♪ 小夜:星山小夜(ほしやま・さよ)。高校1年生。軽音楽部で、エレキギター担当。タクの幼馴染で、タクに片思い。
♪ タク:水野拓(みずの・たく)。高校1年生。小夜の幼馴染。軽音楽部でドラムス担当。メイに恋を始める。
♪ メイ:久米郁葉(くめ・いくは)。高校2年生。軽音楽部の先輩。エレキベース担当。恋人がいるらしい。
♪ ショージ:東海林ショージ(しょうじ・ショージ)。高校1年生。軽音楽部でキーボード担当。現実の恋に、ファンタジーを持ち込みたい。
♪ ヤッ子:牧靖子(まき・やすこ)。軽音楽部の顧問であり、タクが町内のイベントで合奏する大人。渦中でうろたえている者を、外側の落ち着いた場所から俯瞰する。
[第三話] 流れの中で
(回想セクション)
小夜の家には、クラシックギターがあり、小学生の頃から、遊びのひとつとして、弾いていた。
ギター教室に通うこともなく、親から教わるのも遊びの範囲だけ。
楽器といえば、一般的には「高等芸術」と思われることもあるが、小夜にとってはギターは怪我の心配のないおもちゃ。野球道具が家にあって、親から遊びとして軽く教わるようなものに似ている。
ギターには、調律や楽譜などの専門的なこともある。親の意向では、「プロ並みの完璧ではないのが、子供の遊び」だから、楽しみの邪魔にならないように「誤り指摘」よりも「案内」に努めた。
子供の時分は、正しい意味も知らず、真似をしながら慣れるものだ。慣れたら、専門的なことが理解できるようになる。
「ギターのために、爪を伸ばすのがいいの?」と問われると、「高学年になったら、伸ばしてみようか」と答えた。
爪のせいで、他人を怪我させることがある。自分が怪我することもある。爪に気遣う日常は難しい。子供の爪は弱く、女の子なら男の子よりも弱い。
小学五年生になり、小夜が爪を伸ばし始めた頃、近所に住む幼馴染のタクが、ドラムスを始めた。
足繁くタクの家に通い、ドラムスの音を聞いた。
「でも、タクちゃんはドラムスだけだから、何の曲だかわからない」
「だったら、これならどうだ? 曲の演奏じゃなく、練習曲」
正確に刻んだテンポ。それの半分を刻む音、半分の半分を刻む音、十六ビートのうち、鳴る音符と鳴らさない休符の選択の正確さ。小夜は、タクの練習曲が好きになった。
小学生の小夜は、ドラムスを通して、タクに初恋。ここに来れば、好きな人に会える、好きなドラムスを聞ける。
学校で、小夜の爪が欠けた。爪の輪郭の一部が凹んだような形。ギター演奏に支障の無い側なので、小夜も軽い気持ちで放置していた。
事件は、昼休みに起きた。女子同士で遊んでいるうち、欠けた小夜の爪が、同級生の頬を傷付けた。
「血が出てるー!」
騒然となり、先生が呼ばれた。先生は、ティッシュで血を拭き、怪我は幸いにも表面だけだったが、子供達には知らせなかった。
「大丈夫、大丈夫。すぐに、保健室に行きなさい」
怪我をした子供が、何人かの女子と共に保健室に行った。
先生は、血の気が失せて立ち尽くす小夜を、執拗に責める。
「前から言っていたでしょう。爪を切りなさいって。爪がはがれて、自分が大怪我をするだけじゃなく、こうして、他の人に迷惑になる」
周囲からは、小夜を責める声が聞こえる。「やっぱり、変だよね」「ギターだからって、いい気になってる」「コンクールにも出ない、遊びのくせに」
先生は、小夜の手首を強くつかんだ。
「今すぐ、切りなさい。職員室に爪切りがあるから、切りに行く!」
茫然自失で、周囲の騒ぎから精神が取り残されていた小夜は、突然、大声で泣く。
「やだーーー!」
掴まれた手を振り払おうと、もがくが、大人の力には勝てない。
タクが割って入る。
「済みません!」
腰を九〇度に曲げて頭を下げる。
「爪が長いことを知りながら、切らせなかったのは、僕に責任があります。ごめんなさい!」
腰を伸ばし、気を付けの姿勢のまま、先生を直視する。
