。

 

「冷蔵庫にまで厳しい」

 

「生活基盤だ」

 

 ジィッドは言った。

 

「飯が腐らない。薬が腐らない。孤児院の牛乳が腐らない。食堂が食中毒を出さない。冷蔵庫は戦略物資だ」

 

 ノエルが小声で言う。

 

「また名言っぽい」

 

「使うな」

 

「記録しました」

 

「記録はいつも残酷だな」

 

 市場の奥では、子供がTVモニタに映る簡易映像を見て歓声を上げていた。

 

 隣では、職人が電源制御機器の説明を聞いている。

 

 その横では、食堂の女将が保冷庫の分割払いについて銀行員と交渉していた。

 

 ベイジは、食うために戻ってきた。

 

 働くために戻ってきた。

 

 そして今、買うためにも戻ってきていた。

 

 

 

/*/ ベイジ復興銀行 王宮前支店 /*/

 

 

 

 銀行が戻った時、ジィッドは本気で嫌な顔をした。

 

 だが、銀行が戻らなければ、復興は次の段階へ進まなかった。

 

 最初の五年は、軍政が直接配った。

 

 配給。

 

 仕事。

 

 賃金。

 

 資材。

 

 だが、十年目にはそれだけでは足りない。

 

 工房を再建したい者がいる。

 

 運送業を始めたい者がいる。

 

 食堂を本設化したい者がいる。

 

 仮設住宅を買い取りたい者がいる。

 

 工具を買うための小口融資が必要な職人がいる。

 

 建築会社は工事前に資材を買わなければならない。

 

 運送会社は荷車と獣と車両を揃えなければならない。

 

 金が要る。

 

 だから銀行が戻った。

 

 ジィッドは、復興銀行の支店内で、帳簿の山を見ていた。

 

「預金、送金、給与決済、建設融資、商業手形、倉庫証券、復興債」

 

 銀行長が丁寧に説明する。

 

「はい。軍政監督下で扱っております」

 

「自由に貸すな」

 

「もちろんです」

 

「だが、締めすぎるな」

 

「心得ております」

 

「高利で職人を潰すな」

 

「金利上限は軍政規定内です」

 

「焦げ付いたら」

 

「担保処理前に復興監督室へ照会します」

 

「逃げた商人は」

 

「黒豹と憲兵に報告します」

 

 ジィッドは額を押さえた。

 

「銀行って、こんなに軍事施設みたいだったか」

 

 ニナリスが答える。

 

「復興期の銀行は、実質的に補給線です」

 

「金の補給線か」

 

「はい」

 

「嫌な補給線だ」

 

 銀行長はにこやかに言う。

 

「ですが、金が流れれば街が動きます」

 

「金が流れれば詐欺師も動く」

 

「そのための監督です」

 

「監督する俺の仕事が増える」

 

「復興が進んでいる証です」

 

「その言い方で全て許すな」

 

 ラドが窓口を眺める。

 

 工房主。

 

 運送業者。

 

 市場の商人。

 

 食堂の女将。

 

 元難民だった若者が、工具購入資金の小口融資を申し込んでいる。

 

 銀行員は、その一人一人を登録し、職能と返済計画を確認している。

 

 かつてただの避難民だった人間が、今は借り手になっている。

 

 それは危険でもあり、成長でもあった。

 

「街になってますね」

 

 ラドが言った。

 

 ジィッドは苦く笑った。

 

「借金ができるようになると街か」

 

「かなり街です」

 

「嫌な基準だ」

 

 

 

/*/ ベイジ臨時証券取引所 /*/

 

 

 

 証券取引所は、もっと嫌だった。

 

 旧商業区の石造りの建物。

 

 まだ壁に補修痕がある。

 

 床の石材は揃っていない。

 

 だが、中央の板には銘柄が並ぶ。

 

 

 

 第三王宮外縁復興債

 南区下水基幹工事債

 ベイジ倉庫証券

 王宮前運送組合持分

 ボルサ保冷庫販売組合出資証

 オータ工場下請け部品工房手形

 西市場常設化工事証

 北区仮設住宅本設化債

 

 

 

 ジィッドは、それを見ただけで胃が痛くなった。

 

 場内では怒号が飛んでいる。

 

「南区下水、買い!」

 

「西市場工事証、売り!」

 

「ボルサ保冷庫販売、追加枠はまだか!」

 

「オータ下請け手形、割引率を下げろ!」

 

「王宮前運送組合、荷車不足で上がるぞ!」

 

