ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

98 / 104
正直ちょっと羨ましい

/*/ 星団暦3069年・ナカカラ北部戦線 撤退路中継地点 /*/

 

 

 

 撤退戦にも、息継ぎの瞬間はある。

 

 完全な休息ではない。

 

 ただ、追撃線が一度切れ、味方の後退列が次の稜線へ滑り込み、負傷機を後方へ押し込むまでの短い間。

 

 それを休憩と呼ぶなら、いまは休憩だった。

 

 銀月騎士団のGTMが、低い丘陵の陰に膝を落としている。

 

 黒豹騎士団の黒い騎体も、その外側で追撃方向を睨んでいた。

 

 ロッゾ傭兵騎士団と西部騎士団連合の一部は、すでに北西方向へ抜けた。

 

 だが、全員ではない。

 

 王宮方面へ割って入った部隊は、もう戻らない。

 

 その事実が、誰の口からも出なかった。

 

 出せば、音になる。

 

 音になれば、重さが増す。

 

 ジィッド・マトリアは、デムザンバラの足元から離れ、携帯用の湯沸かし器で淹れた薄い珈琲を飲んでいた。

 

 まずい。

 

 撤退戦の途中で飲むには、十分すぎるほどまずい。

 

 隣に、アーリィ・ブラストが立っていた。

 

 黒豹騎士団の大佐。

 

 若い。

 

 だが、さっきから一度も「若い」顔をしていない。

 

 彼女は遠くの空を見ていた。

 

 まだ、そこにはフィルモアの紋章が残っている。

 

 全星団通信網を奪った帝国章。

 

 そして、若き皇帝の声。

 

 ジィッドが、ぽつりと言った。

 

「若い皇帝の戯言……ね」

 

 アーリィが視線だけを向ける。

 

「ダイ・グ皇帝の言葉か」

 

「ああ」

 

 ジィッドは珈琲を一口飲み、顔をしかめた。

 

「皇帝が最前線に飛び出して理想を語る。それに痺れない良いとこの騎士はいない」

 

 少し離れたところで、ラドが補給報告を書きながら顔を上げた。

 

 ノエルも、聞いていないふりをして聞いている。

 

 アーリィは、短く言った。

 

「そういうものか」

 

「そういうものだ」

 

 ジィッドは、空の紋章を見上げた。

 

「俺たちは捻くれてるからな。『おいおい、マジかよ』って笑う方だ」

 

 彼は少しだけ笑った。

 

 苦い笑いだった。

 

「だが、正直ちっと羨ましい」

 

 アーリィの眉が、わずかに動いた。

 

「羨ましい?」

 

「羨ましいだろ」

 

 ジィッドは、湯気の薄いカップを揺らした。

 

「自分の命が長くないと知って、それでも皇帝として前に出る。帝国の理念を叫ぶ。古い誓いを持ち出す。騎士に命を預けろと言う。そんなもん、反則だ」

 

「反則」

 

「反則だよ」

 

 ジィッドは肩をすくめた。

 

「政治家なら嘘くさい。将軍なら危ない。詩人なら酔ってる。だが、皇帝が命を削って言うと、全部まとめて勅命になる」

 

 アーリィは黙った。

 

 その沈黙を、遠くの砲声が埋める。

 

 追撃はまだ完全には止まっていない。

 

 銀月と黒豹が作った撤退路の向こうで、まだGTMが動いている。

 

 ジィッドは続けた。

 

「良い家の騎士ほど、ああいうのに弱い。誇り、理念、古い誓い、帝国の心。普段は鼻で笑ってても、いざ本物を見せられると膝に来る」

 

「少将も来たのか」

 

「少しな」

 

 アーリィは少し意外そうにした。

 

 ジィッドは苦笑する。

 

「俺だって騎士だぞ」

 

「市政官かと思っていた」

 

「撃つぞ」

 

「撤退戦中だ。弾を節約しろ」

 

 ジィッドは鼻で笑った。

 

 それから、少しだけ声を落とす。

 

「俺は、ああいう言葉を言えない」

 

「言いたいのか」

 

「言える立場なら、一度くらいは言ってみたいだろ。部下に向かって、俺の誇りに命を預けろ、なんてな」

 

 ラドが遠くで咳き込んだ。

 

 ノエルが露骨に目を逸らした。

 

 ジィッドは二人を見た。

 

「聞こえてるぞ」

 

 ラドが慌てて書類へ目を戻す。

 

「聞いてません」

 

「嘘をつくな」

 

 アーリィが、少しだけ面白そうに言う。

 

「なんだったら、部下に聞いてみろ、か」

 

 ジィッドは頷いた。

 

「そうだな」

 

 そして、ラドへ声をかけた。

 

「ラド」

 

「はい」

 

「男ってのはロマンチストなんだよな?」

 

 ラドは、戦術記録板を抱えたまま固まった。

 

 ノエルが横で小さく噴き出す。

 

「ほら、答えろ」

 

 ラドは諦めたように肩を落とした。

 

「……否定はしません」

 

「だそうだ」

 

 ジィッドはアーリィを見る。

 

 アーリィはラドを見る。

 

「本当にそうなのか」

 

 ラドは、少し困った顔で言った。

 

「騎士としては、あれは効きます」

 

「効く?」

 

「はい」

 

 ラドは、遠くの空に残るフィルモアの紋章を見た。

 