「でも、小夜にとって、ギターは大切なんです。今さら遅いのですが、いいことを考えました。小夜の爪に、絆創膏を被せます。毎日、被せます。どうか、これで許してくれませんか!」
タクの正当な物言いに、先生は驚いた。小学生として知っている単語だけなのに。タクの脳内の高揚を心配する程に、後遺症を懸念する程に驚いた。
先生はしゃがみ、小夜と目線を合わせた。
「わかった。これからは絆創膏を貼りなさい」
小夜は、言葉を忘れて、ただ頷くだけ。
その日は、その後、当事者の親達も学校に来て、子供には知りようのない話が行われたようだ。
傷は浅いものであっても、女の子の顔を怪我させた。手当だけで済むものではない。
同級生の中には、ピアノ教室でクラシックを教わっている者もいて、専門的な知識を得ている。
遊びでギターを弾いている小夜は、同級生から「音楽のニセモノ」と呼ばれるようになった。
これまでは、小夜が小学生なのにギターが弾けるからと、音楽のことなら小夜を頼ることがあったが、怪我の事件の後は、小夜は寂しい日々になった。音楽のことなら、「本物」の音楽をしている子がいる。
相変わらず、小夜はタクの家に通った。学校から帰り、タクの家で、指先の絆創膏を外すのが、満腔の喜び。
タクの練習曲を聞くのが、心を平衡に戻す大切な日課。
クラシックギターの教室に通っていない小夜は、「遊びでギター」とは言っていたが、怪我の事件の時に、タクが「小夜にとって、ギターは大切」と言ったのは、小夜には好きなジャンルができたため。
フラメンコ。
爪を伸ばしたから、演奏できるようになった。
情熱的なラスゲアード。ギターのストローク演奏を、細かく連続して鳴らす。
アポヤンド。爪が短ければ、指先の肉で弦を弾く。爪があるからこそ、汗が飛び散る程の情熱的な演奏になる。
「タクちゃんに聞かせるんだ」
小夜が自宅でフラメンコを練習する時、いつもタクのことを思い浮かべる。
そして、嬉々として演奏する姿、幸せに満ちた微笑みの小夜を、タクは優しく見る。
いつの間に気付いたのだろう、クラシックギターが、独奏楽器であることに。アンサンブルや、『アランフエス協奏曲』(アランフェス協奏曲)のような曲もあるが、小夜にとっては独奏楽器だった。
● ●
夏の軽音楽部。部室には小夜とメイ。
エアコンを使っているが、メイはまだ暑がっていて、ワイシャツのボタンを、ひとつ多く外している。
小夜が、メイの首元のキスマークを見付ける。
「メイ先輩。痣があります。虫刺されですか?」
「え? あっ、ゴメン」
鏡の前に走り、首元を確認する。
「コンシーラーで消そうと思ってたんだけど、ああーっ、忘れてたあ」
コントのような、憤慨した歩き方。鞄を開ける。
「でも、見付かったのが、小夜ちゃんで良かった。秘密にしてくれるよね」
コンシーラーで消す。
「これって、その場限りの、からかいや遊びで終わらないんだよね。後で困るのは、こっちなんだから」
「それって、キスマーク? ……ですか? メイ先輩は、大学生の彼氏がいるんですね」
鏡の前で、ワイシャツの襟を開けて、斜め横や、斜め上から見ても気付かれないか確認する。
「彼氏じゃないけど、もう……何年になるかな」
「(メイ先輩は、高校二年生。もしも五年前からなら……。彼氏じゃない……)」
もし、メイに彼氏がいれば、タクの恋は実らない。安堵したが、彼氏じゃないのなら……。
笑顔で振り返るメイの顔が、自分の知らない暗黒宇宙、いや、ブラックホールに見えた。もし、腕を伸ばしてメイに触れると、二度と戻れない世界に呑み込まれるのではないか。
女ドラキュラ。
どこまでが噂で、どこからが本当なのだろう。
● ●
生徒達は授業の後、部活の開始まで、各所で用事を済ませる。
曜日によっては、タクと小夜だけの時間がある。
小夜は、タクの基礎練習の音が好きだった。
正確に刻んだテンポ。それの半分を刻む音、半分の半分を刻む音、十六ビートのうち、鳴る音符と鳴らさない休符の選択の正確さが、好きだった。