 デコーズが、なぜか面白がって見物に来ていた。

 

「うるせえな、ここ」

 

「戦場よりうるさいです」

 

 ジィッドが言うと、デコーズは笑った。

 

「でも斬り合いにならねえだけ平和じゃねえか」

 

「金で斬り合っています」

 

「それはそれで面白え」

 

「面白がらないでください」

 

 金融監督官が、誇らしげに説明する。

 

「完全自由市場ではありません。復興関連の債券、倉庫証券、工事債、組合持分、手形の取引に限定しています」

 

「限定してこれか」

 

「はい。需要が高いので」

 

「ペール会長は」

 

「大変お喜びです」

 

「でしょうね」

 

 その瞬間、通信が入った。

 

 ビューティ・ペールだった。

 

「ジィッド君。臨時証券取引所の出来はいかがかしら」

 

 ジィッドは露骨に嫌な顔をした。

 

「うるさいです」

 

「活気があるということですわね」

 

「怒号です」

 

「金が動いている音ですわ」

 

「俺には砲声より怖い」

 

 ペール会長は楽しそうに笑う。

 

「復興は、瓦礫をどけるだけでは進みません。信用を流通させる必要がありますの」

 

「信用を売り買いするという言葉が怖い」

 

「だから監督するのですわ」

 

「監督するのは俺です」

 

「ええ。期待していますわ」

 

「期待しないでください」

 

「無理ですわね」

 

 通信が切れる。

 

 デコーズが横で笑っていた。

 

「お前、本当に上から好かれてるな」

 

「利用されてるんです」

 

「似たようなもんだ」

 

「違います」

 

 ジィッドは取引所の怒号を聞きながら、低く呟いた。

 

「証券取引所が戻ると、王都が戻った感じがするな」

 

 ノエルが頷く。

 

「はい。危険ですが、象徴的です」

 

「危険な象徴ばかり戻ってくる」

 

 ニナリスが記録する。

 

「ベイジ臨時証券取引所、復興金融中枢として稼働」

 

「記録は簡潔だな」

 

「現実の混乱は別添にします」

 

「別添が一番怖い」

 

 

 

/*/ 旧AP騎士団格納庫 補助工房区画 /*/

 

 

 

 製造業は戻っていた。

 

 ただし、戦前の王都工業がそのまま復活したわけではない。

 

 ベイジの工業は、復興のために戻った。

 

 旧AP騎士団格納庫の外縁には、補助工房区画が形成されている。

 

 GTM本格製造はオータ。

 

 それはジィッドが譲らなかった線だった。

 

 だが、ベイジでは整備補助、通常車両修理、工具製造、金具、配管、作業用装具、荷車、井戸ポンプ、簡易発電機の小型部品が作られている。

 

 工房の炉が赤い。

 

 金槌の音がする。

 

 若い職人が、軍整備班に怒鳴られている。

 

「規格が一ミリ違う!」

 

「すみません!」

 

「すみませんでGTMは立たん!」

 

 ジィッドは、その声を聞いて頷いた。

 

「良い怒鳴り方だ」

 

 ラドが顔をしかめる。

 

「褒めるところですか」

 

「品質不良で騎士を殺すよりいい」

 

 工房組合長が頭を下げる。

 

「少将、ベイジ側でももう少し軍需規格部品を扱えれば」

 

「駄目だ」

 

 ジィッドは即答した。

 

「本格GTM製造はオータ主工場。ベイジは下請け、補修、工具、車両、復興資材。欲張るな」

 

「ですが、旧AP格納庫があります」

 

「だからこそだ。ここは戦力が集まる。黒騎士団もいる。国家騎士団もいる。ここに製造まで過密させると、事故った時に全部止まる」

 

 ニナリスが補足する。

 

「分散配置が合理的です。オータは製造。ベイジは整備・補修・復興資材。ボルサは民生機器および保冷・表示・電源制御の供給」

 

 工房組合長は少し悔しそうだったが、頷いた。

 

「では、ベイジは復興資材と補修産業で伸ばします」

 

「それでいい」

 

 ジィッドは周囲を見た。

 

 石材加工。

 

 煉瓦工房。

 

 配管。

 

 工具。

 

 荷車。

 

 簡易発電機。

 

 作業服。

 

 靴。

 

 手袋。

 

 泥臭いものばかりだった。

 

 だが、どれも必要だった。

 

 王都を戻すのは、華やかな宮廷職人だけではない。

 

 釘を作る者。

 