「若い皇帝が、自分の命を長くないと言って、それでも誇りを掲げて、ナカカラを守れと命じる。しかも全星団に向けて。あれを聞いて、血が騒がない騎士は少ないと思います」

 

 ノエルも、小さく頷いた。

 

「敵ですよ。敵なんですけどね」

 

「敵だから余計に腹が立つ」

 

 ジィッドが言った。

 

「格好いい敵は、味方より腹が立つ」

 

 アーリィが僅かに笑った。

 

「分かる気がする」

 

「だろ」

 

「だが、羨ましいというのは?」

 

 ジィッドはカップを見下ろした。

 

 冷めかけた珈琲に、自分の顔がぼんやり映っている。

 

「俺が部下に言えるのは、せいぜいこうだ」

 

 彼は少し声を変えた。

 

「撃破数はいらん。撤退路を開け。深追いするな。酒場を壊すな。税収輸送路を守れ。産院付近では戦うな。帳簿を汚すな」

 

 ラドが笑いを堪えきれずに吹き出した。

 

 ノエルも肩を震わせる。

 

 アーリィは真面目な顔で聞いていたが、やがて少しだけ口元を緩めた。

 

「それはそれで、命を預けるには悪くない」

 

 ジィッドは目を瞬かせた。

 

「そうか?」

 

「少なくとも、死にに行けとは言っていない」

 

 アーリィは遠くの戦場を見た。

 

「残れ、と言っている」

 

 ジィッドは黙った。

 

 アーリィは続ける。

 

「ダイ・グ皇帝は、誇りを掲げて騎士を前へ進ませた。少将は、残せるものを残すために後ろへ引かせる。どちらも騎士は痺れるかもしれない」

 

「撤退命令で痺れる騎士は、だいぶ変態だぞ」

 

「銀月にはいるのでは?」

 

 ラドが即座に言った。

 

「否定しきれないのが嫌ですね」

 

 ノエルも頷く。

 

「団長の撤退命令は、たまに妙な説得力があります」

 

「お前ら、褒めてるのか?」

 

「軍務上の評価です」

 

「逃げるな」

 

 短い笑いが起きた。

 

 ほんの少しだけ。

 

 撤退戦の途中、死んだ者と戻れない者の名前をまだ数えきれていない場所で、それでも笑いが起きた。

 

 ジィッドは、その笑いが消えるのを待ってから、静かに言った。

 

「でもな、アーリィ」

 

「何だ」

 

「俺はやっぱり、少し羨ましい」

 

 アーリィは答えなかった。

 

 ジィッドは、空の紋章を見た。

 

「理想を語って、騎士を奮い立たせて、戦場をひっくり返す。そんなものは、できる人間が限られている。俺には無理だ」

 

「少将は、違うものをひっくり返す」

 

「何を」

 

「敗走を、撤退に変えた」

 

 その言葉に、ラドもノエルも黙った。

 

 ジィッドは、少しだけ嫌そうな顔をした。

 

「そういう褒め方をするな」

 

「嫌なのか」

 

「嫌だな」

 

「なら覚えておく」

 

「おい」

 

 アーリィは、ようやく少し笑った。

 

 それは若い顔だった。

 

 戦場で固まっていた表情が、ほんの少しだけ年相応に戻る。

 

 ジィッドはカップの残りを飲み干した。

 

 まずい。

 

 最後までまずい。

 

「休憩は終わりだ」

 

 ラドが即座に顔を上げる。

 

「追撃ですか」

 

「まだ来る。フィルモアは勢いづいている。ブーレイも裏返ったばかりで止まらない。こちらが止まれば、追いつかれる」

 

 ノエルが通信板を確認する。

 

「銀月、再展開可能です」

 

 アーリィも黒豹の通信を開く。

 

「黒豹、追撃線監視を継続。次の稜線で再度脅しをかける」

 

 ジィッドは頷いた。

 

「銀月は撤退路の左を取る。黒豹は右を脅せ。ロッゾと西部連合をもう一段抜く」

 

「了解」

 

 アーリィが短く答える。

 

 ジィッドはデムザンバラへ歩き出した。

 

 その背中に、ラドが小さく言う。

 

「団長」

 

「なんだ」

 

「部下に命を預けろ、って言わなくても」

 

 ラドは少しだけ笑った。

 

「俺たち、もう預けてますよ」

 

 ジィッドは足を止めなかった。

 

 止めたら、顔を見られる。

 

 だから、そのまま歩きながら言った。

 

「重いことを言うな」

 

 ノエルが続けた。

 

「軍務ですので」

 

「その言葉は俺のだ」

 

 ジィッドはデムザンバラの昇降架へ足をかけた。

 

 白銀の騎体が、低く唸る。

 

 空にはまだ、フィルモアの紋章が残っている。

 

 若い皇帝の戯言。

 

 甘い理想。

 

 だが、その言葉は戦場をひっくり返した。

 

 ジィッドには、それは言えない。

 

 言えないから、別の言葉を選ぶ。

 

「銀月騎士団、再展開」

 

 通信が開く。

 

「生きて抜けるぞ」

 

 五十八騎の声が返った。

 

「了解!」

 

 黒豹七十二騎も動き出す。

 

 撤退戦は、まだ終わらない。

 

 だが、敗走にはしない。

 

 ジィッド・マトリアは、そう決めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。