ハイハットの、オープンとクローズには、楽しい予感があり、胸が熱くなる、胸が痛くなる。
小夜はギターを出し、チューニング。音叉の代わりに、備品の鐘を使う。
軽音楽部に代々伝わる話には、「これを意中の相手と一緒に鳴らすと結ばれる」なんて、無いんだな。
「無いなら、作ればいい」
きっとメイなら、そう言うだろう。
作れるもんなら、作りたい。
そっと、タクを見る。ドラムスの準備という、ルーチンワーク。
タクのスナップ写真を撮れるのは、世界中で自分だけ。
● ●
秋の文化祭に向けて、軽音楽部の曲目は、主に、部員の好きな曲から選んだ。
「さて、みんなにお願いしていた選曲を、披露してね」
ミーティングで、メイが司会。それぞれ、曲目のリストと、録音媒体を出す。
ショージは、わざと遅れて座った。小夜の隣に座るために。
机上に置かれたリストの中には、全員が知っているものもある。
タクが立ち上がり、ホワイトボードに曲目リストを書く。重複しないように調整しながら。
「この曲、軽音楽部の初日に、水野君とあたしでユニゾンしたよね」
メイがタクに話し掛けたのが、恣意的に感じた。
「小夜ちゃまは、やっぱりロックが好きなんだね」
「その、小夜ちゃまって呼び方、やめてくれる?」
疑問形にしているが、あからさまに不機嫌。
タクが会話に割り込む。
「星山さん、聞いてる? ホワイトボードを見てよ」
タクは、いつもは呼び捨ての「小夜」と呼ぶが、ここでは珍しく「星山さん」と呼んだ。
各自が持参した録音物で、みんなで曲を聞いた。曲数が多いので、それぞれ短時間ずつ。
ショージの持参曲は、ジャンルがバラバラ。その中で、小夜がエレキギターを始めるきっかけになった、ライブバージョンのロックがあった。
スタジオ録音は、きれいにまとまっている。ライブでは、間奏でメンバー紹介を兼ねて、メンバーが順番にソロを演奏する。
中学生の頃、タクから借りて見た動画には、ドラムスとエレキベースのユニゾンがあった。
バンドでは、ドラムスとベースが要(かなめ)となるらしい。この二人の仲が悪いと、バンドは失敗するという話がある。小夜は、タクとメイの仲が良いので、このバンドは成功すると思った。
ミーティングで、曲目は五曲に絞られた。この中から、秋の文化祭までに、練習をしながら三曲を決める。MC(トーク、おしゃべり)も含むので、三〇分間で準備から撤収まで行うには、三曲がちょうど良いだろう。
「オリジナルもしたいな」
ショージが無理な提案をした。
「言い出したショージ君は、作詞作曲編曲ができるの?」
「実は、中学生の頃から、歌は作っていたんだ」
「じゃあ、いくつか、軽く見本を歌ってよ」
メイに促され、ショージがキーボードを準備する。
小夜「でも、編曲はどうするんですか?」
タク「ああ、それなら、コード弾きをして、時々は「おかず」を入れれば、何とかなるよ」
メイ「しっかりと楽譜にするのは大変だけど、試行錯誤で作り上げるのって、面白いと思う」
三人で話しているうちに、キーボードの準備ができた。
「聞かせどころだけをブツ切りで、何曲かサンプルで歌ってみて」
「ブツ切りのサンプルですか……」
創作アーティストは、自作に強い愛着があると聞くが、ショージもその分類らしい。
何曲か「聞かせどころ」を聞いたが……。
「はい、ありがとう。どれもいいよね」
「そう! 嬉しいなあ」
「うん、どれも、いかにも中学生らしい出来栄え」
メイの感想には、小さな棘がある。
タクが名案を出す。
「ショージが先導して、みんなで作るのはどうだ? そうしたら、軽音楽部の全員で作ったってことになるだろう?」
「うーん、それは……」
合作を嫌う創作アーティストもいる。
メイが補足する。
「一曲の全部をショージ君に任せると、荷が重いでしょ。だから、思い付きの断片を、たくさん作って、それに触発されたみんなも断片を作って、あれこれ組み立てたりして、仕上げるのは?」
