/*/ 星団暦3069年・バッハトマ軍・ベイジ司令部 作戦室 /*/
壁面受像機に、フィルモアの皇帝旗が映っていた。
画面下には、慌ただしい速報字幕が流れている。
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速報
フィルモア皇帝ダイ・グ、ナカカラの戦いの後に倒れる。
容体は安定しているものの、予断を許さない状態で――
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音声は、同じ文言を何度も繰り返していた。
『フィルモア帝国宮内府は、238代皇帝ダイ・グ陛下がナカカラ戦線より帰還後、体調を崩され、現在治療を受けていると発表しました。容体は安定しているものの――』
デコーズ・ワイズメルは、足を机に乗せたまま、その画面を眺めていた。
笑ってはいない。
だが、深刻そうでもない。
いつものように、どこか面白がっているようで、その実、目だけは冷えている。
部屋の端にはバギィ。
窓際にはトモエ。
そして机の前に、ジョー・ジィッド・マトリアが立っていた。
ナカカラ北部戦線から戻ったばかりだった。
軍服にはまだ細かい砂が残っている。
目の下には疲労がある。
だが、姿勢は崩していない。
デコーズは受像機から視線を外さずに言った。
「で、ジィッド」
声は軽い。
軽いが、逃げ道はない。
「お前さんは、黒ローブの命令を聞きもしないで撤退してきたわけだ」
作戦室の空気が少しだけ重くなった。
ジィッドは、すぐには答えなかった。
受像機では、また皇帝の映像が流れる。
全星団通信網を奪い、若き皇帝がナカカラを守ると宣言した瞬間。
同盟軍側の者でさえ、息を呑んだあの声。
ジィッドは短く息を吐いた。
「あれは無理ですよ」
デコーズが視線だけを向ける。
「ほう」
「敵である俺たちまで痺れましたからね」
ジィッドは正直に言った。
「皇帝が命を懸けて最前線に出て、理想を語って、全星団に向けて勅命を出す。しかも、フィルモアの騎士たちはそれを聞いている。ブーレイまで反転した。あの状況で百パーセントの力で戦えるのは、よほどのひねくれものだけです」
デコーズの口元が、ほんの少し上がった。
「お前はひねくれものだろ」
「俺は……」
ジィッドは言いかけて、少しだけ目を伏せた。
「俺たちは、若すぎました」
バギィが眉を上げる。
トモエも、わずかに顔を向けた。
ジィッドは続ける。
「年齢の話じゃありません。騎士として、あれを笑い飛ばせるほど枯れていなかった。銀月も、黒豹も、ロッゾも、西部連合も。敵味方関係なく、あの瞬間に戦場の意味が変わった」
受像機の中で、ダイ・グ皇帝の演説が短く再生される。
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『笑え!
若き皇帝の戯言!
甘い理想とな!』
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ジィッドは、画面を見ないようにして言った。
「王都攻略は終わりでした。あそこで押せば、全軍が包まれる。王宮方面へ割って入った味方は、救えなかった。救いに行けば、撤退路ごと閉じられた」
デコーズは黙って聞いていた。
その沈黙が、妙に長い。
ジィッドは続けた。
「だから撤退支援に切り替えました。銀月58騎と黒豹72騎を使って、ロッゾ主力と西部連合の抜けられる部隊を北西へ逃がしました。王宮方面には向かわせていません」
「黒ローブの停止命令は」
「切りました」
「いい根性してるな」
「通信状態が悪かったので」
ジィッドは真顔で言った。
バギィが一瞬だけ咳き込んだ。
トモエの肩がわずかに震えた。
デコーズは、そこで初めてはっきり笑った。
「お前、言うようになったじゃねえか」
「言わないと懲罰部隊行きですから」
「ほう?」
「もしくは、書類上、戦死扱いで処理されるかと」
「そこまでされると思ってんのか」
「黒ローブの命令を切りましたので」
「まあな」
デコーズは机の上の報告書を指で弾いた。
「だが、今回に関しては、お前の読みが通った」
ジィッドは少しだけ眉を動かした。
「通った?」
「痛い目見ずに帰ってきたのは、良くやった」
沈黙。
ジィッドが、まるで今の言葉を理解できなかったように止まる。
それから、ゆっくり口を開いた。
「……デコーズ隊長に褒められた」
「耳は正常みたいだな」
「どっきりですか?」
「違う」
「これから懲罰部隊行ですか?」
「なんで褒めた直後に送るんだよ」
「デコーズ隊長なので」
バギィがとうとう笑った。
トモエも薄く笑っている。
デコーズは呆れたように肩をすくめた。
「お前さん、褒められ慣れてねえにもほどがあるな」
「褒められると、だいたい次に仕事が増えるので」
「そこは間違ってねえ」
「やっぱりですか」
デコーズは受像機へ視線を戻した。
画面では、ダイ・グ皇帝の容体を案じるフィルモア市民の様子が流れている。
泣いている者。
祈る者。
黙って皇帝旗を見上げる騎士。
それらは、敵国の映像だった。
だが、馬鹿にする気にはなれなかった。
「通信の状態が悪かったから仕方ねぇってことになってる」
デコーズは言った。
ジィッドが顔を上げる。
「仕方ない?」
「そうだ。全星団通信網が奪われた。軍事通信網もやられた。現地指揮は混線。黒ローブたちは現地で判断できる状況じゃなかった」
デコーズは報告書を持ち上げる。
「公式にはそうなる」
「……公式には」