 瓦礫を運ぶ荷車を直す者。

 

 下水管をつなぐ者。

 

 冷蔵庫を修理する者。

 

 そういう者たちだった。

 

「王都復興の主役が釘と配管か」

 

 ノエルが答える。

 

「かなり現実的ですね」

 

「現実的すぎて嫌になる」

 

 

 

/*/ 王宮東翼 少将執務室 夜 /*/

 

 

 

 夜になっても、ベイジは動いていた。

 

 証券取引所は閉まった。

 

 だが、銀行の裏では帳簿が締められている。

 

 市場では片付けが続いている。

 

 工房では夜番が炉を見ている。

 

 格納庫では黒騎士団の整備灯が点いている。

 

 南区では下水工事の夜間班が交代している。

 

 ジィッドは、執務室で復旧地図を見ていた。

 

 赤。

 

 黄。

 

 青。

 

 十年前は、赤ばかりだった。

 

 五年前は、王宮と格納庫だけが青かった。

 

 今は、青い線が街へ伸びている。

 

 だが、まだ赤は残る。

 

 ジィッドは椅子に沈んだ。

 

「3055年のベイジ」

 

 ニナリスが静かに立っている。

 

「はい」

 

「王宮は動く。格納庫は動く。黒騎士団もいる。国家騎士団もいる。銀月もいる。建築土木は好景気。運送、飲食、小売りは戻った。復興資材の製造業も立ち上がった。ボルサの家電も売れている。銀行も証券取引所も戻った」

 

「はい」

 

「つまり」

 

「はい」

 

「仕事が増えた」

 

「はい」

 

 ニナリスは否定しなかった。

 

 ジィッドは笑った。

 

 疲れた笑いだった。

 

「無法地帯の方が、ある意味では単純だったな」

 

「掃討すればよかったので」

 

「今は掃討では済まない。金を流し、道を直し、水を通し、冷蔵庫を売らせ、銀行を監督し、証券取引所を見張り、黒騎士団の整備区画を守り、下水を掘る」

 

「王都中枢化です」

 

「嫌な言葉だ」

 

「ですが、成功しています」

 

 ジィッドは黙った。

 

 窓の外には、王宮前広場が見える。

 

 昼間、石材を運んでいた労働者たちはもういない。

 

 代わりに、街灯が灯っている。

 

 灯り。

 

 それは小さなものだった。

 

 だが、十年前にはなかった。

 

「ベイジは戻ったのか」

 

 ジィッドは呟いた。

 

 ニナリスは少しだけ考えた。

 

「完全には戻っていません」

 

「そうだな」

 

「ですが、戻ろうとする力は定着しました」

 

 ジィッドは窓の外を見たまま、目を細めた。

 

 王都は、まだ傷だらけだ。

 

 美しくない。

 

 整っていない。

 

 騒がしい。

 

 土埃が舞う。

 

 金貸しが戻り、証券屋が叫び、工事屋が儲け、食堂が増え、闇市も隙を狙う。

 

 だが、人がいる。

 

 仕事がある。

 

 飯がある。

 

 金が回る。

 

 灯りがつく。

 

 子供が地下ではなく、路地で走っている。

 

 それだけで、十年前よりずっと王都だった。

 

「戻ろうとする力、か」

 

「はい」

 

「便利な言葉だな」

 

「事実です」

 

「事実で殴るな」

 

 ニナリスは静かに記録を閉じた。

 

 ジィッドは、最後に報告書へ一文を書き加えた。

 

 

 

 旧王都ベイジ、復興十年目。

 完全復興には遠い。

 だが、行政、軍事、物流、金融、市場、復興資材、民生品流通の各機能は再接続されつつある。

 無法地帯ではなく、未完成の中枢として扱うべし。

 

 

 

 書いてから、ジィッドは顔をしかめた。

 

「自分で書いておいて何だが、嫌な文章だ」

 

 ニナリスが言った。

 

「良い文章です」

 

「褒めるな」

 

「報告書として有効です」

 

「余計に嫌だ」

 

 彼は判を押した。

 

 その音が、夜の執務室に小さく響いた。

 

 星団暦3055年。

 

 ベイジは、まだ王都ではなかった。

 

 だが、もう瓦礫でもなかった。

 

 傷だらけのまま、金と仕事と人を飲み込み、再び中枢へ戻ろうとしていた。

 

 そしてその中心で、ジィッド少将の机には、明日もまた新しい報告書が積まれるのだった。

 

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