「うーん」
やはり、不機嫌だ。
小夜は、ショージが自分を天才だと思っているのかと、やや不機嫌になる。
「ショージさんは、自分が思い付いたことの、全部が宝石だと思っているの? プロの創作アーティストなら、山のような愚作を思い付いて、その中から宝石の原石を見付けて、磨くよ」
「そう、それが「推敲」という作業だな」
不機嫌な小夜の言葉を柔らかくするように、タクが言ってくれた。「推敲」と言ってくれたので、「小夜の勝手な考え」ではなく、「昔からある、創作の手順」ということになった。
● ●
(回想セクション)
「(どうして、ギターだったんだろう。どうして、ベースじゃなかったんだろう)」
中学生になっても、小夜はタクの家に通った。とはいえ、互いに行動範囲も交友関係も広がったので、回数は減った。
先に、ロックを知ったのは、タクだった。
小夜がタクの部屋に入ると、タクがロックを演奏していた。
「小夜も聞くか?」
オーディオを工夫し、タクはイヤホンで、小夜はスピーカーで曲を聞きながら、タクがドラムスで合奏する。
「最近、町内バンドに入ったんだ」
「町内バンド?」
「町内の文化サークルで、老若男女、プロっぽい人もいれば、ド素人もいる」
「へえ」
「お祭りとかのイベントで、演奏もするんだ。即席でメンバーを組む。だから、メンバーの組み合わせによっては、シャンソンやムードジャズになるんだ」
「面白いね」
「そこで、色んな曲も紹介してくれたんだ。俺の知らない名曲は、世の中にたくさんあるんだな。俺の好みは、やっぱり、ロックだな」
この日から、タクの家ではロックの演奏に合わせたタクのドラムスを聞くことが多くなった。
小夜は自宅で、ロックコンサートを見た。あまり興味は無かったが、タクが好きなライブ盤を貸してくれたので、自室のパソコンで、ヘッドホンを使って。
タクが貸してくれた、タクの好きなロックバンド。
動画が開始された。幕が上がる前のオープニングは豪華。これが好きなタクなら、さぞかし感動するのだろう。
これまで、このアーティストの曲は、タクの家で何度か聞いた。
知らない曲もあり、外国語の歌詞は、正直、わからない。
しかし、馴染みの曲もある。タクの家で聞いたのは、どれもスタジオ録音で、きれいにまとまっているもの。
動画は、ライブの臨場感、カメラワーク、照明、演奏者の動き、それらに呼応する観客。これが、お客さんと一体化なのか。
ステージの全体は、お客さんに対して、わかりやすい表現をする。お客さんが応える。それに合わせて、ステージが続く。
エレキギターが素敵。曲によっては、歩きながら弾き、ステージの中央でソロ演奏。音楽は聞くものだが、音楽以外を用いてはいけないという制限はない。
誰にも迷惑でない、危険でないなら、何をしてもいい。
「(エレキギターを弾きたい!)」
クラシックギターの経験があるから、きっと自分もエレキギターを弾けるだろう。
タクが最も好きな曲が始まった。小夜も少し歌詞を覚えていたので、小声で歌った。
間奏が長い。スタジオ録音とは異なり、メンバー紹介も兼ねている。演奏者が順番で、ソロ演奏をする。客席は手拍子。
ドラムスのソロ。客席の手拍子が止まる。ドラムスだけで、こんなに多様な演奏ができるんだ。
バスドラだけで、単調に拍を刻む。客席の手拍子が再開する。ベースギターが加わる。
小夜の好きなハイハットが細かく鳴り始める。ドラムスとベースギターのユニゾン。そうか、バンドになると、こんなこともできるんだ。
「エレキギターが弾きたい!」
小夜は家族に宣言した。
いきなり、そんなことを言われて、親は驚いたが、その場で家族会議。
クラシックギターとは異なり、エレキギターなら、楽器だけでは済まないだろう。
どの楽器店が信頼できるのか、楽器以外には何が必要なのか、最低限の品揃えに必要な予算は?