「実際も大差ねえだろ。あいつらの盤面は割れてた。ダイ・グの勅命で戦場の重心が変わった。ブーレイは寝返った。王宮と北部戦線の間には敵が落ちた。そこでまだ王都を落とせって言うなら、そいつは地図しか見てねえ」
ジィッドは黙った。
デコーズは続ける。
「お前は現場を見てた。だから引いた」
「命令違反です」
「生き残るためなら命令くらい破れ」
その声だけ、少し重かった。
「騎士はなー、強い弱いじゃねえんだよ。生き残るものなんだ」
ジィッドは、どこかで聞いた言葉だと思った。
ナカカラの撤退路で、自分の耳の奥に残っていた声。
それが、今度は目の前で言われている。
デコーズは言った。
「お前は今回、自分だけじゃなく、ロッゾと西部連合の抜けられる部隊を残した。黒豹も残した。銀月も残した。全部は救えなかったが、全部死なせもしなかった」
ジィッドは小さく言う。
「王宮方面へ入った味方は救えませんでした」
「救えねえもんは救えねえ」
「割り切れませんよ」
「割り切れたら、お前さんはもう少し楽に生きてる」
デコーズは鼻で笑った。
「だが、割り切れねえくせに切った。そこがまあ、今回の評価だ」
ジィッドは嫌そうな顔をした。
「評価、ですか」
「不服か」
「デコーズ隊長から評価されると、育成対象になりそうで嫌です」
「もうなってるだろ」
「最悪だ」
バギィが報告書をめくりながら言った。
「損耗は?」
ジィッドは即座に答える。
「銀月は大破3、中破11、小破20。騎士死亡なし。ファティマ重傷1、軽傷6。黒豹は大破5、中破17。騎士死亡2、行方不明1。ロッゾと西部連合は撤退支援で主力の一部を回収。ただし王宮方面へ突出した部隊は、ほぼ通信途絶」
部屋の空気が沈む。
デコーズは受像機の音量を少し下げた。
「痛い目見ずに、ってのは皮肉だ」
「分かっています」
「だが、壊滅じゃねえ」
「はい」
「なら帰ってきた意味がある」
ジィッドは、そこでようやく少しだけ息を吐いた。
緊張が抜けたわけではない。
ただ、呼吸を思い出したように。
トモエが静かに言う。
「黒ローブ側はどう出るかな」
デコーズが肩をすくめる。
「通信不良と現地判断で押し切る。押し切れなきゃ、主宰に聞け」
ジィッドの顔がさらに嫌になる。
「主宰に面会ですか? 罪人として引っ立てられる気分ですね」
「似たようなもんだろ」
「否定してくださいよ」
「嫌だね」
デコーズは笑った。
「主宰は面白がるだろうよ」
「それが一番嫌です」
「だろうな」
デコーズは、楽しそうに報告書を畳んだ。
「若い皇帝の理想に痺れて、撤退支援に切り替えて、命令違反を通信不良に押し込んで帰ってきた。面白いじゃねえか」
「面白くありません」
「お前にとってはな」
受像機の中では、また速報が流れる。
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フィルモア皇帝ダイ・グ陛下、容体安定。
ただし予断を許さず。
帝国各地で祈りの集会――
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ジィッドは、その画面を見た。
敵の皇帝。
王都攻略を失敗させた相手。
自分たちを撤退戦へ追い込んだ男。
それでも、嫌いにはなれなかった。
「敵ながら」
ジィッドは呟いた。
「凄い人ですね」
デコーズは薄く笑った。
「だから皇帝なんだろ」
「俺には無理です」
「当たり前だ。お前さんは皇帝じゃねえ」
「でしょうね」
「お前は、撤退路を開ける方だ」
ジィッドは黙った。
その言い方は、妙に刺さった。
派手な勅命は出せない。
理想を掲げて星団を揺らすこともできない。
だが、崩れた戦場で残せるものを残すことはできる。
デコーズは、そこを見ていた。
「ジィッド」
「はい」
「次はもう少し早く引け」
ジィッドは少しだけ苦笑した。
「はい」
「それと、黒豹を勝手に指揮下に入れた件は、アーリィが同意したことにしておけ」
「実際、同意しました」
「ならいい。あいつもいい判断だ」
「本人に言ってあげてください」
「嫌だ。調子に乗る」
「俺には言ったのに?」
「お前は調子に乗らねえだろ」
「乗りませんが、胃は痛くなります」
「それでいい」
デコーズは椅子から足を下ろした。
報告書を机の上へ置く。
「休め」
ジィッドは耳を疑った。
「今、何と?」
「休めと言った」
「本当にどっきりですか?」
「しつけえな」
「休めと言われると、だいたいその後に追加書類が来ます」
「今回は来る」
「やっぱり」
「だが、先に休め」
ジィッドは、返事に困った。
デコーズは笑った。
「お前さん、命令違反して撤退してきたんだ。堂々と寝ろ」
「それは理屈として正しいんですか?」
「ボクちゃんが言ってるんだから正しい」
「最悪の根拠ですね」
バギィが苦笑する。
トモエも小さく笑う。
ジィッドは敬礼した。
「では、休みます」
「おう」
ジィッドは扉へ向かった。
出る直前、デコーズが言った。
「ジィッド」
「はい」
「よく戻した」
今度こそ、ジィッドは振り返らなかった。
振り返ると、顔が出る。
だから扉に手をかけたまま、短く答えた。
「……軍務ですので」
デコーズは笑った。
「便利な言葉だな」
扉が閉まる。
受像機の中では、まだフィルモア皇帝の速報が流れていた。
敵国の若い皇帝は、倒れた。
だが、その言葉は戦場をひっくり返した。
そしてその戦場から、ジィッドは銀月と黒豹と、残せるだけの味方を連れて戻ってきた。
勝利ではない。
だが、敗走でもない。
デコーズは報告書をもう一度見て、低く笑った。
「ほんと、面白い育ち方してやがる」