家族会議は、短時間で終わった。なぜなら、誰もエレキギターに詳しくないから。
結論として、「誰かに相談しよう」になった。
楽器店。エレキギターを購入するため。
小夜が楽器店に来るのは、これまでは親とだった。クラシックギターは、基本的に弦が切れることはないが、弦の色が変わる頃には交換するようにしている。
楽器店には、親子のお出掛けイベントのひとつだったが、小夜が中学生になると友達と行くようになった。
クラシックギターを積極的にするのでもなく、日常のほんの一部なので、新しい楽譜を購入することもない。小夜の年齢を考慮し、楽譜のネット購入は禁止されていた。
今日は小夜とタク、そして初めて、親ではない大人と楽器店に行く。
同伴の大人は、タクの所属する町内バンドで、エレキギター担当のヤッ子。学校の先生で、軽音楽部の顧問もしているらしい。
小夜の家族会議の後、タクに相談すると、町内バンドのヤッ子に連絡してくれた。そこで、後日の家族会議にヤッ子も快く同席してくれて、今日の買い物にも同伴してくれた。
家族会議では、最低限の必需品の予算の相談に、ヤッ子は詳しく答えてくれた。ギターケースは、ソフトケースとハードケースの違いや価格帯にも詳しい。エフェクターの種類など。
小夜の親の意向は、小夜は上達すれば、こだわったものが欲しくなり、アルバイトをして自分で購入するだろう。中学生の初心者である現在は、こだわりが少ない。ヤッ子は、小夜の親の意向を理解していた。
ヤッ子は、小夜がエレキギターを望んだ理由(きっかけとなった憧れのギタリストや曲目など)を聞き取り、楽器店に並んでいるギターから、どれを購入するか選んだ。
三人で行動するうち、ヤッ子は、小夜とタクが自然に近付くようにした。時には、軽く小夜の体を押すこともあった。
小夜とタクが、「付き合う前の恋人、または、相思相愛」と、暗に判断し、二人を軽くからかいながら応援するような計らいをする。
小夜は嬉しがり、積極的にタクに近付くが、タクはギターが専門ではないため、小夜の期待には応えられない。
小夜が、タクと同じ高校に行こうと思ったのは、この日。タクとの仲が成就するために、ヤッ子からの応援が欲しい。
その後、中学三年生になり、進路を決める時期には、明確にタクと同じ高校に決めた。それは、「卒業でお別れ」の意味が身近になったから。タクは近所の幼馴染だが、高校が別々になると、会う機会が激減する。
小学生の頃は、「恋愛対象は、近くにいる異性」という義務感から、仄かな恋心を自分に課していた。中学生になり、タクと別な高校に進学することを想像し、恐怖し、義務感の恋が、明らかな恋となった(ような気がした)。
進学先を決めるには、高校を主語にして「その高校は、こういう特徴」を基準とする。しかし、小夜は「その高校には、タクがいる」を基準にした。
それからの小夜は、エレキギターに熱中した。
決して、クラシックギターを軽んじるのではなく、小夜の熱中の対象に、エレキギターがぴったりだった。
タクからバンド譜と音源を借り、練習した。エレキギターは、電気を使わなければ音は小さい。自分でも心配になる程、練習に熱中した。
わからないところは、ヤッ子が電話に応じてくれた。
「始めたばかりなら、上手くいかなくて、当たり前だよ。失敗しても、恥ずかしくないし、誰の迷惑でもない」「楽譜もそうだけど、人の心も読みにくいよね」「ゆっくりのテンポで丁寧に練習して、上手くなったら、水野君に褒められるよ」
ヤッ子の応援は、小夜を勇気付けてくれる。
エレキギターを抱えた時、ふと気付いた。
「ここしばらく、クラシックギターを弾いてないなあ」
しばらく迷い、小夜は右手の爪を切った。
● ●
次回は …… [第四話] 変わりながら崩れながら壊れながら
ユニゾン:ショージが説明
簡単に言えば、「同じことを、一緒に」ってことさ。口で歌いながら、歌と一緒に机を「コッココ……」と叩くのもユニゾンしていることになる。
タクがドラムスを、メイ先輩がベースを、同じに「ダダダ、ダダッダ」と鳴らすのも、ユニゾンさ。タイミングがぴったり合うと気持ちいい。
同時ではなく、直後に真似するのは「コール・アンド・レスポンス」で、これも気持ちいい。
ロック:小夜が説明
音楽ジャンルの名前です。
岩もロック「ROCK」で、スペルも同じですが、音楽の方は「揺れる」の意味です。ロッキングチェアは揺り椅子でしょ。
聞いていて、体が揺れるだけでなく、あたしが動画を見て感動したように、心が揺れるっていう意味もあるかも。
ハイハット:タクが説明
ドラムセットの中の、シンバルの名前だ。小夜は、この音が好きなんだね。
シンバルといえば、一枚ずつ両手に持って、二枚を合わせるように打ち鳴らすよね。ドラムスでは一枚だけをスティック(太鼓の撥を細くしたようなもの)で叩く。
ドラムスでも、二枚を合わせる仕掛けをしたシンバルがある。それが、ハイハットというわけだ。
両手にはスティックを持っているから、ハイハットは足で操作する。ペダルを踏んだら二枚がくっ付き(クローズ)、ペダルを離したら二枚が離れる(オープン)。
ペダル操作だけでも音は鳴るけど、スティックとペダル操作を組み合わせて鳴らすのが、よく使われる手法だ。
エフェクター:ヤッ子が説明
音色を変える機械が、エフェクターだね。「効果」ということで、「SE」は「サウンド・エフェクト」の略ですよ。
ギターの元々の音色が「ビー」で、それを「ギー」「プー」「ゴー」とかに変える機械。エコーのような効果もできますよ。
「エフェクターを買う」と言えば、手のひらサイズの機械を思い浮かべます。パソコンを使うエフェクターもあるんですよ。
ラスゲアード:タクが説明
クラシックギターの演奏方法のひとつだ。
エレキギターなら、「ピック(爪)」という、指でつまむ小さな板で、弦を弾くね。六本の弦を同時に鳴らす「ザン」という弾き方をする。
クラシックギターは、自分の爪を伸ばしているので、右手の四本の爪で順番に「ザラララ」と弾くのが、ラスゲアード(ラスゲアド、ラスギャード)って言うんだ。
小夜が好きなフラメンコギターでは、これがかっこいいね。
アポヤンド:タクが説明
クラシックギターの演奏方法のひとつだ。
クラシックギターでは、自分の爪を伸ばして、爪で弦を弾くよね。実は、弾き方は三種類もあるんだ。
爪の背で弦を弾くのが一種類、指の肉と爪の間に弦を入れた状態から弾く方法が二種類、合わせて三種類の弾き方がある。小夜は、これをを使い分けることができるんだ。
爪を引っかけて、引っ張るように弾くのが「アルアイレ」で、普通にギターを弾くのを想像すると、これになる。
爪を引っかけて、弦を押しながら、爪をずらして弾くのが「アポヤンド」だ。弦を押すから、鳴らした瞬間に、隣の弦に指が着地するんだ。
「え? 隣の弦を邪魔するの?」と、不思議に思うよね。だから、使える場面は限定的だけど、それ以上の効果があるということだね。
バスドラ:メイが説明
ドラムスは、大きさの違う太鼓、各種シンバルがセットになっているよね。その中で、最も低い音が鳴る、大きな太鼓がバスドラだ。
正面から見て目立つから、ここに何かを書いたり飾るのも、かっこいいよね。
足でバスドラを蹴ることはない。ペダルを踏んで演奏するけど、「キックドラム」と呼ぶこともあるんだ。
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